夏なら海。異論は認めない《2》
「んっ……しょっぱい。ユウハ、これ、しょっぱいわ」
ちょん、と尻尾で水面を突き、その時に尻尾の口で一緒に舐めてみたらしく、ちょっと驚いたような顔でこちらを見るシイカ。
そうか、海というものが初めてならば、海水がしょっぱいのを知らない、なんてこともあるか。
「おう、海水はしょっぱいんだ。あんまり飲んじゃダメだぞ」
「そう。不思議ね……ユウハ、しょっぱいの、とても不思議だわ」
……外面には表れていないが、どうやらコイツはコイツで、海に興奮しているようだ。
「あしあと、きえてく。おもしろい」
その横では、ルーが波打ち際で歩き回り、出来た足跡がすぐに波で消えていくのを見て、目を輝かせている。
まだ海に入っていないのに、すでに超楽しそうである。
このままだと、海に入らず一生砂で遊び続けるような気がしたので、俺は笑いながら彼女を呼び、まず全員で準備体操をする。
ミアラちゃんの音頭に合わせて行い、身体を温めたところで、海へと突撃。
女性陣が楽しそうに歓声をあげ、海におっかなビックリといった様子のシイカとルーに、ミアラちゃんが魔法を教え始める。
こちらの世界では、顔の周りに空気の塊を張り付けることで、前世で言うところのボンベとゴーグル代わりとする水中用の風魔法が存在しているようだ。
魔法士ならば、比較的多くが覚えている汎用的な魔法であるらしい。
生活魔法程簡単ではないようだが、術式としてはそう難しくないものであるらしく、一緒に教えてもらっていた俺も、二十分くらいで使えるようになった。
原初魔法ではない術式の魔法は、こういう時の汎用性が優れてるよな。
ちなみに華焔は、「儂は刀故、そんなものなくても大丈夫じゃがな!」と海の中に飛び込み、「うわああ、目がああ!」とコントみたいなことをして、ミアラちゃんが苦笑しながら魔法で水を出し、それで顔を洗っていた。
……まあ、お前は確かに刀だから、まずそっちの意識が先にあるのもわかるのだが。
災厄を齎すモノさん、最近俺は、ウチの面々の中で一番のポンコツは、お前なんじゃないかと思ってきてるよ。
「ゆーはにぃ、それは?」
「これか? これはな……よし、終わった。ほい」
俺は、空気の入れ終わった浮き輪を、スポッとルーの身体に通す。
「この中に空気が入ってるから、これで水の上に浮けるんだ」
「おー」
ルーは、尻尾をパタパタとさせ、耳をピコピコと動かしながら、浮き輪を持ってその場でクルクルと回る。
そして、トテトテと歩いて海に入ると、プカプカ気ままに浮き始める。
どうやら気に入ってくれたようで、バタ足して他の女性陣のところまで行き、「みて。これ、たのしい」とみんなに自慢している。可愛い。
「! ユウハ、私もあれ、欲しいわ!」
ピンと尻尾を立て、浮き輪を所望するシイカ。
うん、お前がそういう反応をするだろうとは思ってた。
「おう、ちょっと待て。他にも用意してやるから」
ミアラちゃんが用意してくれた海用の遊び道具は、水鉄砲やら何やら、俺のよく知らないものまでいっぱいあるので、片っ端から遊ばせてもらおう。
こういうのは、使って遊んで、散らかすのがナンボのモンだからな!
◇ ◇ ◇
――楽しい時間は、あっという間に過ぎて行く。
ルーと砂遊びをしたり、ミアラちゃんから簡単な上にためになる魔法を教わったり。
のんびりし続けていたギンラを海にまで連れてって泳がせたり、シイカと華焔とフィオと水鉄砲で対戦して、シイカが原初魔法を上乗せした水を放ち、俺が空高くまで吹き飛ばされたり。
陽の光と波に揺られる感触がよほど心地が良かったのか、マット型の浮き輪の上で猫みたいに丸くなり、それを俺達に見られてハッと我に返ると、かぁっと顔を赤くしたシェナ先輩が異常に可愛かったり。
最近わかったことだが、シェナ先輩意外と脇が甘い。
しっかりしているように見えて、割と抜けていて、やはり学院最強の女か、といった感じだ。
覚えたばかりの水中用風魔法で、海の中を探索するのも、すごい楽しかった。
ミアラちゃんが研究対象としてここに研究所を設けた、というのもわかる話で、少し奥へ行っただけで海の多彩な生態系が形成されており、全くの別世界がそこには広がっていたのだ。
一緒にシイカやフィオ、シェナ先輩と潜ったのだが、フィオなんかは少し怖がってたな。
ただ、気持ちはよくわかる。
ミアラちゃんによるセーフティネットの魔法が常時働いているようで、安全ではあることは間違いないのだが、一人で来たら俺も気後れしそうな、圧倒的な大自然だったからな。
深海恐怖症じゃないが……美しく、そして怖い、と感じてしまう大自然が、確かにそこにはあったのだ。
なかなかに、得られない経験をしたものだ。
時間も忘れ、俺達ははしゃぎ続け――気付けば、陽は西に落ち、空がオレンジ色に染まり切っていた。
「おーい、みんなー。そろそろ切り上げるよー」
先に切り上げ、すでに着替えていたミアラちゃんが、研究所の方から俺達へとそう声を掛ける。
「もうそんな時間か……みんな、帰り支度しな」
テキパキと動き始めるのは、俺達の中で年長者である、シェナ先輩。
残念そうな顔をする筆頭は、シイカとルーである。
「んー……そう。もうそんな時間。残念」
「……もっと、あそびたかった」
「はは、またその内、ミアラちゃんにお願いして、遊びに来ればいいさ。ルーも、そろそろ疲れてきただろ?」
「ん……」
「ルーちゃん、これからいっぱい、他にも楽しいことがありますから。だから、今日はこれで終わりにしましょう?」
「そうね。学院は魔法の勉強をするところだけど、他では見られないものがいっぱいあって、楽しいから。まだまだいっぱい、ルーの気に入るものはあるよ」
「ん。次のたのしみにする」
「偉いな、ルー」
ポンポンと頭を撫でてやると、嬉しそうにこちらを見上げるルー。
そんなやり取りをする俺達を見て、ミアラちゃんはニヤリと笑みを浮かべる。
「いやいや、何を言っているんだい。みんな、少し勘違いをしているね。いいかい、こういう時は――外でバーベキューをするまでが、セットなのさ! ここでスペシャルゲスト、ゴード君の登場だ!」
いつの間に呼んでいたのか、研究所の方から、ゴード料理長がバーベキューコンロっぽいものや、それに関連した道具類を持って現れる。
「オウ、オ前達。散々遊ンデ腹ペコダロウ? 少シ待ッテイロ、スグ食ベラレルヨウニシテヤル」
『お~!』
「クルル!」
まさかの登場に、俺達全員が揃って歓声をあげる。
俺の肩の上で、ギンラも喜んでいる。
そして、真っ先に動き出したのが、ウチのシイカである。
「何をしてるの、みんな。早くシャワーを浴びて、着替えて、ごはんよ!」
「お前、今日一番の目の輝かせ方だな。いや、気持ちはわかるんだが」
「姫様はいつでもどこでも通常運転じゃな」
「これだけいっぱい楽しんで、締めにゴードさんのバーベキューなんて……もう最高ですよ!」
「三日後にこっちに戻る予定のアリアに、自慢してやんなきゃ」
「おにく。おにくたべたい」
「勿論、用意シテオクゾ、ルー。ダカラ、早ク着替エルコトダ。ソノ恰好デ夜モイルト、流石ニ風邪ヲ引イテシマウダロウ」
「ん!」
そうして、海での遊びを切り上げ、俺達は研究所の方へと帰り――。
「ね、ユウハ」
「ん?」
「……んーん、何でもない。ばーべきゅー、っていうのは知らないけど、ごはん、楽しみね」
「おう、バーベキューってのは、炭で肉とか野菜とか焼いて、食べるんだ。俺も楽しみだ、ミアラちゃんはわかってると言わざるを得ないな」
「! もう、聞いてるだけでもお腹が空いてくるわ。ユウハ、今日は私、いっぱい食べるわ!」
「いつもメッチャ食ってるお前が『いっぱい』と言うと、末恐ろしい感じだが、ま、今日はいいんじゃねぇかな。ゴード料理長を困らせるくらい食いまくるか」
「そうね!」
シイカは、華のような笑顔で、微笑んだ。
夏は後二話くらい。