蠢くもの《1》
ス、とシイカの尻尾が立ち、森の奥へと向けられる。
同時に、彼女の顔もまた、そちらへと向けられる。
その何気ない、シイカのことを知らない奴ならば、ただ不思議に思うだけだろう動作に、俺の頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響き、緊張が身体を包み込む。
自身の危機感が、最大限に高まっていく。
「……シイカ。何かいるのか?」
「ん、魔物。いっぱい。こっちに向かってる」
「いっぱいか。大体の数はわかるか?」
「こっちに向かってるのは……二百、くらい? もっとかも。でも、結界に阻まれてるわ」
……こっちに向かってるのは、ってことは、実際の総数としてはもっといそうだってことか。
ただ、結界か。
ミアラちゃん製のものである以上、まだ安心は出来る――。
「あっ、一部の結界が消えた」
「えっ」
「来てる」
そこでシイカは、俺を見上げる。
「――ユウハ。私から、離れないで」
いつもと変わらない抑揚の声。
特に変化のない表情。
だが……日数は短くとも、毎日共に居続け、それなりの時間をコイツと過ごしているのだ。
シイカが今、これまでにないくらい真剣に言っているということは、俺もまたよく理解していた。
「ッ……先生、魔女先生ッ! 結界の一部が消えましたッ! 魔物がこっちに向かってますッ!」
俺は、華焔を鞘から抜き放ちながら叫ぶ。
俺の周囲にいたクラスメイト達が「は……?」という顔をする中、しかし魔女先生だけは、その言葉が真実かどうかを考える前に、即座に声を張り上げる。
「総員警戒、武器を構えなさい! 生徒は魔法の練習をやめ、一か所に集まりなさい!」
そして、彼女は片腕に巻いていたブレスレットに手を触れ、スッと目を閉じる。
あれは……杖とかの、いわゆる『術具』と呼ばれる、魔法補助系のブレスレットか。
「……本当だわ。百、百五十、二百……こちらに向かっているのはそれくらいね。残りは学院に、か」
恐らく、俺の知らない何かしらの魔法を使ったのだろう。
素早く状況を確認し終えたらしい彼女は、何事かを考え始める。
「間違いなく、人為的なスタンピード。魔物達の移動速度も速い、学院に戻るより先に接敵するわね。チッ、本当にこの学院に手を出してくる愚か者がいるなんて……」
「先生、敵ですね? どうされますか?」
護衛兵士達の隊長らしい壮年の男性が、冷静な声音で問い掛ける。
「……今から逃げる、というのは悪手ね?」
「準備が整っていないまま、後ろを突かれる、というのは最悪ですな。そのまま全員飲み込まれかねないかと」
「……よし、なら、ここに陣地を形成して、迎撃するわ! 土魔法が得意な子は手伝いなさい!」
彼女の言葉に、一人の女生徒が悲鳴混じりの声をあげる。
「に、逃げないんですか!?」
「もう無理ね。どうするにしても、先に一度当たらないと行動出来ない段階に来てるわ。さあ、死にたくなかったら指示を聞きなさい!」
彼女の指示により、瞬く間に空堀が生まれ、簡単な杭が生え始める。
あまりにも急な展開に、頭が追い付いていない者も多く、それでもしっかりと状況に適した魔法を発動して貢献している辺り、やはりここに来る生徒達は皆優秀なのだろう。
この間、魔法が何も得意ではない俺がやれることは、ない。
ただ大人しく、シイカの隣で、皆の様子を見ているのみだ。
そうして、魔法を使用することで急速に簡易陣地が形成されていき……だが圧倒的に、時間が足りない。
「来ました! 十時方向より、魔物多数!」
見張りについていた護衛兵士の報告。
「っ……構えなさい! 生徒達は一歩下がって、各々が放てる魔法の準備を!」
その指示に、護衛兵士達の隊長が手信号で素早く指示を出し、それに伴って部隊が展開していく。
生徒達もまた、顔を引き攣らせながら、魔法の発動準備をする。
――それからすぐに、森の木々の奥に、その姿が見え始めた。
熊。
狼。
猪。
蟷螂。
蜘蛛。
蛇。
亀。
蜂。
蜥蜴。
百足。
鷲。
犀。
馬。
蠍。
蟻。
烏。
獏。
鰐。
土竜。
狒狒。
豹。
鵺。
ここが森だからか、動物らしい図体の奴がほとんど。
だが、どいつもこいつもバカみたいに身体がデカく、凶悪な牙や爪に、弾丸でも弾きそうな鱗や甲殻、分厚い皮を有しているのが遠目に見てもよくわかる。
……俺が知っている生物と多少姿が似ているだけで、やはり根本的には、別の種なのだろう。
もう何なのか、俺では判別出来ない奴も多い。
ただ、共通しているのは、理性の消失した、その瞳だ。
互いに食物連鎖を作り上げていそうな種同士であるにも関わらず、全員仲良く俺達を食らわんと、こちらに迫っている。
いや……仲良くはないな。
走るのが遅い魔物が、後ろから来た魔物に踏み潰されたのが見えた。
単純に、狂っている。それだけなのだろう。
ここが動物園ならば、さぞ繁盛するのではないだろうか?
いっぱい愛されてあなたも人気者! ふれあいコーナーあります! って売り文句で、きっと話題をかっさらうに違いない。クソッタレ。
「……引き付けなさい。焦って火線ををばらけさせないで。一瞬に、私達の生死が掛かっている。集中して」
魔女先生の言葉。
だが、今まで聞いたことがないくらいに、彼女の声にも緊張が滲んでいた。
近付く、大地を耕す足音。
木々がなぎ倒される音。
咆哮。
高まる緊張感。
空間が、張り裂けんばかりに張り詰めていく。
そして。
ぶつかる、というタイミングで。
簡易陣地から飛び出す影が、一つ。
――俺だ。
「おわぁッ!? ちょっ、華焔!?」
華焔に引っ張られ、身体が前へ前へと出て行き、簡易陣地より外へと出る。
「ユウハ!」
「ゆ、ユウハ君!?」
後ろから聞こえるのは、シイカと、魔女先生の声。
抵抗出来ない。
いつもは、何だかんだ俺の言葉を聞き入れる華焔が、一切俺の言葉を聞こうとしない。
「――――!」
返ってくるのは、満面の笑み。
歓喜の感情。
そして――衝突する。
まず、真っ先に飛び込んできた狼を、すれ違いざまに真っ二つにする。
血飛沫。
肉を断ち、骨を断ち、絶命させる。
そのまま流れるように連撃を放ち、俺を斬り裂かんとしたカマキリの鎌を逆に斬り落としたかと思いきや、鎧みたいな甲殻を細切れに斬り刻む。
突進してきたサイの角から、俺の肉体を操ってひらりと紙一重で回避すると、その分厚い首に刃を差し込み、脳味噌を貫いてグチャグチャにする。
空から急襲を仕掛けてきた鷲に向かって、何やら剣から透明な刃のようなものを飛ばし、触れずに斬り殺す。
あぁ、クソッ。
心構えなどする暇もない。
初の戦闘に気後れする暇も、生物を殺した、という感触に忌避感を覚える暇もない。
それよりも先に魔物が俺を食らわんと飛び出し、喜び勇んで華焔がそれを食うからだ。
「もう、カエン!」
そして、俺が前に出るということは、同時にそこに、シイカも付いてくるということだ。
彼女の尻尾が、目で追うのが困難な程素早く動き、近寄る魔物どもの頭部を粉砕したかと思うと、ノータイムで魔法が放たれ、風の刃らしきものが次々と敵を斬り裂いていく。
俺とシイカ――いや、正しくは華焔とシイカによって、魔物どもの勢いが、弱まる。
「っ……正面はあの二人に任せるわよ! 標的は、その左右の魔物達! 後ろに流れていくのは相手しなくていいわ、そのまま流してしまいなさい!」
俺達のせいで、作戦の変更を余儀なくされた魔女先生の声が後ろから聞こえ、同時に幾多の魔法が放たれ、空間を染め上げる。
轟音。
魔物の悲鳴。
「カエン、ユウハにケガさせたら、怒るから」
「――――!」
シイカの言葉に、「あははは! 大丈夫大丈夫、これくらい余裕だって! ね、ユウハ!」と答える華焔。
「フッ、フッ……どこが余裕だッ! 俺がギリギリなのをわかって言ってんのかッ!?」
「――――!」
俺の怒鳴り声に、だが華焔は「後ろで隠れてないで、前に出ることで道は開けるんだよ! わっ、あの魔物血が濃そう! ねー、あっち斬ろう、あっち!」と返してくる。
「お前なぁッ! 真っ当な意見に見せて、結局血が吸いたいってだけじゃねぇかッ!」
「――――!」
「正解! じゃねぇッ!」
なるほど、コイツは確かに呪いの魔剣だ。
扱いを間違えれば、所有者が死ぬ劇物だ。
幸いなのは……ここのところ、運動場で華焔に振り回されていたからか。
多少なりとも、コイツの要求する動きがわかる。
次が見える。
そして、俺のこの身体。
これだけは、いつでも俺を裏切らず、俺のために最大限の能力を発揮してくれるのだ。
……それに、最低限俺が死なないようには、華焔もどうやら気を使ってくれているらしい。
華焔自身は高揚しまくり、どんどん前に出て行きたがっているのが伝わってくるが、俺が付いて行けるか行けないか、そこを見極めて上手く自身を振らせている感覚がある。
さしずめ今の俺は、華焔の操り人形といったところだろう。
そうしてコイツが引っ張ってくれるお蔭で、もしくは引っ張ってくれるせいで、尻込みせず、前に踏み出すことが出来ている。
前に踏み出すことで、魔物どもより一歩早く動くことが出来ているのだ。
「――――!」
嬉々として魔物を斬り殺しながら、「どっちみち、この魔物達は殺さないと帰れないんだし、同じ同じ! ね、だからもっと斬ろう! いっぱい斬ろう!」と、今までにないテンションで言葉を伝えてくる華焔。
「……あぁもう、わかった、わかったよ! しょうがねぇ、確かにここを乗り切らなきゃならねぇんだ! こうなったらもう、とことんお前に付き合ってやろうじゃねぇか!」
いいだろう。
お前の所有者は、俺だ。
お前がそう望むんだったら、望むままに戦ってやろう。
好きなだけ、斬れ。
好きなだけ、食え。
どこまでも付き合ってやる。
その俺の意思を感じ取ったのだろうか。
華焔は嬉しそうに、楽しそうに、ニィ、と笑みを浮かべているかのような感情を、俺に送ってくるのだった。
(あの人、自分の剣に怒鳴ってる……)




