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無限うどん



 俺の初めての彼女はハズレだった。

 失礼なことを言っているのは分かっている。でも、そう言いたくなるくらいに散々だった。


 出会いは大学のサークル。男子が圧倒的に多いそこで、彼女は紅一点でそこそこ可愛くて目立っていた。


 そこそこ可愛いのだから自分なんかには無理だろうと思っていたら、夏季休暇にデートに誘われた。今思えばデートだったのかは怪しいけれど、とりあえずふたりで買い物に出かけた。夕飯を食べて、向こうから手を繋がれて、調子に乗ってキスをしたけれど嫌がられなかった。こんなにチョロくていいんだろうかと心配になるくらい全て上手く行って、浮かれていた。


 夏休み明けにサークルに顔を出すと友人が妙に浮かれていて、どうしたと声をかけると彼女が出来たと言う。お前も? 実は俺も! なんて言って盛り上がって飯を食いに行った先で相手が同一であることを知り、打ちひしがれる。文句を言う為に電話をかけると今忙しいと切られてしまう。


 気がついたら彼女はサークルを辞めていた。


 そこで終わるかと思いきや忘れた頃にその女から電話がかかって来て「会いたい」と言われた。そこで「そうかよじゃあな」と一刀両断に出来るくらいならこんなモテない人生を送ってはいない。根暗、ヲタ、陰キャ、さまざまな称号を手にしている俺はムカつきつつも、とりあえず会うだけと会って、なんだかんだと話を聞くうちにほだされて、しょっちゅう呼び出されるようになった。


 呼び出されても、お腹が痛くなったとか言って帰されることもあった。ドタキャン、遅刻、すっぽかしも多い。でも、毎回じゃない。可愛く甘えてくる日もあった。呼び出されて泣かれて「父親に愛されなかった」とか打ち明けられて「あなたなら分かってくれると思った」と言われて、他の女の子とちょっと話すだけで嫉妬なんてされて泣かれて、そういう日を繰り返すうちに、こんな駄目な子を分かってあげられるのは俺だけだと思うようになった。

 

 しかし、ある日ふっつりと連絡が無くなった。


 同じ大学内で、別の男と歩いているのを見たのは数日後。俺に勝るとも劣らない冴えない男だった。ちらりとそちらを見るとそいつの陰に隠れるようにされて、ヒソヒソ言ってるのが見えた。「あの人勘違いしちゃって、しつこくて困っている」みたいなことを遠回しな表現で言ってるんだろう。俺が聞いてたことだから、分かる。


 それを見たらスッと憑き物が落ちたようになって、解放された。文字通り憑き物みたいな女だった。





「うわぉ〜、それすっごい典型的なやつじゃん」


「そうだよ……」


「おひょう〜」


 あれから時は流れて俺は就職した。

 目の前で愉快な擬音で笑っているのは会社の同期の野川夕実だ。


 ボサボサの梳いてない髪、ダサい眼鏡。ヲタ臭いしゃべり方。胸はでかいけれど、かつて飲み会のノリとかそんなもので彼女に触れようとした奴は物凄い剣幕で糾弾された。


 初めて会った時、なんてモテなそうな女だと思った。

 向こうもそう思ったらしく、俺たちは意気投合した。


「野川さんはどうなの」


「彼氏? いたことないですよ?」


「……そうですか」


「二次元になら……」


「あ、いい。俺いま濃ゆい話聞きたくない」


 何故なら俺は風邪で寝込んでいた。どうしても確認してもらいたいデータがあると言って部屋に乗り込んで来たこの女が唐突に大学時代の悪夢みたいな恋愛を言わせるものだから微熱に下がっていたのにまた悪化しそうだ。


 しかし、回復はして来ている。昨日までは感じなかった食欲がわいてきた。


「腹減ったな……」


 半身を起こして野川の顔を見た。


「野川さん」


「な、なんだね?」


 野川が身を乗り出し目を瞬かせて何か不思議な表情をした。


「ちょっとどいて」


「は?」


 キッチンに行く為に野川をどけて立ち上がる。


「俺飯食べるけど、野川さんもなんか食べる?」


「……風邪ひいてるんでしょ? 寝てれば?」


「寝てて飯が出てくる環境じゃないし」


 冷蔵庫を開けてガサガサやっていると野川が追いかけて来て、寝てろ寝てろとうるさい。


「わ、私、料理得意なんだよね……!」


「へぇ、人間取り柄のひとつやふたつあるっていうけど……なんもねぇなぁ」


 後半は我が家の冷蔵庫に対してである。ろくに買い物にも行けてなかったから仕方ないけれど。


「つ、ついでだから、作ってあげようか?」


「え、でもひとんちの台所って作りにくくない?」


「うん……。いや! 大丈夫だから! とりあえず河瀬君は寝てて」


 いやに作りたがる。そんなに料理自慢をしたいのだろうか。普段お互いさまだと思って馬鹿にした態度をとり過ぎていたかもしれない。


 果たして野川が買い出しに行き、出て来たのはコンビニのアルミ容器に入った鍋焼きうどんだった。これは確かあっためるだけで楽チン手軽に具入りのおうどんが食べられる。


「野川さん、さっき料理得意って言った?」


「そんなこと言ってないよ」


「え? 言ってたような」


「言ってない。食べて」


 テーブルの目の前で野川も何故か同じものを前にしていた。


 野川は姿勢良く、手を合わせて「いただきます」と小声で言うと箸を持った。


 野川は唇を小さく尖らせうどんを持ち上げ、ふぅっと息を吹いた。眼鏡が真っ白になったので結局その麺をスープの海に戻す。それから眼鏡を外して横に置いた。意外と目がでかい。


 白くて柔らかなうどんの麺が野川の唇につるつると吸い込まれていく。野川の肌はうどんと同じくらい白く、唇は赤い。それから空になった口をあけてはぁ、と湯気のような溜息を吐いた。

 それからまたうどんを、規則正しいような仕草で少量持ち上げて口に入れる。

 頬を膨らませてもぐもぐしている様は少し幼い。見られていることに気付くと口元を片手で軽く押さえた。


 てっきり「なに見てやがる」と言われると思っていたので反応にちょっと戸惑う。


 鍋焼きうどんにはやたらと具が乗っていた。ほうれん草とか、やけにちゃんとしたかまぼことか、こんなの売ってたっけ。特に最近の鍋焼きうどん事情に詳しい訳でもないけれど。ぼんやり思う。


 うどんのツユは優しくて甘い。焼肉やピザやラーメンと比べると暴力性が無い。弱った胃にじんわり染みる。


「ごちそうさん。もう寝ていい?」


「……そうしなされ」


 どこか不貞腐れた声が帰って来て、まどろみに飲まれる。


 風邪の時は嫌な夢を見る。

 唯一の元カノが「一緒に死んで」とか言って首を締めて来た時のこととか。今思い出しても首を絞めて俺を殺した後、自分がどうやって死ぬかの算段が無さ過ぎて信用できない。せめて毒とか入水とかさぁ。結局俺が苦しいだけだった。


 でもその日は野川がうどんを食べている夢を見た。つるつるつると口に、どこまでも無限に入っていくさまを見て俺は笑った。

 そういえばうどんだけじゃなくて、野川もいつもと何かちがった。ほうれん草やかまぼこみたいに、いつもより何か余分に多かった気がする。たとえば睫毛とか。唇の赤い色とか。ぼうっとしてたからよくわからないけど。


 起きたらおにぎりが置いてあった。横に塩昆布で和えた胡瓜も。だいぶいびつなかたちだったのでやはり得意と言うのは空耳だったのだろう。


 皿のすぐ隣に裏返したレシートが置いてあったので買い物の値段を確認する。後で払えと言うことだろう。裏に乱雑な殴り書きで何か書いてある。解読しても「女」「子」「さ」「ー」としか読めない。なんのこっちゃ。とりあえず財布にしまう。


 野川、地は悪くないんだから眼鏡取って髪梳けばいいのに、そしたらモテそうだ。胸もでかいし。でもあいつガード固いからな。


 人のことは言ってられない。苦い恋愛経験のあとすっかり臆病になってもう何年も恋なんてしていない。このままじゃ感覚が鈍くなってしまいそうだ。ていうか最近もう思い出せない。恋愛ってどんなだっけ。


 ああ、俺このままじゃ結婚とかも出来ないんだろうなぁ……。





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