舞台裏にて《1》
ホテルで軽く身支度を終えた俺は、すぐに出ると、とりあえずマジック・ラビリンスの会場へと向かう。
『……その布、巻かないとダメなの?』
嫌そうな声で、そう言う華焔。
コイツが言っているのは、華焔を覆うための布だ。
もうなんか、慣れてしまって意識から抜けていたが、普通に考えて華焔をそのまま持ち運ぶのは、問題がある。
だから、すぐには抜けませんよ、というのを示すために、鯉口の部分を布で縛る訳だ。
当たり前の配慮である。
そこに思い至らなかった、俺が考え無しだったのだ。
「おう、しょうがないだろ。人が多いんだ、また余計な詰問受けたくないしな。それに、お前なら鞘に入ったままでも、ちゃんと動けるだろ?」
『むむう……仕方あるまいか。儂の、寛大なる心に、お前様は感謝すると良い!』
「へへぇ、すげぇ感謝してますよ」
本当にな。
お前がいてくれたおかげで、いったい俺がどれだけ、助けられていることか。
俺が一番、俺だけじゃ何にも出来ないことを、理解しているのだ。
「……そうだな。いつもありがとうな、華焔」
『……な、何じゃ、突然』
「いえいえ、正直な感想を述べたまでっすよ。もうホント、いつもありがとな、華焔。お前がいてくれたおかげで、俺がどれだけ助かってることか」
『……フ、フン、わかれば良いんじゃ、わかれば! 儂のありがたさを、理解したのならばそれで良い!』
ちょっと照れた様子で、だがそれを隠すように、気丈に振る舞ってみせる華焔。わかりやすい奴め。
――それにしても、これが魔法杯か。
空間を震わす、歓声と熱気。
規模が大きいというのは聞いていたものの、どこかで学生の大会、と思っていた節はあったが……観客席の満員具合や、この熱量からしても、俺の認識が甘かったことがよくわかる。
今いるここは、マジック・ラビリンスだけのフィールドで、隣や向こうの会場では『シュート&ラン』や『ボックス・ガーデン』等の競技が行われているはずだが、恐らくそっちも、ここに近いだけの人が入っているのだろう。
空中を見ると、そこに何か大きな水球らしきものが浮かんでおり、どうやらあれがこちらの世界のモニターであるようで、競技の様子を逐一映している。
そこには今、ちょうどアリア先輩がマジック・ラビリンスの迷路を攻略していく様子が映っており、何か大きな記録を打ち立ているのか、大きなどよめきが起こっている。
彼女が活躍しているのは、後輩の身としては嬉しい限りなのだが……。
「……華焔、直接危害を加えるようなものは、ないんだな?」
『うむ。次元の魔女は、そこまで愚かではない。生徒に被害が出るものならば、一にも二にもなく全てを破壊し終えていることじゃろう。それをしていない、ということは、仕掛けはあっても、害を及ぼす可能性が低いのじゃ』
華焔が見るに、何やらフィールドに、仕掛けがされているのは確実であるそうだ。
実際に見てみなければ、それがどんなものかはわからないが、何か異物があることは間違いないらしい。
俺ではまだ……そこまでを感じ取ることは出来ない。
人々が発する魔力の気配と、フィールドに張られている大規模な防御魔法に隠れ、そこまでの識別が出来ない。
華焔曰く、俺ならば彼女と同じだけのものが見えるはず、とのことなので、これもやはり、俺が俺の肉体を使いこなせていないという証なのだろう。
相変わらず、先が長いな。
――それから俺は、華焔に促されるまま、競技場の裏を歩き回る。
選手であるおかげで、この辺りの出入りは自由に許されており、おかげで特に制止もされず色々見ることが出来ているのだが……。
『――あった、これじゃ』
ギリギリ、フィールド内である物陰。
そこで、華焔が俺を止める。
俺では、雑多に物が置かれているように見えるだけで、違和感は感じられないが……。
『お前様、集中せよ。お前様の能力ならば、見えるはずじゃ』
「…………」
俺は、目を凝らす。
空間に存在する魔力から、他者の魔力、発動した魔法の残滓など、混ざり合っている要素の一つ一つを意識し、除外していき――地面に、何かある。
「見えた」
『うむ、どのようなものが見える?』
「……何か……書きかけの魔法陣、みたいな奴だな。どこかと……繋がってる?」
多分これは、単体では機能しない。
そして、出力も低い。
なるほど、これだけ小規模なものだと……フィールド全体に張られている、強力な防御魔法に隠れて、ほぼ見えなくなるな。
『正解じゃ。よし、お前様、まずは斬れ』
「あぁ」
華焔の布を外し、鞘から刀身を抜き放ち、ヒュッと振るう。
地面に直接描かれていたそれは、真ん中に一文字の斬れ込みが入ったことで、機能しなくなったのが見て取れる。
「何の魔法陣だったんだ、これは?」
『恐らく、魔力を吸収するためのものじゃな』
「吸収?」
『うむ。吸収し、どこかへ送っておる。繋がっている、とお前様は言ったが、それは、吸収した魔力を通すための通路、じゃな。恐らく同じものが、同じようにフィールドに隠されているのじゃろう』
俺は、少し考えてから、問う。
「ミアラちゃんが、気付いていてこれを放置しているのは……もしかして、おびき出すため、か?」
『お、わかってきたの。彼奴ならば、潰すのは簡単じゃ。しかしここで彼奴が手を出してしまえば、次元の魔女に気付かれたと、邪教の連中が深く潜る可能性がある。故に、まだ手出し出来ておらんのじゃろう。――しかしこれは、次元の魔女の話』
華焔の言いたいことを察し、俺は先を紡ぐ。
「……逆に言えば、学生が相手だったら、警戒はしても潜ることはない、ってか?」
『うむ。次元の魔女がいる、と知っているのにこうして作戦を決行した以上、敵はそれなりの準備を整えていると見るべきじゃ。ただの学生の邪魔くらいで、めげたりはせぬじゃろう。どうじゃ、お前様? 暇がある今の内に、嫌がらせ。せぬか?』
ニヤリと、楽しそうに笑みを浮かべる華焔。
「……今回、随分積極的だな?」
『何、ちょっかいを掛けて来たのならば、その手を引っ込めさせねば、向こうは調子に乗るだけじゃ。害を及ぼす可能性が低い、とは言うても、何かをされておることは確実。儂も……この手の輩は、見かけたら駆除するか、と思うくらいには嫌いじゃからな』
その言い種に、俺は苦笑を溢す。
「そんな害虫みたいな」
『実際、害虫じゃぞ。他者に集って、食い物にする連中じゃ。そして、次元の魔女にとっては……見たくもない存在、じゃろうからな』
少し気恥ずかしそうな、どことなく誤魔化すような声音で、そう言う華焔。
――あぁ、なるほど。そういうことか。
口では悪く言うことが多いが、コイツは恐らく、ミアラちゃんのことを案じているのだ。
長い付き合いみたいだし……きっと、華焔なりに気になるものがあるのだ。
「……わかった。やれるだけやろうじゃねえか」
『うむ。存分に、邪教連中を苛立たせてやろうではないか』
そう言って華焔は、不敵に笑った。
――これは恐らく、俺がやらなければならないことの、一つなのだろう。
だから、やろう。
敵が今、学生の大会を隠れ蓑にして、何かをやっていることは確実なのだ。
ミアラちゃんがそれを、気にしていることは確実なのだ。
ならば、まあ……ソイツらの邪魔をしてやろうじゃないか。
その方が、よっぽど愉快だ。
アホどものマヌケ面を見て、上品に舌を出して、中指を立てるのだ。