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おにぎりのはなし



「おにぎり嫌いって、珍しくない?」


 会社のお昼休み、天気が良かったので外のベンチでパンを食べていたところ、同期の吉田が現れた。


 吉田とは、そこまで親しくない。入社当初は同期入社で集められてあれこれあったのでそこで自己紹介もしたし顔見知りではあったけれど、配属部署が離れてからは口をきくことどころか、顔見ることも稀だった。


 最近この吉田と私のランチスペースがよくかぶった。私は最初見つけた時穴場だと思ったので向こうもそう思ったんだろう。最初のうちは会釈だけしてお互い黙って別々に食べていたけれど、四回目の鉢合わせともなって、向こうが声をかけてきたのでちょっとした会話になった。


「吉田、いつもおにぎり食べてるよね」


「そういう国吉はいつもパンだね。たまには米食いたくならない? 一個交換する?」


「わたし、おにぎり苦手なんだ……」


 からの会話で出たのが「おにぎり苦手って珍しくない?」だ。


「お米は食べれるんだよね。具材の問題じゃなくて? あっためてもダメなの?」


「嫌いっていうか……苦手っていうか……」


「なんで?」


「なんでって……」


 吉田を前に話していたら、あまり思い出さなかった原因の出来事のことがするすると蘇った。そうだ。あれからだ。


「わたし、小学校五年の時に遠足に行った時、クラスの男子と喧嘩して、おにぎり投げつけたことがあって」


 今はもう、相手の顔もおぼえていない。名字は確か櫛谷くしたに。下の名前は忘れた。喧嘩の原因も。


 櫛谷と特別仲が良かったわけではないと思う。そもそもそこまで仲の良い男子はいなかった。

 櫛谷は小柄でちびっこい猿みたいな奴だった。おちゃらけて女子にいたずらをして、それを周りの男子が見て笑う。そういう、ある種の賑やかしのポジションだったように記憶している。


 あの頃。発育が早かった私は、それにともなう身体の変化に薄い戸惑いを持っていたし、クラスの周りの子達、特に男子が急に子どもっぽく見えて、よく苛ついていた。

 何故、くだらないことでげらげら大げさに笑えるんだろう。何故、理由もなく人をからかうのだろう。いまだと軽く流せるような櫛谷のそれを、当時の私は酷く嫌悪していたし、本当に関わり合いになりたくなかった。


 だからその日もきっと、なにか彼は彼のいつもの行動をして、たまたまターゲットが私になっただけなんだろう。


 ぼんやりしながら吉田の顔を見ていたらまた記憶が蘇る。


「思い出した」


「え」


「遠足で、下着が透けたの」


「……う、うん?」


 吉田は戸惑った顔をした。


 下着といっても上。発育が早かったわたしは既にブラジャーをしていた。そのラインが透けて見えたのを、大きな声でからかわれたのだ。


「それでわたし、本当に頭にきて、食べてたお弁当のおにぎりをその子の頭に思い切り投げて、ぶつけたの」


「そいつ、どうしたの?」


 その時の彼は、いつものふざけた彼ではなくて、彼の頭に当たって砕けたおにぎりを手に持って、悲しそうな顔をした。


 私はなんとなく、きっと「なにすんだよ」とかそんな返しが来ると思っていたのだ。だからカッとなった頭に冷や水みたいにその言葉はぶつけられた。


「おかあさんが作ってくれたおにぎり、投げるんじゃねーよ」


 彼が言ったのは、それだけ。


 途端に母親に対する、食べ物に対する罪悪感がわいた。

 だからといってそれと、からかわれたことは関係ない。子供っぽいかんしゃくと苛立ちはおさまらない。それに櫛谷におにぎりのことを謝るのも何か違う気がして、結局その後彼と口をきくことはなかった。


 だけど、我に返ると食べ物を投げてしまった後ろめたさは子供心に強くて、帰宅後、鈍い罪悪感にさいなまれた。母親に正直に言わなかったのもいけなかったかもしれない。せめて謝って誰かに許してもらえてれば、そんなに落ち込まなかったかもしれないのに、私はそれを胸にしまい込んだ。


 夜になって布団の中で、わたしはもうおにぎりを食べる資格なんてないんだと思った。幼かったからだろう。その気持ちは胸にしっかりと根を張って、私は無意識におにぎりを食べるのを避けるようになった。


「吉田見てたら急に思い出した。よくおにぎり食べてるからかな」


「本人だからじゃねーの」


「へ?」


「俺も忘れてたんだけど。同じ経験がある。ぶつけられた方だけど」


「いや、わたしがおにぎりぶつけた人の名前は櫛谷だよ……」


「今ので疑惑が確信に変わった。俺の中学までの名字、櫛谷。母親が……病気で亡くなって、うちは母親姓だったから、その後色々あって吉田になった」


 そういえば、あの日、櫛谷はお弁当を持っていなかった。中学への進級とともに、転校したのでその後は知らなかったけれど、それは家庭の事情だった気がする。


「そっ……か……」


「いや……」


「ごめんね……櫛谷」


「なにが……」


「あのとき……おにぎりぶつけて」


「いいよ」と言われても、なんだか胸に悲しいようなモヤモヤが広がってしまい、私は黙った。


 隣に座る吉田も黙っていた。


 上に広がる高い空を見つめて、あの遠足の日に想いを馳せる。


 たくさんの子供の騒ぎ声。あの日吹いていた風。緑の中最後に食べたおにぎりの味が口の中に広がった。それは塩加減で、少し、しょっぱかった気がする。


「おにぎり……やっぱり、いっこ食えば」


 吉田がそう言って差し出してくるおにぎりを、黙って受け取って、手のひらの中でその感触をしばらく味わった。





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