聖女じゃなくても、勇者じゃなくても
『聖女じゃなくても勇者じゃなくても、世界は救えるという話をしよう』
ここへ来るなり見も知らぬ男に告げられた言葉である。
目覚めた私の目に飛び込んで来たのは、自室の天井で微笑む推しではなく、真っ白な光に包まれた世界だった。
状況が飲み込めず目を白黒させていた私に、男は『天国の一歩手前って感じ』と言った。どうやら私は死にかけているらしい。
自分の行く末は割とどうでも良かったが、後から青年が一人やってきて、なんとそれが“推し”だったから話はややこしい。
***
「聖女じゃなくても勇者じゃなくても、世界は救えるという話をしましょう」
そんな言葉にも、目の前の推しは顔色一つ変えなかった。
少女だった頃、顔も名前も知らなかった彼に救われたことがある。便宜上推しと呼んではいるが、それ以来彼は、己にとって神に等しい存在だった。
「なぜここに来たの」
ー きっと、最後の一滴だった
絞り出された言葉と彼の無表情は、私の心を深く抉った。
私は知っていた。彼の言葉に投げ返された石があったことを。
それは引き金となり、彼はきっと深い眠りを望んだ。
ー 発してゆくのが、怖いと思ってしまった
「あの日、空から柔らかくて暖かい声が降ってきたんです。それまで何にも興味が持てなかったのに、誰だか知りたくて仕方なかった。街頭ビジョンで流れていた、石鹸か何かのコマーシャル」
俯いていた彼が顔を上げた。
「眠れない夜も、貴方の声を聴けば眠れた。貴方に会える日を思えば、明日も生きようと思えた」
彼が微かに目を瞠る。
きっと、世界で一番好きな瞳をこんなに近くで拝めるなんて、もう一生ない。
「そういう人間があなたの後ろにはたくさんいます。心無い言葉に後ろを向いたとしたとしても、私たちがいます。あなたが救ってきた人たちが」
それだけは心の隅にでも置いておいて欲しい。なんて、私のエゴかもしれないけれど。
ー そっか。
泣き笑いのような表情で呟いた彼の身体を眩い光が包み込んだ。元いた場所へ戻るのだろう。
私も戻りたい。そして彼の背中を守る一人でありたい。
刹那、光に呑み込まれる。
***
聖女じゃなくても勇者じゃなくても、世界は救えるという話をしよう。
僕は勇者ではない。聖女でもなければ、異世界の住人ですらない。
だけど僕の存在で救える世界がある。一人ぼっちの集まりが世界だと言うのなら、僕はきっと数え切れないほど世界を救ってきた。
あの日出会った彼女のことを、僕は神さまと呼んでいる。