偏食
保育園。小学校。そして中学校。誰もが一度、通ることになる人生の通過点。著者もその一人だ。保育園ではよく遊び、小学校、中学校では多くの知識を得ることができた。
しかし、未だに不服に思っている保育園、そして学校での習慣が一つだけある。給食の時間だ。
保育園に通っていた頃の出来事。給食の時間は、他の皆が口にする給食は食べなかった。特別に持参することを許された母手製の海苔弁当(白いご飯に海苔を乗せただけの弁当)を食べていた。
恥ずかしい話だが、著者は野菜類が嫌いだった。今でも食べることができない。特有の匂い、苦味、そして口に入れた時の食感。それらがどうしても拒絶反応を起こしてしまい、飲み込むことができないのだ。
保育園の給食では何が出されていたかは覚えていない。けれど、おかずから放たれる苦く、そして鼻に染み付いてきそうな香り。口に入れたくないと脳が判断した。それだけは、はっきりと覚えている。
きっと、周りからは変な目で見られていたに違いない。残さず食べるべきなのに、どうして食べないのか。不思議に思われただろう。自我を確立していない園児の頃の著者は、特に気にはしていなかったと思うが。
小学生、中学生になっても給食の時間は相変わらず苦痛だった。白いご飯やパンは食べることができても、他の食べ物には手を付けなかった。献立がソフト麺だった時は絶望の一言。スープに入った野菜から出る苦味や匂いが嫌だった。この時、お腹を満たしたのは飲み物である牛乳しかなかった。
クラスメイトからは「野菜も食べろよ」とからかわれ、担任の先生からも「残さず食べて」と注意された。給食を残す度に言われた。一人だけ、この世界から取り残された。そんな気分になった。
月日が流れ、高校生になってからは、給食から弁当に置き換わった。母が作る弁当には、著者の好きな物だけ詰まっていた。米や肉など、口に合う物ばかりだ。そういった物は普通に口に入れ、噛み砕いて飲み込める。
だけど弁当を食べる時は、いつも一人。前述の出来事が心的外傷になり、人と会話することが億劫になった著者。楽しそうに会話しながら食べるという行為自体、遠い存在に思えてくるのだ。弁当だけでは満たせない何かがあった。
歳を重ね、著者は成人になった。初めて缶ビールを飲んだ時、とても苦く、車酔いに似た感覚を覚えた。こんな物を大人は飲んでるのか、と最初は不思議に思った。今ではビールは美味しい飲み物、気分が良くなる飲み物であると理解している。
ビールやブラックコーヒーは飲めても、ネギやピーマンなどの野菜は受け付けない。野菜ジュースは飲めても、野菜は受け付けない。身体は大人になっても、中身はまだ子供。誰かこの苦しみを。心の傷を癒してくれる人は居るだろうか。