第四章 秋吉台
1
-ヤマメ釣り-
その晩、サクラは月を見上げながら、やはりアキヨシダイに向かわなければならないと言った。それが別れを意味することを、美津夫は感じ取っている。しかし、サクラが行きたいと言うのであれば、自分の気持を殺すことなどなんとも感じなかった。たとえ彼女が再び「トライアングル」で地球にやってきて、その攻撃で自分が死んだとしても構わない。サクラの幸福が、自分の悦びと同一になっていた。
「これが、最後の晩餐になるね」
アルミテーブルの上にはカセットコンロが置かれ、豚しゃぶ鍋を囲みながら二人は見つめ合っている。
「本当にありがとう、美津夫さん。本物のお食事も、コーヒーも、本当においしかった」
美津夫は、最後に一つだけ我儘を言おうと思った。
「明日の昼御飯のあと、秋吉台に向かって出発しよう。だけど、その前にデートをしてくれないかい?」
サクラは、不思議そうな顔をしている。
「デートですか?」
「そうだ、デート。いままでサクラはテントで横になるか、椅子に座るかだけだったろ。明日の朝は一緒に、ヤマメ釣りをして欲しいんだ」
サクラは、笑った。
「わたし、釣りをしたことありません。それでもいいんですか?」
「ああ、劣性人類が優性人類に釣りの面白さを教えてやるさ」
「分かりました。釣りをしましょう」
美津夫は満面の笑みを浮かべた。
「約束だからな」
翌朝、崖を下って渓流に降りた時にはまだ空は薄暗く、月が微かに光を宿している。美津夫は今日も、「川虫」採集から始める。サクラは、美津夫が浅瀬で屈みながら石をひっくり返すのを、大きな岩に腰かけて眺めていた。
「ねえ、美津夫さん。そのムシを餌にして、サカナを採る遊びなのかしら?」
サクラは、珍しい伝統芸能を観察するかのように、じっと美津夫の方を凝視しながら言った。
「そうさ、フライなんていう洋式疑似餌で釣ろってフィッシャーがこの頃じゃあ多くなったが……」
得意の蘊蓄を語り始めたところで、唐突にサクラがまた服を脱ぎ始めた。
「ばか、何やってんだよ!」
制止する間もなく、全裸になったサクラは眼にもとまらぬ速さで落ち込み下の淵に飛び込んでしまった。大きな音と水しぶきをあげて姿が見えなくなったかと思うと、すぐ水から上半身だけ出して、無邪気に両乳房を晒しながら大きく両手をあげた。
「ほら、捕まえましたよ、サカナ!」
満面の笑みで、こちらを見ている。空が白み始めていて、サクラの後ろにはうっすらと靄が立ちあがっている。幻想的な、眺めだった。美津夫は一瞬時を忘れ、その光景に心を奪われていた。
「ばか、魚は釣るんだよ。捕まえたって面白くなかろう!」
美津夫がそう大声を出すと、サクラもはじめて大きな声を出した。
「うううん、とっても面白い! だって、この子、素早く逃げようとしたんですよ。それを追いかけたの」
子供のように純真な心だと思った。
「ばかだなあ、当たり前だろ。それよりも、よくこんな寒い日にこんな冷たい水に潜れるな」
サクラは、少々ムッとした表情を浮かべた。
「バカとは、失礼じゃないですか。優性人類は、これくらいの温度変化で体調を崩したりしません。美津夫さんとは、遺伝子の作りが違います」
美津夫は、背負っていたリュックからタオルを出すと、それを渡してやった。サクラは、左手にヤマメを掴み、右手でタオルを握っている。
「キレイですね、このサカナ。本当に、美しい。形が良いし、模様や色の感じも、なんだかとても独特で美しい」
美津夫は、山女魚の魚体より、眼前の裸体の方が遥かに刺激的で美しいと思ったが、言及しないでおいた。
「そうだろ、綺麗だろ。でも、まずは身体を拭いて服を着ないと、風邪をひくぞ」
サクラは、言う通り素直に行動した。美津夫は、釣り方を教えることにした。
「まずだな、ポイントの少し上流に針を落として、糸をぴんと張ったまま流れに逆らわず自然に餌を流す」
ちょうどサクラが竿を振り上げたとき、山の斜面から太陽の光が差し込んできた。彼女が明るく照らし出されるとともに、水面がキラキラと四方に輝きを散らした。
「そして、目印に少しでも変化を感じたら、ヤマメが餌を吐き出す前にスナップでアワセるんだ」
美津夫が言い終わるか終わらないかのうちに、サクラは手首を返して竿を起こした。その瞬間、短い竿が中央部から大きくしなる。
「いいか、糸が細いから、急に引き上げると切れてしまう。ゆっくりと、引き寄せてからあげるんだよ」
サクラは、言われた通りにゆっくりと魚を自分の方に寄せて来て、最後に引き抜いた。
「釣れましたっ!」
またしても無邪気に、喜色を顕わにしている。美津夫は、その姿を本当に可愛らしいと思った。
「すごいじゃないか、サクラ。いきなり釣れるなんて! ヤマメ釣り、本当は難しいんだぜ」
サクラは、輝くヤマメをじっと見つめながら、美津夫に言った。
「釣り、楽しいです。本当に、楽しい」
はじめて滑り台で遊んだ幼児のように、サクラはいつまでも笑っていた。
2
-出発-
ヤマメを焼いて軽く昼食を済ませると、美津夫はテントやテーブルといったキャンプ道具をたたみ、FJクルーザーの荷台に積め込んでいった。
「さあ、行こうか」
美津夫は、努めて明るく掛け声を出しながら、黄色い車に乗り込んだ。サクラは、いつものように冷静に戻って、ゆっくりとステップを踏んで助手席に上っている。
午後一時にときがわ町を出た車は、中央自動車道を通って名古屋で名神高速に入った。しかし、名神高速道路は大阪大爆発のため分断されてしまっている。美津夫は滋賀県の米原で北陸自動車道に入って琵琶湖を北上し、福井県の敦賀インターで高速道路を降りた。時刻は午後八時をまわり、すっかりと暗くなった。この日は、敦賀市内の旅館に飛び込みで宿泊し、翌朝、荒々しい日本海沿いに走る丹後街道を西に向かって、小浜西インターから舞鶴若狭自動車道に乗った。
これが、思わぬ事態を呼び起こしてしまった。高速道路入り口のNシステムに、しっかりと美津夫とサクラの顔が映しだされてしまったからだ。
美津夫は吉川ジャンクションから中国自動車道に入ったが、この時すでに富田空佐はF―2戦闘機を駆って入間基地を飛び立ち、山口県にある航空自衛隊防府北基地に向かっていた。「宇宙人」が秋吉台を目指していることは、ヒアリング調査で既に判っていたからだ。下手に車両を使って地上追跡をしては、前回のようにかえって見失う恐れがある。秋吉台に向かうのであれば、車両はまず間違いなく最終的には「秋吉台インター」「十文字インター」あるいは「小郡インター」で高速道路を降りるはずである。その三箇所に警戒線を張っておくことが、一番の安全策だった。
何も知らない美津夫は、中国自動車道を西に疾走していた。ステアリングをしっかりと握りながら、前方を見ながらサクラに話しかける。
「サクラ、このまま走れば今日の夕方には秋吉台に到着する。そこで、俺たちはお別れなんだろう?」
「ええ」
いつもながらの淡々とした返事が返ってくるが、運転中なのでその表情を読み取ることはできない。だが、しばらくの沈黙の後、サクラは予想外なことを口にした。
「到着は、別に今日じゃなくても構いません。明日まで美津夫さんと過ごしても、いまさら大差ありません。美津夫さんの故郷に、一緒に行ってみたい」
美津夫は嬉しかった。本当は、いつまでもサクラと過ごしていたいとさえ思っている。不釣り合いなほどの年齢差のおかげか、どろどろとした欲望は抑えられ、無償の愛情がより強く押し出されてきている。サクラは申し分ない美貌を備えた優性人類なのかもしれないが、美津夫から見れば傷を負った純真無垢な少女にも思える。他の女には抱くことのない、忘れかけていた純粋な「想い」が胸に蘇ってきて、心地よかった。
「じゃあ、今日は宇部に泊まろう。明日は早起きして、通っていた学校や思い出の土地を案内するよ」
サクラは、顔を美津夫に向けてグレーの瞳を輝かせていた。
「嬉しいです。地球に、もうひとつ思い出ができそうです」
「もうひとつ?」
「そうです。一つは、美津夫さんに看病してもらったキャンプの思い出。そして、もう一つ、好きな人の生まれ故郷を旅する思い出です」
美津夫は、車を路肩に停車してサクラを抱き寄せてやりたくなった。けれども、どことなく照れくさくて、ただ前方を見ながら黙って運転を続けた。
この寄り道が、二人を自衛隊の包囲網から意図せず脱出させることとなった。
車は、警戒線のある「小郡インター」手前の「山口ジャンクション」で山陽自動車道に入って南下、「山口南インター」を降りたからだ。富田空佐は、車両が想定外の出口から降りたことをすぐに知ったが、美津夫が秋吉台ではなく宇部市内に向かったため、完全に見失った。そのため、慌てて秋吉台周辺の道路一帯に検問を引いたのだが、この日、黄色いFJクルーザーが捕捉されることはなかった。
美津夫は、宇部市北部の丸山ダム湖畔の空き地にテントをさっさと立て、スーパーで買いこんだ牛肉を炭火で炙っていた。丸山ダムは、美津夫が中学生の時によくブラックバスを釣りに来た閑静な人造湖だった。
3
-山口県宇部市-
眼を開けると横にサクラの姿はなく、マミー型シュラフはもぬけの殻だ。太陽がすでに高く上がっているようで、テント内が陽光で明るく照らされている。美津夫は、ファスナーを開けて外に出てみた。今日は、一段と気温が暖かく、春らしい匂いがした。それはどこか懐かしい、故郷の匂いでもあった。
「おはよう。美津夫さん」
サクラの声がしたので寝ぼけ眼でそちらを見て、美津夫は驚いた。
「サクラが、朝ご飯を作っているのか?」
サクラの笑顔は、朝日で輝いている。
「そうよ。美津夫さんが作るところ、毎日見ていましたもの」
「そんなこと言ったって、料理なんてしたことないんだろ?」
「ない。でも、作りたかったんです。結構、楽しいですね」
美津夫は、サクラは本当に子供のようだと思った。全てが新しい体験で、楽しくて仕方がないという様子がありありと伝わってくる。最初に出会った時の印象とは、まるで違っていた。
「でも、鍋で炊いてるご飯、もう焦げてるぜ」
サクラは不思議そうに言った。
「見えるのですか?」
美津夫は、得意げに笑った。
「プロは、臭いでわかる」
確かに、鍋の底の方のご飯がほんの少しだけ焦げ始めていた。
「すごいのね、美津夫さん」
「劣性人類でも、優性人類に勝てることがあることが証明されたわけだ」
「本当ですね」
美津夫は、得意になって続けた。
「もうひとつ、すごいところを見せてやるさ」
「なになに? なんですか?」
サクラは、興味津々だった。
「朝食が済んだら、ダムでブラックバスを釣ろう」
サクラは少し落胆したように言った。
「また釣りですか? 子供みたい」
「何を言っているんだ、こんなにデカいの釣れるんだぜ」
美津夫は、両手を肩の広さくらいに開いて、大きさをアピールした。
「すごいじゃないですか。美味しいんですよね?」
美津夫は、笑った。
「スズキの仲間だから食えなくはないんだけど、普通は食べない魚だよ」
「なんだ、つまらない」
水辺に降りて、美津夫は短いルアー竿を構えて、ミノーを湖面に向かって投擲した。そしてゆっくりと、スピニングリールを巻く。十分ほど投げ続けたが、あたりが全くない。
すると、サクラがつまらなさそうに言った。
「わたしにも、やらせてください」
一投目、ルアーはボチャンという大きな音を立てて湖水に叩きつけられた。しかし、二投目にはコツを掴んだようで、湖面にそっと着水した。
「やっぱり覚えが違うな、サクラは」
美津夫がそう感心していると、ほんの少しルアーを引いただけで強く竿がしなった。
「きたよ、美津夫さん。重い! どうすればいいの?」
「すごいよ、サクラ。力いっぱいリールを巻いて!」
だが、魚は簡単には上がって来ない。竿を湖水に引き込む勢いがある。しばらく格闘してサクラが引きあげて見ると、それは先ほど美津夫が冗談交じりに手を広げたのと同じくらいの、五十センチ超えの大物だった。
「美津夫さん、楽しい!」
美津夫の方は、複雑な心境だった。
次に美津夫は、サクラを持世寺温泉に連れて行くことにした。そこは丸山ダムからすぐそばで、厚東川の対岸にある温泉施設だ。昨今の温泉ブームが起きるはるか前から営業している、歴史ある憩いの場だ。混浴ではないので、美津夫はサクラと別れて男湯に入り、屋上の露天風呂に浸かった。土手向こうの厚東川からそよ風が吹いてきて、上半身を適度に冷やす。湯は身体の芯までほかほかと温める。時間がゆっくりと流れている。大阪の街が消滅してしまったのが、嘘のようである。
だが美津夫は、休憩室の畳に座ってサクラを待っている時に、偶然TV報道を見て現実に引き戻される。画面には、地上のアスファルトが消滅し、焦土と化した大阪の街の空撮映像が流れている。そして、解説者が「隕石空中爆発説」を力説している。真相である「トライアングル」飛来については、一切報道されていない。TVニュースというものは、当たり障りのない事実と都合良い解釈を選択し、情報操作するための手段であることを確信した。この放送を見ている限り、決して真相に近づくことはできない。真実は、自ら考え、探求していかなければその片鱗さえも姿を現さないだろう。
しかし、大衆が自ら「考える」力を持ってしまうと困る人間がいる。国家を運営する官僚や政治家、財界人たちだ。かれらエリートにとって、大衆は統治すべき対象に過ぎない。国民が彼らの決定事項に無批判に従属することこそ、彼らの理想だ。
一九六〇年代、知識階級である全国主要大学の学生らが、日米安保条約に反対し、大規模なデモやハンガーストライキで政府に抗議活動を行った。彼らは戦後教育を受け、自ら「考える」ことが許された最初の世代だった。支配者たちは、「考える葦」は「邪魔な雑草」であることに気がついた。「考えない葦」こそが、黙って搾取される「必要な穀物」なのだ。これはなにも、日本に限った話ではない。中国では毛沢東が、自己の復権をかけた文化大革命で多く知識人を粛清した。つまりは、虐殺した。それに先駆けて、ソヴィエト連邦ではスターリンが大粛清を行っているし、毛沢東を理想としたカンボジアのポル・ポトも、知識人を根こそぎ殺戮しつくしてしまった。
だが、自由の国アメリカで、そのような暴挙が許される筈はない。彼の国が思いついた「知識人抹殺」の方法は、愚民化政策だった。一握りのエリート以外から思考力を削ぎ落とし、支配者と被支配者を明確に分断してしまう戦略だ。それに活用されたのが、いわゆる「3S」といわれる「スポーツ」「スクリーン」「セックス」だ。大衆をそうした安易な快楽で堕落させ、政治に無関心な「善良な市民」に仕立て上げたわけだ。日本でも、米国を手本として同様な政策が推進された。
TVニュースを見て、美津夫の横に座る母親が小学校低学年の娘に言って聞かせている。
「隕石とか地震とか、自然災害は防ぐことができないから本当に怖いよね。でもね、電気や食料を無駄にしないでみんなで我慢して助け合えば、かならず復興できるのよ。がんばろうね」
美津夫は、心が痛んだ。つい先月まで、心血を注いで制作していたバラエティ番組が、無批判で「善良な市民」を生み出すことに加担していたことに気付いたからだ。高視聴率を叩き出したと得意になっていたことが今となっては恥ずかしい。
TV局の経営を支えるのは、言うまでもなくスポンサーだ。スポンサーは企業だが、その企業の決定権を握るのは最高経営者たちだ。つまりは、政財界の要人だ。TV局にとって「お客様」は「政財界の要人」であり、決して「視聴者」ではない。特に民放に於いて、かれら「要人」に都合の悪い放送が認められることはない。
残念なことに、「みんなで我慢して助けあった」ところで、現在地球上で発生している事態は何一つ改善しない。母親は、「TVは隕石と言っているけれど、ちょっとおかしいよね」と子供に言うべきであった。TVの報道内容をそのまま受け入れるのではなく、自分の思考で判断するよう子供に教えるべきなのだ。しかしながら、もし美津夫が母親に対して「いえ、大阪大爆発はUFOの仕業ですから、またいつ何処の街が消滅するかわかりませんよ」などと言えば、頭のおかしい人と敬遠されておしまいだ。
そんなことを湯上りの頭で考えているうちに、ようやくサクラが上がってきた。
「お待たせいたしました。サッパリしたし、とても気持ち良かった。わたし、露天風呂に入るのは生れて初めてでした」
髪を濡らし、座蒲団に腰をおろす姿は、どこまでも人間らしい。とても、何百万の無辜の市民を殺戮した残虐な敵とは思えない。極めて日常的な情景だった。
「それはよかった」
美津夫は、力なく笑った。
「サクラ、次は霜降山に登るよ」
二人は再び黄色い四輪駆動車に乗り込み、標高二百五十メートルの山頂を目指した。
車を駐車場に停めて山道を歩く。このあたりの土は関東の茶色い土とは異なり、白い砂浜のような色をしている。美津夫は、この土の色を見ると、宇部に帰ってきたことを実感する。山頂の岩に登ると、宇部市街を見渡すパノラマが広がる。工場地帯にある煙突や港に架かる大きな橋、その向こうには瀬戸内海が広がって見える。美津夫にとっては何度も眺めた風景だが、いつ来ても新鮮な感動が沸き起こってくる。
「美津夫さん、美しい景色ですね。わたしたちハイブリッドは、この大地を焼き払おうとしていたのね」
「大阪だけじゃなく、宇部も消すつもりだったのかい?」
美津夫は、サクラから全ての真実を訊き出したい衝動に駆られている。彼女は自分から何かを話すことはない。しかし、彼が訊いたことには素直に応答していた。これまで大阪大爆発について詳細を尋ねなかったのは、「タブー」に触れることで彼女の心を閉ざしてしまうのを恐れたからだ。だが、サクラとの心の距離は随分と縮まっている。もう尋ねても大丈夫な頃合いだろうと思って、すこし扉をノックしてみた。
「それは、わたしにはわからない。『管理委員会』が決めることだから」
「管理委員会?」
そう聞き返してみたが、サクラは黙ったままだ。美津夫は、それ以上の詮索をやめて、話題を変えた。
「秋吉台にはなにがあるのか教えてくれないか?」
美津夫は、そう言いながら南側に広がる市街地に背を向け、北側を向いて少し歩いた。山並みの向こうには、秋吉台が広がっているはずだ。
「わたし、このあたりの風景は知っています。上空から、何度も見てきましたから」
サクラは、そう言ってから続けた。
「秋吉台には、『トライアングル』の発着施設があります。日本唯一の基地が『アキヨシダイ』です。そこには、ハイブリッドが他にも暮らしています」
「ハイブリッドは、みな地球上に暮らしているのかい?」
サクラは、それきり黙ってなにも答えなくなってしまった。なにか、言ってはならない秘密に近づいてきたのだろう。美津夫は、サクラを追い込むことはしたくない。真実を知ったところで、自身にはなにひとつ手に負えない。尋ねるのは、自らが戦うためでもなければ、ハイブリッドを非難するためでもない。単なる、好奇心に過ぎない。宇部市北部に広がる低い山々を見渡しながら、美津夫は話題をころりと変えた。
「日没までにはまだ時間がある。最後に、俺の通っていた中学校を見ていかないか?」
サクラは、黙って頷いた。それが二人にとって最後の思い出の場所になる筈だ。
美津夫は、宇部市街地に向けて車を走らせた。桃山中学校は、宇部港にほど近い宇部新川駅周辺の学童が通っているが、名前の通り街を見下ろす高台の山中にある。平野部は狭く、山が海岸にすぐ迫っている瀬戸内特有の地形だ。美津夫は車を麓の小串に駐車し、徒歩で急な坂道を登ることにした。それが、かつての通学路だったからだ。こうして徒歩で登るのは、卒業以来二十二年ぶりのことだ。サクラは、美津夫のペースに合わせてゆっくりと坂を歩いている。
手をつないでみた。サクラは拒否する様子もない。もしこの姿を近所の悪友に見られたら厄介だと一瞬思った。かれらに囃したてられる姿が一瞬脳裏をよぎったからだ。けれども、すぐに思い直した。あの頃は、中学生の少年だった。女性と並んで歩くだけで翌日はクラス中、いや学校中で後ろ指を差されただろうが、中年にさしかかった今、だれも冷やかしはしないだろう。いやまてよ、こんな外国人モデルみたいのを連れていたら、「東京のTV局に勤めて変わったのう」と、やはり冷やかされるのではないか? いい歳をして、妙にビクビクして周囲を見回した。
「どうしたの美津夫さん、妙にきょろきょろして落ち着きがないけど」
二人はちょうど、二反田池に差し掛かっていた。登り坂が延々と続く中にあって、この池のほとりだけは道が平坦になっている。小さな池なので埋め立てられているのではないかと恐れていたが、かつての姿を留めていた。この池ではブルーギルという外来魚をはじめて釣った思い出がある。口は小さくて、形がどうにも不気味で好きになれない外道である。美津夫がそのエピソードを話しながら歩くと、サクラは「また釣りの話」と呆れている。
池を通り過ぎると、道はバス停留所で左に大きくカーブし、勾配はさらに急になる。右手には校庭が広がり、校門まではあとわずか。だが、この心臓破りの勾配が、遅刻がちな美津夫にとって最大の難所だった。美津夫は、久しぶりに走りたくなった。
「サクラ、この坂の上の左手に十三段階段がある。その下まで、どっちが早く着くか競争しないか? 中学生の時、俺は毎日この坂を駆け上がっていたんだ。負けないぜ」
サクラは、にこりと笑って握っていた美津夫の手を離した。
「私には、勝てませんよ。もう、すっかり足は治っていますから」
「それはよかった。また転んで、怪我するなよ」
美津夫は、からかってやった。
「よーい、どん」
美津夫がそう声をあげると、二人は全速力で坂を駆け上りだした。息を切らしながら必死の形相で走る美津夫が、最初の五十メートルくらいはほんの少しだけリードした。サクラは、息も乱さずその後ろを走っている。
「じゃあね、美津夫さん」
ゴールまであと百メートルもないあたりに差し掛かった時、サクラはそう声をかけて風になった。考えられないスピードだった。青い襟に白いラインが入ったセーラー服を着た女子学生が、目を剥いて驚いているのが見えた。美津夫は、サクラを走らせたことを後悔した。ハイブリッドの運動能力は、美津夫の想像を遥かに超えていた。大声で制止しようと思ったが、サクラはすでに十三段階段の下で立ち止まって待っている。
「遅いぞぉ、美津夫さん」
またしても、無邪気に喜んでいる。出会ってからわずか十日間あまり、表情が生き生きとしてまるで別人だ。美津夫は、呼吸を整えると、再びサクラの手をとって階段を上った。登りきったところが、学校の敷地だ。
美津夫は、校舎を背にして振り返って言った。
「ほら、ここもパノラマだよ」
眼下には、宇部の市街地が広がり、ビカエンと呼ばれる二本の煙突と輝く瀬戸内海がうっすらと霞んで見える。
「三年生の時は窓際の席でさ、授業なんか聞かないでずっとこの景色を眺めていたんだ。懐かしいなぁ」
サクラは、同じように景色を眺めながら、ふと呟いた。
「美津夫さんにも、わたしの生まれ故郷を見せたいな」
「見たい、見たい。サクラの生まれ故郷。どこにあるんだい?」
サクラは笑顔こそ浮かべていないが、とても優しい表情をして言った。
「いつの日か、一緒に行きましょうね」
二人はしばらくの間、風景を眺めながら黙って立っていた。桃中の生徒が怪訝な顔で横を通り過ぎていくが、誰も声をかけては来なかった。遠くの方で、「あのカップル、さっきから何しちょんかのぉ」という山口弁が聞こえてきたが、全く気にならなかった。
4
-強行突破-
車は宇部市街を後にして、一路秋吉台を目指している。丸山ダム横を再び通過し、南北に細長い小野湖畔を走る国道四九〇号を通過している。時刻は午後四時過ぎ。車内の美津夫とサクラは一言も会話をしていない。間もなく訪れるであろう別れの瞬間を想い、言葉が出てこないからだ。
富田空佐は、秋吉台周辺道路の全てに検問を設けながら、丸一日以上経過して獲物がかからないことに諦めを感じ始めていた。警戒網に気付いて計画を変更したのか、あるいは別ルートで侵入してしまったのかは判らないが、取り逃がしたのはほぼ間違いないと推測した。そのため、警戒にあたる人員は昼過ぎに大幅削減され、各チェックポイントに配備されているのは自衛官二名と山口県警の警官二名になっていた。それも、交替で休憩に出ているので、全員が持ち場にいることはない。日が傾いてきても別段怪しい車両の通行はなく、任務は流れ作業に陥っている。車両を停止させ、免許証を確認して通過させるだけの単純作業が続いていた。
美津夫とサクラを乗せたFJクルーザーは、そのたるみきった警戒網の正面に現れた。サクラはあらかじめ自衛官の存在を察知していたが、人数が少ないことを確信できたので強行突破を主張していた。車は秋吉台道路というメインストリートを臆することなく走行する。検問は、秋芳洞観光センターの手前にひかれていて、自衛隊のジープ一台と県警のパトカー一台が、片側車線を封鎖する形で停まっていた。ドライバーは小野湖を過ぎたあたりで交替しており、ステアリングはサクラが握っている。
「行きますよ!」
そう言うと、サクラは力いっぱいアクセルを踏み込んだ。排気量四〇〇〇CCのエンジンが唸りを上げると、車は一気に加速して検問を突破した。急な出来事に自衛官は動転し、ジープのエンジンをかけて追跡を始めるまでに一分近くを要した。その間にも、サクラの運転する暴走4WD車は、秋吉台道路を一気に駆け上がる。秋吉台は山焼きにより寒々しい茶色に染まっていた。そして、枯れた草原に白い岩が羊の群れのごとく無数に散らばる奇観を呈していた。その雄大な風景の中を、黄色い車はまるでレーシングカーのように疾走する。小高い丘になっている若竹山を左に見て走ると、ガードレールが途切れて古びたフェンスになっている箇所があった。
「行きますよ!」
言うが早いか、サクラはハンドルを左に切ってフェンスをなぎ倒して草原に突入した。岩が底部を強く打ち、ガタンという大きな音がした。
「ばか、気をつけろよ」
「大丈夫! 走ってます」
「……」
岩場を少しだけ下ると、草の生えていない遊歩道があった。遊歩道と言っても整地されていない凸凹道だ。FJクルーザーは、本領発揮してそのダートを若竹山に向かって突き進んだ。スピードを落とさないので、車は大きく上下左右に揺さぶられる。
「サクラ、無茶するなよ」
美津夫はそう叫んだが、あまりの揺れに舌を噛みそうで、それ以上なにも言えなかった。自衛隊のジープは、遥か後方の舗装路を走っている。
若竹山に辿り着く少し手前左側に、クレーターのような小さな窪地が見えた。サクラは、遊歩道を外れてその窪地の斜面を下りはじめた。車の底部を、再び岩が激しく打ち付ける。
「壊れる!」
美津夫がそう叫んだ次の瞬間、突如周囲が闇に包まれた。同時に、揺れがぴたりとおさまった。そして、サクラはライトを点灯すると急ブレーキで減速した。追跡するジープからは、突如黄色いFJクルーザーが消えたように見えた。見失ったあたりまで追走するが、あたりにはただカルスト台地が広がるだけだ。
「なんとか、アキヨシダイ基地の入り口に辿り着きました」
そう言いながら、サクラはシートベルトを外して運転席を降りた。美津夫も助手席から車を降りる。先ほどは闇と思った空間が人工的な建造物の中で、うっすらと明かりに照らされていることに気がついた。広大な、空間だった。
「ありがとう、美津夫さん」
「ここで、お別れなんだね」
美津夫は、サクラの両肩を手で抱えながら、笑顔を作って見せた。
「自衛隊、いまからきっと懸命の捜索を始めます。ここは決して発見されることはないですが、美津夫さんが今出たら、すぐに逮捕されてしまいます。しばらく、様子をみてください」
「様子を見ると言ったって、どうすればいいんだい?」
サクラは、優しい表情で言った。
「ついてきてください」
美津夫は、言われるがままサクラの後ろをついて行った。
弱い照明に照らされた広大な空間をしばらく歩くと、一枚の扉があった。ノブを下に回して中に入ると、明るく照らされた細長い廊下が延びていた。サクラは、臆せずにその廊下を進んでいく。美津夫はあたりを見回しながら後に続く。施設に、地球上の建物と構造上の相違を見つけることはできない。やがて、一つの扉の前に立つと、静かに振り向いた。
「この中は、まだ人間が入ったことのない管制室になっています。美津夫さん、約束してください。ここで見たものは、決して口外しないでほしいのです」
美津夫は、真剣な表情で答えた。
「わかったよ。サクラが言うのであれば、黙っているさ」
そう誓ってみたものの、実際は好奇心が勝っていた。だれも見たことのない宇宙人の施設を、見ることができるのだ。美津夫の興奮は最高潮に達した。遂に、扉が開かれた。
サクラは、躊躇なく室内へ歩を進めていく。管制室は想像より遥かに狭く、学校の教室ほどの広さだった。さらに意外であったのは、企業ブランド名が記載された日本製大型液晶モニターが前面にいくつも並び、その手前にはいくつものデスクトップパソコンが並んでいることだった。すべて、よく目にする市販の製品ばかりで、宇宙人らしい未来的なマシーンは何一つ存在しなかった。見た目では、TV局の編集室や証券取引所となんら変わらない。パソコンに囲まれた空間に椅子が一つあり、そこに白い服の金髪女性が背を向けて座っていた。美津夫とサクラが入ってくると、女性は作業をやめて立ち上がり、振り返って声をだした。
「……、……」
何を言っているのか、さっぱり分からない。サクラも、それに対して理解出来ない言語で返事をしている。
「サクラ、何を話しているんだい? 宇宙言語?」
サクラは、パソコンテーブルの上に置いてあるドリンクを一気に飲み干してから答えた。
「いえ、ドイツ語です。美津夫さんは、話せないのですか?」
宇宙人同士が、地球上の言語で話しているというのも意外だった。
「ドイツ語は習ったこともない。サクラは、ドイツ語も話せるんだね」
「私は東アジア担当だから、北京語・広東語・韓国語・日本語・英語・ロシア語・フランス語・オランダ語が話せます。ドイツ語は、ハイブリッドのコミュニケーションに使われる標準言語になっています」
「すごいな、標準言語でない日本語をこれほど流暢にあやつるなんて。ハイブリッドというのは相当優秀なんだな」
「物心ついたときから、ずっと教育され続けていますから。地球人のように、趣味やレジャーといった無駄な時間はありません」
美津夫は呆れたように言った。
「楽しくなさそうな人生だな。毎日語学の勉強ばかりとは」
「語学だけではありません。歴史、科学、数学、心理学など、必要な知識はすべて学習しています。楽しむ、という概念はありません。娯楽とは、限りある人生の時間を無駄遣いし、心を堕落させる愚行です」
「そう言う割には、釣りを楽しんでたじゃないか」
サクラは、表情を変えずに言った。
「堕落したのです」
金髪の女性が、ゆっくりと近づいてきて言った。今度は、日本語だった。
「スイジニ、なぜ劣性人類をここへ入れたのですか?」
金髪の女性は、サクラのことをスイジニと呼んだ。おそらくそれが、本当の名前なのだろう。サクラは、無表情に答える。
「私は、この人の助けがなければおそらく死んでいました」
「命の恩人だから、アキヨシダイに入れたというのですか? 感情的に過ぎ、論理的ではありません。どうしたんですか、スイジニ?」
「アヤカシ、あなただって劣勢人類と暮らせば、変化するはずです。美津夫さんは、わたしが都市を攻撃した敵であることを知っていたのに、黙って看病を続けてくれました。論理で計り知れない感情に、救われたのです」
アヤカシは、冷静なまま話を続けた。
「それで、美津夫さんというこの男を、スイジニはどうするつもりでしょうか? この基地とわたし達の存在を知られたからには、このまま帰すわけにはいきませんよ」
「そうだけど、彼は決して誰にも口外しないと約束してくれました。地上の自衛隊が去るのを待って、解放しましょう」
「劣勢人類の約束を信じるのですか? 論理的ではありません。嘘をついたことのない人間は存在しません」
美津夫は、二人の会話を黙って聞いていた。意見は対立しているが、感情の乱れは一切発生していない。実に、人間離れしているとあらためて思った。サクラは、アヤカシに向かって言った。
「管理委員会に連絡するのはやめてください。わたしを助けた人間を殺すというのは、論理的ではありません」
アヤカシは、これにも反論する。
「わたし達の存在を知った劣性人類を抹殺するのは、機密保持を優先すれば至極論理的な結論です。恩に対して恩で報いようとすることこそ、感情的であり論理性に欠如します」
「アヤカシ、わたしははっきり言います。どんなことがあっても、わたしは美津夫さんを見殺しにするようなことはいたしません」
美津夫は、ここで言葉を挟んだ。
「管理委員会というのは、何だい? 君たちを管理する宇宙人の組織か?」
サクラは、静かに説明をした。
「管理委員会は、地球人の組織です。世界各国の首都に存在していて、日本では東京の永田町地下空間で日本支部会が開催されています。委員会のメンバーは、財界の大物と一部の官僚です。わたし達は、常に彼らと連絡を取り合いながら行動しています。このアキヨシダイも、管理委員会の出資によって建設されたものです」
美津夫は、さすがに驚いた。日本を動かす資本家や官僚は、優性人類が宇宙空間からやってきていることをずっと以前から知っているばかりか、資金提供さえもしていると言うのだ。UFOの実態を知りながら、隠蔽し続けていたことになる。美津夫は、言った。
「その管理委員会のやつらは、サンフランシスコやミュンヘン、そして大阪が消滅するのをあらかじめ知っていて黙認したのか? 軍の戦闘機が役に立たないことも……」
これには、アヤカシが答えた。
「当たり前です」
美津夫の怒りは徐々に強くなっていく。それは、攻撃をしたハイブリッド達にではなく、全てを知った上で同じ地球人を平然と見殺しにする管理委員会に向けられた。管理委員会のメンバーが誰で、何を企んでいるのか、全てを暴いてみたい衝動が沸き起こる。
「サクラ、世界に散らばる管理委員会のメンバーを教えてくれないか。俺には、それを報じる義務があると思うんだ」
「それは、できません。そんなことをしたら、間違いなく美津夫は『自殺』か『事故』を装って抹殺されてしまいますから。石井紘基議員や中川昭一議員の悲劇を知っているでしょう?」
美津夫は、その名前を聞いて驚愕した。石井議員は二〇〇二年に刺殺、中川議員は二〇〇九年に五十六歳という若さで突然死していながら、その死の真相はいまだに明かされないままになっている。一国の現役議員が亡くなるという重大な事件であるにも関わらず、真相が深く追及されることはなかった。真実を覆い隠すように、TVは「時間つぶし」にしかならない無教養なバラエティを垂れ流し続けていた。美津夫は、そのくだらない番組を制作していた。激しい自己嫌悪の感情に押しつぶされそうになる。
「管理委員会は、平然と人を殺すのか?」
「もちろんです。邪魔な人間、従わない組織、意に沿わない国家は、ことごとく抹殺されてきました」
サクラは、淡々と答えた。アヤカシは、サクラの正面に立ちはだかるようにして言った。
「スイジニ、話し過ぎです。あなたは、この男をどうするつもりなのですか?」
サクラは、グレーの瞳をアヤカシに向けた。
「管理委員会に引き渡すわけにはいきません。わたしは、美津夫さんを私の故郷、月面ベースに連れて行くことにしました。そこで、ハイブリッドの仲間と美津夫さんを引き合わせて、その上でみなの意見を聞きたいと思います。劣性人類が、汚くて愚かな生物ではないことを、わかってもらえると信じています」
「確かに、もし美津夫さんが我々に受け入れられたならば、月面ベースで暮らすことができるでしょう。そうなれば、『調整』のために地上で抹殺されることもない。恩返しをしたいと言うあなたの『感情』は満たされるでしょうね。でもそれは、美津夫さんが二度と地球上へは戻れないことを意味しています。分かっていますよね?」
サクラは下を向いた。沈黙が続く中で、美津夫が口を開いた。
「地球に戻れなくても、構わない。ちょうど、世の中を捨てたところだ。それよりも、真実を見てみたい。『月』がサクラの生まれ故郷ならば、その『月』を見せてほしい。約束したじゃないか」
それからしばらく、サクラとアヤカシは再びドイツ語で議論を始めた。美津夫には聞かれたくない内容なのだろう。感情を排した冷静な話し合いが、二十分以上続いている。アヤカシは、美津夫を月面ベースに連れて行くことに反対しているようだった。蚊帳の外の美津夫は、床に座ってハイブリッドの二人を眺めていた。二人ともスラリと背が高く、褐色の美しい肌をしている。アヤカシの金髪は腰に届きそうなほどに長い。自分の運命が、この二人の少女の判断に託されていると思うと少し滑稽でもあった。社会に対して無力であったばかりか、少女に対してでさえ無力な自身に対して自嘲せざるを得ない気分になっていた。しかも、選択肢として待っているのは、管理委員会によって地球上で抹殺されるか、ハイブリッドによって月面で飼われるかの二者択一のようだ。かといって、ここで腹を斬る度胸を持ち合わせてもいない。いや、腹を斬って死んだところで、なにも事態は好転しない。であれば、運命に身を任せるしかないではないか。
ようやく、二人のハイブリッドの議論が終わり、サクラが言った。
「月面ベースに、向かいましょう」