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八月のしるこ同盟


 高校三年生の夏が始まった。

 生命力が削られる灼熱の暑さに、少しの外出にも臆してしまう今日このごろ。海に山に街になんて予定は、はなからなかったけれど、必要外出である予備校に行くのも暑くてたまらない。


 それでも行かないわけにはならない。

 だって受験生だから。わたしは夏休みに入ってからも、なんだかんだでほぼ毎日予備校に通っていた。


 予備校を出て、繁華街に繋がっている太い通りに入ると、すぐに大きな駅へたどり着く。

 わたしの利用する駅はそこではない。そちらには行かず、細い脇道に入り、この先人なんて住んでないよ、森しかないんじゃないの? みたいな道を抜けたところにある、おそろしく小さく、悲しいくらい寂れた駅だ。


 予備校から駅まではそこそこの道のりがあり、わたしは暑さにくたびれていた。


 この寂れたオンボロ駅は、本当に近くにお店が何ひとつない。

 二つしかない改札の近くに、たったひとつだけ自動販売機があるのみであった。


 駅に着いたら自販機で冷たい飲み物を買おう。

 その一心で、がんばって歩いてきた。

 脳内でひんやりしたペットボトルを頬に当てる想像なんかをしつつ、自分の気持ちを盛り上げた。

 わたしは一刻も早く、このカラカラの喉を潤し、火照り切った肉体に小さな安らぎを与えたい。

 そんなわけで、駅についたわたしは自動販売機の前に直行した。

 種類もまったく豊富じゃないが、冷えた水分でさえあれば贅沢は言わない。

 わたしはどこか切羽詰まった気持ちでお金を入れて、冷たい麦茶のボタンを力強く押した。


 ───ガコン。


 それなのに、出てきたのは温かいおしるこだった……。


 しるこ。

 ぶっとい毛筆体でデカデカと『甘〜いしるこ』と書かれている。

 缶の見た目からして暑苦しいし、味を想像しただけで額から汗が噴き出るし、実際手の中のそれは持っているだけでホッカイロより熱く感じられた。


 じわり、涙がこみあげた。胸にとほうもない悲しみが襲ってくる。

 一体、わたしが何をしたというのだ……。

 怒りもこみあげる。このクソ暑いのに、こんなものはラインナップ自体から間引いてくれないだろうか。


 わたしがおしるこの缶を持ったまま呆然と振り返ると、我が高校の生徒会長の剣持けんもちがそこに立っていた。


 彼も同じ沿線、同じ予備校に通う仲間だ。

 右手にしるこの缶を持っている。

 一目見て状況を察した。


「剣持! 知ってたなら、教えてくれてもよかったのに……!」


 剣持は手のひらを前に出し、落ち着けというように制止を促す。


「俺は冷たいサイダーを買おうとしたんだ……。しかし、あまりの暑さでぼうっとしてたから、押し間違えたか……何かの間違いかもしれないと思ってな。でも今わかった。この自販機は今、確実にしるこ排出機となっている」


 黒縁眼鏡のつるをクイ、と持ち上げた剣持は、しるこを片手に冷静な顔で、どことなく冷静さを欠いたコメントをよこした。


「はぁー、あっちーあっちぃ、あっちっちー」


 そこへクラスメイトの須田すだが来た。

 彼も数少ない同じ予備校、同じ沿線仲間だ。


 彼はわたしと剣持を一瞬だけ横目に留めたが、そのまま自動販売機に直進した。


 須田は基本的に陽気なやつだ。ポケットから財布を取り出し、鼻歌まじりにチャリンチャリンと、コインを投入していく。

 口ずさんでいるのはよくスーパーでかかっている『呼び込み君』のテーマだ。


 わたしはなんとなく、自分のおしるこの缶を後ろ手にすっと隠し、素知らぬ顔をして固唾を呑んで見守る。


 ───ガコン。


「…………うおッ! なんでしるこなんだよー!!」


 元気のいい嘆きが聞こえてきた。

 わたしと剣持は黙っていい笑顔を見合わせ、頷いた。


「ッが……そこ二人!! てめぇら! しるこッ! しるこ持ってんじゃねえかよっ! 知ってたんなら、なんで先に……!」


「この暑いのに……るっさいわねぇ」


 そこに、低くけだるげな声がして、クラスメイトの神楽坂かぐらざか愛菜あいなが来た。

 愛ちんは普段からバッチリメイクのギャルだが、今日は暑さにやられたのか、汗だくですっぴんに近い印象だった。大きな胸をユサユサ揺らしながら自販機の前まで来て、くたびれた息をもらす。


 愛ちんが自動販売機にお金を投入した。

 いけない。さっきはつい見守ってしまったが、さすがに今度こそ教えてあげなくては。


「あ、愛ちん……それ! ……ムグッ」


 制止の言葉を言いかけたところで、背後の須田に取り押さえられた。


「いいんだ。いいんだよ……こんなとき言葉は無力だ。……必要ないんだ」


 須田は笑顔のまま、ポエミーな語り口でボソボソと言い、依然わたしの口元に雑に腕をまわし、言葉を塞いでいる。

 急いで振りほどき、口を開こうとしたが、時すでに遅し。


 ───ガコン。


「ンなによこれェっー! おっしるこじゃないのよぉォー!! 超あっついしぃっ!!」


 予想通りのかん高い叫び声が聞こえ、なぜかわたしの背後で須田が小さくガッツポーズをした。


 かくして、温かいおしるこを持った高校生男女が四人、そこに揃った。繰り返すが店は近くに一軒もない。自動販売機だって、これひとつしかない。おそらく全員、喉はカラカラだ。


 剣持が重々しく口を開く。


「こうなったらやることはひとつだな」


「うん」と言いながら、わたしはきゃぽ、とプルタブを開けた。


「いやちょっと待て山添やまぞえ! なんでそんなもん開けてるんだよ!」


 須田がドン引いた声をあげる。


「え、飲むんじゃないの……?」

「えぇ……飲むのかよ」

「いやだって……わたし、もうなんでもいいから水分取らないと倒れちゃうよ……」


 わたしはもう泥水でも啜りたい。


「待て。早まるな!」


 真面目くさった顔の剣持に止められたが、すでに温かいを超えて熱いしるこが、わたしの口に入っていた。

 強い陽射しの下、ドロドロした黒い液体が喉をつたい、脳天を強烈な甘味がツーンと突き抜けていく。


「どうだ……山添」

「くっ、くち……口のなかが……ぜんぜんさっぱりしなくて……余計に喉が……ビェェ」


 半ベソで感想を述べたわたしに剣持が「そうか……やはり」とだけ言って重々しく頷いた。


「でも、熱中症になっちゃうかもしれないから、みんなも飲むべきじゃない?」


 ひとりだけ飲んだのが悔しくて、そう提案するが、剣持も須田も嫌そうな顔をした。

 少し離れたところで長い脚を組んで座っていた愛ちんが口を開く。


「アタシはこんなとこでこんなものを飲むくらいなら、飲まずに死ぬわ」


 こちらを見てはっきりと言い放つ。わたしと目が合うと、ニヤリと不敵に笑ってみせた。


「アタシは妥協を知らない女よ」

「……愛ちん、さすがぁ!」


 小さく賞賛を送るわたしの背後で、須田が水を差すように口を挟む。


「ケッ、カッコつけてよぉ……。飲まなきゃ死ぬなら飲むくせによ……」


 須田はわざわざ言わんでもいいことを積極的に言うタイプだ。しかし、愛ちんは顔色ひとつ変えない。


「ううん。アタシは今死ぬとしてもこんなつまらないものは絶対飲まないし、同じように、無人島で二人きりになったとしても須田とは絶対付き合わない」


 キリッとした顔でキッパリと言い放つ。小さく拍手を送った。さすが。妥協を知らない女だ。


「ん? ……同じようにってどういうことだよ! 俺と真夏のホットしるこの関連性は……?」


 暑さにくたびれていたため、誰も答えない。


「とりあえず、駅員に自動販売機の故障を伝えよう」


 剣持がそう言い、ひとりだけいる初老の駅員に知らせると見にきてくれた。


 駅員は「ん〜? んん〜?」と言いながらぺたぺた自販機を触り出した。ひとしきり触り終わると頷く。


「ふんム〜、暑さで、故障しちったんだかにャ?」


 今の動きで、一体何がわかるというのだ……。

 おそらく全員が思ったが、黙っていた。

 喉が渇き、暑さに疲れ果てていたのだ。


 駅員は「修理を頼んでおくにょ」と言い残して涼しい場所へ急ぐように戻っていった。


 電車が来るまでまだ四十分もある。

 陽は傾いてきてはいるが、依然暴力的に力強く照りつけている。


「あっ、俺、思い出した!」


 須田が声をあげ、鞄からペットボトルを取り出した。

 もとは冷たい炭酸水……だったのだろう。しかしおそらく今はもうただのぬるい水だ。それも半分くらいしか残っていない。


 それでも、熱々のしるこよりはいくらかマシかもしれない。


 剣持とわたしは知らず、少し物欲しそうな顔でそのぬるい水を見つめた。


「ふへへ。いいだろぉ」


 得意げな笑みを浮かべながら須田がぬるい水を誇らしげにかかげてみせる。


 ふと見ると愛ちんが倒れていた。


「神楽坂!」

「愛ちん! 大丈夫?!」


 剣持と一緒に駆け寄る。


「大丈夫……暑くて……立ちくらみしただけ……」

「水分取ったほうがいいよ! はいこれ! しるこ!」


 愛ちんは口を引き結び、頑なに首を横に振る。しまった。愛ちんは妥協を知らない女だった。


「……そこまでしるこが嫌なら仕方ない。おい、須田」

「えっ」

「緊急事態だ。その水をよこせ」


 須田のリアクションより前に愛ちんが叫んだ。


「……ッ、いやよ……! そんなもの……ぜっったいに口をつけたくない……っ」


 そう言い残して、愛ちんがガクッと目を閉じた。


「愛ちーん!!」

「俺に任せろ!」

「えっ」

「緊急事態だ。やむをえん!」


 叫んだ須田が勢いよく水をあおり、愛ちんのもとに駆け寄った。


 どんぐりを含んだリスのように、頬袋をパンパンに膨らませた須田が彼女の顎元に指をかける。


 ふたりの顔が近づいていく。


 唇が、重なる……その一瞬手前。


 愛ちんの目がカッと見開いた。

 あまりの嫌悪感からか、愛ちんが覚醒して須田の顎を目掛け、綺麗なアッパーカットが炸裂した。


 須田の膨らんだ頬袋から噴射した水は、終わりかけの夏の空に小さな虹を作った。






 三月初旬。

 わたしと愛ちん、剣持と須田は揃って寂れた小さい駅にいた。予備校に合格の報告と挨拶に行った帰り、偶然揃ってしまったのだ。

 あの日とは打って変わって、空気はきんと冷え、はらはらと小さな雪粒が舞っていた。


「全員合格おめでとー!」

「ここに四人揃ってると思い出すわねぇ」


 あの日は結局再び駅員を呼び、全員涼しい場所に入れてもらい、駅員が備蓄していた塩飴と、ポカリスエットなどを飲みながら電車を待った。

 その後無事に自販機も直ったし、夏の日の悪夢の1ページとして、よい思い出になっていた。


 ───ガコン


 自販機のほうから音がして、そちらを見ると、愛ちんがおしるこを買っていた。


「あれ、愛ちん、おしるこ嫌いなのかと思ってた……」


 たしか「つまらないもの」とか言って散々罵倒していた。


「嫌いとかじゃなくてぇ……コレは真夏に押し付けられて無理に飲むもんじゃないっしょ? アタシだって……こういうさむーい冬の日に飲むなら…………結構好きだし」


「あぁ……だから……」


 あれほど嫌がっていたのに、愛ちんはなぜか現在、須田と付き合っている。一体どういうことなのかと、ずっと不思議に思っていたが、それも、似たような何かなのかもしれない。


 ふと見ると須田が自販機にお金を入れている。


 ───ガコン。


 須田がしるこを買った。そうしてわたしを見る。わたしは頷いて自販機に向かい、しるこのボタンを押した。


 誰しも能力を発揮できる場所とできない場所がある。


 あの日、あんなに嫌がられたしるこだったけれど、寒い日にはちゃんと愛されるのだ。その日がやっと来たということなのだろう。


 手にしるこの缶を持った三人に見られて、剣持も静かに自販機に向かい、硬貨を入れた。


 そして


 ───ガコン


 サイダーを買った。


「なんでよ!」

「ねぇ、しるこは!?」

「そこはしるこだろうがよ!」


 複数の突っ込みをものともせず、剣持は真顔で言い放った。


「俺は……冬でも冷たいサイダーが好きだ」






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