魔帝の思惑
アーギア魔帝国の支配者。
魔帝ハジャ=アーギア。
学院祭にやって来ていた彼は、ユウハ達の店で軽食を買った後も、一人で歩いていた。
魔帝という立場である以上、本来ならば一人行動など許されることではないのだが、「この学院に来て、護衛を引き連れること程意味のないこともあるまい」と、慌てる部下達を置き去りにし、個人行動をしていた。
ただ、部下の護衛達もまた、確かにこの場所ならば、ハジャの言う通りあまり神経質になる必要もないだろうと判断し、ならばわざわざ彼の不興を買う必要もないだろうと、来賓用の館にて待機していた。
ミアラ=ニュクスの膝元で馬鹿な真似をする者が、いったいこの世界にどれだけいるのか、ということを彼らもまたよく知っているからだ。
「……フン」
少し、愉快な気分で、鼻を鳴らすハジャ。
国許では、滅多に得られない一人の時間が、あまり仲が良くない間柄であるこの国のこの場所では、ゆっくりと取れるのだ。
若い学生達が、各々やりたいことをやり、声を張り上げている、若者達の精気溢れる様子もまた、ハジャには心地良い。
普段、老練で厄介な者達ばかりを相手しているせいで、余計にそう感じるのだろう。
「カルヴァンの選択は、正解だったか」
ハジャは、自身の甥の顔を思い浮かべ、一人笑みを浮かべる。
カルヴァン=エーンゴール。
一族の中で、剣の腕も魔法の腕も、頭の回転の速さも卓越した、神童。
将来有望だと一族の者からは非常に期待されているのだが、本人は魔法以外に興味を持たず、それ以外のことを面倒くさがり、早々に「自分は関係ないから」と言い放って、国許を離れエルランシアのこの学院へとやって来ていた。
賢い選択だろう。
奴は、義務ばかりで雁字搦めの一族にウンザリしている。
気持ちは、わかる。自身とて、魔帝をやっていて思うことと言えば、「なんて面倒なのだ」という思いだけなのだから。
それから逃れるためには、それ相応の理由が必要となるものの、世界において並ぶもののないこの学院に通うのならば、十分に理由となるのである。
お互い、この学院内で鉢合わせると色々面倒があるため、顔を見に行くつもりはないが、奴が次の休みで実家に帰って来たら、少し話しても面白いかもしれない。
――そんなことを考えながら、学院内を歩いていたその時。
前からこちらにやって来る、一人の男性。
この、特別な学院での、『学院祭』という特別な期間。
普段とは違うシチュエーションであるからこそ――こういう時間が取れる。
「遅かったな。待っていたぞ」
「……全く、どういうつもりでしょうか、ハジャ殿。わざわざこのような形での面会を求めるなど」
やって来たのは、同じく学院祭に訪れていた、お偉いさんの一人。
――エルランシア王国国王、ヤエル=エルランシア。
「ここならば、互いに立場を忘れて、話が出来るだろう。公的な場では、どうしても国の立場として話をせねばならん」
「それはそうですが……意外とフットワークが軽いのですな、あなたは」
「フン、元よりジッとしているのは性に合わん性質でな」
あまり関係の良くない両国であるが、どちらの口調にも、王に対するもの、というより、知り合いに対するもの、といった気安さがあった。
魔族の寿命は長く、対して人間は短い。
故に、ヤエルが若くまだ王でなかった頃から、すでに魔帝であったハジャとは面識があり、先達として色々と話を聞いた過去がある。
公私どちらをも合わせると、それなりの付き合いがあるのだ。
「……ミアラ様に相談すれば、密談の機会など簡単に作れたでしょう。この形では、私の方が取れる時間も少ないですよ」
「あり得んな。俺が、ミアラ=ニュクスを危険視していることは貴様も知っているだろう」
「…………」
ハジャは、言葉を続ける。
「王であるならば、俺の懸念もわかるはずだ。今の世界は、たった一人の者によって左右されていると言っても過言ではない。それは、歪んでいる」
別に、ミアラ=ニュクスを嫌っている訳ではない。
少し前、魔法で吹き飛ばされたこともあったが、それも別に、どうとも思っていない。
だが――魔帝として、ミアラ=ニュクスが持つ影響力の大きさは、危険視しなければならないのだ。
「フン、まあいい。わざわざ、そのようなことを話したかった訳ではないのだ。――そう言えばヤエル。『エゼレス』の方は、土砂降りらしいな」
突然の、よくわからない話題。
だが、ヤエルはその言葉を聞き、ピクリと反応を示す。
「……ほう、そうなのですか。あいにく、この辺りの天気予報しか見ておりませなんだ」
「そうか。ならばこれからは、幾らか主要都市の空模様は気にした方が良い。天候とはままらぬものだが、それによって流通等に掛かる負荷は大きい。上に立つ者ならば、知っていて損になる情報ではない」
「肝に銘じておきましょう」
「それと、お前達は、災害対策用の部隊を編成しているか? 用意しておくと、意外と重宝するぞ」
「……なるほど。っと、失礼。急用を思い出しました。私はこれで去らせていただきますが、学院祭、十分にお楽しみください」
「あぁ、では、またその内」
そして、ヤエルは、ハジャと別れる。
彼は駆け足で待たせていた部下の下まで戻ると、すぐに言った。
「誰か、エゼレスの天気の情報を寄越せ」
「は?」
「天気予報だ。天気予報を今、教えろ」
「は、はい、えっと、確か本日の天気は、エゼレスのみならず全地方で快晴だったはずですが……何か、緊急のご用事でも?」
「…………」
ヤエルは、険しい表情で考え込む。
エゼレス。
エルランシアの、旧王都。
ただ、あの場所で何か起こるとは思えない。
何故なら、仮にあの都市が何らかの攻撃を食らったり、内部で反乱などが起こったとしても、周辺に存在する軍基地の関係で、瞬く間に制圧が可能だからだ。
そもそも、旧王都にそれだけの価値はない。
エルランシアにとっては歴史的価値があると言えるが、あくまであそこは、ただの観光地なのだ。
となると――。
「……全く、ご自身で伝えれば良いものを。おい、誰かミアラ様に連絡を入れてくれ!」
ハジャの言葉が意味するものは、重い。




