蠢くもの《3》
――不味い。
男は、冷静にそう判断する。
こちらの部隊における作戦において、第一目標は『知の魔女』の排除であった。
人間でありながら、エルフ並の魔力量と魔法技能を有し、ミアラ=ニュクスの片腕として学院を差配する実力者。
この者を排除出来るかどうかで今後の作戦の明暗が分かれると、事前に懸案事項として挙げられており、だがそれが容易ではないこともわかっていたため、この人為的なスタンピードによる攻撃では、最低でも足止めが叶えば構わないとされていた。
その足止めすら、このままでは不十分な結果に終わる。
その理由は、生徒だ。
あの魔女の能力の高さは事前に想定していた通りだったが、それに加えて数人の生徒達が想定外の活躍をし、スタンピードを押し返されている。
このエルランシア王立魔法学院の生徒は、世界でもとりわけ優秀な者達ばかりということは知っていたが、所詮は子供。
襲撃が起これば、ただ足手纏いになるだけだと思われていた彼らの中で、一線級の働きをする生徒達がいたのである。
特にあの、剣を振るう少年と、尻尾で戦っている見たことのないヒト種の少女だ。
集団の先頭に立つ二人によって、魔物どもの勢いが弱まり、結果として攻勢を押し返されている。
事前の想定が甘かったと、言わざるを得ないだろう。
……障害は、除かねばならない。
直接『知の魔女』を狙うことは出来るが、兵士達もそれを警戒しているようで、守りが固い。
ならば狙うは、あの最前線にいるどちらかの子供。
――子供を殺す、か。
なんとまあ、悪辣で罪深いことか。
だが、今更、だ。
もう、そんなことを言っていられる段階に、我々はいないのだから。
ここで尻込みしては、結界破りのため、そして魔物どもを集めるため、命を代償にした仲間達に合わせる顔がない。
男は、攻撃に移る。
* * *
膝を折り曲げ、地面に倒れる程に体勢を低くし、飛び掛かってきた虎の腹下を潜る。
そのすれ違いざまに脳天から刃を入れ、股座までを二つに割く。
間髪入れず飛んできた、火球の魔法を華焔で斬り、地面から生えてきた土槍を避けた後、振るった刀身から透明な刃を飛ばし、その術者らしき蝙蝠を斬り捨てる。
この透明な刃は『魔刃』と言うそうで、剣術と組み合わせられる遠距離攻撃手段として優秀だから、その内俺にも教えてあげると戦闘中に言われた。
ありがたいが、今いっぱいいっぱいだから、そういうことを言うのは後にしてくれ。
あと、華焔はどうやら、飛んで来た魔法も斬れるようだ。
おかげで、避けられそうもない規模の魔法からも逃れることが出来ているが……残り、どれだけコイツらを斬れば、このスタンピードは終わるのか。
浴びまくった返り血が気持ち悪い。
口にも入ったし、脳漿やら肉片やらも浴びるし、最悪である。
今から速攻で帰って、風呂に入りたい気分だ。
いったい俺は、何をやっているのか。
ただの一般人なのに、何でこんな斬った張ったの殺し合いの場にいるのか。
……俺が、この森で目を覚ましたことと、多少なりとも関係があるのか?
「――――!」
と、思考が散漫になっていたのを読まれたらしい。
華焔から、「ほら、集中! 今、手から柄が離れかけたよ!」と注意される。
危ねぇ、確かに汗で、剣の握りが甘くなっていた。
華焔自身が吸い付いてくれていなかったら、すでにすっぽ抜けていたかもしれない。
そうして、ギリギリの状態で戦闘を続けていた俺は、その時気付く。
――何か、変なのがいる。
一見すると、小さめの魔物に見える、アレ。
だが、何か違和感がある。
獣軍団に混じりながらも、しかし攻撃に移らず、ジッとこちらを見ているのだ。
魔物、なのか? あれも。
それより、獅子舞とかのような、中に何か入っているような――待て、俺、も〇のけ姫であんなの見たぞ。
皮を被って、人が獣に化けていた、アレだ。
「ッ、敵かッ!」
俺が気付くよりも先に、相手が動く。
映画だと目から吹き矢だったが、アレは口から――銃口ッ!
その向いている先は、シイカ。
……コイツならば、問題ないかもしれない。
尻尾が防ぐか、仮に食らってもケロッとしているかもしれない。
だが、そんなことが思考に浮かぶよりも先に、俺は動いていた。
シイカの前に飛び出しながら、見る。
銃口の角度。高さ。位置。
同時、周囲の喧騒に紛れ、バスッ、という軽い異音を、性能の良いこの耳が捉える。
サイレンサーでも付けているのか、魔法で減音しているのか。
俺には、大した剣術はない。
華焔と、そして高性能な肉体のおかげで、この状況でも何とかなっているだけである。
だが――それでも銃口を見て、華焔の刀身を置くことは、出来る。
構えた華焔の刃に、キン、という衝撃が走る。
「ッ……!」
「テメェ、俺の相方狙ってんじゃねぇッ!!」
息を吞む男の下に、俺は一息で飛び込み、斬り込む。
一瞬動きが遅れた相手だったが、すぐに獣の皮を脱ぎ捨て、華焔を魔導銃の銃身で受ける。
現れたのは、黒尽くめに仮面の、見るからに妖しい何者か。
人種はわからない。
ただ、身長や身体付きからして、恐らく男だろう。
華焔の一刀は、一撃で魔導銃をお釈迦にし、だが一瞬で引き抜かれた男の短剣が、俺の首筋を狙う。
が、遅い。
銃弾よりも遅い。
カルの剣の突きや、ゲルギア先生の突きよりも遅い。
巻き付いて来ようとするシイカの尻尾よりも、遅い。
俺は、見て、半歩分だけ身体をずらして回避しながら、一歩前へと踏み込む。
「ごっこ遊びがしてぇならなァッ!! 他所でやってやがれッ!!」
上段からの袈裟斬り。
その一撃は避けられることなく、男の肉体を斬り裂いた。
血が爆ぜ、よろめき、その場に片膝を突く男。
「グフッ……ハハ、強い、な。少年」
「俺は強くねぇ。アンタの運が悪かっただけだ。あと、喋るな。死ぬぞ」
「クク、そう、か。悪いな、大人、の、都合に付き合わ、せて。もうちょっ、とだけ、付き合って、くれや」
ニヤリと笑う男。
「何を――」
――急激な魔力の高まり。
マズい、と思った瞬間には、華焔が先に俺の身体を動かしていた。
男を刃で殴り飛ばし、後ろに俺を引っ張って距離を取らせ――次の瞬間、男の身体が爆発する。
……これは、恐らく逃げられない。
俺と同じ判断を華焔もしたのか、動きがかみ合ったおかげで、今までにない速さで腕が動き、その爆風を斬らんと――が、その前にぐん、と思い切り後ろに引っ張られ、男の最後の自爆から逃げることに成功する。
俺を引っ張ったのは、シイカの尻尾だった。
「危ねぇ……助かった、シイカ」
人を斬ってしまったが……そんなことを言っていられる状況でもないからな。
全く、嫌な感触だ。
まだ腕に残っている。
「んーん。先に助けてもらった。だから、ありがとう」
「……お互い様だ、気にするな。俺の方は余計なお世話だったかもしれんしな」
「そんなことない。それに、相方って。嬉しかったわ」
微笑むシイカ。
こんなうるさく、血生臭い場でも――彼女の笑みは、綺麗だった。
「…………」
「――――」
と、何も言えなくなってしまった俺の後に、「危ない危ない、ユウハ、弱いんだから無茶しないでね。さ、続きのごはん――じゃなくて、魔物退治に戻るよ!」と意思を伝えてくる華焔。
誰が一番無茶させてると思ってるんだ。
つか、ホントお前、急に生き生きし始めやがったな。
そんなことを話しながら、ただ俺は一つ、脳裏で気になっているものがあった。
――あの男の、自爆した時の最後の目。
あれは、自暴自棄になった者の目ではなかった。
ここで俺達を仕留めれば、必ず次につながるという、そういう希望のある目をしていた。
そう、希望だ。
男はいったい、何に希望を持っていたのか?
……今回のスタンピード。
これを起こすこと自体が目的、というのは考えられない。
恐らくは陽動で、俺達をこの場に釘付けにすること、こちらの目を逸らすこと、この辺りが目的だったと思われる。
そうして目を逸らさせたところで、いったい何の利があるのかと考えた時、俺が想像出来る範囲のものでは、やはり学院しか思い付かないが――いや。
俺は一つ、その学院の中でも、重要であろう場所を知っている。
恐らくこの世界でも、突出して重要な場所。
――宝物庫。
そこから、思考が進む。
あそこは、ミアラちゃんによって防備が整えられ、彼女がいなければ入れない。
しかし……俺には一人、あそこへの行き方を知っている友人がいる。
ここ数日、体調不良で姿を見せていなかった友人。
何やら訳有りの様子で、だがそれでも明るく振る舞おうと、学院を楽しもうとしていた少女。
行き方を知っているだけで、入れるかどうかは、わからないが……。
俺は、知らず知らずの内に、その名を呟いていた。
「――フィオ」
少しずつ、自分の意思で華焔を振り始めているユウハさん。




