魔法を学ぶ《1》
――翌日。
微睡んでいた俺の意識は、何かがトントンと肩を叩いたことで、急速に目覚めへと向かう。
「起きて」
心地良い声が耳に届くと同時、優しく肩を揺すられる。
「ん……あぁ……」
俺はゆっくりと瞼を開き、ぼんやりとした視界が徐々に明瞭さを増していき――目の前に、怪物の口があった。
「おわぁっ!?」
一瞬で意識が覚醒し、飛び起きる俺。
「むぅ、うるさいわ、ユウハ」
「わ、悪い。……いや、これ俺が悪いのか?」
眼前にあった口は、シイカの尻尾だった。
その起こし方、心臓に悪いからやめてくれないか。
「おはよう、ユウハ。お腹が空いたから食堂に行きましょう」
「わ、わかった。ちょっと待て、顔洗ってくる」
「はやくー」
パパっと朝の準備を終えた後、俺達は部屋を出る。
「ええっと、食堂は……」
「こっちよ」
「お? わかった。よく知ってるな」
「ユウハが寝てる間に調べた」
どんだけ楽しみにしてたんだ、朝飯。
苦笑を溢し、二人で寮の廊下を歩く。
シン、と周囲は静まり返っており、人の気配は一切感じられない。
どうやら現在は、前世の暦で言うところの、三月に当たる月であるらしく、つまり新入生の入学前なのだ。
春休みであるため学院自体も稼働しておらず、在校生もほとんど実家に帰っているため、俺達以外の寮生はほぼいないのだそうだ。
もう少し経てばボチボチ人がやって来るそうだが、それまではずっとこんな感じらしい。
そうして、バカみたいに広い城の内部を進んでいき――辿り着く。
「ここ、のはずよ」
「おぉ……洒落た学食だな」
辿り着いた食堂で、思わず感嘆の声を漏らす。
全面ガラス張りで、学生用の食堂とは思えない品の良い調度。
学院内でも立地の高い場所に造られており、窓の外には大自然が広がっている。俺達がやって来た、森の風景だ。
部屋の窓からも見えていたが、こちらだと森の全容がわかりやすく、相当に深いことが見て取れる。
見渡す限りで広がっており、果てがわからないのだ。
山脈らしきものも遠くに見えるが……あそこまで全て森だろうか?
そんな洒落た食堂だが、やはり今は人がいないためか、どことなく寂しい雰囲気がある。
というか、やってるのか、これ?
学院長から、「ご飯は食堂で食べてね」と言われているのだが――というところで、俺達の気配に気が付いたらしく、配膳口らしいところからヒョッコリと人が顔を覗かせる。
……いや、人じゃなかった。
「オウ? 学院長様ガ言ッテイタ、童ドモカ」
そこにいたのは、悪魔。
瞳は赤で、爬虫類を思わせる縦の瞳孔。
二メートル近くの、ボディビルダーみたいな筋肉隆々の肉体は紫色をしており、額から二本の角が生え、恐竜のような尻尾も生えている。
そんな、前世ならば映画の悪役として出て来そうな悪魔がシェフの恰好に身を包んでおり、しかも妙に似合っているのが不思議だ。
うーん……異世界。
「えっと……こんちは。これからお世話になります、ユウハです」
「シイカよ」
「オウ。料理長ノ、ゴード、ダ。オ前達ノ料理ハ、俺ガ作ルコトニナル」
「あれっすね、料理長というか、戦闘隊長って肩書の方が似合いそうっすね」
「カッカッ、ソウカモナ。マア、学院長様ガイレバ、戦力ナド必要ナイダロウガ」
……あの幼女学院長、やっぱり強いのか。
「ねぇ、ゴード。それよりご飯。お腹空いたわ」
「オウ、モウ数分デ出来ル、待ッテイロ」
シイカの遠慮のない言葉を気にした様子もなく、厨房の方に引っ込んだ料理長だったが、彼の言葉通り本当にもうちょっとだったらしい。
数分してこちらに戻ってきた料理長は、二つ分のトレイを片手ずつで持っており……うわ、美味そう。
シャキシャキのレタスとトマト、そしてジューシーな照り焼き肉をパンで挟んだ、ハンバーガーだ。
ハンバーガーと言っても、前世でよく見たことがあるようなジャンクな感じではなく、しっかりとした料理といった趣のハンバーガーである。
共に出されたアツアツのスープは、ジャガイモにニンジン、たまねぎにソーセージがゴロゴロと入ったポトフで、こちらもメチャクチャ美味そうだ。
トレイを受け取り、俺達は近くのテーブルに腰を下ろす。
料理を前に、シイカは目を輝かせ、だがどうやって食べたらいいのかわからないらしく、首を傾げている。
「シイカ、フォークとナイフで……いや、いいか。ハンバーガーは、両手でこう持って食べるんだ。スープはそっちのスプーンを使え」
「ん」
シイカはまず、ハンバーガーを両手で持ち、パクリと食べ――そして、目をまん丸に見開く。
ピキーンと尻尾が立つ。
「とても、とても美味しいわ!」
「カッカッ、良イ食イップリダ」
本当に美味しそうに、珍しくテンションだだ上がりの様子のシイカに、料理長の機嫌が良さそうな笑い声が厨房から聞こえてくる。
コイツ程美味しそうに食ってくれたら、料理人冥利に尽きるだろうな。
「ユウハ、これとても美味しい! あなたも早く食べて」
「わかったわかった。――いただきます」
何故か俺を急かしてくる彼女に笑い、俺もまたハンバーガーを頬張る。
ん……本当に美味い。
言葉が上手い方じゃないので、具体的にどうとかは言えないのだが、食欲の進む味だ。一言で言うと激ウマ。
「ユウハ、私もうここに住むわ」
「おう、もう住んでるけどな。お前が気に入ったんなら良かったよ」
それからしばし、二人で朝食を味わっていると、食堂の扉が開かれ、一人の女性が中へと入ってくる。
「いたわね、飛び入り新入生二人組」
現れたのは、この城で最初に出会い、学院長との話し合いの時にも傍らに立っていた、魔女。
「あ、どうも。ええっと……アルテリアさん、でしたっけ」
「えぇ、その通りよ。よろしく、二人とも。――あなた達は、今日から入学式までの間、私から特別授業を受けてもらうわ。魔法に関する知識がないってことだったから、基礎を徹底的に覚えてもらうわよ。悪いけれど、時間がないから大分頑張ってもらうことになるわね」
半ばそうだろうとは思っていたが、やっぱりこの魔女も教師だったのか。
……ぶっちゃけ、まだこっちを警戒しているような感じがあるのだが、経緯が経緯だから仕方ないな。
つっても、俺達に何かするつもりなんて毛程もない訳なので、時間が立てば害意がないことはわかってくれるだろう。
「あー……頑張ります」
「頑張って、ユウハ」
「いや、お前も頑張るんだぞ。何で他人事なんだ」
「私は、魔法使えるから」
「……それもそうか」
俺、何にも知らないゼロからのスタートだし、そりゃ俺の方が頑張らないとか。
「そういう訳だから、朝食を食べ終えたら教室に来てちょうだい。場所は、『セラスの間』という教室で……ま、そうね、せっかくだから色々迷いながら、お出でなさいな。地図は掲示板に張ってあるから、道はそれで確認しなさい。時間は一時間半後にしましょう」
「了解っす、『セラスの間』ですね。持ち物とかは……」
「それはこっちで用意するから気にしないでいいわ。それじゃ、また後で」
そう言い残して彼女は、再び去って行った。
「一時間半後か……まだちょっとあるな」
俺の言葉に、だが話を聞いていたらしい料理長が首を横に振る。
「イヤ、オ前達。食ベタラ、スグニ移動シタ方ガ良イ。コノ城ハ馬鹿ミタイニ広イノダ、慣レテイナイト、延々ト迷ウゾ」
「え、そんなに――と思ったけど、確かにこの食堂に来るのも、結構な道のりだったか」
「おかわり」
「お前、話ぶった切るのやめーや」
「カッカッ、モウ一個ダケダゾ。味ワッテ食エ」
* * *
「――あら、時間通りに来たわね。正直、もう三十分くらい掛かるんじゃないかと思ってたんだけれど」
ちょっと意外そうな顔をする魔女先生に、俺は苦笑を溢す。
「いや、何すかこの城。流石に広過ぎじゃないっすか」
危なかった。
料理長の言葉を聞いていなかったら、多分普通にこの教室、『セラスの間』には間に合っていなかった。
食堂までは正確に導いてくれたシイカも、こっちは特にやる気がないからか、俺に言われるがままでしか動かなかったし。
直線距離ならばそこまでではないのだろうが、とにかく道が多いこと多いこと。
敷地が上下にも広がっているせいで、複雑怪奇なことこの上ない。迷路じゃねぇんだから。
それと……道中の掲示板なんかを見ていてわかったのだが、俺はこちらの世界の文字も普通に読めるようだ。
まだ試していないが、多分書くのも当たり前のように出来るのだろう。
……前にも思ったが、俺の脳には、本当にこちらの世界の言語が『インストール』されているようだ。
ここまで来ると怖いが……無かったら相当困ってただろうことも、確かなんだよなぁ。
言葉が通じないなんて、致命的過ぎる問題だし。
ちなみに、ここは小規模な教室であるようで、教壇と十人分くらいの席しか置かれていない。
小さめだが一通りの設備が整えられた運動場が窓の外に広がっており、この部屋のベランダからも向かえるようになっている。
「まだ時間のある今の内に覚えておきなさい。新学期が始まってから迷っては、普通に減点よ。――さて、改めて挨拶しておくわ。私はアルテリア=オズバーン。基礎魔法理論を教える教師よ。一年の間は私から教えを受けてもらうことになるから、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
俺達は一番前の席に並んで座った後、そう挨拶をする。
「まずは、知識の確認から。二人はどの程度魔法のことについて知ってるのかしら」
「何も知らないっす。本当に、一ミリも」
「魔力を込めたら発動するわ」
俺達の言葉を聞き、魔女先生は一つコクリと頷いてから、言葉を続ける。
「ユウハ君は、わかったわ。そういう約束だから、一からちゃんと教えましょう。それで……聞きたいのだけれど、シイカちゃん。あなたはどうやって魔法を発動しているのかしら? 術式の形態とか、わかる?」
「術式?」
コテンと首を傾げるシイカ。
いつものように尻尾も首を傾げる。
よくわかってなさそうな様子の彼女に、魔女先生は少し考える素振りを見せる。
「……なら、シイカちゃん。あなたの魔法を見せてくれない? 何でもいいから、ここからそっちの運動場の方に、放ってくれないかしら」
「ん」
何でもないように頷いたシイカは、尻尾を窓の外へと向け――次の瞬間、運動場の空中に現れる、三枚の巨大なギロチン。
それらは順番に落下し、ガガガと運動場に突き刺さり、数秒すると空間に霧散して何もなくなった。
「おぉ……すげぇ」
「別にすごくないわ。これ、大きな魔物のお肉を切り分ける時の魔法だから」
「お、おう、そうなのか」
平然とした様子でフルフルと首を横に振るシイカ。
何故そのチョイスなのか。というか、こんなのを使わなければならないような魔物もいるのか。
……まあ、シイカはドラゴンも食ったことあるそうだし、今更か。
「この規模でありながら、発動までのタイムラグはほぼゼロ、完全無詠唱でその上座標指定まで……なるほど、やっぱり私達が使う魔法とは違うようね」
コイツ、やっぱり規格外なんだな、ということを改めて理解し、呆れるような感心するような思いで見ていると、魔女先生は何事かブツブツと呟いた後、俺達へと言葉を掛ける。
「よし、二人の指導方針は大体決まったわ。ユウハ君は基礎から、そしてシイカちゃんはヒト種の魔法を学んで、現在の魔法能力を伸ばしましょう。目指すのは、魔法発動の効率化ね」
そうして、魔女先生の授業が始まった。