初級剣術授業《1》
――学院内部に存在する、運動場。
場所は一番低い位置の、つまり一番外周にあり、学院を囲う城壁と面しているのだが、敷地としてはかなり広く取られ、造られている。
前世の学校の、校庭くらいの広さはあるだろうな。
違うところといえば、ここの運動場は、陸上トラックやサッカーゴール、テニスコート等の代わりに、簡易的なリングっぽいものが幾つかあることだろうか。
射撃演習場のようなものも併設されており、あっちは魔法の訓練場なんだろうな。
……いや、もしかすると、銃も普通にあるのか?
この世界の科学力、いや魔法力ならば、工業製品等が作れていてもおかしくないだろうし、似たような武器もあるのかもしれない。
気になるな。
ふとそんなことを考えていた俺の耳に、低い、よく通る声が入り込んでくる。
「――諸君らは、魔法士だ。だが、一日中机に向かうばかりでは、当然ながら身体は鈍る。実際この学院に在籍する教員の中には、研究に従事し続けるせいで、不健康な者が一定数存在する。研究に集中するにも、体力は必要なものなのだ」
そう話すのは、顔面傷だらけで、レスラー並に筋肉隆々の長身の男。
眼光は鋭く、視線だけで人を殺せそうな程で、七分刈りの頭には剃り込みが入っており……いや、違うな。あれ、多分斬り傷だわ。縫ったような跡もあるし。
背筋が真っ直ぐに伸び、綺麗な立ち姿をしており、どことなく軍人らしさを感じさせる。
「故に、この授業は存在している。中には、剣に多少の心得がある者も、全く覚えがない者もいるだろう。初級では不十分だとこちらが判断した生徒は、適宜上にあげよう」
――彼は、『初級剣術』というこの授業の、教師である。
名前は、ゲルギア。
教師というより、剣闘士とかって職業の方が合っていそうな見た目だが、実際この学院の衛兵隊長でもあるそうで、剣術の授業の際にのみ教師として教鞭を振るうようだ。振るっているのは剣だが。
そしてこの授業は、なんと必修である。
ゲルギア先生が話した通り、単純に運動不足の解消という目的の他には、健全な精神、健全な魔力は、健全な肉体に宿る、という考えがあるそうで、この授業が行われているらしい。
実際、肉体を活性化させると魔力器官も活性化し、体内魔力量が成長するそうで、こちらの世界の魔法士はそれなりに運動が得意な者が多いのだとか。
つまり、この初級剣術のコマは、こちらの世界における体育だ。
物騒ではあるが、前世の体育と大体同じ考えで行われているのである。
流石異世界。略してさすいせ。
語呂が悪い。
この世界、魔物という人類の生存圏を脅かす敵性生物が存在するせいで、そういう身を守るための手段はどうしても必要なんだろうな。
前世にも熊とか猪とか、危険な野生生物は確かにいたが、この世界の野生生物、つまり魔物は、そのほとんどが魔法を行使出来る。
危険度が段違いな訳だ。
言わば、獣が銃持って乱射してくる、って感じだろうか。
この学院の生徒は、ほとんどが魔法を行使可能であり、身を守る手段をすでに身に付けている訳だが、それが増えるには越したことはないのだろう。
俺は魔法もほとんど使えんが。
というか、多分この学院で一番の雑魚は、俺ではなかろうか。泣けてくる。
「変な棒」
と、俺の隣で、一人一本持たされた木剣を両手で握り、物珍しそうな様子で観察しているシイカ。
「ん、お前、剣って見たことないのか?」
「つるぎ?」
「……なるほど、そこからか。剣ってのは、人間――いや、ヒト種の武器だ。ヒト種はお前みたいに尻尾を持ってる訳じゃないから、言わばその代わりだな」
お前の万能尻尾な。
魔法を放つことが出来て、生物を一撃で噛み殺すことが出来て、ナイフ代わりになって、食料を保存可能な。
……そう考えると、マジで万能である。
「そう、じゃあこれは、ヒト種の尻尾、と」
「いや、そうじゃないが……うん、まあ、似たようなもんだ」
武器という括りに入れたら、同じものなので。
ちなみに、現在生徒は二つのグループに分けられている。
多少は剣の振り方を知っている者達と、全くの初心者の二つである。
男子生徒はほぼ全員が心得のある方に行き、逆に女子生徒は、半分程が初心者組である。
勿論俺とシイカも、初心者組だ。
仕方がないとはいえ、微妙に居心地が悪い。
「で――お前も初心者なのか?」
基礎魔法理論の授業以来、話すようになった男子生徒、カルヴァン=エーンゴール。
コイツもまた、初心者組に混じっていた。
というか、男は俺とカルだけである。
「え? ううん、僕は普通に使えるよ。だから、サボリだね」
「おい」
「あはは、ま、初回授業なんてお遊びみたいなものさ。それに、向こうよりはこっちの方が面白そうだし」
チラッと経験者集団の方に目をやり、そう言うカル。
その友人の様子に、怪訝に思う俺だったが、こちらが何かを言う前にカルが言葉を続ける。
「それより……君がシイカちゃんだね? ユウハから話は聞いてるよ。僕はカルヴァン=エーンゴール。カルと呼んでくれ」
「そう、私はシイカ。よろしく、カル。立派な角ね」
「ありがとう、君の尻尾もなかなか見ない感じで、素敵だね」
「そう、ありがとう」
シイカの言葉と同時、尻尾の先の口が、「ありがとう」と言いたげにシャアと開く。
「え、えっとー……これは、お礼を言ってくれていると思っていいのかな?」
「おう、そうだな。コイツの口が相手に向いてる時は、警戒の場合が多いんだが」
「え!? け、警戒されてるの、僕は?」
「あなた、笑みがちょっと……胡散臭いわ」
それは……すまん、ぶっちゃけ俺も思ってた。
「う、胡散臭いかぁ。初対面の子にそう言われるのは初めてだよ……」
苦笑を溢すカル。
「初対面に、っつーことは、それ以外だと言われたことがあるのか?」
「何度かねぇ。ハァ、悲しいよ。僕は誠実そのもの、嘘なんてちょっとだけしか吐いたことないのに、みんなわかってくれないんだ」
カルはこれ見よがしに悲しそうな顔をし、わざとらしく髪をかき上げる。
ふざけているというのがわかるのに、何かサマになっているように見えるのがイケメンたる所以か。
おう、そういうとこだと思うぞ、カルよ。
「――そこ、喋るな」
なんて、ふざけていたところで、一旦心得のある組の方を見ていた教師ゲルギアが、初心者組の方へ戻ってくる。
「エーンゴール、お前はその素振りの様子からすると、剣の心得はあるだろう。何故こちらにいる?」
「いやぁ、僕が覚えているのは魔族の剣術ですので。今日は初回ですし、ちょうどいいから、人間の剣術がどのようなものなのか、握りから確認したいと思いまして」
しれっとそう答えるカルに、ゲルギア先生の強い眼光が、鋭くなる。
「いいだろう、では、私が直接人間の剣術を、お前に指導するとしよう。こちらに来い、構えよ」
そう言って先生は、運動場にある簡易リングの方に移動し、スッと木剣を構える。
「……これは、墓穴を掘ったかな。えっと、先生、今のは冗談というのは……」
「悪いな。私は冗談が通じんと、知人から幾度か言われたことがある。さあ、痛い思いをしたくないのならば、防いでみよ」
カルは、諦めたように苦笑いを浮かべ、ゲルギア先生の前に立って木剣を構え――お。
友人の顔が、ちょっと胡散臭く見えるにこやかな表情から、冷静な、相手の全てを分析するかのような表情に切り替わる。
空間が、緊張感で満たされる。
静寂。
そして――勝負は、一瞬だった。
多分、時間にしては、五秒も経っていないだろう。
その瞬きのような間に、ゴッ、という鈍い殴打の音が鳴り、気が付いた時にはカルが脇腹を抑えて座り込んでいた。
「……すげぇ。今の先生の動き、見えたか?」
「全然だ。見える訳ねぇって。それにしてもバカだな、さっそく目をつけられて」
「いや、けどアイツ、先生の動きに何か反応してなかったか?」
二人の様子をそれとなく見ていた同クラスの面々が、それぞれそんな声を漏らす。
「ぐっ……いてて」
立ち上がるカルに、ゲルギア先生は少し考える素振りを見せてから、口を開く。
「ふむ……『魔王流』か。お前は次回から上級剣術の方に行け。その腕前でも、得るものは多いだろう」
「……上級ですか。買い被りだと思いますが。というか、一回剣を交えただけで、流派までわかるんですか」
「私は剣を教える教師だ。それくらい見抜けんようでは、教師失格だろう」
「いや、それはなかなかの暴論では……流石、英雄と呼ばれたお方ですね」
「私はそのような大層な存在ではない。ただの衛兵であり、お前達の一教師に過ぎん」
呆れたような、感心したようなカルの言葉に、先生は何でもないようにそう答える。
――今の模擬戦、最初に動いたのは、カルだった、ように思う。
恐らく何か魔法を使っていたのだろう、マジで消えるような勢いで、ゲルギア先生に突撃。一点集中の突きを放つ。
が、先生の方はそれを見切り、受け流すように木剣で防御。
ただ、カルもその初撃は防御されるだろうことを予想していたのだろう。
そのままの流れで、二撃目を放とうとしていた友人だったが……なんか、先生の方が、木剣を揺らしているように見えた。
ゆらり、ゆらり、と。
本当に少しだけの動きだったが、多分、フェイントだったのではないだろうか。
それに一瞬カルが釣られ、視線が動いていたように思う。
で、そこで先生は一歩前に足を踏み出し、カルの足場を奪ったところで、上段から木剣を振り下ろす。
これをカルは防御出来たが、不安定な足場のせいで姿勢に無理が生じ、先生の二撃目を防御出来ず食らった、のだと思う。
すごい動きだったな……素人の意見だが、相手の動きを制限し、利用し、陣地を奪い、倒す、って感じの、濃密な攻防だったように思う。
カルも、普通にすごかった。
確かにあれで初心者組に交じっているのは、誤解の余地なくサボりだな。
「えっと……こう、こんな感じか?」
脳内で先程の場面を反芻させながら、見様見真似で俺は木剣を振るい――と、何故か先生とカルが、目を丸くして俺を見ていた。
「……な、何だ?」
「ユウハ、君……初心者じゃなかったっけ?」
「え、おう、木剣に触ったのも初めてだ」
「……ふむ。ユウハ、だったな。エーンゴールと代われ。構えよ」
強面の顔に、何故かどことなく愉快げな色を見せ、俺に向かって木剣を構える先生。
「……あの、先生、今言った通り俺、ずぶの素人なんですけど」
「組み手はその内やることだ。初心者というのならば、早い内に剣の戦いがどのようなものか味わっておくのも、良い経験になるだろう」
「ユウハ、頑張ってー」
「ユウハ、良い機会だから存分に揉まれてみなよ」
呑気な二人の声。
え、えぇ……どうしろってんだ。
俺は頬を引き攣らせながら、カルに代わって簡易リングに上がり、木剣を構えた。




