08
マナーの講義でのちょっとした出来事があったけれど、それ以降は特に何もなく平穏だ。
今日は昼前の講義一つだけ。魔法歴史学で原理だとか始まりだとかを学ぶ講義だ。最初の頃は家庭教師に習ったことのおさらいみたいなものなので、あまり人気はない。けど魔法はカラが興味を持っているし、深く学ぶのは良いことだと思うので、真面目に受けている。
魔法の始まりは、精霊によってもたらされたとされる。火と水と風の精霊が地に舞い降りて、その奇跡を人に授けた。そしてその後で土と金がやってきて、最後に光と闇。精霊達は人に魔法を授けると、そのまま姿を消してしまったそうだ。けれど魔法を使うという事は、精霊達の力を借りるという事。だから魔法を使うときは、精霊に感謝を捧げながら行うべきだと。
でもその魔法の力を僕たちは領地防衛って名目で戦争に使っていたりするのだけど、その辺は精霊は怒ったりしないのかなとカラにこっそり聞いてみる。
『ヒヒヒ、精霊様なんて奉られてるが、元を辿れば俺らと同じかもなぁ。人に力を与えて、混沌とした世界を造って楽しんでる』
魔法の力を使って皆幸せにする為じゃないのと言えば、そりゃ無理な話だと言われた。
『お前の幸せは誰かの不幸。誰かの幸せはお前の不幸だ』
確かに僕は、幸せになるためにルチアーナを不幸にしようとしているので、納得である。
講義も終わり、昼食へ向かう途中でアンナに会ったので、ついでとばかりに一緒に食事をとることにした。
父に送った手紙の返事には、了承したこれからも友好を深めろとあったので、堂々と一緒に居られる。ブリジットは数日学校を休んだがすぐに戻ってきて、それから大人しくなった。
「あの一件の翌々日に、ものすごい量の書類が送られてきて、サインさせられましたし。珍しく父も驚いてました。……義姉様は若干誇らしげでしたけど、やっぱり公妾になるって凄いのですかね」
「一応王様の政治に口出せる立場だからじゃないのかな。実際、ジェラルド兄様の母様以外はばりばり働いてたよ」
「……女性の活躍の場をもっと広げるべきですね」
「そしたらまずは、政治は女性の出る場じゃないなんてとこから壊すしかないと思うけど。すぐには無理じゃない? 公妾が活躍するのは暗黙の了解になってるもの」
「ええ、ええ。書類にサインしましたから、私はレオさんの公妾なんですよね、一応。……レオさんが卒業するまでは口止めしてろって言われましたけど、ルチアーナ様って知ってるので?」
ルチアーナには言ってないし言う必要もない。
「大変かと思うけど頑張ってね。商売に精出してください」
「あのですね、私は父や兄のようにそこまでお金儲け好きじゃないのですけど。……何をすれば良いのですかね、私」
「週末休みになるから、一緒に王宮にいって挨拶かな。顔合わせくらいしておこうだそうで」
「王宮に来なさいってのは、夢じゃないんですね。……義姉様が気合いを入れて私のドレス選んでましたし」
金でチェスティ家の名を買ったとのことなのに、義姉との仲は悪くないようだ。
「チェスティ家って、領地経営に失敗して借金しまくってたので、私の兄の経営立て直しの力にもう頭が上がらない状況なんです。義姉は家が絶える事を覚悟してたそうなので、兄との結婚は喜ばしいものだったそうです」
チェスティ家は名を捨てて実を取ることにしたようだ。その決断は素晴らしいと、素直に賞賛できる。
ふと思いついて、僕はアンナに聞いてみることにした。
「チェスティ家って学園から近いの?」
「えと、王都の貴族街に別宅があります。そこで義姉様が生活なさっていまして、一応そこが王都での屋敷って事になりますね」
アンナの兄は領地と王都を行ったり来たりで忙しく、アンナも学園の寮に入っているので義姉が一人で切り盛りしているそうだ。もちろん古くから仕える使用人がいるので、不自由のない暮らしをしているとの事。
「週末、王宮に行く前に遊びに行っても良いかな?」
「唐突なレオさんのお願い…。いやもうこれは慣れるべきですね。義姉の機嫌が一気に跳ね上がる程度ですので、別に構いませんけど」
あの人嬉しさで卒倒するんじゃないかしらとアンナは言うが、心配している様子もないので平気だろう。
「そしたら遊びに行ったとき、ちょっとだけ街を案内してほしいのだけど」
「それはお忍びで?」
「一応、王宮で断ってからにするけど」
勝手に抜け出したら途轍もなく迷惑が掛かるので、滅多なことはしない。騎士団長も宰相も、カラの幻覚大怪我事件の所為でとてつもなく過保護になっているのだ。というかいまだに罪悪感に苛まれているらしいので、ちょっとは心配を減らしてあげるべきだろう。
「それなら護衛が付くでしょうね。私が用意するのは、変装用の服装ですね」
「うん、よろしくね」
街に行く目的はと聞かれたので、迷わずお菓子がほしいと言えば、アンナは目を丸くしてからややあって微笑んだ。
「オススメのお店探しておきます。焼き菓子とか砂糖菓子とか、どんなのが良いですか?」
『ヒヒヒ、色が綺麗なのが良いぜ』
「えっと色とりどりのお菓子がいいのだけど、そんなのある?」
カラの要望をアンナに伝えると、何軒か知っているとの事。肩にいる小さな影が揺れて歓びを表していたので、僕も嬉しくなった。
午後からやることもないので、図書館で借りた隣国の本を読むことにした。僕の住む国と使っている言葉が違うので、辞書を引きながらだけど。母様がまだ母様だったころ、簡単な会話は教えて貰ったけど、文字までちゃんと読めたわけではないので、覚えるのは良いことだろうしと意気込んで借りてみた。ただ借りた本が難しいので、中々読み進められないのが難点だ。
カラは青年の姿になっていて、ベッドにあぐらをかいて座っている。難解な読書に飽きた僕を呼ぶと、そのまま後ろから抱えこまれた。そうして僕の持っていた難解な本をのぞき込むと、隣国の言葉を流暢に操って読み上げていく。
「なんでカラはこの世界の住人じゃないのに、喋れるの?」
「アクマだからな、これくらい簡単なんだよ。ヒヒヒ、可愛いレオナルド、こればっかりは自分で覚えなきゃダメだぜ」
そういってカラが、文章をなぞりながら読み上げていくのを、必死で聞き取る。王宮の家庭教師よりも綺麗な発音は、母様を思い出させてくれた。
「そういえば、そろそろだな」
一通り読み上げた後で、カラが思い出したかのように言った。そろそろとは、何がそろそろなのだろう。
「ゲーム絡みの出来事だよ」
ゲームが始まるのは来年度で、今年は何も起きないんじゃなかっただろうか。
「ルチアーナから遠乗りのお誘いが来るんだよ。ゲームじゃ、馬から落ちそうになったルチアーナを華麗に助ける王子って話だが」
「……僕、馬術は人並みだし、カラのおかげで長時間乗れないって事になってるんじゃなかったっけ」
さてゲームじゃそうだがどうなることやらと、カラは笑って手紙の箱を指さした。箱に埋め込まれている宝石が光り、手紙が届いたことを知らせている。
「……遠乗りのお誘いの手紙。ジェラルド兄様からの打診だが、ルチアーナも参加するけどどうしますかと、宰相からか。…しかも週末か」
「ヒヒヒ、お断りしかないな」
アンナと街を見に行くのだから、無理だと返事を書く。アンナの家に行くことは、部屋に戻ってすぐ伝えてある。それを読んでからのこれなので、断られる事は見越しているのだろう。王宮にアンナを連れて行くのも、国のトップしかしらない予定だし。
ジェラルド兄様からお誘いってので、わざわざ聞いてきたのだろうな。けどタイミングが悪すぎだ。
けどもジェラルド兄様は諦めなかったようで、翌日に日にちを変更してのお誘いが再び来た。ルチアーナも寂しがっているので、是非元気な顔を見せてほしいとの事だった。
「了承するまで手紙がきそうだな、レオナルド」
「……カラはわかってたでしょ」
手紙に顔を顰めながらカラを見れば、そんなわけないなと首を振った。
「ゲームの知識じゃ、詳しい日時なんてないしな。ヒヒヒ、まあ頑張れ王子様」
仕方なしに行く事を了承して、その返事を書いた手紙にちょっと付け足すようにカラに言われる。週末の護衛の件で、出来れば交友のあるカルロをつけてほしいと添えた。
「カルロに会ったとき、さりげなく遠乗りの事を相談してみるといい。面白い事になるぜ」
「それは楽しみだ」
休み前の講義が終わり、門の近くでアンナと待ち合わせをした。チェスティ家の紋章をつけた馬車があり、その前にアンナが立っている。
「お待ちしてました、レオさん」
「今日はよろしくね」
「はい、こちらこそ。…義姉様がすごく興奮してどうしようもないので、ちょっと鎮静薬飲まされてましたので、ご挨拶は出来ないとの事です」
それは大丈夫なのとアンナに聞けば、きっぱりと大丈夫と返される。けれどチェスティ家のご令嬢にそこまで喜ばれる心当たりがない。
「ええと、チェスティ家は元々庶民だったところ、当時の王様を助けたとかで貴族の身分を貰ったのがはじまりだそうでして。もう何百年も前の話ですが。なのでチェスティ家では王家に忠誠を誓ってるんです。貧乏になろうが領地が僻地だろうがへこたれず、いままでずっと頑張ってきたわけでして」
私が公妾になることで王家に報いる事が出来たというわけですと、アンナは若干遠い目をして言った。これは義姉に延々と話されたんだなと、少しばかり同情する。
「ところで、護衛としてもうお一人学園の生徒が来られると聞きましたが」
「そろそろ講義が終わるんじゃないかな。護衛だから講義休むとか言ってたらしいけど、別に急ぎじゃないしね。そして僕の我が儘で連れ出すから、休ませるのはちょっと。どうせ将来騎士になって仕事で護衛に付いたら、自分の予定なんて一切ない状態になるし、いまはいいかと思うんだよね」
そういう考えもありますねと、アンナが頷く。そして時間があるのならと、紙袋をとりだし中を広げた。そこには綺麗な色のお菓子が入っている。
「お好みがどれか分からないので、ちょっと準備してみました。気に入ったのがあれば教えて下さい」
『この娘役に立つなぁ。ヒヒヒ、レオナルドが食べて美味しいものがいいぞ』
それならと、中の一つに手を伸ばし口に含む。木の実が砕いて入っている生地は甘くて美味しい。とはいえ、甘い物は得意ではないので、量を食べれるわけでもない。見た目でカラの反応が良い物と、幾つか食べて気に入った味の物をアンナに伝えれば、じゃあこれを売っている店から回りましょうと提案してくれた。
そうしているうちに、カルロが走ってやってきた。
「申し訳ありません。レオナルド様、アンナ様」
すぐに臣下の礼をしようとするカルロを止めて、今日は友人の家に遊びに行くのに付き合って貰うだけだからと、聞いているであろう説明をもう一度する。身分をちゃんと分かっていてそれを行動に移せるのは良いことだ。傅かれるのは嫌いじゃない。むしろ僕にとってこれが当たり前なのだけど、カルロの心を少し揺さぶるにはこれじゃ足りない。
「せっかくの休みだったのに、僕の我が儘を聞いてもらって、ごめんね」
「いえ、そんな…」
「カルロ、口調も学園と同じで普通に喋ってくれないかな。アンナもね」
「はい、いつも通りですね、レオさん」
アンナはにっこりと微笑むと、カルロに自己紹介をした。どの程度カルロに話したか知らないけど、公妾だとは言ってないだろう。言ったらたぶん、アンナに敵意むき出しだろうし。
「ではどうぞ馬車に。私の屋敷で着替えてから、街をご案内しますね」
チェスティ家の屋敷は豪勢でもなけれ大きくもないが、庭は綺麗に整えられており、屋敷内の装飾も華美なほどでもなく落ち着いた物で統一され、居心地の良い空間になっていた。素直に素敵だねと言えば、アンナが兄が成金趣味的な物は全部売り払ってましたからと、あっさりと話す。
「義姉は抵抗しましたけど、古いだけで実用的価値のない剣や盾などすべて売って、領地を立て直す資金にあてました」
家宝もあったみたいですけど使えない物でしたしと言うアンナに、代々続く騎士の家系のカルロの顔は引きつっていた。カルロの家にも家宝と言われる剣や盾があるし、大事にしまっているだろう。持っている事が名誉なんだけどね、ああいうのは。
根っからの商売人だとその辺りはシビアになるのだろうか。
「……一応、領地を立て直したら買い戻す予定ではありますよ。……先祖代々伝わってきた大事な物だってのはわかりますし。チェスティ家が領地経営に失敗しなければ売らないですんだだけですので」
きっとアンナの兄も義姉にそう言って納得させたんだろうな。
「着替えはこちらを用意したのですが」
部屋に案内され、用意された服を見る。お金持ちの子息が着る極々普通の物だけど、アンナはなにやら不満げだ。ちなみにカルロは着替えてから合流しているので、部屋の外で待っていてくれる。
もじもじと顔を赤くしながら、アンナはクローゼットから別の服を取り出した。
「レオさんに似合う服って考えてたら、どうしてもこちらが良いかと思いまして。あの、ダメでしょうか?」
出してきたのはレースが施された可愛らしいドレスだ。どうせ変装するのなら思いっきりやったほうが良いか。母譲りの儚げな雰囲気を持つ僕だし、似合わなくはないだろうし。
「いいよ、こっちの方が楽しそう」
可愛くしてねと微笑めば、アンナは顔を赤くして頷いた。
アンナが用意したのは水色のレースをあしらったドレスで、町歩きしやすいようにブーツを合わせる。コルセットはつけないが、胸の下で絞ってあるつくりなので、リボンのベルトをそこに巻き付ければ、男っぽさは消えている。首元にスカーフを巻いて鬘を被れば、お金持ちのお嬢様って感じになった。
「ドレスってなんか足下がすずしい」
「ですので色々下着つけるんです。そうするとスカートの部分が綺麗に膨らむので」
「なるほど。それにしてもアンナは化粧も出来るんだね」
「ええ、ええ。お店のお姉様達に仕込まれましたので。歩くときはゆっくりと一歩を小さくすれば、より女性らしくなりますよ」
僕の出来に満足したのか、アンナがにこにこと笑みを浮かべている。というかいつもより楽しげだし、距離も近い。
「こっちの格好の方が付き合いやすい?」
「レオさんがより美しく可愛らしくなるので。……なんでしょう、男性の方が女性の服を着て美しくなるのを見るの、とても悦びがあるのですが」
新たな悦びを発見したアンナを急かして外に出る。カルロには時間が掛かるからとお茶を出してくれていたようだ。
「カルロ、お待たせ。さっそく行こう」
紅茶のカップを持ったまま、ぴくりとも動かないカルロに話し掛けてみるが反応はない。仕方なく肩を叩けば、ようやく正気に戻ったようだ。
「レ、レオ…?」
「そうだよ、声で分かるよね」
「街では小声で話すといいでしょうね」
アンナに同意して頷く。僕の身長は低くもなく高くもないので、ヒールを履いて髪を盛った貴婦人より小さいくらいだ。これならこの先、街に行くときこういう格好しても良いかなと思った。
『ヒヒヒ、中々に化けたなレオナルド。カルロがじいっと見続けてるぜ。笑いかけてやれ』
まじまじと見つめているカルロににっこり笑えば、顔が真っ赤になった。