戦いの前に《2》
ホテルを出た俺は、ボックス・ガーデンの会場裏、選手用に開放されている控室へと向かう。
華焔は、会場に着いたところで、「では儂は、姫様のところへ行ってくる。皆で、応援しておるぞ」と言って擬人化し、自分で自分を腰に佩いて、去って行った。
多分……今の俺なら、一人でも問題ないと、そう思ったのだろう。
何度も思っていることだが、アイツは俺以上に俺の状態を理解しているからな。
そうして、一人で会場裏に来た俺だったのだが……。
「――だから、今、仕事中ですので」
「えー、いいじゃん、ちょっとだけ! ね、遊ぼうよ!」
「無理です、忙しくて、そんな暇はありませんから」
「そう言わないでさぁ、ほら、せっかくこうして出会えたんだから」
通路の先にいたのは、スタッフの腕章を付けたシェナ先輩と、見知らぬ男の二人組。
二人組は、恐らく魔族だ。
どうやら、シェナ先輩がナンパされているようだが……彼女は見るからに面倒そうな、迷惑そうな様子であり、だが事を荒立てないようにするためか、耐えるような表情をしていた。
途中からしか見ていないためわからないが、多分相当しつこくナンパされているのではないだろうか。
二人組の内、主に喋っているのは一人で、もう一人の、とりわけガタイの良い方は黙っているものの、自身の連れを一切止めようとはしていない。
……ハァ。
やる気出して来たらこれか。
まあ、シェナ先輩最強だから、ナンパしたくなる気持ちもわかるけどよ。
「ね、ちょっとだけだからさー!」
そう言ってナンパ男は、シェナ先輩の肩に無理やり腕を回そうとし――その途中で、俺がガシッと掴み、払い、シェナ先輩の前に出る。
「ナンパするなら他所を当たれよ。この人がスタッフの腕章巻いて、仕事中なの、目に入らねぇのか?」
「あぁ……? んだ、ガキ?」
睨むような、威圧するような声を漏らすナンパ男。
なんつー典型的なチンピラだよ。わかりやす過ぎて笑えてくるね。
ちなみにもう一人のガタイの良い奴は、やはり口を開かない。
観察するような目つきで、俺を見ている。
「どーも、ガキです。歩いてたら、マヌケが騒いでいて、目に余ったんで」
我ながら、苛立ちを覚えているのを感じながらそう言葉を返すと、ナンパ男がピクッと眉を動かし、嘲るように口を開く。
「ハッ、何だ? 女の前でいいかっこでもしたくなっちまったか? 若くて可愛いねぇ、何歳――いや、何年だ、ガキ?」
「一年っすけど」
「おう、じゃあ敬語使えや、後輩。こっちは四年だ。人間の猿は、言葉遣いも知らねぇのか?」
「そうすか、失礼しました、先輩。大分頭が弱いみたいなんで、まさか年上とは思いませんでした。年齢でしかマウント取れないんすか?」
そう言うと、二人組の内、ナンパ男が怒りを顔に浮かべ――次の瞬間、眼前に迫る腕!
攻撃してきたのは、ナンパ男ではなく、ガタイが良い方の男。
俺の頭部目掛け、まるで弾丸かの如き勢いで、鉤爪のように指を曲げた手が伸びてくる。
動けたのは、日々の訓練のおかげか。
ギリギリで見切ることに成功した俺は、首を曲げ、回避。
チッ、と爪が、頬を掠る。
攻撃を受けたら、反撃する。
それが、華焔によって無意識のレベルにまで刷り込まれていた俺は、伸ばされた腕に手刀を――というところで、先に腕を引かれる。
そしてガタイの良い男は、ニィ、と。
大きな口を、酷薄な、獲物を見つけたかのような笑みの形に変えた。
「ここにいて、かつその強さ。貴様、本戦に出るんだな?」
「……だったらどうした」
「貴様の顔は覚えた。楽しみにしているぞ、今日の戦いを。俺が行く前に、バカみたいな負け方をしてやがったら、後で殺してやる。――おい、行くぞ」
「え? け、けど――」
「黙れ、行くぞ」
そうして二人組の魔族は、片方は未練タラタラの様子だったが、去って行った。
……あのガタイの良い方、本戦出場者か。いや、ナンパ男もそうなのか?
完全に目を付けられたな。
まあ、本戦に出る以上は、元々戦う可能性は高いのだ。
たとえ目を付けられたのだとしても……関係ねぇな。
そこで俺は、後ろのシェナ先輩の方へ身体を向ける。
「いやぁ、シェナ先輩、スタッフの仕事も大変すね。ああいう奴らも相手にしないといけないなんて。――先輩?」
彼女は、ピョコンと猫耳を立て、俺をジッと見ていた。
「……ね、ユウハ君。これから、ユウハって呼んでいい?」
「? はい、勿論、全然好きに呼んでもらって、構わないですよ」
「そう。じゃあ、そう呼ぶね、ユウハ。……血、出てる。ちょっとジッとして」
「え、あ、ありがとうございます」
どうやら、あのガタイ良い奴の爪が掠った時に、切っていたようだ。
シェナ先輩は、俺の頬に手を当て――ん、魔法か。
触れている彼女のほっそりとした指から、何か温かいものが流れ込んでくる。
回復魔法、だろうな。
「ごめん、私のせいで、変な因縁付けられちゃったね」
「いや、あれはどう見ても向こうが悪いでしょ。先輩が謝ることはないし、何なら最初に煽ったのも俺だし、それで因縁付けられたんなら、完全に自分自身のせいですから」
穏便に済ませようとしていた先輩と違って、事を荒立てたのも俺だしな。
「……ふぅん、なるほど」
「はい?」
「んーん。こっちの話。――さ、これで良し。まあ、またこの後いっぱいケガするんだろうけど、それもちゃんと、戻った時に私が治すから」
「はは、そうすね。確実に、全身生傷だらけにはなると思うっすけど……お願いしていいですか?」
「勿論。私は学院スタッフだから、それくらいはやったげる」
どことなく、楽しそうな様子の先輩。
その尻尾もまた、何だか機嫌が良さそうに、フリフリと左右に揺れている。
普段、シイカの尻尾を見続けているので、尻尾持ちの尻尾が表す感情を見抜くのには、ちょっと自信があるのだ。
尻尾ソムリエと呼んでくれたまえ。
……いや、やっぱいいわ。響きがダサい。
「あ、てか、先輩、仕事中だったんじゃ?」
「ん、ぶっちゃけると、仕事中ではあるんだけど、今は仕事が割り振られてなくて、手持無沙汰なんだよね。でも面倒だったから、忙しいって断ってたの。だから、実際は全然忙しくないかな」
「……な、なるほど」
肩を竦める先輩に、苦笑を溢す。
俺が余計なことをせずとも、多分この人、自分であしらうことも出来てたんだろうな。
「それで……ボックス・ガーデンの本戦までは、まだちょっとあるけど、ここに来たってことはユウハ、居ても立ってもいられなくなって、って感じ?」
「そうすね、そんなところです。今の気分を、熱気を冷ましたくなくて……っつったところですかね」
「フフ、最初はあんなにずっと、『どうしよう』って顔してたのにね」
クスリと、上品な笑みで笑うシェナ先輩。
一つ一つの所作が、本当に様になる人だな。
「ホント、我ながら単純だと思いますよ。やってる内に熱中しちまって」
「ん、やっぱりユウハも、しっかり男の子だね」
「そりゃあ、男なんで。……もしかして女々しいって思われてました?」
「さあ、どうかな。いっつも女の子と一緒にいるな、とは思ってたけど」
「……そ、それは致し方のない理由によるものと言いますか。し、シイカとか華焔とかは、もう俺が何を言おうと、どうにもならない関係になっちゃったので……」
「フィオちゃんとかとも、学院じゃあ、よく一緒にいるみたいだし?」
「あ、アイツは同じ修羅場を潜った友人なので……と、というかちゃんと、同性の奴らともつるんでますから!」
カル、ジオ、ジャナルの三人とは、仲が良いと言っても良いはずだ。
あ、あと、最近はハルシル先輩も親しい友人と言って良いはず。
数は多くないかもしれないが……四人、うん、四人だ。
そんだけいれば、十分だろう。
……女性の知り合いは、もっと多い訳だが。
と、そんなことを俺が考えていると、こちらの考えていることを見透かしたのか、シェナ先輩は楽しそうに笑う。
「あはは、冗談だって。ユウハが女々しいなんて、全然思ってないから。むしろ……ん、とにかく。君が頑張ってるのは、知ってたからさ。で、とうとう本戦まで来て。だから、応援してるよ、本当に」
「先輩が応援してくれるなら、もう百人力っすね。しかも、褒美があるんだから、尚更ですよ。片時も忘れてないですからね、俺。先輩が尻尾と耳、触らせてくれるって言ったの。今大会の一番のモチベーションはそれって言っても過言じゃないですから」
「……それが一番っての、大分動機が不純じゃない?」
「いやいや、男なんてそんなものですよ。しかも、先輩みたいな超絶美人さんの尻尾と耳って考えたら、テンション上がらない男は存在しませんって」
「……バカ」
ちょっと照れたように、俺の肩をパシンと叩いてくるシェナ先輩に、俺は笑った。
――そんなことを話している内に、空き時間は過ぎて行き。
ボックス・ガーデンの選手が、準備に呼ばれ始める。
やがて呼ばれる、俺の名前。
すると、結局最後まで付き合ってくれたシェナ先輩は、俺の背中にポン、と手を置く。
「さ、頑張って。ユウハ」
「うす! 行ってきます!」
俺は、フィールドへ向かって行った。




