深夜のラーメン
夜中に空腹を覚えて家を抜け出す。
二十二時過ぎていたけれど、コンビニは家から五分。とはいえ親に見つかるといい顔はされなそうなのでそっと足音を立てずに。財布には軍資金が千円。
外に出ると生ぬるい夏の夜の風が吹いていた。台風が近いのかもしれない。
コンビニの前まで来て知った顔が中で立ち読みをしているのを発見してなんだかホッとする。
多島隼人だ。夏休みに入って久しぶりに見たクラスメイトの顔にちょっと懐かしいような、不思議な感覚。
店に入って後ろから足元を軽く蹴る。
「おわ! なんだよ! 宇野かよ!」
やたらとでかい図体はびくともしなかったけれど、いささかオーバーリアクションにも思える声が返って来て満足を覚える。
「何やってんの」
「眠れなくて、走ってたんだよ。その帰り」
高校二年生。多島は確かしごきがキツいので有名なサッカー部に入っていたはずだけれど、常に体力がありあまっているらしい。
「宇野は、何やってんの」
「お腹減って」
「はぁー、女子高生、いつも腹空かせてんだな……でも夜中に飯なんて食ったら……」
言いながら私の身体を上から眺めるのでもう一度、思い切り蹴飛ばした。
「いてぇ!」
びくともしなかったくせにリアクションだけは大きい。
「何食うの」
「んー……インスタントラーメン!」
「そりゃまた……」
太りそうなものを、と続けたかったのかもしれないがひと睨みしたら黙った。
袋ラーメンのコーナーに行くとついてきた。
「何にすんの? 塩? 醤油?」
「どうしよっかな……」
棚の一番下に並べてあるラーメンをしゃがみ込んで吟味するけれど、どれもぴんと来ない。
「おい、家に葱と卵あるかちゃんと確認して来たか?」
「してない……」
酷く深刻な口調で謎の心配をされて横目で多島を見る。溜息を吐かれておいおい、マジかよ、みたいなオーバーリアクションをされる。そこまで呆れられるようなことをしたろうか。
「なぁ『ふじみ』行こうぜ」
「えっ」
『ふじみ』はここから五分ほど歩いたところにあるラーメン屋だ。あそこは確か遅くまでやっているので今からでも食べれるだろう。
「行こうって、多島も食べるの?」
「まぁ、見てるだけってのもあれだしな」
「どうする?」と聞かれて「行く!」と勢いよく返事をした。
「やったぁ!」
女子高生として、さすがに夜にひとりでラーメン屋になんて入れるほど神経が太くはない。でも体育会系大食い男子のコイツがいれば入れる。家でインスタントラーメンを食べるより魅力的だ。
ふたりで連れ立って『ふじみ』まで来た。
店内はカウンターのみの食券式。私はスタンダードな『ふじみらーめん』を押して椅子に座った。遅れて大盛りの券を持った多島が隣に座る。
「なぁ、宿題、やった?」
「うん」
「……お前成績だけはいいもんな」
「だけってなに」
ムッとして睨むと笑う。でも、そういう多島も、スポーツ馬鹿のわりにはそこそこ悪くなかったはずだ。
ラーメンは豚骨醤油。もやしとチャーシューと味玉が半分入っている。
れんげでスープをすくって口に入れる。ひとくち飲んだだけで身体に悪そうな塩分と油がたまらない。身体がこれを求めていた。
箸を持って麺を持ち上げる。ふぅ、ふぅと息をかけてから口に入れる。空腹とラーメン欲が満たされていく。ラーメン欲はラーメンでしか埋められない。アイスでも彼氏でも現金でもきっと埋められない。
まぁ、現金はほとんど持ってないし彼氏もいないけど、それは置いといて。
麺の合間にもやし、しゃくしゃくして麺に飽きそうになった舌がリセットされる。
それから味玉。こんがりした綺麗な色が食欲をそそる。口に入れると黄身が柔らかく溶けた。そこにすかさずスープ。
チャーシューを少し齧って、ソロで楽しんだ後に今度は麺と一緒に。
麺、麺、スープ、もやし、麺、チャーシュー、麺、スープ、味玉。ローテーションしながら夢中になって食べた。隣から視線を感じる。
「なに見てるの?」
「……うまそうに食べるなと思って」
多島は笑ってから豪快に丼を持ち上げてスープを飲み干した。
私もスープに麺が見えなくなってきた。れんげで掬って飲む。それから口を洗うために水。最後にもうひとくちスープ。水。もうひとくちスープ……水。スープが美味しいのか、その後の水が美味しいのか。謎に迫っているうちに水がなくなった。
店を出ると食べた後のせいか涼しく感じられた。
「美味しかったー」
「帰るか。送る」
多島が伸びをしてから手を伸ばしたので、なんとなくそれを取った。
数歩無言で進んでから気づく。何かおかしい。
あ、今、手を伸ばしたの、そういうんじゃなかったよな。あれはなんというか、「こっち」くらいの誘導するような、そんな感じのなんでもない動きだった。なんで私普通に繋いじゃったんだ……。恥ずかしいな。
多島の方を見ると上を見て口を引き結んでいた。歩き方、微妙に不自然……。
それでも手を繋いだまま夜の道をテクテク歩く。
なんだか嬉しくなってきた。
緩く繋いだ手にきゅっと力を入れてみる。
顔を見るけど多島の反応はない。
その数秒後、同じようにぎゅっと握り返された。
「あー、なんていうか……」
「……うん」
「美味かったな」
「うん……」
「また、行く?」
「うん」
夜中にコンビニに行ったら彼氏ができたこの日は、後々の色々を考えると歴史的な日であった。