今後の目標
――学院長の執務室から、場所を移した後。
「嫌」
「嫌じゃない」
「嫌」
「嫌じゃない」
「嫌」
「嫌じゃない」
押し問答を繰り返すが、一切引かない俺に、「むぅ……」と唸るシイカ。
現在目の前の少女は、あのボロの外套を脱ぎ、ミアラちゃんが用意してくれた部屋着を身に纏っている。
が、一つ、いや二つ、身に付けていないものがあった。
――下着である。
部屋着の方は問題なかった。
ボロの外套よりも着心地が圧倒的に良かったようで、気に入っている素振りを見せていた。
しかし、下着を着るのを嫌がったのだ。
どうやら、外套の下を完全な裸で過ごしてきたシイカにとって、今まで付けていなかったものを新たに着込むのは違和感があって気に食わないらしく、頑なに拒絶し始めたのである。
「いいか、シイカ。ヒト種はな、必ず下着を身に付けるんだ。文明人か文明人じゃないかのラインは、そこだと言ってもいい」
「別に私、文明人じゃなくてもいいし」
「残念だがこうしてこの城に来た以上は、それに関する拒否権はない。悪いが我慢しろ」
「……嫌」
「嫌じゃない。慣れれば、服をそのまま着るより、まず間違いなく過ごしやすいはずだからよ」
「……そうなの?」
「あぁ。男はともかく、女子は、その……ちゃんと着といた方が楽なはずだ。じゃないと、全員が着たりすることはないだろ?」
俺は、シイカ用の下着を両手に持ちながら、そう説得を続ける。
女子用下着を両手に持つ男。
傍から見ると変態そのものだが、ここでめげては負けなので、気にしないことにする。
「あと、ちゃんと着てくれるなら、一つ俺の借りってことにしといてやるから」
するとシイカは、ちょっと悩んだ様子を見せた後に、ようやく諦めてくれたようで、ため息を吐きながら上下分の下着を受け取る。
「むぅ……しょうがないわ。……どうやって着るの?」
「えっ、ええっと……た、多分そっちのは、腕を通して着て、そっちのは普通に、ズボンを穿いたのと同じように足を通して穿く、はずだ」
いったい俺は何を言っているのだろうか。
「そう、わかった」
そう言って彼女は、自身のシャツに手を掛け――。
「――って、ば、バカ、待て!」
くびれのある白い腹部と臍、そして小ぶりだがしっかりと起伏のある、胸の下部分が見えたところで、俺は慌てて顔を逸らす。
「? 何?」
「何じゃねぇ、俺がいるところで堂々と着替えるなって!」
「むぅ……ユウハは、注文が多いわ」
確かにそうかもしれないが、これに関しては断じて俺は悪くないと、声を大にして言いたい。
何が悲しくて、連れの女子と下着を着る着ないの問答をせねばならんのか。
* * *
そうして、ドッと疲れるやり取りを終え、シイカがちゃんと着替えた後。
「んで……これからここが、俺達の家か」
気分を入れ替え、俺は周囲を見回す。
そこそこ広いワンルーム。
ベッドが二つと勉強机が二つずつ置かれ、シャワーとトイレ、キッチンもあり、ぶっちゃけ普通に良い部屋だ。
置かれた調度が洒落ていて、かなり綺麗なのだ。
窓から覗く、外の夜景も非常に見晴らしが良く、なかなか素晴らしいところである。
「ヒト種って、わざわざこんな壁に囲まれたところで過ごすのね。ちょっと狭いわ」
「一応言っておくが、決して狭くはないからな。お前は野宿の感覚が染み付いてしまっているだけで、この部屋は割と広い方だ。こっちの方が圧倒的に安全だし楽だから、ヒト社会で過ごすなら慣れろ。寝心地も良いはずだし」
「そう。なら、そうするわ」
あの話し合いの後、ちょっとだけ隣の応接間っぽい場所で待たされたのだが、数分して現れた学院長に連れられて案内された先が、この部屋だった。
どうやら、寮の一室であるらしい。
キッチンを見て思ったのだが、前世のものとは構造が全然違い、魔法技術が使われているっぽいものの、蛇口らしきものを捻れば水が流れたのを見る限り、上下水道がしっかり敷かれているようだ。
魔法のあるファンタジー世界というと、中世っぽいイメージがあるのだが、前世とは発展の仕方が違うだけで、生活水準は普通に高いらしい。超嬉しい。
ここでこれから、生活することになると言われたのだが……この部屋にベッドと勉強机が二つずつあり、そして当然のようにシイカがいるのを見てわかる通り、同室である。
コイツと。
コイツが俺から離れることを嫌がり、なら二人部屋でちょうどいいところがあるからと、ここに案内されたのだ。
学院長は、ニヤニヤしながら「君達がいいなら……ま、こっちは何も言わないよ。仲良くね。じゃあ、また」とか何とか言って、去って行った。
それでいいのか、教育者。
「それにしてもお前、わざわざ同室を選ばなくても良かっただろ」
「だって、一緒にいないとユウハを守れないわ。約束の内だもの」
物珍しそうに部屋のものをあれこれ触りながら、そう答えるシイカ。
……そうか、コイツなりに考えての選択だったのか。
「……てっきり、いつでも好きな時に狩りに連れて行けるから、とかだと思ってたが、違うんだな」
「失礼。私を何だと思ってるの」
「食欲魔人」
「……それもそうね?」
不本意そうな顔をしていたシイカは、だが俺の言葉を聞き、確かに、といった感じの顔に変わる。
彼女の尻尾も、納得! といった感じでコクコク頷いている。
なんつーか……お前の尻尾、本当にいちいち動きが可愛いな。
見てると和む。
「……まあ、じゃあそれはいいが。お前、どっちのベッドがいい?」
「じゃあ、こっち」
「了解。――さて、こうして俺達は、生活の場所を手に入れることが出来た」
「ん」
片方のベッドにドカッと座ると、シイカもまた反対のベッドにちょこんと腰掛け、こちらを向く。
「落ち着ける場所が得られた訳だ。ひとまず目標達成、ってところだな。んで、まず先に改めて聞いておきたいんだが……お前はこれからも、俺に付いて来てくれるのか? ヒト社会で暮らすことになる訳だから、お前にとっても相当勝手が変わってくると思うが……」
話を聞く限り、シイカはずっと森で、一人で生きてきた。
俺にとっちゃ、絶対こっちの生活の方が良い訳だが、コイツもそうだと勝手に決めつけるのは良くないだろう。
そんなことを思いながら問い掛けるも、しかし彼女はあっけらかんとした様子で答える。
「ごはんが食べられるなら、何でもいいわ。変なのを着させられるのは嫌だけれど」
自身の身体を見回しながら答えるシイカ。
「慣れろ。悪いが、それに関しちゃ好き嫌い以前のラインだ。――わかった。んで、なら次の目的だ。つまり、目指すところだな」
「目指すところ?」
「あぁ。そういうのは、しっかり決めといた方が良いんだ。漠然となあなあに生きるよりはな」
生活していける場所は手に入れた。
ここにいれば、当面は生きていくことが可能なはずだ。
ならば次は、やはり「何故、俺はこの世界に来たのか」という点を探っていかないとならないだろう。
学院長には、「何らかの事故によるもの」と説明したが……当然ながら俺は、そうじゃないと思っている。
目が覚めたら、シイカがいた。
俺に付いて来てくれることになり、近くにこの場所『エルランシア王立魔法学院』があったため、そこで生活することが出来るようになった。
――出来過ぎだ。
偶然と言うには、場が整い過ぎているように思う。
何らかの意思を感じる。
この世界に来た俺が、簡単に死なないよう道を整えてくれたのではないか、という気がしてならない。
ならば、そこには何か理由があるのだろう。
異世界に訪れた俺が、すぐに死んではならない理由が。
報酬が前払いされているのならば、やがては、その対価を支払わねばならない時が訪れるのだ。
……まあ、これらがただの妄想であり、全て偶然の可能性もある訳だが、もっと単純に考えたとしても、目が覚めたら異世界である。
これ以上ないくらいの異常事態だ。
何でこんなことになっているのか、気になるのは当たり前の話だろう。
元の世界に帰れるのか、帰れないのか。
シイカがいてくれたことと、こうして状況が落ち着いたおかげで、何が何でも帰りたいという焦りはないが……。
「俺の方は、一つ決めたものがある。気付いたらいつの間にか森にいた理由を、今後探っていくつもりだ。お前の方はどうする?」
「目指すところ……」
首を傾げるシイカ。
やはり尻尾も首を傾げている。
「別に難しく考える必要はないぞ。森じゃ食べたことのないような、ヒトが作る美味しいものをいっぱい食べるとか。そういうのも、良い目的だと思うんだ」
「! それは素晴らしいわ。じゃあ、美味しいものをいっぱい食べて、それであなたの手伝いをすることを目指すわ」
シイカは目に力を込め、グッと拳を握る。
尻尾もギュッと力が入っているのが見て取れる。
「おう、んじゃ――改めて、これからよろしくな、シイカ」
「えぇ、よろしく」
そう言葉を交わし――それから俺は、ずっと気になっていたことを問い掛ける。
「……なあ、シイカ」
「何?」
「その、お前の尻尾って、どうなってんだ? もしかして、そっちにもう一個意識があったりすんのか? ……えっと、ちょっとだけ触らせてくれないか?」
「……えっち」
「は!?」
ちょっとだけ頬を染め、俺から距離を取るシイカ。
尻尾も警戒するように俺から距離を取る。
……言葉には気を付けたつもりだったのだが、今のは、コイツ的には恥ずかしいことなのか。
恐らく、尻尾を触るというのがアウトなんじゃないかと思うが……俺に身体を見られても平然としているくせに、そっちはそんな反応する程恥ずかしいのか。
相変わらず、よくわからない奴である。