だらしない鵜竹さんと、私のタッパー地獄
大学に進学して家を出て一人暮らしをするようになって半年。先に進学して近所に住んでいた兄から珍しく着信があった。
「来夏、もしできたら鵜竹の様子を見にいってくれないか?」
どこか沈痛な声音で言われる。鵜竹さんは兄の小学校からの友達だ。
頻繁では無いものの、うちに来た時に何度も会っていて面識はあった。確か今彼は兄と同じアパートの別室に住んでいたはずだ。
「え、様子って? 同じアパートなのにお兄ちゃん会ってないの?」
「大学もアパートも一緒だが、学部は違うからサークルに顔出さないと会わないこともあるんだよ」
「携帯は?」
「繋がらない。どうせあいつ止められてる」
「あぁ……」
「俺これから夜勤バイトなんだけど……ふと思い出したんだよ……ここ四日くらいあいつ見てないって、周りに聞いたら誰も見てないって」
「えぇ……そんなの……」
何か怖いじゃないか。ひとりで見にいきたくない。
「無理しないでもいい。俺も終わってから訪ねるから。もし……万が一会えたら連絡くれ」
*
結局近所で暇だったので訪ねた。
チャイムを押してみるだけの簡単なお仕事だ。中にいればよし。
そう思って扉の前まで行く。チャイムは、ついてなかった。というか、その部分は壊れてガムテープで潰されている。
それではとノックをしようとしたら、スニーカーが挟まって最初から半ドアなのに気付く。
恐る恐る開けて覗くと薄暗い室内。玄関先に片割れのスニーカーがひっくり返り、その先に人がうつ伏せで倒れていた。
「ぎ、ぎゃああーーーーーー!」
思い切り長い悲鳴をあげた。
「ん……? ライちゃん?」
倒れていた死体がむくりと起き上がって私の顔を見て声を出した。
その場で電話をかける。バイト中とか言ってたけど、緩いところなのか、数コール後に繋がった。
「あ、お兄ちゃん? いたよ。鵜竹さん生きてた」
お兄ちゃんは、ほうと息を吐いた。
「ありがとう。すぐにそんな汚いとこから出ていいぞ」
ぷつりと通話が切れて、鵜竹さんの方を見る。彼はへらりと笑って頭を掻いた。
「どしたの? ライちゃん」
「とりあえず……シャワーとか、浴びてないんですか?」
鵜竹さんは臭かった。眉根を寄せて言うと彼は自分の胸元をすんと嗅いだ。
「え、あ、ガス止められててさあ」
ふと足に何かぶつかって見ると、巨大なかぼちゃがひとつゴロンと転がった。
「なんで、こんなとこに……」
呟くと下から「それ俺の夕飯」と聞こえてくる。
「二日くらい前にもらったんだよね」
「そうですか……あれ、ガス止まってるとかって?」
どうやってこのどでかいかぼちゃを調理するつもりなのだろう。
「頑張れば、生でもいけないかなぁ」
ちょっと頭が痛くなってきた。そもそも包丁とか鍋とかすらこの部屋にはないような気がする。
「昨日は何食べたんですか」
興味本位で聞くと「スナック菓子ひとふくろ」と返ってきた。
「そ、その前は?」
「……うーん、覚えてない」
「はぁ……」
「流石に腹減ったなぁ……」
鵜竹さんは痩せていて肌も荒れている。明らかに食事が足りてない。
その時私の脳裏に自宅の冷蔵庫がぽんとよぎった。
私は一人暮らしを始めてから作り過ぎることが多かった。自分が食べたい時に食べたいものを作って食べれる自由が嬉しくて、浮かれていた。ネットでレシピを見かけたりしては、とんでもない時間に料理をしたりしていた。それでひとくち食べては満足して、これ以上は太るからとタッパーに入れる。そんなおかずが冷蔵庫には山のようにあった。最近は溜まっていくタッパーをなんとか腐らせずに食べきることがノルマで少し辛くなってきてもいた。
私の部屋はここから徒歩六分だ。
私は彼を部屋から連れ出すことにした。
「うちに食べに来ませんか」と言うと鵜竹さんは「いいの?」と言ってへらりと頷いた。
この人を一人暮らしの部屋に連れ込んだからといって多分危険はないだろう。昔から知っているけれど、そちら方面は割と覇気のない人だ。
たまに彼女だとかもいなくはなかったようだけれど、あまりに放置し過ぎてうちの兄に取られたりしていた。それでも兄がその彼女と別れてからも何をどうしてか鵜竹さんと兄の友情だけは続いているので不思議なものだ。
鵜竹さんは昔からものすごくだらしない。
生きるためにやるべきこと。寝るだとか、食べるだとか、水を飲む、だとかも何かに夢中になるとすぐに忘れる。他にもトイレに行く、お風呂に入る、暑いから一枚脱ぐ、寒いから上に着る、なども面倒がって我慢しがちだ。
取り柄はと言うと勉強。昔からそれだけはものすごくよくできる。小中高とずっと首位を独走し、ずっと張り合っていた兄までついでに同じ高校と大学に入ったけれど、結局そちら方面では全く敵わなかった。
もっとも同じ大学でもうちの兄は文系で彼は理系。よく知らないけれど、鵜竹さんは今何かハマっている研究があって寝食がすぐおろそかになるだとか、聞いてはいた。
「とりあえずシャワー浴びてください」
自分の部屋に入ってすぐバスルームにつっこんだ。
冷蔵庫にはタッパーがぞろりとたくさん並んでいた。みんな、ちょっと食べたくて作って食べ切れなかったやつ。これを今日いくつ減らせるか。
今夜のメニューを考えているうちにござっぱりとした鵜竹さんが出てきた。
とりあえずテーブルに座ってもらう。冷蔵庫からタッパーをひとつふたつ出して中を確認してお箸と一緒に鵜竹さんの前に置いた。
「これは?」
「こっちはオクラのおひたしで、こっちは小松菜のクリームチーズわさび醤油和えです。先に食べててください。今から食事作るんで」
タッパーをどんどん開けていく。
茄子とお麩を卵でとじたやつをレンジで温め、トマトのツナ和えを出してお皿に盛る。ピーマンの揚げびたし。人参のしりしり。胡瓜とパプリカの浅漬けも出す。
それから冷凍していたご飯を温めて、大根と豚の醤油炒めと、卵とワカメのスープだけ作った。
「親子丼みたいな味がする……」
茄子とお麩の卵とじを食べて、非常にしょうもない感想をもらした鵜竹さんであったが、出したものはばくばく食べた。
こちらは別に素敵な感想は求めていない。それより彼は食に関心が薄いので好き嫌いがない。そちらの方が重要だった。
嬉しい。これを消化するまで新しいのは作れなかったので心の負担が軽くなった。捨てた訳ではないので、ものすごいカタルシスがある。
ふと見ると鵜竹さんは食べ終わっていた。
そして虚空を見上げてずっと考え込んでいる。もしかしたら何か難しいことを思考しているのかもしれないが傍目には阿呆にしか見えない。
鵜竹さんはそのまま首を捻ってずっと考え込んでいたけれど、やがて、床で寝た。
私は鵜竹さんを起こさずに、自分はベッドに移動して寝た。
朝になって起きてから残りのタッパーを全部食べてもらった。もやしのナムル。ごぼうと人参のきんぴら。自家製ピクルス。大根煮物。黄身の味噌漬け。どんどん出す。鵜竹さんは思考に嵌まり込むとろくに返事はしないけれど目の前に出したものはぱくぱく食べる。これは便利。すごく良いばくばくマシーン。
食べた後は腕を引っ張りながら起こして背中を押すと首をひねりながら帰っていった。
私は謎の高揚感に満たされていた。
まだ心臓がドキドキしている。
この仕組みを上手く使えば、私はこのタッパー地獄から解放されて、作りたい時に作り放題ちょっと食べができるのだ。
私は晴れやかな気持ちで新たに空のタッパーを埋めるため、台所へと明日への一歩を踏み出した。