目が覚めたら捕食寸前だった件《3》
「はぁ……お腹空いたわ……」
と、あまりの衝撃を処理し切れずにいると、そんなことなど露知らず怪物少女は、ペタリと座り込む。
その声にハッと我に返った俺は、ちょっと悩んでから、問い掛ける。
「……あー、えっと、その様子だと、どれくらい食べてないんだ?」
「ん……八日、くらい?」
……なるほど、それは確かに極限だな。
人間の死体でも、食べようという気になるか。
「あなたの魔力、とってもとっても美味しそうだから、どんな味か気になったのだけれど……」
「魔力……魔力?」
「えぇ、私、あなた程美味しそうな魔力、初めてみたわ。魔力が美味しそうなのは、お肉も美味しいの」
……美味しそう、ね。
喜んでいいのかどうか、判断に困る評価である。
というか、魔力と来たか。
「魔力って、あー……魔法を使うための力か?」
「? そう、よ?」
俺の言葉に、何を当たり前のことを聞いているのだろうか、といった様子で首を傾げる怪物少女。
その横で、彼女の尻尾もまた小首を傾げるような動作をしている。
何だろう、感情がそのまま尻尾にも表れるのだろうか。
――とにかく、この世界が地球ではないことはわかった。
要するにここは、異世界なのだろう。
理解したくはないが、この状況ならば、否応なく理解せざるを得ない。
だが、いったい、何がどうなってこんなことになったのだろうか。
自身の姿を確認する。
着ているのは、ジーパンにティーシャツという、ラフな服装。俺が軽い外出をする時の恰好だ。
持ち物は……何もない。
ポケットには何も入っておらず、財布なども持っていない。
だが、それでもこの恰好から見るに、恐らく俺は昨日も普通に一日を過ごし、コンビニかどこかに出掛け――いや、そうなのだろうか?
わからない。
昨日だと思われる記憶が、もっと遠く、色褪せているように感じる。
自身のあやふやな記憶に、首を捻っていた、その時だった。
――唐突に、風に乗って漂ってくる、獣臭さ。
「フゥ、フゥ……」
荒い鼻息。
ガサリと草を掻き分け、そして、ソイツは現れる。
――イノシシ。
「いっ……!?」
いや、果たしてコイツを、イノシシと言っても良いのだろうか。
俺が知っているものより、サイズが一回りも二回りもデカいのだ。
軽トラと同じサイズ、と言えばその大きさがわかるだろうか。
鉄板すら貫けてしまいそうな、鋭く巨大な牙が下顎から二本生え、鼻息は荒々しく、非常に興奮しているのが見て取れる。
畳み掛けてくる異変を前に、脳味噌がオーバーヒート気味だった俺は、まともに動くことも出来ず――だが、この場にいたもう一人は、全く別の反応を見せた。
「! ごはん!」
つい先程まで、ぐでー、と溶けかけていた怪物少女は、突如機敏に立ち上がると、無造作に化け物イノシシへと近付いていく。
「ブルルッ!!」
化け物イノシシは、目の前のエサへと向かって、つまり少女へと向かって突進を開始。
「ばっ、危な――」
そう、俺が声をあげると同時。
彼女の尻尾が目にもとまらぬ速さで伸びたかと思うと、次の瞬間には化け物イノシシの首筋へと噛み付いていた。
刹那、バキリ、と何かが砕ける音が響き渡る。
それは、イノシシの首が噛み砕かれる音だった。
生物の急所を的確に潰された化け物イノシシは、ビクビクと痙攣してドシンと地面に崩れ落ち、数十秒後には動かなくなる。
――一撃で、戦いは終了した。
「…………」
「やったわ……久しぶりのごはん」
非常に嬉しそうにそう言うと、怪物少女は活き活きとした様子で尻尾を動かし、バキバキとイノシシの死骸の解体を始める。
どうやら、尻尾の口に備わっている鋭い牙が、ナイフの代わりを果たしているようだ。
慣れた様子で皮を剥ぎ、それを地面に敷いて切り分けた肉の置き場とし、そうして尻尾を動かすのと並行して、彼女自身は周囲から手際良く枯れ木を集めていく。
メチャクチャ器用である。
焚火が出来るくらい集まったところで、彼女が尻尾を枯れ木の山に向けると、その先に突如としてボッと火が発生し、点火する。
十分もせずに、焼き肉をする準備が整っていた。
……今の火は、魔法か。
どうやらこの少女は、本当に大自然の中で生活しているようだ。
眼前の光景を、ただ呆然と眺めることしか出来なかった俺だったが、その様子を勘違いしたらしく、怪物少女は焼けた骨付き肉の一つをこちらに渡す。
「一切れだけなら、いいわ」
「お、おう……サンキュー」
……意外と、親切な奴だな。
別に腹が空いていた訳じゃないが、もらったものを突き返すのもアレなので、受け取って一口齧る。
味は、うん……うん?
雑味が強い味。
塩胡椒もされていない、そして血抜きもされていない肉。
生臭く、エグみが強く……が、意外と美味しい。
割と食べられる、どころかもっと食いたくなるような、不思議な旨味がある。
「イノシシ肉って、初めて食ったが、美味いんだな……」
「この獣は、魔力が豊富だったから」
俺の独り言に、嬉しさを隠せないウキウキとした様子で肉を頬張りながら、そう答える怪物少女。
この少女、表情と抑揚の変化がかなり乏しいのだが、動きが素直なので感情がよくわかる。
……なるほど、魔力が豊富な食材は美味いのか。
さっきも、俺に対して「魔力が美味しそう」とか何とか言っていたし、こちらの世界では旨味に魔力が関わってくるようだ。
つか、今気が付いたのだが、彼女は尻尾の口も動いてガツガツと肉を食べているのだが、もうすんごい勢いでイノシシ肉が消えていっている。
あの巨体、普通なら一か月分くらいの食料になりそうなんだが……いや、もう何も言うまい。
そもそもの話、どうみてもすでに、彼女の全体重と同じだけを食っているだろうしな。
物理的に胃袋に収まらないであろう量である。
そんなガツガツ食っているのは尻尾の口の方なので、胃袋と繋がっているのかもわからんが。
体内で、空間魔法なんぞでも発動していたりするのだろうか。
俺は思わず苦笑を溢し、それから問い掛ける。
「な。名前を聞いてもいいか?」
「無いわ」
「へっ?」
「名前は、無いわ。好きに呼んで」
……他者と関わって暮らしていないのなら、そんなこともある、のだろうか。
「えっ、えーっと、じゃ、じゃあ……『シイカ』でどうだ?」
漢字で書くと、『詩華』。
俺がゲームで女性キャラを使う際によく付ける名前だ。
……と、咄嗟だったので。
「ん……シイカね。いい響き。じゃあ、今日からそれを私の名前にする」
「……そ、そんなんで本当に良いのか?」
「えぇ。私は、シイカ。あなたは?」
すんなりと受け入れる怪物少女に、むしろ俺の方が面食らってから、言葉を返す。
「……俺は、優――ユウハだ。えっと、シイカ。肉、ありがとな」
「ん」
――これが、俺と彼女との出会いだった。




