慈空
【慈空】
種族、容姿、没年不明。
数百年前に存在したとされる伝説の武術家。
その拳は鋼の如し、その蹴りは海を割ったと言われる。
慈空の最大の功績は、世界中を放浪し多数の弟子を育て上げたことにある。
その数、記録にあるだけで数百人。
後世に名を残したものも多く、現在の武術流派のほとんどは慈空の影響を受けていると言っても過言ではない。
伝説の男が降臨した。しかも敵として。
サイクスは激しい矛盾に混乱をした。
骸は物理攻撃に弱いはずだ。
少なくとも一周目はアリスの剣技で滅びたはずだ。
もし骸が慈空なら、その当時のアリスの拙い剣技が通じるはずがない。
「あなたは魔道士のはず……」
サイクスは思わず声に出していた。
すると骸はサイクスに手をかざす。
空だったサイクスの魔力が充填される。
サイクスも他の忍者たちもその場から動けず、骸を止めることはできなかった。
骸はサイクスを治療しながら言った。
「そうだね、ある男の話をしよう。昔、ある武術家がいた……」
骸は男の過去を話し始めた。
それは、とあるダークエルフの話だった。
男はとある魔道士を統べる組織の長の次男として生まれた。
魔道士としての類い希な才能を持ち、いずれ組織の幹部になることを期待され英才教育を受ける毎日。
だが男には武術家としての才能があった。
ある日男は、実家を出奔した。
武を極めるために。
男は偽名を名乗り、世界を放浪し、武の神髄に近づくことを欲した。
ただ己を研鑽し、技を磨き、工夫を施した。
東に山賊がいれば直ちに蹴散らし、西に悪代官がいれば拳骨を落として改心させた。
気まぐれに弱きものに味方し、人間の軍と渡り合うこともあった。
請われれば、自分で編み出した技を惜しげもなく他人に教授した。
そんな日々が数十年ほど続くと、いつしか拳聖とあがめられ、弟子の数は数百人を超えた。
男は幸せだった。
だがそんな幸せな日々は、突然終わりを迎える。
ある日受け取った知らせに男は驚愕した。
両親、それに兄の突然の死。
両親も兄もダークエルフ、いや魔術師を嫌った当時の王にだまし討ちされたのだ。
男は愛用の鎧を着け、その日のうちに復讐の旅に出ることを決めた。
だが最早、男は数多くの弟子を持つ身。自分の命すら自由にできぬ立場。
男は悩んだ末、それでも復讐を遂げることを選んだ。
そして本懐を遂げ王の亡骸を前にした男は見た。
王の圧政に苦しむ魔道士たちの姿を。
その姿を見たとき、男は武術家としての人生をあきらめ、魔道士たちを救うことを選んだ。
慈空の名を捨て、魔道士たちの王になったのだ。
それが人間の王国を滅ぼした希代の魔道士、骸が歴史に現れた瞬間だった。
骸は魔道士の研究機関、【学舎】を立ち上げ、魔族の魔道士たちの保護・育成に取り組んだ。
それが偉大なる魔道士、八部衆【骸】の生涯。
全てを捨て、同胞たちを救うことを選んだ男の生涯だった。
そして男が望んだ生の果てとは……。
「さて治療も終わった。本題に入ろう……では正々堂々と闘おうか」
骸はとびきりの笑顔をサイクスに向ける。
「い、いや、待ってくれ。意味が」
サイクスはそう言いながらも間合いを取った。
次の瞬間、パンッと骸の服が弾け飛んだ。
それは筋肉、筋肉のパンプアップだけで服を破いたのだ。
骸が静かに構えるのがサイクスの目に入った。
来る!
サイクスはすぐに回避しようとした。
ドンッっという衝撃が胸を襲った。
骸の指がサイクスの胸に突き刺さっていた。
「まずは衰弱の呪い。心臓近くの秘孔を突き、魔力を送り込む。こうして呪いの核を破壊する」
サイクスの胸の中から射出された骸の魔力が爆発し、背中から突き抜ける。
サイクスの口から血があふれ出す。
「次は【健忘の呪い】。これは後頭部。頸椎近く」
ズブッと骸の指がサイクスの後頭部に突き刺さる。
「今度は少し痛いが我慢してくれ」
次の瞬間、パーンッっとサイクスの頭の中で音が鳴った。
サイクスの意識が遠くなる。
「サイクス!」
叫んだのは半蔵だった。
その声とともに忍者たちは意を決して刀を抜いた。
勝てる気がしない。
今やサイクスも半蔵も戦闘不能状態だ。
しかも相手はあの伝説の拳聖【慈空】なのだ。
忍者たちは決死の覚悟で挑みかからんとする。
「待ってくれ!」
血を吐きながらサイクスが叫んだ。
「待ってくれ……。骸……あなたは今、【衰弱の呪い】と言ったな。どういう意味ですか?」
「【衰弱の呪い】は魔族の世界では、暗殺によく使われる呪いだ。【健忘の呪い】は記憶を消去するために用いられる。そして……【封印の呪い】の別名は【魔術師殺し】。永久に魔法を使えないようにする呪いだ。精霊魔法には効果がないようだがね。君はいったい誰に恨まれているのかな?」
「まさか……エスター」
サイクスに呪いをかける相手。
それも強力な魔族の呪いをかけるもの。
それは魔王エスターしかいない。
「実に興味深い。エスターを知っているとは」
「そ、それは……」
「言いたくない理由があるようだね。いや、いいよ。どうせ私には、もう必要のない情報だ。さて、次の呪いを解こう。なあに、死ぬかもしれないが構わないだろ?」
「くッ!」
サイクスは今度こそ気力を振り絞り回避しようとした。
だが、そう思った次の瞬間には鳩尾に骸の小指が突き刺さっていた。
「ぐ、ぐばッ!」
ズムッと重い痛みが腹にのしかかる。
「さあ、魔力を開放しよう、まずは魔力を生み出す丹田に巣くう呪いを消し去る」
ドンッという重い音。
またもや衝撃が背中を抜けていく。
「次に詠唱に必要な喉」
サイクスは喉笛をつかまれる。
「さあ、歯を食いしばって。死ぬよりも少し痛いからね」
その時だった。
「サイクスを助ける! みんな、一斉にかかって!」
雫が叫んだ。
「「応ッ!」」
忍者たちが一斉に飛び上がり、骸へ攻撃を仕掛ける。
ここにいるのは【奈落】を使えるもののみ。
里でも一握りの兵たちなのだ。
雫と忍者たちは一斉に奈落を使い、自分たちの気を増幅する。
「ふむ、邪魔をしないでくれと言ったのにな」
攻撃は空を切った。
骸はサイクスの喉を片手で掴んだまま、優雅な足取りで忍者たちの奈落の一撃をかわしていく。
拳、蹴り、体当たり。
その全てを半歩動くだけでよけてしまう。
忍者たちは力を使い果たし、その場にへたり込む。
「月狼くん。このように【奈落】は発動後に動けなくなる不完全な技だ。そこからさらに動くことを可能にした【奈落・改】には感嘆を隠せない。君はこのままでも歴史に名を残す武術家になることができるだろう。だが最強には遠い」
「うおおおおおおおッ!」
奈落を発動したはずの雫が突っ込んでくる。
クナイに全てを賭け、突き刺そうとしていた。
だがその一撃も骸には届かない。
「そう、ごく希にこういう特異体質もいるのだったね」
奈落で力を使い果たしたはずの雫が立ち上がる。
「うおおおおおおッ! 奈落二連撃!」
雫は最後の力でクナイを振るう。
「だが、この技はダメだ」
とんっと音がした。
骸は雫の後ろに回り込むと、優しく後頭部に手刀を落とした。
そのまま雫は気を失ってしまった。
「くッ! 雫ううううううううぅッ!」
まだ動けない半蔵が叫ぶ。
「心配する必要はない。奈落の連発は魂の力を削る。危ないから寝てもらっただけだよ」
半蔵も雫も、サイクスより強いはずの忍者軍団も歯が立たない。
いや、全く相手にならなかった。
「これが。八部衆の力……」
次の瞬間、サイクスの喉に衝撃が走る。
それが気による技だとすぐにわかった。
「これで喉の封印は解いた。最後に魔術を扱う脳の封印を解く。君は痛みで廃人になるかもしれない。だがこれを超えれば何倍もの力を得られる。そう、あとは探究心さえ忘れなければ最強に近い位置まで辿り着くことができるだろう」
そう言うと骸はサイクスのこめかみに指を突き刺した。
痛み。幻覚。
無限に続く苦痛。そして再生。
脳の中で何かが弾けた。
いや違う。
脳は痛みを感じているだけだった。
呪いのもとは魂だったのだ。
それを自覚した瞬間、勢いよく鼻から血が飛び出した。
「やれやれ、これで治療が終わったか」
骸は疲れたような声を出した。
「な、なぜ……呪いを解いた……」
「なあに。私の望みを叶えてもらうためだよ。さあ月狼くん、それにガイラギくん! 見ててくれたまえ。私の最後の講義だ」
「あ、おい、爺さん。なに考えてやがる!」
ガイラギは混乱していた。
骸がなにを言っているかまるでわからない。
本当に同一人物なのだろうかとさえ思う。
「さあ、月狼くん、最初で最後の授業だ。今から私が本気で殺しにかかるから、【奈落・改】に今度は魔力を加えて私を攻撃しなさい。やり方は自由だ。だけどチャンスは一度だけ。できなければ君は死ぬ。君の仲間もね」
骸は非情そのものの言葉を放った。
登場人物紹介
骸 (慈空)
伝説の武術家にして、最強クラスの魔道士。
物理もこなすファンキージジイ。
サイクスを極限まで追い込んでいるが……。
全盛期は200年前だが、今でもガイラギを片手で殺すことができる。
かなり荒いやり方でサイクスの呪いを解いた。
どうやらサイクスを気に入っている模様。
半蔵
技を作った本人に奈落を使うという失態を演じた、運が悪すぎる中年。
本当なら骸とある程度やり合える実力がある。
でも力が出せずに退場。
雫
特異体質のくノ一。
とっておきは三連発の奈落だが、体力がついて行けずまだ使えない。
自分の成長方向をよく考えるべき時期に来ている。
ガイラギ
完全に骸に美味しいところを持っていかれた後半のボス。
いじけずがんばれば、きっといいことがあると思う。
月狼
ヤンデレホイホイ。
難儀な人たちに愛される星の下に生まれた。
常人なら死ぬ呪いを受けていた。
犯人はアリスじゃないよ。