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続・煮物大作戦 (※煮物は出てきません)



宮内みやうち君今日終わってからうち来ない?」


 籠沼かごぬまさんに言われてぼうっとなる。

 膨らんだ胸のあたりをじっと見つめてごくりと唾液を飲みこむ。


「ご……ごちそうになります!」


「キミ何言ってんの……?」


 呆れた溜息を吐き出した籠沼さんの背後をよく見ると後ろに二人、人間がいた。


 今年入社したばかりの青山あおやま瑠奈るなちゃんと、イケメンでクソどうでもいい篠田しのだ竜真りゅうま


「この二人と勉強会するからキミも来るかなと思って」


「お、俺すか?」


 なんで俺が……二人きりならまだしも、何故そんな珍奇な組み合わせの会合に混ざらねばならんのだ。


 しかしイケメン篠田に「宮内さん無理しなくていいですよ」と言われて何かムカついた。俄然がぜん参加する気になった。


 駐車場に停めてある籠沼さんの車に向かう途中、籠沼さんが俺にだけ聞こえる声でぽそりとこぼす。


「宮内君、あとで知ったら文句言うかと思って……」


 文句……言うだろうか。確かに青山さんはともかく、篠田が先に部屋に入るのはちょっと、ムカつくような。いやでも仕事だし。なんにせよ籠沼さんが気を使ってくれたことは分かる。


 それにしても、勉強会。俺の時はそんなの無かった。その頃は籠沼さんもまだ教える立場にそこまで慣れていなかったからだろうか。

 ただ、篠田が勉強したいと言うのはなんとなく分かる。彼は要領の良さと覚えの良さをことさらにアピールしたがるタイプだ。個人的には新人なんて総じて使えなくて当たり前だが、彼は自分は違うという顔をしたがる。熱さがうっとうしいが良く言えば熱心なのだ。

 青山さんは可愛いだけで仕事があまり出来ない。こちらも勉強は必要。


 何故籠沼さんの家になったかと言うと、青山篠田のふたりは全く酒が飲めないらしい。それだと居酒屋の類は無し。かといって食事メインのところで食事をすると今度は仕事の話がしにくい。ファミレスが候補に挙がったけれど、籠沼さんはファミレスの類がそんなに好きじゃない。それならいっそ自分の家で良いとなったらしい。


 部屋に着いて楽園の空気を吸いまくる俺を他所に、勉強会が始まった。


 入ったばかりの会社では説明もなく専門用語や取引先の名前が飛び交う。それはすごい数でいちいちひとつひとつ確認なんて出来ないまま過ぎて行く。でもまぁ最初は言われた通りにしてると、そのうちなんとなく意味も分かるし流れも繋がっていくものだ。


 籠沼さんはふたりにその細かな説明をしていた。籠沼さんの説明は丁寧かつクソ真面目で正直この時期に聞いても頭に入るとは思えない。

 しかし、端っこに胡座をかいて座って一緒になって聞いていると、意外と適当に覚えていた言葉はそんなものの略称だったのか、とか、取引先のあの人は前は別部署に居たからある程度細かな話をしても通じるとか、むしろ俺くらいの方がちょっと勉強になる。


 そして、蓋を開けてみれば何故こんなものがもよおされたのか、大体分かった。


 篠田は籠沼さんに取り入ろうとしている。恋愛のコナかけなのか、仕事面でのゴマすりなのかは分からないが、いちいち顔をじっと見たり、やたらと気を使ってみせたりとあからさまだ。


 だから元はと言えばその勉強会は篠田が籠沼さんにお願いしたもので、その篠田に分かりやすく矢印を向けた青山さんが割り込んだという構図だろう。籠沼さんもそこらへんは分かっている。下心渦巻く不毛な勉強会だ。青山さんは熱心な顔をしてはいるが、時々髪を触りながら篠田をチラチラ見ていて多分あまり話は聞いていない。


「ちょっとお茶淹れてくるね」


 しゃべり通しだった籠沼さんが息をついて立ち上がる。彼女の姿がキッチンに消えたのを見計らって篠田が俺に言った。


「宮内さんは今日なんで来たんですか」


「うるせえな……それが先輩に対する口のききかたか。黙れイケメン」


「いえ、純粋に疑問なんです。宮内さんは勉強会の必要無いでしょう? なのに籠沼さんの方から声かけるって……」


「え、なになに? どういうことなんですかぁ? 宮内さんてそんなに仕事出来ないんですか?」


 青山さんが身を乗り出して失礼なことを聞いてくる。襟ぐりから谷間がふるんと揺れる。


「……本人に聞けよ」


「えー! 籠沼さんにそんなこと聞けるわけないじゃないですかぁ!」


「そうですよ。宮内さんみたいな…………気さくな方だから下世話なことでも……」


「なんっかお前ムカつくなぁその言いかた!」


「いたた! 痛いですよ!」


 篠田をヘッドロックして遊んでいると籠沼さんが戻って来た。途端二人の顔が緊張感に満ちたものに変わる。居住まいまで正している。


 籠沼さんはその様子を見て息を吐いてから俺を見てちょっと笑ってみせた。


「コーヒーきらしてて、紅茶でよかったかな」


 上品な揃いのティーカップの横にチーズケーキが添えられていた。篠田がいそいそと手伝うようにそれを受け取って全員の前に並べる。


 口の中でほろりと溶けるレアチーズケーキは甘すぎず、クドくなく、まるで籠沼さんのようであった。なんかわかんないけどコンビニのじゃないことは確かだ。個人的には下に敷いてあるクッキー部分が美味いと8割がた美味い。アレはメロンパンの皮、プリンのカラメルに並んで重要な存在だ。


 お茶の時間、なんとなく雑談めいた様相になった。


「宮内さんて、新人の頃どうだったんですか? 覚え良かったですか?」


 こいつ……。見ると篠田は期待に満ちた目をしている。篠田君の方が出来るわよ、とか言われたいのが透けて見える。明日ヘッドロック追加。


「うーん……宮内君は仕事はまぁ、出来なくはなかったけど……わたし嫌われてたから、あまり話してもらえなかったな」


「えぇえ!」


 二人が揃って素っ頓狂な声をあげる。


「今はこんなに忠実な……いや、」


 日本語の選択を間違えた篠田が言い淀む。

 青山さんが口を開いて言葉を継いだ。


「そうですよー! 今はこんなに懐い……慕っているじゃないですか」


「お前らさぁ……」


 こいつらは何故こんなに俺には失礼なのだ。籠沼さんに対するものとは大違いだ。

 俺がこんなに失礼極まりない扱いを受けてるというのに、籠沼さんはくすりと笑った。


「一度他部署のミスの皺寄せが一気に来ちゃったことがあって、その時新人には重いかなと思ってみんな先に帰ってもらったのね」


「……」


「で、ひとりで残ってたら宮内君が忘れ物して戻って来て“何やってるんすか”って、ぶすったれた顔で……でも手伝ってくれたんだよね」


「……」


「あの時からかなぁ、なんか急に普通になったのは、周りにもちょっと柔らかくなったよね宮内君」


「宮内さん尖ってたんですねー! 意外!」


「若かったんですねえ」


 ろくでもない相槌を打つふたりをじっと睨み付ける。青山さんが紅茶をひとくち飲んであれ、という顔をした。


「この紅茶、変わった香りですね」


「これ、チョコレートのフレーバーがついてるの」


「あ、ホントだ。言われてみればそんな感じ!」


 女性二人がキャッキャし始めたその時、俺の携帯が着信した。ポケットから出して立ち上がった。


「宮内さん、もしかして彼女さんですかぁ?」


 茶々を入れる青山さんにぺっぺっと手を振って玄関の外に出た。


 電話の向こう側は何やら騒音混じりだった。


「あ、宮内君? ボク今からカツ丼ギガ盛りチャレンジやるんだけど、来ない?」


 騒音を打ち消すどでかい声で大村が言う。


「行かねえよ! くだらねえことでかけてくるな!」


「いやでも、ホントすごい盛りだからさ、ボクの勇姿を宮内君にも見せてあげたいと……」


「だから! 行かねえっての!」


 通話を切ってしばし佇む。なんなんだアイツは。


 中に入ろうとすると籠沼さんが扉のすぐそばにいた。


「……どうしたんですか?」


「……宮内君……まだ帰らないよね?」


「……」


 黙って頷くとそのまま部屋に戻った。


 なんだったのかは分からないが籠沼さんはおずおずしてて可愛かった。

 追いかけて部屋に戻った時にはまた勉強会の続きが行われていた。


 そうして、夜が更けて解散となった。


「篠田君は方向一緒だから、青山さんを送ってあげて」


「よろしくお願いしまーす」


 青山さんが黄色い声を上げて、俺は不満気な篠田の顔を見てとても満足した。


 ふたりが居なくなって籠沼さんが伸びをする。背が反って胸に釘付けになる。


「宮内君、片付け手伝ってくれる?」


「俺やりますよ」


「え、ありがと……」


 片付けと言っても紅茶のカップとケーキの皿を下げて洗うくらいだ。酒盛りの後とはちがう。段違いに楽だ。


 洗ってる横で籠沼さんが冷蔵庫からビールを出してぷしゅ、とあけて直接ひとくち、ぐいと飲んだ。


「はあ」


 溜息を吐いてまたちょっと笑ってみせる。油断したその表情が壮絶に可愛い。洗ってる間に終電無くなんねえかな。ことさらゆっくりとカップを洗う。裏返して細かい隙間をゴシゴシしたりなんかして。


「本当はさ、」


「はぁ」


「宮内君みたいな人の方が向いてると思うんだよね……教育係」


「そ、そうっすかぁ?」


 俺は御免だ。


「うん。みんなわたし相手だと構えちゃってさ……ちゃんと相談とかもしてくれないんだよね」


「あぁ……」


「失敗をフォローする立場なのに、みんなわたしに失敗を隠そうとするから」


 なるほど。言われてみれば確かに。この間も慌てふためく後輩が籠沼さんに見つかる前にミスをリカバーしようとしているところに居合わせたことがあって、その穴埋めを何故か俺がやるはめになったことがある。


「宮内君……」


「なんすか」


 カップの泡を流している俺の背中に回った籠沼さんが、唐突に俺を抱きしめた。


 ゴトン。


 びっくりしてカップをシンクに落とした。幸い割れてはいない。


「な、なんすか」


「ちょっと……こうしてて……いいかな」


「いいすけど……」


 本音を言えば正面を向きたい。

 そのまま超高速で皿を洗い終わり、振り向いて言う。


「か、籠沼さん!」


「うん?」


「今晩泊まって行っ」


「明日早いから、帰りなさい」


 籠沼さんの声音はぴしゃりとしたもので、笑顔のくせにそれ以上を受け付けないなんともミラクルな拒絶を見せていた。


 確かに、明日も早いけれど……けれど……。



 今日も失敗。



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