続・無限うどん(※うどんは出てきません)
仕事が終わって、野川と居酒屋にいた。
俺の失恋の残念会だった。
新人で入って来た斉藤さんは、とびきりの美人ではないけれど、誰にでも感じの良い子で、だから勘違いしてしまった。
大学を卒業して四年以上、恋愛とは縁ない生活だった。ここからまた四年くらい平気で経つだろう。俺は少し焦ってもいた。
勘違いかつ焦っていた俺はその子に交換したメッセージアプリでキモメールを何通も送りつけた。いや、もちろん送ってる時はキモいなんて夢にも思ってはいない。なにしろ恋の熱に浮かされていたから。だからそれは後から客観的に見た時に出た冷静な感想でしかない。
とりあえず、おはよう(はーと)からおやすみ(はーとはーと)までの細やかな挨拶や今現在の自分のしていることや食べたものなどの詳細(今度一緒に食べたいな、などのおぞましい所感含む)それから夜中に書いたポエミーな恋文まで。後から見たら記憶が所蔵されている脳みそのその部分を焼いて消去したい程度にはキモい文章の数々を、何通も大量にしたためた俺のことを、俺は今認識したくない。風に、いや酸素になりたい。
先日その子が上司に相談して、俺は厳重注意を受けて今、放心状態で薄暗い居酒屋にいる。目の前にはビール。唐揚げ。お通しのもずく。
あ、野川もいた。
「河瀬君、大丈夫?」
「え、あー……ははは……駄目」
「すごい顔色悪いよ……。その、残念だったね……」
「ひハッ」
現実を思い出させる労りの言葉に妙に甲高い笑いで返してしまった。
「野川さんごめんね……こんなキモいやつと飲んでくれて……いい人だね……」
今俺は振られたことよりも自分の言動に落ち込んでいる。
すっかり卑屈な生ゴミと化した俺を野川は上目で見て、はぁと深い溜息を吐いて黙り込んだ。こいつはこいつで、何か疲れている。人生色々あるんだろう。でも、俺の方が絶対ゴミだと思う。
「河瀬君、元気だしなよ」
「いや、無理でしょ……」
「……だよね」
「恥ずかしすぎる……」
「だよね……私なら会社にいられない……」
「追い討ちかけるのやめてくれよ……」
「あ、ごめん。正直な感想が……」
えへんと咳払いをして野川が目の前のビールを飲んだ。
「野川さんはなんでそんな落ち込んでるの?」
「……なんていうか、情けなくて……」
「え、俺より情けないことあったの?」
「いや……」と唸った野川は「そうかも……河瀬君よりよほど情けない気持ちだよ……」と本当に情けない顔をした。
「まーまー、野川さんはさ、なんか最近垢抜けたし、もう俺の芋仲間じゃないし、あれ? もしかして男でもできたの?」
「できてない……」
「今だったらすぐできんじゃない? 俺とちがってキモくないし、胸もでかいし、あ、失礼」
失礼な失言を不用意に重ねてしまうくらいには、俺は疲れ切っていた。野川もそれに突っ込む元気もないらしい。
二人揃って「はぁ……」とどでかい溜息を吐いた。
野川の方の事情は知らないが、俺も野川もやけっぱちに、どんどん飲んだ。ビールはいつもより美味く感じなくて、その店の唐揚げはやたらベッタリとしていたし、もずくは紐みたいで味がしなかったけれど、ぱかぱか飲んで、食った。
頭がゆらゆらして来たころ、野川が大きな声で叫んだ。
「わらしは、本ッ当にねー、河瀬君が情けないよ!」
「え、俺かよー?!」
「あんたしかいないでしょ! 相手にされてないのにニヤニヤと未来の彼女みたいな顔して、こっちは斉藤さんに困ってるって相談されてたんだっての!!」
「だからもうその恥ずかし死ねる話はやめてよ!」
「わつしには言う権利があんのらよ!! ほんっとキモくてグズでバカでゴミで……あー……なのに…………ほんっとバカ……」
そこまで言って野川は目に涙をためて震え始めた。
「お、おい……幾ら俺がみっともないキモゴミだからって、何も泣くことないだろ……」
「ひょえっ」
奇妙な音に言葉を止めて野川を見ると、しゃくりあげて泣き始めた。
「ひょえっ! ひょえっ!」
「お、おいおい、野川さ……」
そこまで言って俺は慌てて口を抑えたが堪えきれずにブフォッと吹き出した。
「ひょえっ! ひょえっ!」
野川がものすごく面白い顔で泣いていた。
それを見ていたら最近あった嫌なことを一瞬で忘れるくらいに笑いのツボが刺激された。
顔も音も面白すぎる。俺は声をあげて笑った。
「ひょえっ! ひょっ! かーせくん、ひどっぅえっ」
野川が泣きながら恨みがましい目で睨んでくるが笑いは止まらなかった。
野川がひとしきり泣いて、テーブルにうつ伏せて静かになった頃、俺は笑い疲れてちょっと落ち着きを取り戻していた。
久しぶりに我に返った気がする。
時計を見るともういい時間だった。
野川が起きないのでとりあえずトイレに行って会計もして戻ると、いちミリも動いていない感じにそこにいた。
なんとか立たせて肩を貸すと野川が起きたのか、よろけながらしがみついてくる。
「うわ、野川さん胸、あたる!」
「るっさいよ〜恥ずかしいゴミのくせに」
「いいならいいけど……」
店の外に出たけれど野川が安定しない。相変わらず足元がユラユラしている。
「おい野川さん、もうちょいしゃんとしてくれよ。送ってくから」
「かわぜぐんの、ばがぁ〜……ひょぇっ」
「泣くなよ……俺野川さんが泣くと…………笑っちゃうんだって……」
「吐きそう……」
「えっ」
咄嗟に身体を離そうとしたらますますしがみつかれた。
「うそだよぉ〜」
「なんでそんな嘘を……野川さん……本当どうしたの」
「ふぉい、ゴミ野郎! おまえんちつれてけー」
そっちの方が近いし楽なのでそうすることにした。
見慣れた薄汚れた部屋に入ると野川が俺の腕を抜けてふらふらと歩き出しベッドにぼすんと倒れた。しばらく見ていたが反応がない。
「寝たか……」
俺も床に適当な毛布を出して寝転んだ。
妙に目が冴えてしまって、暗い天井を見上げる。
「ひょえっ……」
小さな音が聞こえて闇に溶けた。
*
朝になって目が覚めた時にはここ数日の頭のぼんやりからようやく抜けれた気分だった。昨日大笑いして寝たからかもしれない。大きく伸びをしてベッドを覗き込む。
ベッドには野川が眠っていた。
見ていたら不思議と食欲がわいてきた。うどんが食べたい。
野川は不思議なやつだ。自分と似たようなもさい空気感を纏っていたからか、最初に会った時から異性と接する緊張感が無かった。
なんとなく、どんどん身綺麗になっている気はするけれど、やっぱり野川は野川だった。
こういうやつと付き合えたら、気を張らず楽で楽しいだろうな。まぁ、向こうは嫌だろうけど。というか、俺のようなやつはあと十年くらい恋愛なんてしない方がいい気もする。周りが迷惑だ。
そんなことを考えていたら野川の目が開いた。
「昨日は野川さんのおかげで元気が出たよ。ありがとう」
「う……ん? そお? もう、へいき?」
眠そうに目をこすりながらも野川は返事をした。
「うん」
「ほんとに? 引きずってない?」
「ほんとほんと。次は野川さんのようなやつを好きになることにする」
きっと「ふざけるな! キモいわ!」とか言って怒るだろうと思っていた野川の目が、さらに開いた。
まずい。これはきっと冗談じゃすまない感じの拒絶だ。慌てて謝ることにする。
「……えっ。ごめん。キモいこと言ってごめんなさい」
「お、お願いします……」
「え」
「よろしくおねがいします」
「え」
その日、初めて野川が女の子に見えた。