閑話:ギンラの一日
ギンラは、その日もまた、部屋の窓際に置かれたベッド代わりのクッションの上に乗り、丸くなっていた。
日当たりが良く、風通しも良いこの窓際は、ギンラのお気に入りである。
出て行く前にユウハが開けてくれた窓から入り込む、涼しい風。
眼下に見える、学院の風景。
奥に見える深い森林の緑が、ギンラには心地良い。
――現在部屋にいるのは、彼のみ。
ユウハ達はとっくに授業に出ており、華焔もまた、今日は彼らと共に部屋を出ている。
ギンラは、ユウハの肩や頭に乗って外に出ることもあるが、基本は日がな部屋でのんびりし、飯時だけ出るような生活を送っている。
時折、気が向いたらこの窓から外へと散歩に出たり、森に入ったりすることもあるが、夕方になる頃、つまりユウハ達が部屋へ戻ってくる頃には彼もまた戻り、一日を終える。
ギンラは、規則であるため首輪こそ付けられているが、基本的には放し飼いなのだ。
ヒト種とほぼ変わらない知能に加え、現在ではユウハ達の言葉も大体理解しており、文字すらも多少理解し始めているので、この非常に広い学院に一匹で散歩に出ても、問題ないのである。
その知能の高さは、龍族という種の強さをよく表していた。
なお、ギンラはユウハ達のことを同居人と考えており、ただ彼らのおかげで安全な場所で飯を得られるようになった訳なので、何かあったら自分も戦って守るくらいはしようと考えているが、周囲からは完全にユウハのペットだと思われている。
龍族などという種が普通にいるのを見て、驚く生徒もいるが、首輪がされているのを見て、「まあ、この学院だしな」と納得して、何も思わなくなるのである。
と、いつものようにのんびりしていたギンラは、外から聞こえてくる騒がしい音に気付き、首を起こす。
最近、何やら学院全体で騒がしく、ユウハ達が遅くまで戻って来ない日も多い。
どうやら、何か大きな催し物があるようそうで、生徒達は皆それに向かって準備を行っているらしく、ユウハ達もそれをやっているらしい。これも、何かしらの準備の喧騒だろう。
何となく興味が引かれた彼は、今日は外に出ることに決め、翼を羽ばたかせ、窓から飛び立った。
陽の差す、午後の時間帯。
見ると、同じ制服の者達が集い、何かを設営していたり、魔法の練習をしたりしている様子が窺える。
今はもう、人の多い環境には慣れたが、学院の広さと、見知らぬものの多さに関しては、未だに慣れない。
だから、この場所の散歩は、毎回楽しいのだ。
眼下でせかせかと動き回るヒト種の姿を見ていたギンラは、その時、見知った者の姿を見つけ、翼を羽ばたかせて下降すると、空中からその頭へとポンと飛び乗った。
「おわっと……何だ、ギンラか」
「クルル」
そこにいたのは、ユウハ。
と、加えてもう一人、シイカと華焔ではない女性。
確か……猫の獣人の、シェナ、という名前のメスだったか。
あまりヒト種の顔の違いはわからないのだが、ユウハと時折一緒にいるのを見ているので、ギリギリ判別出来る。
「ん、ギンラ君だ。飛んで現れたけど、もう完全に、好きに過ごしてるんだね」
「えぇ、華焔と同じ感じで、俺達が授業を受けてる間は、一匹で気ままに過ごしてるっぽいっすね。普段は部屋で昼寝してることが多いんすけど、今日は散歩の気分だったみたいです」
その獣人のメスが手を伸ばし、頭を撫でてくるのを、ギンラは微妙にしかめっ面になりながら、大人しく受け入れる。
「あはは、いつも通り、触られて嫌そうな顔。可愛い」
「女性陣には基本的に逆らわないようにしている辺り、世渡りの何たるかを心得ているように思いますよ。俺には普通に反抗するんで、コイツ」
「対応は割と紳士だよね。顔にはすぐに出るけど。……うん。前から思ってたけど、ユウハとギンラ君、似てるよね」
「そうっすか?」
「クルル!」
「おう、お前、どういうことだ。いの一番に否定するなや。先輩、俺はコイツ程、愛想悪いつもりはないですよ」
別に、ユウハのことは嫌いじゃないし、まあ友人として良い奴だとは思うが……決して自分は、こんな、メスに完全に尻に敷かれ、頭の上がらない情けないオスではないのだ。
……多少、この学院に来てから、自分も同じような目に遭っている気がしなくもないが、断じてそんなことは認められないのである。
「そりゃあ、全部が全部って訳じゃないけど。でも、こう、芯の部分は似通ってる気がする。……フフ、ギンラ君も、面白いところに来たもんだね」
本当に、その通りだ。
我ながら、おかしなものに巻き込まれたように思う。
ただ、それはきっと……この同居人の方の影響なのだろう。
ギンラは、ユウハの頭に乗ったまま、下へ視線を送る。
特殊な魔力を持ち、特殊な体質をしている黒髪のヒト種。
それらの特殊性が強烈であるため、『ユウハ』というオスの理解が、そこで止まってしまう者もいるようだが――違うのだ。
あくまでそれは、表面上の情報にしか過ぎない。
この同居人の核は――引力だ。
他者を引き寄せ、物事を引き寄せる、因果律。
恐らく、ユウハ以外のあの二人の同居人も、それをよく感じていることだろう。
自分よりも、さらに強く。
「――おーい、ギンラって」
「……クル?」
「いや、だから、俺らこの後アリア先輩の手伝いする予定なんだが、お前はどうする? 付いて来るのか?」
少し考えてから、ギンラは鳴く。
「クルル」
「おう、わかった。そんじゃあ、また後でな。もしかしたら遅くなるかもしれんから、そん時は先に食っててくれ」
「またね、ギンラ君」
「クル」
そうしてギンラは、彼らと別れ、再び気ままな散歩に出る。
――自身がこの学院に来たのは、偶然の縁だ。
縛るものは何もなく、故に出て行こうと思えば、すぐにそうすることが出来る。
だが、まあ……このおかしな場所で、日々を過ごすのは、そんなに悪くない。
このまま、メスに頭の上がらない、あの同居人の行く末を見るのは、きっと面白いだろう。
一匹、空を飛びながらギンラは、そう思ってニヤリと笑っていた。




