プロローグ
女が立っていた。
深紅のドレスを身に纏い、背後には光の曼荼羅がそびえ立っている。
その目は人類への憎悪なのか、酷く濁っていた。
女……女に見える存在は魔王エスター。
絶対悪にして、最強の魔道士。
人間を滅ぼすために生まれた魔族の王。
そしてそれと対峙するのは、勇者アリス。
銀髪をなびかせる薄幸の少女。
残り少ない人類の命運を担う、運命の乙女。
二人は太極の存在。
殺し合う運命。
この闘いの決着がつけば魔族か人類、どちらかが滅びるさだめ。
「我らの未来のために貴様を討つ!」
勇者アリスが剣を抜いた。
サイクスはそれを見ていた。
最初に戦士バーディがゲートキーパーと戦い命を落とし。
次に賢者セレナと聖女アズレーンが龍王ガイラギを道連れに自爆した。
そして忍者の里のくノ一である雫は魔道士骸との戦いで命を落とした。
次々と倒れる仲間たちの最後を、サイクスは悔しい思いで見ることしかできなかった。
なぜならサイクスは、ずっと前、はじまりの村で命を落とした。
もうここにはいない、幽霊なのだから。
「勇者よ。我が配下につけ。さすれば世界の半分をやろう」
魔王は酷薄な笑いを浮かべながら、勇者に言った。
本心ではない。
ただの駆け引きだ。
アリスは叫んだ。
「お断りだ! 私が貴様に屈するなど、バーディ、セレナ、アズレーン……それにサイクスが許さない!」
サイクスは自分の名前が出た瞬間、ビクッとした。
アリスは、もう自分を忘れていると思ったのだ。
「そうか……ところで勇者アリス。そこにいる男は誰だ?」
魔王はサイクスを見た。
「お、お前は俺が見えるのか!?」
「ああ見えるとも」
魔王は指をパチンと鳴らした。
刹那、全てが停止した。
「そこの小娘に邪魔されぬよう時間を止めた。では聞こう。貴様は誰だ?」
「ぜ、ゼラン村のサイクスだ!」
サイクスは、ゼラン村の領主の息子だった。
三年前の魔族の襲撃がなければ、サイクスはアリスと結ばれただろう。
だがサイクスは魔族の襲撃で死んだ。
アリスを守って。
「そうか……またしても貴様か! そうか! 貴様こそ特異点なのだな!」
サイクスは意味がわからなかった。
だが魔王は続ける。
「また我は失敗したのか! こんな運命など我は許さぬ! 絶対に許さぬぞ! なぜだ!」
魔王はいきなり激高した。
小さな呟きが魔王の口から漏れた。
サイクスは呟きが古代語の魔法であることに気づいた。
「なにをするつもりだ!」
「あははははは! もうこんな世界なんていらない。全て滅んでしまえ!」
魔王は呪文を詠唱し続ける。
幽霊であるサイクスには、なにもできなかった。
呪文の詠唱が終わる。
「出でよ。世界を飲み込む蛇!」
次の瞬間、サイクスの視界は白い光に飲み込まれた。
◇
暖かな日の光。
そわそわと風がサイクスの顔をくすぐった。
サイクスの目が開く。
「どわああああああああッ!」
悪夢だ。
世界が滅びるなんて。
魔王に世界を終わらせられるなんて。
そう思った直後、サイクスは気づいた。
「……ぼくの部屋」
そこは三年前に焼き払われたはずのゼラン村。
そしてサイクスの家。自分の部屋だった。
サイクスは起きる。
起きてよろよろとした足取りで部屋の外に出る。
なにが起こった。
世界は破滅したはずじゃ。
どうして、なにが起こったのだ?
混乱し、外に出たサイクスが見たもの。それは……。
「あ、サイクス。おはよう。どうしたの? 寝間着だけど」
(アリス……。なぜ……)
決定的だった。
アリスは、サイクスの記憶にある今の姿ではなかった。
約4年前。
襲撃の1年前。
13歳のアリスがそこにいた。
「ウソだろ……」
「どうしたのサイクス。なにか変だよ……」
サイクスの目がぐるぐると回った。
どうすればいい?
なにをすればいい?
これは催眠術や幻覚なのだろうか?
いや。否。断じて否。
サイクスに幻覚をかける必要も意味もない。
幽霊なのだから、神聖魔法で消滅させればいい。
こんな面倒なことをする意味はない。
つまりこれは現実である。
だとしたら、なにが起こったかを解明せねばならない。
そして……。
サイクスはアリスを見た。
「どうしたの変な顔をして?」
アリスを……この村を救わねばならない。
ではどうすれば……?
そのとき、サイクスの脳裏に今までの冒険で得た知識が駆け巡った。
そう、なぜ魔王がなんの変哲もない地方の農村であるゼラン村を襲撃したのか?
それは冒険の最終盤で明らかになった。
雫のいる忍者の里。
忍者の里は、ゼラン村近くの森の中にあった。
魔王軍は100人にも満たない忍者を恐れて、こんな辺境の村にまでやってくるのだ。
サイクスは拳を握った。
そうだ。
やつらは忍者を恐れている。
実際、雫の戦闘力はずば抜けていた。
だが村が襲撃されたあの日、雫は武者修行の旅に出ていた。
だから悲劇は起きた。
だとしたら、村が焼き尽くされるあの日に雫がいれば。
村を襲撃する獣王レガイアスに対抗できる力があれば。
いや、違う。パーティにもう一人忍者がいたとしたら。
魔王軍の幹部たる八部衆の弱点や技を知っているものがパーティーにいれば。
今度こそ世界が滅びることもなく、魔王を打ち倒すことができるかもしれない。
サイクスはぶるっと震えた。
戦える。
いや、とうとう自分が戦う番が来たのだ。
アリスはそんなサイクスを眺めている。
「ほんとうに大丈夫? なにか変だよ」
「うん、大丈夫だよ。あははは」
サイクスは笑ってごまかした。
だが感極まってしまった。
アリスの両肩に手を置いて言った。
「アリス。ぼくは君を守る」
「え!? どうしたのサイクス!」
戸惑うアリスを残し、サイクスは走る。
まずは森を抜けねばならない。
それには装備が必要だ。
そして森の魔物とも戦えるようにならねばならない。
それが最低の条件だ。
「絶対に、ぼくが、未来を変えてみせる!」
サイクスはアリスに手を振りながら、大急ぎで家に戻る。
「変なサイクス……」
アリスはサイクスの背につぶやいた。
その日、ゼランの村に一匹の漢が誕生した。
その漢が巻き起こす渦が、ヒロイックファンタジー世界を、努力と気合が支配する、バトル野郎たちの熱き戦いの物語に変えるとは……まだ誰も知らなかった。