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煮物大作戦



 目の前にはたこわさと揚げ出し豆腐、なんこつの唐揚げと漬物。この親父くさいオーダーは俺ではなく目の前にいる会社の女先輩、籠沼かごぬまさんが選んだものだ。


 四つ上のこの先輩は入社当初から俺に仕事を教えてくれている人で、最初は割と横暴な振り回し系に感じていた。

 彼女は指示が大雑把で、何故それが必要かを省いて命令するところがあったからだ。美人だけどキツめの顔立ちも手伝って、非常に高飛車で横柄な人に感じられ、嫌っていた。


 けれども時間と共に認識は変わった。


 指示が一際大雑把に感じる時は単純に忙しい時だった。それに言われるままやっていると、そのうち何故それが今必要なのか、慣れと共に分かるようになって来る。自分が仕事のどのパーツの一端を担っているか分かるようになると俺が時間内で出来るだけの無理のない量を割り振られていたことが分かる。

 おまけにはみ出した仕事は黙ってひとりで残業してすませていたことまで分かってからは、単なる言葉足らずで不器用な人に感じられてむしろフォローしたいと頑張るようになった。


「わたし口が悪いのに、意外と尽くし系で、でも頑張って尽くしてることが気付かれないからなんか振られるんだよねぇ」


「籠沼さんの日本語が適当すぎてよく分からない」


「たとえばさぁ、わたし料理大っ嫌いなんだけどー……」


 籠沼さんはふうと息を吐いて手元のグラスのホッピーをごくりと飲み込んだ。


「でも彼氏が喜ぶから毎回頑張って作るじゃん? でも相手からしたらそんなの分かんないから、そのうち向こうは何されても当たり前と思うようになって……」


 籠沼さんは分かりにくい人なんだろう。

 忙しい中時間を作ってちょこっと会いにいっても時間が短すぎて逆に「好きじゃないから大して会いたくないんだろ」と言われる。誕生日に探し回ってあげたレアもののプレゼントは希望だったスタンダードなものとちょっとちがうと言われ結局棚の中。愛を伝えようと「好き」とマメに言うようにしたらいつも言ってるせいでいまいち信用されなくなった。


「いつも何か噛み合わないっていうか、なんとなくどことなく不遇なんだよね」


 男の方にもだいぶ問題があるように思えたけれど、言わんとしていることはなんとなく分かる。


 籠沼さんとは何回か飲んでいたけれど、男性関係の話は初めてだ。籠沼さんの同期が結婚するという話の流れで聞き出した。

 彼女は聞いてるとかなり都合のいい女なのだけれど、ぱっと見は御しにくいキャラクターで、とてもそうは見えない。その辺が不幸の始まりかもしれない。


「作りたくもないビーフストロガノフ、焼きたくもないキッシュ、食べたくもない甘ったるいガトーショコラ……わたしは人生でそんなのを沢山作ってきたわぁ……」


 どうやら彼女の本性には似合わないちょっとだけ気取った付き合いをしていたのがうかがえる。


「宮内君はどうなの?」


「俺はぼちぼちっす」


 彼女は高校で二人、大学で四人、みんななんとなく付き合って、何となく別れた。大体こっちも向こうも熱い感じではなく、タイミングと流れで自然にそうなった。

 そういえばお菓子やお弁当を作ってもらったこともあったけれど、それに対して作った人間が料理好きかとか考えたことは無かった。くれるくらいだから好きでやっているんだろうとばかり思っていた。


「なんで言わなかったんすか」


「何を?」


「料理嫌いって……無理に作ることないじゃないですか」


「付き合ってるときは好かれたいし、喜んでもらいたいし……」


 籠沼さんが俯きがちにボソボソこぼす。

 こういう可愛いことを言う時ことさら眉をしかめてつまらなそうな顔をする彼女は良く言えば照れ屋で、悪く言えば可愛げがないのかもしれない。だが、そんなところが良い。


「籠沼さんの好物ってなんですか」


「煮物……でも作るのはぜーんぜん好きじゃないけどね」


「籠沼さん、俺んちの煮物が美味いんですよ」


「へぇ」


「むちゃくちゃ美味いんです。今度食べません?」


「え、キミ実家住みだっけ」


「いや、一人暮らしですけど、俺が作れますんで」


「お、ありがとう。会社に持って来てくれるの?」


「……それもいいですけど、できたてがいいんで、ウチに来ません?」


「お? おー、いいよお」


 家に帰って実家に電話をかけた。


「あ、母ちゃん? 煮物の作り方聞きたいんだけど……え? いやちょっと健康に気を使おうかと……」


 母はいくらか怪訝そうではあるものの嬉しそうに教えてくれた。実家の煮物が美味いのは本当。しかし俺が作れるのは嘘。でもまぁ料理は嫌いじゃないし、自炊だってしている。聞けば作れるだろう。





 金曜の朝満を持して誘いに行った。


「今日、どうっすか?」


「え、今日?」


「ハイ! 金曜ですしビールでも買ってついでにうちでゆっくり飲みましょうよ」


 先輩の反応を固唾を飲んで見守った。

 断られる可能性は高い。しかし、だからこそ何度も店で飲んで実績をつんできた。頼むよ。一緒に飲むなんてよくあることじゃないですかー。めっちゃ掃除して来たんすから。


 お互い大人だから多少警戒されるのは当然だ。というかまるで警戒されないのもちょっと問題ある。さて、どう出るか……。


 籠沼さんは考えていたけれど、やがて、苦笑いして「わかった」と頷いた。よっしゃ!


「ちょっと遅くなりそうだったんだけど、宮内君が手伝ってくれるなら、もうちょい早くなるかな……」


「もちろんです!」


 張り切って仕事を進め、定時には頼まれていた追加分も終えて「お疲れ様です!」と迎えに行った俺を見て籠沼さんが目を丸くした。


「宮内君、いつもそんなに仕事早かったっけ?」


「ええっーと、まぁ、今日は調子良くて……行きましょう!」


 籠沼さんが怪しげなものを見るかのように目を細めた。やべえ。がっつきすぎたか。


「ウオォー腹減ったー!」


 脇で仕事を終えた同期の大村が突然巨体から巨大な呻きをもらす。


「あ、大村君も誘う?」


「んがッ! 彼は今満腹っすから!」


「え、でも……いま」


「あ、いや……そうじゃなくて……コイツ減量中っすから!」


「何? 美味しいものがあるなら、ボクはどこまでも行くよおー」


 ぐるんと椅子を回してのたまった大村の肩をがしっと掴んでトイレに引きずった。


「大村、お前は今日満腹だ。分かったな?」


「いやボク今なんなら宮内君の顔をひとくちで食べれるくらいに空腹だけどお?」


「……くッ」


「なにナニなに〜? ボクに内緒で何か美味しいの食べる気〜? そんなの許されないよお?」


 そのでかい口におにぎりをぎゅうぎゅうに詰めて塞いでしまいたい。


「俺は今日籠沼さんと二人で、食いたいの」


「ぼかぁ二人でも三人でもなんでも食べたいよお?」


 どこまで分かっているのか細い目をさらに細めて愚鈍な口調で食い下がる。


「お、お前……ほんとに一緒に来る気かよ……?」


「食えるなら行くヨ!」


 本当なら一発殴って床に沈めてしまいたいが、この体格差で俺が勝てるよしもない。今夜の野望はついえた。


 小さく震える俺に大村がにかっと笑った。


「冗談だよお……牛丼三杯とラーメンニ杯で見逃してあげる。ボク少食だから」


「あ、ありがとう! ありがとう! お前は優しい巨人だ!」


 何杯でも食え!

 食いしんぼう巨人に礼を言い、会社を出た。





「わー、いただきます」


 籠沼さんがビールを開けて、箸を手に取る。


 俺も大根を取って口に運んだ。

 ほくほくしているそれは出汁がきちんとしみていて、口の中で柔らかく解ける。我ながらそこそこ良く出来た。


 鶏肉も柔らかい。油揚げは噛むとじわっと味が広がる。しゃきしゃきしたさやえんどうは食感のアクセント。それからちくわ。にんじん。コンニャク。口に放り込んでビールを喉に流し込む。ビールとも合う。


 スタンダードなものかどうかは知らないけれど、実家のはこんなだった。自分で作った癖にちょっと懐かしくなる。慣れた味に箸が進む。


「本当に美味しい」


 籠沼さんが凄まじく可愛い笑顔で言った。母ちゃんサンキュー。


 酒でさらに表情がほぐれた時を見計らって言った。


「あの、泊まっていきませんか?」


「……なんで?」


 籠沼さんの目が細められ何故かしかられてるような気分になる。


「……前から好きだったんです」


「まぁ……なんとなく今日分かったけど……」


 溜息まじりに彼女がこぼす。散々隠して近付いてはきたものの、ここに来て家に連れ込むまであと一歩となり、だいぶ鼻息荒くなっていた自覚はある。特に帰り際のあれなんて社会人とは思えないレベルでバレバレだろう。


「うーん……どうしよっかな」


 籠沼さんがにんじんを口に放り込み味わうように目を閉じる。


「とりあえずもう少し飲もっか」


「はい!」


 これが良くなかった。

 俺は酒に弱く、籠沼さんはザル。気が付いたら彼女の膝で寝ていた。


 半覚醒で薄く目を開けると彼女が「おつかれさま」と言って頭を撫でて笑うから、そのまま気持ち良くてまた睡魔に飲まれてしまった。


 煮物作戦、半分失敗。




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