杯の中の円《1》
早朝。
「ん……」
前日に早く眠ったおかげで、陽が昇るか昇らないか、という時間帯に俺は目を覚ます。
『お前様、起きた?』
俺の気配を感じ取った華焔が、刀に戻った状態のまま、そう声を掛けてくる。
華焔はいつも、俺達が目を覚ました時には、起きている。
意識を有し、つまり精神活動を行っているため、彼女もまた休息、眠りというものを必要とするようだが、それは俺達ヒト種のものとは性質が異なり、常に意識の一部は表層にあるそうだ。
そして、本体が無機物で、肉の身体を持っている時もあくまで疑似的なものであるため、その休息の時間も短く、こちらが目を覚ました時にはとっくに起きていることがほとんどである。
「ん……はよ」
身体を起こし、軽く伸びをする。
この高性能な身体のありがたい点は、一度目が覚めたら、すぐに意識も覚醒するところだ。
朝の気怠い眠気と戦わず、動けるようになるため、あまり辛さがない。
早起きは三文の徳じゃないが、こうやって朝に余裕が出来ると、実際得した気分になるんだよな。
俺は洗面所に向かい、顔を洗って軽く身支度を整えてから戻ると、華焔を腰に佩く。
『よし、では行こー』
「あぁ、頼む」
そうして、部屋の玄関に向かい――というところで、俺達の気配を感じたのか、シイカがのそりと身体を起こした。
「ん……」
「あ、悪い、起こしたか」
「んーん。……ゆーは。がんばって」
いつもは朝の早いシイカだが、流石に早過ぎたのか。
眠そうな、微妙に活舌の回っていない様子のシイカの言葉に、俺は笑みを浮かべて「おう」とだけ返し、部屋を出る。
◇ ◇ ◇
「フッ――」
前日に案内されていた、個人練習用のグランドで、華焔を振るう。
朝早くに来ることが出来たおかげで、俺以外には誰もいない。
華焔を振るう時は、鞘から抜いた抜き身の状態だからな。
危ないし、それに単純に広く使いたいので、こうして早朝に出て来たのだ。
『うむ、以前と比べれば、大分良くなったの。本番で気負わずにおれば、ま、そこらの凡百が相手ならば、余裕で蹴散らせるじゃろうな』
「……ハルシル先輩が相手なら?」
『……難しいかな。あの男は、確かな実力がある。例の宝物庫での戦い、覚えてる?』
「あぁ」
『あの時戦った、隊長格の男。奴と同等か、もしくはそれ以上の実力はあるじゃろう。お前様が一人で戦うとなると……ま、勝率二割、といったところじゃな。どのたいみんぐで、どうやって隠し玉をぶつけるか。それに掛かっておるの』
「二割か。それだけあったら上々だな。賭けも成立するさ」
『カカ、そうじゃな。なかなかに白熱する、良い塩梅の賭けじゃね』
それから再び、華焔を振るう。
本番を想定しての、インプットしたものの確認。
前日にやったところで、たかが知れてるだろうが……ま、気休めだな。
やれるだけやったのならば、あとは本番で発揮するだけと、腹を括れるというものだ。
そうして、身体を動かし続けていた――その時だった。
『お前様』
その華焔の言葉の質に、俺はピク、と一瞬反応し、だが何事もないかのように、すぐ素振りに戻る。
「……何がいる?」
『作業服姿の男達じゃ。二人、草葉の陰に忍んでおる。隠密の技術の高さから見て、手練れかな。決してそちらを見るなよ。向こうはお前様のことも視界に入れておる』
二人組の男……。
「……狙いは、俺なのか?」
『さあ。儂は一度見聞きしたものはそう忘れんが、お前様の周りに、あのような男がおった記憶はないの。じゃから……お前様というよりは、ここの学院の者を警戒しておるのかもしれんな。――ぼっくす・がーでんのために、練習しておった索敵をやれ。それなら気付かれん』
「……わかった」
俺は、魔力を感じ取れる。
だから、その質に差異があれば、それも感じ取れる。
ボックス・ガーデンに向け、俺はその差異の見分けの練習を、ずっとしていた。
皆には言っていない、隠し玉の一つである。
短く息を吐き出し、集中する。
空間の魔力。
土の魔力。
草の魔力。
そして、そこに混じっている――異物が二つ。
あった。
確かに男の形をした魔力の塊だ。武器……短剣を持ってるな。
静かに、一定に、だが高まっている魔力。
魔力の高まりは、魔法を発動する前段階だ。
ということは奴らは、いつでも魔法を放てるようにしながら、忍んでいるということになる。
それは、隠れて、銃口を誰かに向けている、という攻撃態勢に他ならない。
正当防衛として、こっちが先に攻撃しても、許されるような状況だ。
『見えたのう? 先制するぞ。今ならば先手を打てる』
「……これでただの勘違いでした、ってなったら、最悪だな」
『その場合は、後でごめんなさいと謝れば、きっと許してくれるじゃろうの。安心せい、ちゃんと殺さぬ程度に手加減しておこう』
彼女の言葉に、俺は苦笑を溢し――動く。
まず発動したのは、例の襲撃の際にも使用した、閃光手榴弾代わりの『ライト』。
原初魔法により、魔力を込めれば込めるだけ光量の増すそれは、まるで太陽が如く強烈な光を地上に顕現させる。
「ッ――!?」
「チッ――!!」
男達から感じられる、動揺の気配。
刹那、俺は華焔に促されるままに駆け、男達の前に飛び出すと、勢いのまま一刀を降り抜く。
ただ、殺しはしないよう、峰打ちだ。
首の良いところに入り、まず一人が地面に崩れ落ちる。
華焔はすぐに俺の身体を動かし、もう一人に向かって二刀目を叩き込もうとするが、しかし短剣で受けられる。
……まだ目は機能していないはずだが、音か気配かで感じ取られたか。
この世界には、気配というものが明確に存在している。
これは魔力に関連する機能で、ヒトは大なり小なり必ず魔力を感じ取る器官が存在しており、故に他者が持つ魔力を、『気配』として肌で感じ取っているそうなのだ。
俺がさっきやった索敵も、これと同じことだな。
そして――気配が確かに存在しているものとわかっているのならば、それを逆手に取る技術もまた、存在しているのだ。
右からの斬撃を放つと共に、華焔が、自らの持つ魔力を空間に開放。
圧倒的な、莫大な魔力。
「クッ……!」
男はそれに反応し、防御の構えを取り、だがその時にはすでに、我が刀は次の段階に移っていた。
今度は逆に、思い切り出力を絞り、魔力の痕跡を隠す。
俺は、彼女が求むるがまま、右の斬撃を途中で止め、グルンと回転して左の斬撃に斬り替える。
その一刀は、何にも防がれることはなく、峰打ちであったため男の脇腹を強かに殴り抜き、その身体が横にくの字に曲がる。
バキリ、と骨を折った感触が腕に伝わってくる。
男は苦悶の息を漏らしたものの、まだ踏ん張り――ここで逃がしはしない。
さらに一歩を踏み込んだ俺は、華焔の柄で顎をかち上げ、男の身体が軽く浮いたところで、叩き下ろすようにして水月に肘打ちを打ち込む。
一切の防御が出来ず、人体の急所を強かに打ち付けられた男は、地面に沈んで動かなくなった。
恐らくコイツらも、俺よりも強いのだろうが……華焔には敵わず、三秒程で戦闘不能になっていた。
「……華焔さん、結構ガッツリ殴りましたけど、手加減したんすよね?」
『とーぜん。ヒトはこれくらいでは、死なないって。ここで殺しちゃったら、お前様もこの後が甚だ面倒じゃろうからな。して……』
そこで彼女は、ヒトの身体をその場に生み出し、男達の腕を取る。
最初は、何もないムサい男の腕だったが……どうやら、華焔が何かしたらしい。
左腕の、手首の辺り。
ぶわりとそこに、入れ墨のようなものが浮かび上がる。
アルファベットの『Ⅴ』のような字の中に、『〇』の記号が入っており、その周りに文字なのか記号なのか判別が付かないような、短い文章らしきものが彫られている。
「……なるほどねー。次元の魔女が気にする訳じゃ」
それを見て、どことなく納得したような顔になる華焔。
「……ミアラちゃんに、関係が?」
「うむ。見よ、お前様。この『Ⅴ』は聖杯を表し、この『〇』は己がのみで循環するモノ、つまり完全なるモノ――神を表す。この入れ墨が表すのは、聖杯の中にいる神」
「…………」
俺は、黙って、彼女の言葉を聞く。
「合わせて意味するところは、『聖杯を用いて神を生み出す』、じゃな。じゃが、ヒトが自らの手で神を生み出そうとするなぞ、到底まともではない。狂っている、と言うても良いじゃろう」
華焔は、言った。
「これはの、お前様。邪教の証じゃ」