09
騎士団長である父から、レオナルド王子の護衛を頼まれた。学園で出来た友人と街の散策にいくとの事で、ルチアーナや妹のジルダと出掛ける事の多いカルロが良いのではという事になったそうだ。本格的な護衛任務というわけでなく、学園の友人と行動するのになるべく邪魔をしないようにとの配慮から、年も近く交友のある事から選ばれたようだった。
父からすれば、レオナルド王子がこんなふうに誰かとどこかに行きたいなど、あまり言ってこないので、学生の時くらいは少しはという思いがあるようだ。父からレオナルドの怪我の事を聞いた後では、確かにと思ってしまう。なので引き受けたのだが。
目の前で起こっている光景がいまだに信じられない。
レオナルドとその友人アンナと共に、貴族街の一角に立ち並ぶ高級菓子店へ訪れた。カルロ自身、甘い物が苦手なので、こういった店に入ったことはない。妹のジルダやルチアーナも高級店ではなく、もっと庶民的な店の方を好んでいたので、気後れしてしまいそうだ。だが教育の行き届いた店員は、手持ち無沙汰になっている自分に椅子を勧めてきて、さらにお茶までいれてくれていた。
慣れているのか店員は、こういう物を選ぶのにご婦人はじっくりと時間をかけますからと、色とりどりの菓子を目の前にしてはしゃいでいる二人を見ながら笑顔を向けている。
そこにはどこからどうみても、女性にしか見えないレオナルドがいた。
亡くなられた王妃に顔立ちが似ていたが、ドレスを着ると更にそっくりだ。鬘だそうだが、レオナルドの髪色より少し濃い金髪をゆったりと編み込んでリボンを垂らしていて、動く度にそれが可愛らしく揺れている。水色のドレスもその儚げな印象と相俟ってものすごく似合っていた。
声を出したら男だとバレるからと、隣にいるアンナに内緒話をするかのように小声で囁いては、お互いに笑みを浮かべている。
アンナはレオナルドが微笑むたびにうっとりと顔を赤らめているが、もしかして二人はそういう関係なのだろうか。レオナルドはルチアーナという婚約者はいるが、しかし恋愛感情はあるかないか微妙だ。
学園で恋人を見つけたりしてもおかしくはない。
ルチアーナもレオナルドの事を憎からず思っているようだったが、しかしあちらにも恋愛感情があるかといえば、首を傾げたくなる。けれどもルチアーナには幸せな結婚をしてほしいと思ってしまうしと、悶々と考え事をしていると、いつの間にかレオナルドが隣の椅子に座っていた。
そうして身を寄せてきて、小声でアンナが買う物纏めてくれるからちょっと休憩と、自分を見上げるように上目遣いで言った。
どこからどう見ても儚げな美少女にしか見えないレオナルドに、思わず天井に視線を向ける。アンナが顔を赤くしたのはなんとなくわかった。むしろそれだけで、うっとりとレオナルドを見る事が出来たアンナが凄いと思った。
理想を具現したかのような少女が目の前にいる。
これはレオナルド王子だと自分に言い聞かせているが、しかし側にいるとどうにも落ち着かない。
ルチアーナと仲が良いと言われるし、彼女に忠誠を尽くす騎士になると決めていたので誤解されがちだが、女性の好みとしてはもっとお淑やかなのが好きだった。ルチアーナはマナーや立ち振る舞いなどは淑女だし、性格も優しくて申し分ない。だが色々と物事を進めていく強い力も持っていて、素晴らしい女性だと思う。
しかしもっと大人しくて儚げで、守ってあげたくなるような雰囲気の女の子が好みなのだ。別に声を高らかに女性はこうあるべきと言っていないので、好みは自由だろう。
学園で貴族の令嬢を見掛けるがどこかツンとした雰囲気だし、夢見た女性は所詮夢のままかなんて思っていた。
なのにまさか男でしかも王子の女装姿が、理想の女性像ぴったりなんて絶望しかない。
頭を抱えていると、レオナルドが首を傾げながら大丈夫かと聞いていた。思わず身を引けば、悲しげに眉が歪み、こんな格好してると気持ち悪いかなと謝ってくる。
「い、いや、違う。その、これは俺の脆弱な精神の問題だから…! その格好はものすごく似合っている!!」
否定する声が大きくなってしまった。その所為で近くにいた店員達の視線が集中し、さらに顔に熱が集まるのがわかった。レオナルドといえば、顔を俯かせ赤くなってありがとうと言うし、その姿がまた可愛らしい。
いやだからこれはレオナルドなんだ落ち着け自分本当に落ち着くんだ。
深呼吸を繰り返し、冷静になるために冷めてしまった紅茶を口に含む。少し苦みがあったが、むしろその苦みが自分を正気に戻してくれるような気がした
「…はじめて来たけど、やっぱり友達といるのは楽しいね」
ぽつりとレオナルドが零した。
「その、友人というかレオにはルチアーナ様がいるじゃないか」
そう言えば、寂しそうな笑みを浮かべている。そうして顔を俯けさせたまま、深く息を吐いた。ルチアーナがレオナルドは私に興味を持っていないのよと言っていたが、もしや二人は上手くいっていないのだろうか。
俺の不安に気付いたのか、レオナルドは仲が悪いわけじゃないと言った。
「来週は一緒に遠乗りに行く約束をしたから」
遠乗りとは、怪我は治っているとはいえ大丈夫なのだろうか。今でも時々痛みがあるようだと父は言っていた。それならば、無理をさせるわけにはいかないだろう。
ルチアーナは怪我の事を知らないのだから仕方ないが、何か予定があるといって断るべきじゃないだろうか。もしくは何か別のことを二人ですれば良い。
「カルロは騎士団長に聞いたみたいだね、僕の怪我の事。でももう治ってるから、無理をしなければ大丈夫だよ。乗ってる姿は、ちょっと優雅とはいえないかもしれないけど」
馬から振り落とされたのだから、恐怖は計り知れないだろう。遠乗りなど悪夢の時間でしかない筈だ。
事情を知っている宰相がよく許可をしたなと思ってしまった。
「一度は断ったんだけど、ジェラルド兄様が是非にってね。本当は明日行かないかって誘われたんだけど、予定があるから断ったんだ。でもそしたら、予定のない時に日にちを改めてどうだときてね」
あまり断り続けるのもおかしな事だしと、レオナルドは困った表情を浮かべている。
「ジェラルド兄様からのお誘いは嬉しいんだけど、……三人で出掛けるのはつらいんだ」
つらいとはどういう事だろう。怪我の事ではなさそうだ。
三人はよく王宮でお茶会をしていると聞いているので、別に何があるわけでもなさそうだが。
「ルチアーナは僕に良くしてくれているよ。……でもね、彼女は僕よりジェラルド兄様が好きみたいなんだ。ジェラルド兄様もルチアーナのこと、気に入っているみたい。……僕がいなくても二人でよく会ってるし、手紙もやりとりしてる。傍でずっと見てきたから、わかるんだ」
そんな事はないとは、完全に否定できなかった。
ルチアーナは自分の他にも宰相の息子アルバーノ、宮廷魔法士見習いのジャンカルロとも仲が良い。二人は自分以上にルチアーナを気に入っていて、好意を隠していない。積極的にアプローチをしているのを見掛けるが、その反応はイマイチだ。一緒に出掛けたりお茶会などに誘えば来るが、しかしそこから先に進める気配がない。
婚約者のある身だからとはいうが、しかしそれなら二人の誘いに乗らなければ良いだけだし。以前やんわりと行くのを止めた方が良いのではと言ったことがあるが、ルチアーナは行かないと色々と面倒なのと言っていた。行く方が面倒だと思うが、本人がやめる気がないので止めても無駄だろう。
そんなルチアーナだが、王宮に行った後は機嫌が良い事が多い。
ルチアーナに想いを寄せる二人は、やはり王子が好きなのだろうかと言っていたが、レオナルドに恋をしているようには見えなかった。レオナルドを心配する素振りはあるが、でもあれはなんだか年上の姉か何かが弟を気に掛けるような、そんな感じではなかっただろうか。
ジルダが王宮の話を聞きたがるから、ルチアーナはお茶会の事などを話してくれたが、その話題はジェラルドの事が多かった。そうだむしろ、ジェラルドの話をしているときは、うっとりと瞳を潤ませて熱っぽく語っていなかっただろうか。
ジェラルドとは話が合うから楽しいと言っていた。でもあれは。
あれは恋をする女の顔ではなかったか。
一つに思い至ると、次々と疑念が湧いてくる。ぶわりと額に汗が滲むのがわかった。
そうだ、そもそもお茶会をすると必然的に三人になると言っていたが、婚約者同士のそれに義兄がほぼ毎回いるのは如何なものだろう。レオナルドとジェラルドの仲は悪いとは聞かない。だから周りもそれを許しているのかもしれないが、しかし。
レオナルドはジェラルドを尊敬していると聞く。その尊敬している兄と婚約者がお互いを意識しているなんて。
「……僕とルチアーナは政略結婚だから、他に好きな人がいるのは仕方がないと思うんだ。僕の母様もそうだったから、愛はなくとも公務のパートナーとして付き合うって事は出来ると思うんだよね。ルチアーナは優秀で、この国にはなくてはならない人だもの。だからこそ、彼女には孤独になってほしくないと思う。……だから、カルロには彼女を守ってほしいんだ」
レオナルドは聡明だと、父は何度も言った。ジェラルドのように優秀だとは言われていないが、劣っているわけでもない。だがそれは学業に関するだけの評価じゃないだろうか。
彼はちゃんと人を見ている。そして理解してしまっているのだろう。だとしたら、それはどんなに孤独なのだろうか。
ルチアーナを守ってくれと彼は言う。では彼のことは誰が守るのだ。
心臓が早鐘のように鳴っている。自分は守るべき相手を、捧げるべき忠誠を間違えたのではないだろうか。若気の至りというか、一時の激情に駆られて、真実など知りもしないで、狭い視野でしか物事を見ず決めつけて。
俯いたままの彼に、掛ける言葉などない。慰める事も出来ない。
そんな愚かな俺に気付いても、レオナルドは優しく微笑んでいるだけだ。一体俺はいままで何を見ていたのだと後悔に苛まれる。
「でも僕はまだ子供で割り切れないから、二人が仲良くしてるとどうしても詰まらない顔をしてしまうんだ。口ではこうして言えるけど、三人の時なんか特に態度に出てしまう」
まだまだだよねと苦笑するレオナルドに、そんな事はないと強く否定した。
「貴方は立派です。…とても、とても立派で、聡明だ」
「そうかな」
「そうですとも」
強く頷く俺に、レオナルドは今まで見せていた笑みとは違う、心の底から嬉しそうな、はにかんだ笑みを浮かべた。
ずっとレオナルドは、本当の自分というものを厳しく律していたのだろう。剣術や魔法の実力がなんだというのだろう。俺などよりも、この人は強い。そしてとても弱い。
騎士とは弱き者を守るためにあるのだ。それならば、自分はどうすべきか、もう一度冷静になって考えるべきだろう。
レオナルドと話し込んでいると、買い物を終えたアンナが来てくれた。
「お待たせしました。……えっとカルロさん、その大丈夫でしょうか」
いつの間にか顔が青ざめて冷や汗を掻いていたらしい。具合が悪いのなら今日はおしまいにしようかと、レオナルドが言ってくるが、俺の所為でせっかくの外出を取りやめるのは嫌だ。
そう自分はレオナルドに笑っていてほしいし、楽しんでほしい。
彼を取り巻く環境はどうする事も出来ないが、いまこの時だけは、少しくらい役に立ちたいのだ。
「ちょっと冷えた紅茶を飲み過ぎてしまっただけだ。…大丈夫、行きたい場所にいくらでも付き合おう」
それならと、アンナが提案してきた。
「ここから近くに、新しく出来た評判のお店があるそうです。貴族街からはちょっと出てしまいますが、特に危険はないかと思うのですが、どうでしょう」
行ってみたいという視線が、レオナルドから送られてくる。それに頷き返すと、もちろん行くとアンナに答えた。
馬車を呼んでくると、店の外にカルロが出て行く。店先に止めておくのは迷惑になるので、馬車は近くの邪魔にならない所で待機しているのだ。ヒソリと、二人きりになった時にアンナが聞いてきた。
「カルロさん、大丈夫でしょうか。お薬、効き過ぎたりしませんかね。下半身に反応が出たりしたら、ばれてしまいます」
「さあ、大丈夫じゃないかな。反応が出ても、男は意味もなくそんな事になる日があるし、気にしないんじゃないか」
「確かに」
カルロが飲んでいた紅茶に、動悸が激しくなる薬を少しだけ溶かし込んであった。アンナの実家で扱っている興奮剤の一種で、普通に事を行うより快楽に酔えるという物だ。それを飲んだ所為で、カルロは僕と話しているとき、動揺が激しくなって酷く不安に苛まれただろう。
薬と言葉の両方で、カルロは体と心を揺さぶられたわけだ。
『さてこれでカルロは、とんでもなく気持ちが揺れ動いたなぁ。動揺が見て取れたぜ。ヒヒヒ、可愛いレオナルド、お前も一度アンナの店に出てみたらどうだ? 一番の売れっ子になるんじゃねえかぁ。儚げな見目ってのも、男心をくすぐるぜ』
それらを教え込んだのはカラじゃないか。
カラの使う力は万能じゃない。アクマの存在を知る者がいないと大きな事は出来ないし、心に疑念や隙間を作らないと難しいそうだ。まあほんの僅かな心の隙間さえあれば、入り込んで堕とす事が出来るそうだけど。
なのでカルロのルチアーナに対しての感情を揺さぶって、僕とカラが入り込む隙を作った。きっかけはほんの少しあれば良い。
それにしてもお願いしたのは僕だけど、詳しい事を聞かずにあっさりとアンナは薬を用意してくれた。彼女とは通じる所もあるし、この先も友好関係を続けていきたいなと思う。
「お友達のお願い事ですからね、出来ることはするのですよ、レオさん」
「なるほど。じゃあアンナのお願い事は何かあるの?」
「……今夜、私の作ったドレスを着て下さい」
頬を染めもじもじとしながらアンナは言った。その姿がなんだか可愛らしかったので、僕は微笑みながら頷いた。