辺境の街、リディア《3》
興奮し、暴れる馬。二頭。
それに引かれた馬車が、ガタンガタンと他の馬車や通りの街灯などにぶつかり、部品が弾け飛ぶ。
御者はいないようだが、振り落とされたか?
異変を察知し、通りの通行人達から上がる悲鳴。
俺は、咄嗟に腰に手を伸ばし――だが、そこには何もない。
華焔は、今日連れて来ていない。
街に行くのに刃物を持ち歩くのも良くないだろうと、ぶーぶー垂れていた華焔は置いてきたのだ。
頼ろうとした相手がおらず、そのせいで一瞬固まってしまい、と、その横でシイカが呟く。
「……見えない」
どうやらシイカはとっくに暴走馬車に気付いて警戒していたらしいが……そうか、今はコイツ自身も、自分の尻尾は見えていない。
シイカの魔法はほぼ全て尻尾を起点として放たれる。
だが、銃口がどこを向いているかわからない状態では、恐らく、魔法を放つのが躊躇われるのだろう。
いつもなら、俺もシイカの尻尾の動きで警戒すべき事象を察知することが出来るが、それが遅れた。
――落ち着け、どんだけ他人任せにしてんだ! 何のために魔法習ってんだ!
馬車は、暴れながらも、こちらに向かって突っ込んで来ている。
つまり、その進路は、俺達が今入ろうとしていた店だ。
今なら、俺達だけ横に逃げられるだろうが、逃げたら中に馬車が突っ込む。繁盛して、人が多い店の中に。
まず、その勢いを止めなければならない。
であれば、使うのは――水。
原初魔法は、こういう時にアドバンテージのある魔法だ。
使い慣れたものであれば、術式で構築する魔法と比べ、圧倒的な速さで展開することが出来る。
そしてただ水を出すだけならば、俺でも簡単に出来るのだ。
限られた刹那の時間でそう判断した俺は、即座に魔力を練り上げると、球状にした水の塊をその場に生み出す。
相当量の魔力を使って、馬車を丸々包み込む量の水を出したため、力が抜ける感覚があったが……どうやら俺の目論見は、上手く行ったらしい。
我を失っていた二頭の馬は水に突っ込み、メチャクチャに脚を動かしているものの、減速。
息苦しいだろうが勘弁してくれよ。
そのまま後ろの馬車も水に突っ込む――というところで、予想外のことが起こる。
大通りの溝に引っ掛かったのか。それとも、馬車が壊れて変な力が掛かったのか。
バキリと折れる音がしたかと思うと、馬との連結部が壊れ、嘘のように馬車本体が跳ね上がる。
暴走していた勢いのまま宙に浮き、それが、そのままこちらへとぶっ飛んでくる。
――見る。
集中する。
ドクン、ドクン、と嫌にうるさく聞こえる鼓動。
一秒がどんどんと拡張され、遅くなっていく世界。
スローモーションのように流れ始めた時間間隔の中で、まず俺が見たのは、シイカと、そしてエルヴィーラ。
彼女らの魔力の動き。
シイカは、馬車を吹き飛ばそうとしている。
エルヴィーラは、俺達全員の前に盾のようなものを形成しようとしている。
ダメだ。
このままだと、二人の魔法が干渉し合う。
故に、俺が選択したのは――魔力吸収。
練習では一度も成功しなかったことなど、その時の俺の意識には上って来ず、それ以外に手段がないならやるしかないと、華焔の教えのままに魔力を操作する。
最初に吸収したのは、エルヴィーラの魔力。
「えっ――」
横から聞こえる、息を呑む音。
俺の体内に、魔力が戻る感触があったかと思うと同時、エルヴィーラの魔法の構造が壊れ、発動前に四散する。
成功である。
次に手を出すのは、シイカの魔法。
俺達のことを考えれば、そのままぶっ放させた方が良いかもしれないが、込められた魔力が多い。
いつもより相当抑え気味にしているのはわかるが、それでもこのままだと、あの馬車の中に人が入っていた場合、馬車と一緒に消し飛ばしてしまう可能性がある。
何より問題なのは、制御が甘い。尻尾が見えていない影響がモロに出ているように見える。まさかこんなデメリットがあったとは。
だが、たとえ魔力吸収を行ったとしても、コイツのは原初魔法であるため、一部崩したところで全てが崩れることはない。
ならば俺がするのは――魔法の方向を調整すること。
俺にもシイカの尻尾は見えないが、しかし、魔力は見ることが出来る。
シイカの魔力が集中し、放たれようとしている位置に俺は、筒状に形成した魔力を配置する。
方向を調整し、威力を収縮させるための、つまり砲台代わりだ。
シイカの魔法は俺なんぞより余程強固だが、まだ魔法となる前の魔力の段階ならば、俺でも手を加えることが出来るのだ。
……この技術の強さは、ここにもあるんだろうな。
魔力を察知して妨害すれば、原初魔法を除いて、どんな強い魔法でも潰すことが出来る。
そして俺は、魔力を直に見ることが可能だ。
華焔が俺に魔力吸収の技術を教え始めたのも、多分その相性を考えてのことなのだろう。
そうして行った俺の小細工と同時、シイカの魔法は完成し――よしッ!!
シイカから放たれた、ビームのような魔法がぶち当たったのは、馬車の一部。
その部位は消し飛んだが、しかし正面から別の力が加わったことで、まるで投げた鉛筆がクルクル回るかのように、弾かれた馬車がぐるんと半回転する。
そのまま、逆さまになって地面に激突――したものの、その勢いは酷く弱く、まるでマットの上に落ちたかのような緩い跳ね方で、馬車は停止した。
俺に盾の魔法を崩されたエルヴィーラが、どうやら次の魔法を発動し、地面を軟化させていたらしい。
俺も、もう一度水を出して勢いを消そうとしたところだったのだが、その必要はなかったようだ。
「ブルルゥ……」
「フゥー、フゥー……」
最後に、暴れていた二匹の馬が水に突っ込んだことで我に返ったらしく、少しその場で足踏みしながら、落ち着いた様子を見せる。
「――はぁ~……」
そこでようやく俺は、詰めていた息を、大きく吐き出した。
な、何とかなった。
ぶっつけ本番だったが、魔力吸収、初めて成功した。
元々、俺の肉体は高性能なのだ。魔力操作に関して、恐らくこの肉体で出来ないことは存在しない。
だから、一切雑念のない、極限の集中状態だった今は、肉体のスペックのままに魔力吸収も行うことが出来たのだろう。
助かったぜ、我が肉体よ。
――って、考えてる場合じゃないな。
派手に吹っ飛んだから、あの中に乗客がいた場合、怪我を負っている可能性は高い。
そう思って、すぐに目の前の馬車の内部を確認し……ホッと息を吐き出す。
馬車は、無人だった。
御者がいないことは確認していたが、乗客もいなかったようだ。
良かった、と思った俺だったが、そこでふと、怪訝な思いが湧き上がってくる。
……御者も乗客もいない、空の馬車だけが暴走して突っ込んでくる?
途中で、やっぱり御者だけ、振り落とされたのか?
だが、馬車がやって来た方向へ視線を送るも、それらしい姿はない。
事故を起こした責任を恐れて逃げた、なんて可能性もあるだろうが……。
「……とりあえず、怪我人が出なかったことを喜ぶべき、か?」
◇ ◇ ◇
「私、中に誰もいないのがわかったから、ああしたのよ? 全く、もうちょっと信用してほしいわ」
「悪かった悪かった、俺はそこまで判断出来なかったんだ。上手く行ったから、それで良しってことにしといてくれ」
「しょうがないわね。三がぶがぶで許してあげるわ」
「三がぶがぶって何だ。食うつもりか? とうとう俺を食うつもりか?」
「大丈夫。生活に支障が出ない範囲に抑えるから」
「おい、否定してくれよ。食うつもりなのをまず否定してくれよ」
「大丈夫。先っぽの方だけだったら、きっと時間が経てばまた生えてくるわ」
「何にも大丈夫じゃねぇ」
――あの後、やって来た衛兵が事態の収拾に掛かり、騒ぎはやがて治まった。
俺達も幾らか事情を聞かれたが、ただ巻き込まれただけの学生というのが向こうもわかってくれていたので、よく馬車を止めてくれたとお褒めの言葉をいただき、三十分程で解放された。
多分、俺達が学院の制服を着ていたことも、あまり長く事情聴取されなかった理由の一つだろう。
俺達の目的だった店からも、騒ぎを聞いて店長らしい男が出て来て「いやぁ、流石学院の生徒だね。ありがとう、君達のおかげで店に被害を出さないで済んだよ。何か用事があるなら、何でも言ってくれ」と、色々と便宜を図ってくれることになった。
その店長自身は、事情聴取のためにすぐにいなくなってしまったのだが、おかげで俺達が持ってきた注文票は全く待たされずに処理してくれ、初めてのお使いは無事に終了した。
最初俺も勘違いしていたのだが、買い出しは俺達が買って、そのまま品物を持って学院まで運ぶ訳ではなく、予め必要なものを注文票に書き、それを代金と共に店に渡せば、期日に学院へ品を運んで来てくれることになっているのだ。
提携しているというのは、そういう意味だ。
今回は学院祭に関連したものだが、普段は教材や実験用の小道具、何か消耗品とかを卸しているらしい。
「……私、足引っ張っちゃったね」
と、そう言うのは、ちょっと落ち込んだ様子のエル。
「え? いや、普通に助かったけど。最後馬車止めたのエルだろ?」
「そうだけど、その前の一番危ない時に、二人の邪魔しちゃったし……」
「あれは、シイカの方の魔法が止められそうになかったから、仕方なくエルの方止めただけさ。別にどっちの判断が悪かった、なんてのは無いって。むしろ、一緒にいたのがシイカじゃなかったら、良い判断だったんじゃないか?」
事が起こってからの行動は速かったし、展開した魔法の規模も、俺達をちょうど守るものだったように思う。
普通に良い判断だったのではなかろうか。
「そうよ。判断が一人遅かった上に、間違ってたユウハよりは全然マシだわ」
「いやお前、俺結構頑張って……まあ、そうか。結果的にそうなるか」
実際俺がしたのって、水ブシャアだけだもんな。最後のシイカの魔法の調整も必要無かった訳だし。
二人の魔法が干渉する、と思ったがシイカの魔法だったら、そのままエルの盾もぶち抜いて馬車を吹き飛ばしてた可能性もあるし。
あれ、そう考えると、俺本当に無駄な……い、いや! シイカの魔法では、あの馬車が消し飛んで証拠とかも一切残らない可能性もあったのだ。
なら、俺の努力は無駄ではなかったはず! そう、証拠品の確保、という点で言えば間違ってなかった、はずだ!
「そ、そうだ。無駄じゃなかった。やれることはやった。な、そうだよな、エル。俺達、出来ることはやったよな」
「あー……そ、そうね、ユウハ。私達、出来ることはやったもんね。ん、突然の事故に巻き込まれたにしては、頑張ったよ」
と、そんなことを言い合う俺達に、だがシイカは、首を横に振りながら、言った。
「事故じゃないわ」
「え?」
「途中、馬車、飛び上がってたでしょ?」
「お、おう。何かに引っ掛けたっぽくて飛び上がったな」
「違うわ。あれ、魔法よ」
「……魔法?」
シイカは、何でもないように頷く。
「ん。たまたま飛び上がったんじゃなくて、馬車にそういう魔法が組まれて、発動してた。あの店主の人、恨まれてたのかしら?」
……それはつまり、あの馬車の暴走は人為的なものだった、ということを意味する。
事故ではなく、事件。
「……シイカ。後でその話、ミアラちゃんにもしてくれないか?」
「? ん、わかったわ」




