幼女学院長
「――やぁやぁ、君達が森から来たって子達だね」
高そうな椅子に腰掛け、ニコニコと楽しそうに笑うのは、メガネを掛けた一人の幼女。
艶のある綺麗な赤髪をおさげにし、見るからに仕立ての良さそうな服を着込んでおり、頭には魔女っぽい帽子を被っている。片手には古めかしい杖だ。
人形のように端正に整った顔立ちは、表情豊かであるためか愛嬌を感じさせ、親しみやすさがある。
シイカとは反対方向の美少女、いや美幼女だな。
背丈や容姿からすると、小学校高学年から中学入りたて、くらいの歳に思えるのだが、醸し出す雰囲気が大人びており、どことなく年齢が掴めない感じがある。
――彼女は、俺達が訪れた『エルランシア王立魔法学院』というらしいここの、学院長だそうだ。
もう一度言う。彼女は学院長である。
つまり、このどデカい城の最高責任者ということだ。
「……えっと……一つ聞きたいんですが、学院長さんの種族は?」
「ん? 私かい? 私は人間だよ」
「人間、ですか」
「うん。見ての通りの、純真無垢な人間の幼女さ」
本当に純真無垢な者は、決して自分のことを純真無垢とは言わないと思うが、これ以上ツッコむのは怖いのでやめておこう。
……異世界だし、ということで納得しておくか。
「名前を聞いてもいいかい? 私はミアラ=ニュクス。気軽にミアラちゃんと呼んでくれ」
「は、はぁ、どうも、ミアラちゃん。俺はユウハです」
「私は、シイカ。よろしく、ミアラちゃん」
「うんうん、ユウハ君にシイカちゃんね。君達とは仲良くやれそうだ。よろしくね」
ちなみに現在、学院長の執務室らしいこの部屋の片隅には、俺達をここまで連れて来た魔女もいる。
名乗る様子はないが、恐らく俺達を監視するためにいるのだろう。
「さて、それじゃあ、事情を聞こうか。最初から教えてくれるかい?」
幼女学院長の言葉に、俺は考えながら答える。
「俺の方は……えーっと、気が付いたら森の中で倒れてました。何かがあったんだとは思うんですが、自分自身詳しいことは何にもわかってないです。だから、とりあえず人のいるところへ向かったんですが、それがここでした」
「君の方は、ってことは、シイカちゃんとは森で会ったのかな?」
「そうです。交渉して、付いて来てくれることになりました」
「交渉?」
その言葉に、シイカが答える。
「ん。私の、大事な生き餌」
「……生き餌?」
「まあ、そうですね。生き餌になる交渉です」
「……あー、えっと、君達がそれで納得しているのなら、そこはいいとしようか。そういう契約の内容を聞くのは、ルール違反だしね」
一つ苦笑を溢してから、幼女学院長は気を取り直した様子で言葉を続ける。
「それで、ユウハ君は気が付いたら森に、ね」
「怪しい物言いだとは、我ながら思ってますよ」
けど、そうとしか言いようがないのだ。
異世界から来たとか、もっと言えないし。
ただ、彼女は笑って首を横に振る。
「いや、そこは疑ってないよ。多分君は、空間魔法の事故か何かに巻き込まれたんだろう」
「空間魔法、ですか?」
「うん、恐らく相当大規模な空間魔法が発動したんだろう。実は、学院の方でも今日の早朝、『古の森』方面からの大きな魔力の波動を感じ取っていたんだ。それで、何かあったのかもしれないと警戒を強めていてね」
「あ、私も、それで何だろうと向かった先で、ユウハを見つけたわ」
……そうか、俺がこちらの世界に来る際に、兆候はちゃんとあったのか。
シイカが、数日前から森の様子がおかしかったと言っていたが……俺のこれと関係があるのだろうか。
そのせいで飯が食えなかった、とかなら、ちょっと申し訳ない感じだな。
俺がそんなことを思っていると、幼女学院長はしばし考える素振りを見せてから、口を開く。
「ふむ、話はわかった。――よし、ユウハ君、シイカちゃん。ウチの学院に入学しないかい?」
「……入学、ですか? ハッキリ言いますけど、シイカはともかく、俺は魔法のまの字も知りませんよ」
ここ、魔法学院だろ?
魔法を一個も知らないのに入学とか、落ちこぼれとかそれ以前の問題だぞ。
というか、自分で言うのもアレだが、こんだけ怪しい二人組を、入学させるとか簡単に言われても、逆に信じられないんだが。
「うん、それでもいいよ。というか、私が交渉したいのは、どちらかと言えばユウハ君だ。シイカちゃんも希少種族で、非常に興味はあるが……ユウハ君程希少ではないだろうねぇ」
「……どういうことですか?」
俺の質問に、彼女は口に微笑みを浮かべ、答える。
「君はね、面白い魔力をしているんだよ。学院長である私ですら興味深いと思うような、とても面白い魔力。そして、ここは魔法学院であり、そういうものを研究するための場所でもある。君に求めるのは、その研究への協力だ。代わりに、今年の新入生として二人を捻じ込もう」
……俺の魔力は、そんなに変なのか。
恐らく、シイカが俺を『美味しそう』と言ったことと、それは関係があるのだろう。
異世界人だからとか、その辺りの理由が魔力の質にも表れているのだろうか。
「二人ともちょうど良い歳に見えるしね。勿論、最低限の知識は得てもらうけど、それは私達が責任持って教えよう。少なくとも卒業までは面倒を見ることは約束するよ。条件はこんな感じでどうかな」
彼女の出す条件を聞き……だがその時俺の頭には、全く別のことが浮かんでいた。
――俺は、何歳だ?
愕然とする。
前世で俺は、何をしていた?
自身の名前はわかる。両親も覚えている。飼っていた犬の名前や姿、友人の顔と名前も思い出せる。
好きだったアニメや漫画、小説や映画なんぞも思い出せる。
だが――それ以外の情報が、あやふやだ。
住んでいた地域、家、学校等。
というか、自分が学生だったのか、それとも働いていたのか、それすらわからない。
友人と遊んだ記憶は残っているが、どこで知り合ったのかを覚えていない。
それに繋がる記憶が、プツリと途絶えている。
自らの外見的に、成人はしていないように思うが……確証はなく、それもまたあくまで推測でしかない。
何で、こんな……。
…………。
「……まあ、いいか」
「ユウハ君?」
「いや、何でもないっす」
不思議そうにする幼女学院長に、笑って誤魔化す。
一瞬焦ったが、まあ、そこまで恐怖に思う必要はないだろう。
記憶があやふやなのは不気味だが、俺にとっての大事な情報は、ちゃんと覚えているのだから。
俺が俺であるということの情報。
決して忘れてはならない、根源に位置する情報。
それらが残っている以上、俺は俺だ。
他の何者でもなく、確固たる一つの存在である。
ならば、何も問題はない。
つか、今覚えていないだけで、その内思い出すかもしれないしな。
何かふとしたきっかけで、脳裏に蘇るのが記憶というものだろう。
そこで俺は思考を切り替え、眼前の年齢不詳幼女に問い掛ける。
「研究の協力って、具体的には何をするんです? モルモット扱いはちょっと怖いんすけど……」
「あはは、安心してくれ。魔力を機器に流してもらったり、血をもらったりで、研究データを取らせてもらうだけさ。魔力の質のね」
「……それだけの条件で、面倒を見てくれると? 正直、こっちとしてはありがた過ぎる話ですが……ミアラちゃんに益があるので?」
俺達に有利過ぎないか?
そりゃあ、親切にしてくれる分には、ありがたい限りだが……。
その俺の言葉に、だが彼女は首を横に振る。
「いやいや、何を言っているんだい。さっきも言っただろう、君は希少なのだと。そうだねぇ、例えばだけど、シイカちゃん。君に相応の礼をするから、ユウハ君を独占させてと言ったら――」
「嫌。ユウハは、私の」
シイカは、食い気味で首を横に振った。
「いや、あの、シイカさん。俺は俺のものなんすけど」
「嫌」
「…………」
「ほら、トーデス・テイルであるその少女が、それだけ独占欲を見せているんだ。君が特別なことを、彼女もまたわかっているからこその反応さ」
いやぁ……コイツの場合は、単に飯にありつけなくなるのが嫌なだけな気もするが。
「……あと、出来ればもう一つ教えてほしいんですが、シイカの『トーデス・テイル』という種は、どんな種なんです? コイツのことも、希少種族ってさっき言ってましたが」
「いいとも、教えてあげよう。『トーデス・テイル』は、ヒト種の中では最上位に位置する力を持つ種と言われている。言われている、と曖昧なのは、滅多に人前に姿を現さないから、確かなことがわかっていないんだ。それでも私が知っている限りでは、世界最強種の一角である『龍族』と単身で戦って勝利したり、敵対関係になって討伐に来た軍を軒並み壊滅させたりとか、そういう話があるね」
想像以上にヤバそうな種だった、トーデス・テイル。
「……シイカ、龍族と戦ったこととか、ある?」
「美味しかったわ」
あ、そう。
食ったことがあると。
……俺、コイツにはなるべく逆らわんようにしよう。
「だから、シイカちゃんの生態も、学者の身としては非常に気になるところなんだ。そういう訳で、二人の研究データを一気に得られるんだったら、こちらとしては全く損はない。むしろ、得とすら言えるかもしれない。この理由で、疑問は解消出来たかな?」
ニコニコと笑みを浮かべる学院長に対し、俺は少し口を閉じて考える。
……まあ、これを断ったところで、もっと良い条件の場所なんざ、存在しないだろう。
元々、行くところもない。
俺は、この世界に関して圧倒的に無知である。
学生として色々と学べるのならば、それに越したことはない。
それにしても、生き餌に加えて研究対象とは、いったい何なんだろうな、俺の魔力というシロモノは。
もうちょっと、こう……特別は特別でも、カッコイイ感じのはなかったのだろうか。
いや、いいんだけどさ。
「……シイカ、お前はどうする?」
「あなたが行くところに行くわ」
なら――決まりだな。
「わかりました、お世話になります」
「うん、これからよろしく、ユウハ君、シイカちゃん」
俺が頭を下げると、彼女は嬉しそうに笑った。
* * *
――この人は、昔からよくわからない。
「学院長、よろしかったのですか?」
傍らに控えていた魔女、アルテリアは、出て行った二人を見送った後、学院長ミアラ=ニュクスにそう問い掛ける。
――森と城との境界付近にて遭遇した際、アルテリアはあの二人を、追い返そうと思っていた。
どう見ても怪しい上に、片方がトーデス・テイルという危険な種だったからだ。
トーデス・テイルは女性しかいない種であるのだが、通常のヒト種よりも魔力に対する適性が非常に高く、故に莫大な魔力を身に宿すことが可能であるため、生物の中では突出して強いのである。
それこそ、あまりの強さに、先制して排除せねば、などという考えが浮かぶ程に。
先程のトーデス・テイルは、見た目通りまだ子供であるようだったが、それでも地域によっては討伐対象にされる程の危険な種であり、さらにその危険な少女を従えている謎の少年。
本当に困っている様子ではあったが、素性の確かでない者を簡単に懐に入れる訳にはいかず、故に追い返そうとし――だが、その直前に学院内にいた学院長から、『ウィスパー』の魔法で連絡が入ったのだ。
自分のところまで連れて来い、と。
彼女ならば、その場におらずとも状況を把握するのは容易だろうし、何か気になることがあったのかと思い、こうしてここまで二人を連れ……結果が学生としての待遇である。
何を考えているのか、サッパリであった。
「ユウハ君とシイカちゃん? うん、構わないよ。悪い子達じゃないようだし、ここで学んでいけばいいさ。君も教員として、しっかり頼むよ」
「本当に学生として扱うのですか? どこかの工作員という可能性も――」
「あはは、君は面白いことを言うね」
微笑みながらこちらを見る彼女に、一瞬ビクッと反応してしまってから、すぐに言葉を返す。
「……失礼しました。ですが、素性が知れないことは間違いありません。工作員ではなくとも、何かしら事情を抱えているのは確実でしょう」
――ミアラ=ニュクスとは、権力者であり、そして規格外の実力者である。
次元の魔女、夜の女王、時の超越者。
それ以外にも、彼女の呼び名がまだまだあることは知っている。
魔法を扱う者でミアラ=ニュクスのことを知らない者など存在せず、この国、『エルランシア王国』の王家ですら、敬称を付けて彼女と話すのだ。
今はこの学院のトップとして収まり、魔法の研究及び、後進の育成という半ば隠居生活のような日々を送っているが、仮に外へ出た場合、どれだけの影響があることか。
危険な種であるトーデス・テイルを、学院長の下へ連れて行くことを了承したのも、何があっても彼女ならば余裕で対処出来ると判断したからだ。
当然、それだけの力を有すとなると敵の数も多く、その魔法技術を盗もうとする工作員などは、年に数回は現れる程である。
この城に忍び込んだ者は、例外なく捕らえて国の監獄に送り付けているので、年々減ってはいるのだが……それでも決して、ゼロにはならないだろう。
あの二人は、怪し過ぎてむしろそういう類の者ではないということが一目でわかるが、ただそれでも、出自の不明な者を調査もせず、こんなあっさり入学させるなど前代未聞なのである。
「そういう子は、元々多いだろう? アルテリアちゃんが危うく思うのもわかるけど、困る子供を助けるのは大人の役目さ。私は幼女だけど」
「……学院長」
「冗談だって。もー、君は真面目だなぁ」
からからと楽しそうに笑った後、彼女は口元に笑みを浮かべながらも、瞳に真面目な色を見せ、言葉を続ける。
「ここからの話は、漏らしちゃダメだからね? 聞いた以上は、絶対協力してもらうから」
「……わかりました」
「じゃあ、教えてあげる。と言っても、理由はさっき言っていた通りさ。ユウハ君が希少属性持ちだからだよ。でも、万人に一人なんてレベルじゃない。私と同等かもしれない程の、希少属性持ちだね。何故、この世に存在出来ているのか、わからないレベルの」
「っ……なるほど、そういうことですか」
「あれ、その反応だと、予想してたのかな? だったら、黙認してくれれば良かったのに」
ぶー、と子供っぽく唇を尖らせる自身の上司に、苦笑を溢す。
こういう時に見せる仕草が本当に子供っぽいのは、もはや卑怯だろう。
自身がこの学院の生徒であった頃から、ずっと変わらぬ外見の学院長だが、この辺りの性格もちっとも変わっていない。
いや……これから先、何年何十年何百年経とうとも、彼女は変わらないのだろう。
「そうは行きません、私が教頭である以上、事情を把握していなければフォローも出来ませんから。ですが……わかりました、そういう事情であれば、出来る限り私も気に掛けることにしましょう」
「よろしく頼むね。贔屓しろとまでは言わないから、ここで過ごしやすいようにしてあげて」
「ハッ、了解しました」
実は学園もの。