食いしん坊大作戦
煮物大作戦、宮内同僚パワー系大村の彼女との馴れ初め小話
また、全部食べれなかった。
私は大学に入り一人暮らしをしていたけれど、四日連続で夕飯を外食し、四回連続で完食ならずだった。一日目のラーメンはともかく、二日目のハンバーガーセット、三日目の牛丼、四日目のお弁当も半分も食べれなかった。
おいしかった。でも食べれない。
お店の人に悪いと思ってしまうし、日本人の倫理観として、残すのには罪悪感もある。
もっと食べたい気持ちはあった。でも食べたらあとで苦しむことになる。それは経験則から確実なのだ。
私は昔から食が細く、胃弱だった。
レストランで食事をしてもひとり分を食べきれない。デザートのころには満腹で、空腹時ならおいしい甘味がすっかりと気持ち悪く感じられる。
だからといって、食に興味がないわけではなかった。
むしろ私は一般的な女性よりは、食に関心が高かった。食べれない分グルメ番組、ドラマ、映画はよく見ていたし、そこまで作りもしないのに料理本を買い揃え、レシピサイトを巡回していた。料理系番組では、調理シーンは少しでいい。人が食べるのを観てるタイプのものがお気に入りだった。
私が大村先輩と初めて会ったのは、サークルの飲み会。二時間食べ放題の時間。
大村先輩はジャンル分けするなら、ずんぐりした巨体の怪物系の人だった。彼はなんでもばくばく美味しそうに食べる人だった。
見知らぬ先輩の話を上の空で聞きながら、私の目は大村さんに釘付けだった。
彼は正面にいた男性とおしゃべりをしていたが、間断なく食べ続けていた。大きな口で唐揚げをぱくり。唇についた油をぺろりとひと舐めしてまたぱくり。ポップコーンかなにかのように軽く食べていく。
大村さんの口は宇宙だ。
食物は彼が手に取ると、ぱくんと軽い感じに消えていく。
私は自分の目の前にあったお皿から、彼が食べているのと同じ唐揚げを箸でとってみた。
思ったよりひとつが大きかった。そっと口を近づける。
こんがり揚がった焦茶色の唐揚げ。
まだ衣が少し温かいそれを噛みちぎるとあぶらがじゅっとはみ出た。すかさずビールで流し込む。あっという間に食べてしまった。
おいしかったけれど、肉はボリューミーで、ひとつ食べたら満腹になってしまった。
そっと、大村さんに視線を戻す。まだ食べていた。
まるっこいチーズ芋もちをぱくん、ぱくんと気軽な感じにひとくちで食べていた。枝豆。合間にちょこっとビール。ジャンボメンチカツ。白子ポン酢。お刺身。焼き鳥盛り合わせ。それからサラダは小皿には取らず、最初から自分だけの分として頼んで、むしゃむしゃと綺麗に食べてしまう。なんて気持ちがいいんだろう。
私……この人のこと、ずっと見ていたい。
大村さんの前にいた人がどこかに移動したので、すぐに前に移動した。私に気がついた大村さんは一秒だけ、蛸唐を拾っていた箸をとめたけれど、すぐにそれをぱくんと食べだした。
噛まずに飲み込んでいるかんじではない。咀嚼も早い。歯も顎も強そうだ。
「あのっ」
「うん、どうしたの〜?」
「見ていてもいいですか」
大村さんは少し怪訝そうにしながらも、お皿からモツ煮込をひょいひょい口に移動して頷いた。私は両手で頬杖をついて、完全に観戦の体勢に入っていた。
「たくさん食べますね」
「え、今日はおさえめにしてるほうだよぉ」
にっこり笑って言う大村さんの笑顔は可愛かった。
素敵すぎる。
こんなに食べているのに、ぜんぜん苦しそうじゃない。好き嫌いがないのもいい。
それに、経験値が高いせいなのか、箸使いがうまく、結構な量を豪快に口に入れる。残さず綺麗にたべるのもいい。なにより口に入れたときの表情。ちゃんと味わってる。すごいスピードなのに、おいしくて幸せだと顔に書いてある。
こんな人と、毎食を共にできたら毎日が素敵だろうなあと思う。
そう思いながら、うっとりと彼を見つめていた。
「あのぉ、何かボクに用でもあった?」
大村さんは見た目のまんま、若干愚鈍そうな喋り方をする。その感じさえも、私には余裕のある振る舞いに見えていた。
「あぁ……ずっと、見ていたいです……」
「えっ……そお?」
びっくりしたのかしてないのか、わかりにくい顔で、大村さんは餅ベーコンの串を口に入れた。なんておいしそうなんだろう。
私は結局、追加注文をして彼の前に置き、それを食べるのを時間中ずっと見ていた。
「今度、私とごはんを食べに行きませんか」
「……うん、いいけど」
私はその日から大村さんにつきまとい、苛烈に好意をぶつけた。そうして近づいてみると、うすのろっぽいキャラは人を威圧しないためにやっているのがわかった。それでいて彼自身の警戒心はわりと強く、最初はのらりくらりとかわされて、なかなか警戒を解いてもらえなかった。
しかし、最終的には私のしつこさにほだされ無事彼女の座におさまることができた。
卒業して就職してからもずっとその付き合いは続いた。
*
私は仕事で出張に出ていて、彼とひと月ほど会えない日々が続いていた。
彼と会えないと、私の日々はとたんにくすむ。
私の人生の一番の楽しみは食事だった。
彼がいないと、食事がすぐに終わってしまう。本当につまらない。
衣食住だとか、三大欲求だとか、人にまつわるものには必ず食事がある。生き物として、社会生物として、私は最高の彼氏を捕まえていた。
一刻も早く会いたくて、彼の終業時間に合わせて会社の前に直接行って、待っていた。やがて、エントランスから出てくる彼が見えた。
「だーから、大村。お前にそんな可愛い彼女いるわけないんだって、妄想も大概にしろよ……早く謝っちまえって。本当はいないんだろ」
「宮内くん、そんなこと言って〜もしかして悔しくてたまらない? 彼女に張り合ったりしたらダメだよお……」
「だからなんで俺がお前の彼女のほうに張り合うんだよ! 俺はどんだけお前のことが好きなんだよ!」
男性の同僚と話しながら出てきた大村さんに駆け寄って声をかける。
「大地さん! 大地さーん! きゃあ! 会いたかったです!」
「あ、ちまちゃん! ここまで来たの? 待っててくれたら行ったのに。夜にひとりでフラフラ出歩いちゃダメだよ〜」
「待てませんでした」
大村さんだ。大村さんだ。会いたかった!
久しぶりの再会にハイタッチを決めて喜ぶ。
「宮内くん、これボクの可愛い可愛い可愛い彼女の土屋千真ちゃん。触らないでね〜」
「いや普通に初対面の女性に触れようとは思わないけど……目だけマジなのやめろよ」
ずいぶん仲の良い同僚のようだ。
彼はこうみえてわりと警戒心が強いので、普通に私を紹介するあたり、かなり気に入っているのだろう。少し悔しい。
「土屋です」
ぺこりと頭を下げて言うと、同僚の人は衝撃を受けた顔で後ずさった。その人に向かって聞いた。
「あの、大地さんは会社で仲のいい女性とかいるでしょうか」
「……え、うーん、ごめん。あんまそこに興味がなくて……知らない」
「大地さん格好いいしモテるし、食いしん坊だから、おいしいごはんにつられて女の人についていっちゃいそうで心配なんです!」
「食いしん坊はともかく……」
「本当なんですよ! 今までだって、大地さんに近寄る女は私がやっつけてきました」
大村さんが同僚男性に呑気な声で言う。
「ちまちゃんは心配症なんだよねえ」
「心配にもなります! だって……大地さん、ほんとに素敵だから!」
「なあ、何だよ、この俺の見てる悪夢か大村の見てる淫夢みたいな人は……もしかして雇ったのか?」
「宮内くん、現実を見なよお」
彼の同僚の人はなぜか頭を抱えていたけれど、そのあと綺麗な女性に呼ばれ、慌てたように帰っていった。
「じゃあ、私たちも行きましょう」
「うん。そうだねえ。ごはん食べよう」
「はい。大地さん、私、今日もいいお店探してきたんです」
「楽しみだねえ。早く行こう」
「はい!」
もうすぐ。
もうすぐ彼と一緒にごはんを食べれる。
私は熱いため息を吐いて、彼の腕に自分の腕をからめた。