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07

 学園の敷地内に広々と広がる森林がある。


 といってもちゃんと整備されていて、散歩する為の道もきちんとある場所だ。整備されているとはいえ、自生する草花も多いので、課題をするにはうってつけだった。

 それにわざわざこんな場所に来なくても、庭園に行けば同じような場所があるので、他の生徒はそちらに向かっただろうし。

 人気のない場所で二人で課題を始める。見つけた草を図鑑と照らし合わせて、効能だとか何がどうとか纏めれば良いのだ。研究発表というものがあるけれど、それは優秀なグループのみで、基本的に提出さえすれば単位は貰える。


「へえ、上手だね」


 カリカリと紙に草花をスケッチしているアンナの手元をのぞき込む。綺麗に描かれたそれは、草花の特徴をちゃんと捉えられていて、とても上手だった。

「手先を動かすの、好きなんです。家の手伝いをしていた頃は、服とかも考えて作ってたりしてたので」

「それなら、ルチアーナの作る服とか興味あるの?」

 聞いてみると、アンナは少し考えるような間の後で、首を横に振った。

「ルチアーナ様の作られる服は、庶民向けの物が多いですから。私の場合、家業もあって貴族の方が着るようなドレスとか、胸元が開いた大胆な服をよく縫ってたので、そちらの方が好きなんです」

 なるほどと僕は思う。ルチアーナの作る服は大衆向けで、大公領の領民の娘達は確かに小綺麗になった。けれども王宮ではやっぱり昔ながらのドレスが主流だし、庶民のする格好を貴族がするわけもなく。

 そんな事をつらつらと考えていると、意を決したようにアンナが真剣な顔で訊ねていた。


「レオさん、…貴方の身分を聞くのはとっても失礼に値する事だってわかってます。けど、あまり表だって対立してしまうのはどうかと思うのです」


「僕がどこの誰だか気付いてるの?」


「その、なんとなくですけど。確信はありませんし。あの、でもですね、レオさんとお話するのは、とても興味深く楽しい事なのですけど。私と居る事で、貴方に良くない噂が立つのは、とても嫌です」

 婚約者のいる男女が一緒にいるから、変な噂を流されるわけだ。別にルチアーナだってやってることだし、ブリジットだって彼女に憧れる男子生徒を周りに侍らせていたりして、お互い様のような気もするのだけど。

「僕の噂なんて、いまさらだしね」

「でもこれからの事を考えるなら、少しはどうにかした方が良いと思います」

 アンナのもっともな言葉に、そうかもと僕も同意した。

 しかしルチアーナ劣化版のブリジットと今更仲良くする気は起きないし、ラニエロも僕の事を睨んでたので面倒くさい。僕を通してルチアーナと仲良くなりたいのが見える相手なんて、お断りである。

「アンナさんの方がよっぽど話しやすいから良いんだけど。…あ、君のお兄さんとお父さんて野心家だったりするの? 権力を手にあれやこれやしたいとか」

「ありません。父も兄も根っからの商売人ですので、お金の事に関しては貪欲ですが、権力にはあまり近寄ろうとはしません。王宮で商売が出来るのなら擦り寄ってくるでしょうけど、自分で色々やってお金を増やしていく事が大好きな人達なので」

 権力に固執しないのならそれは良い。

 アンナは頭が回るし、側にいてもらうには良い相手だ。

「アンナさん、僕と特別な友人関係になるってのはどう?」

「……会って数時間の相手に言う言葉じゃないかと思いますけれど。そんな方に、私の事を話すのはどうかと思いますが…。その、私は男性に興味がありません。性行為も出来るとは思えません」

 アンナは顔を俯けたまま、言葉を続けた。

「私、どこか可笑しいのでしょう。美しい女性が好きなんです。…幼い頃、娼館で育てられました。そこで娼婦の姉様達から色々と教え込まれて、多分彼女達は娼館の主の娘へのやっかみで行ったのでしょうけど、…私はそこで女性同士の歓びに目覚めてしまったんです。ですが男性と結婚するのが普通ですし、父の言うがままラニエロと婚約しました」


 お互いの気持ちなど関係のない政略結婚。アンナはわりきっていたが、ラニエロは違った。

 憧れのブリジットが嫌悪する家の娘が婚約者になってしまったのだから、怒りはわからなくもない。そしてその怒りをアンナにぶつけるようになり、無理矢理襲われたのだそうだ。ずいぶんと酷い事をする。

「その時、大量に出血してしまって、子供を産めない体になってしまったようです。それでなおさら、ラニエロの家は父に何も言えなくなり、ラニエロはますます私を嫌悪するっていう悪循環で…」

 淡々と話すアンナは、悲しんでいるようには見えない。

『ヒヒヒ、この女もぶっ壊れているな。普通は子供が産めなくなったら嘆き悲しむってのに、なんてことないように。違うな、こいつは女として男を受け入れるのが嫌でたまらないんだ。子供だって産みたくない。だからこそ、ラニエロの行為でそれをもうしなくて良かったと、心から思ってんだなぁ。ヒヒヒ、可愛いレオナルドみたいに、幼い頃からの積み重ねで作り上げられた逸品ってやつだ』

 ならなおの事ちょうど良い。子供を作らなくて済むのなら、それが一番なのだ。

 ジェラルド兄様と僕みたいな事になったら、子供が可哀想だもの。

「別に肉体関係はなくって良いよ。話し相手になってほしいだけだし」

「見た目ならブリジット様の方がお好みなのでは?」

「ルチアーナに似てるのに? おんなじのは別にいらないなぁ」


 それにルチアーナは特別に好きというわけじゃない。特別に好きなのはカラだけであり、カラの魅力は誰にも敵わない。


「……命令ならば従うしかありませんけど」

「商人に命令するなんて怖いこと出来ないよ。僕はアンナにお願いしているんだ」

「……正直、ラニエロと顔を合わせるのは苦痛ですし、結婚した後も同じ屋敷で顔も合わせない生活になったとしても、存在するってのが嫌で嫌で。…あの、出来たら男性の少ない所が希望です」

「侍女しかいないし、基本的にお相手するのは貴族のご婦人方が多いかな。式典とかは王妃が出るから、君の出番はないよ」

 僕の言葉にアンナはため息を吐いた。そして僕の方を真っ直ぐと見つめると、よろしくお願いしますと手を出してきた。その手を握りながら、疑問に思ったことを聞いてみる。

「ラニエロに襲われたのなら、僕も嫌悪の対象じゃないの?」

「男の方は確かに苦手ですし、ラニエロに近づかれると感情はともかく体が震えてしまいます。でもレオさんの場合、男性っぽくないから平気なんです。……レオさんにこんなこと言えば、首が飛びそうですが。娼館で女性に興味のないお客様の為にいる方々のように、男でもなく女でもないような、そんな不思議な空気を纏っていらっしゃるので」


『俺様が子供の頃から仕込んでやったからなぁ。ヒヒヒ、この女よく分かってるじゃねえか』


 楽しげに笑うカラに、僕は色々と教え込まれた数々を思い出して顔が赤くなってしまう。僕の反応に気付いたアンナは、何も言わずただ意味ありげに微笑んでくれていた。






 課題を仕上げ提出したついでに、王宮に手紙を書いた。内容はチェスティ家の娘アンナと仲良くなった事、この先も特別に友好関係を続けていきたい事だ。

 別に揉め事を外に持ち出すわけじゃないので、なんの問題もない。父も学生時代に仲良くなった生徒をこうして、公妾として迎えていたのだ。ジェラルド兄様の母となった人とは恋愛関係にあっただろうけど、それ以外の公妾の方々は主に父や母の公務のフォローや、貴婦人達を纏めたりという仕事をしていた。有能な女性を王様が側において仕事を任せるとなると、公妾が一番簡単に与えられる地位と権力なのだ。

「アンナとは上手くいきそうな気がする」

「ヒヒヒ、まあ使える女ってのは間違いない。いまは大人しくしてるが、化ければ遣り手になるぜ」

 手紙を蝋で閉じて、持ってきた魔法の掛かった箱に入れた。ここに入れると直接、父の公務室に届く仕様になっている。秘密裏に物事をやり取りする為の道具は、王宮でいくつか所有しており、これもその一つだ。

「俺様が仕込んでやってもいいぜ」

 つまりそれは、アンナとカラが一緒に居ることになるのではないだろうか。それはちょっとやだなと思うと、カラは笑みを深くして言った。

「ヒヒヒ、冗談だ。可愛いレオナルド、嫉妬でもしたか? 俺様はアドバイスをしてやるから、仕込むのはお前が頑張るんだぞ」

 見透かされたそれに頬を膨らませれば、カラは声をあげて笑った。



 薬草学の講義は週に2回しかないので、アンナと顔を合わす機会は少ない。

 と思ったら、次の日のマナーの講義でばったり会ってしまった。人数が多いので、お互い気付かなかったようだ。いやそういえばこれ必修だから、同じ学年の生徒は全員いるか。大人数なので、教師が適当に振り分けた三つのグループで行うのだけど、アンナとは偶然にも同じグループになったようだ。

 さっそく声を掛ければ、驚いた顔をしたがすぐに挨拶を返してくれた。そしてちらりと後ろに視線を送るので、僕もそちらを見ればそこには、ブリジットとラニエロの姿もある。

「もしかして薬草学で一緒の人が多いのかな」

「ええ、そうなんです。相変わらず、ブリジットさんは私のことを言いふらしていますしね」

「先生は注意しないの?」

「……様子見だと思いますよ。なんといってもルチアーナさんと良好な関係を結んでいるレオさんが同じグループで、しかも私と話しているじゃないですか。この先どうなるか、出方がわからないって感じですね」

「ああ、僕がどっちの肩を持つかで、対応が違ってくるわけだね」

 表面上はルチアーナとなんの問題もないのだから当たり前か。政治的なあれやこれやは持ち出さないが、ちょっとでも何かしたら王宮に連絡が行くだろうし。

「そうそう、父様に君のこと伝えておいたから。今頃、偉い人達と頭を悩ませてるんじゃない」

「……そう、ですか。はぁ、私も了承した事とはいえ、なかなか波瀾万丈な学園生活になりそうですね。…こんな事聞くのはどうかと思いますけど」

「気になるなら聞けばいいよ」

「レオさんは婚約者の方がお好きではないのですか?」

「うーん、嫌いじゃないけど、好きでもないかな。というか彼女、僕の兄様が好きだし」

 いつも二人で見つめ合っては、特別な時間を過ごしている。お互い言葉に出さないが、態度でひしひしと伝わってくるのだ。

「かなりのスキャンダルをさらりと……」

「庶民はこういう話好きなんだ? 貴族同士でもさ、公妾とか不倫とか色々あるし、ドロドロしてるよね」

 むしろ庶民の方が一夫一妻なので、公妾をつくったりする貴族よりよっぽどまともな気がする。

「なんだか達観してますね」

「子供の頃からすぐ側に優秀な兄様がいて、周りの大人がとやかくいう環境だとこうなっちゃうよ」

「…確かに。私も似たようなものですから、なんか分かります」

 娼婦達に弄ばれたというアンナにも何か通じるものがあるようだ。憧れから恋へと育つ過程をすっ飛ばして、肉欲の果ての悦楽を知っている僕らにとって、普通に恋をする感覚がよくわからない。

「そうですね、私の場合憧れるとしても同性ですし。そしてそこから発展するのは肉欲に繋がっちゃいますし」

「僕は兄様に憧れるけど、それとは違うしなぁ。難しいね」

「きっといつか私達にも分かる日が来るかもしれませんから、気長にいきましょう。分かる日がきた時は、お互いにお祝いしませんか?」

「それはいいね」

 僕にはカラがいるから、分かる日は来ないだろう。けどアンナが恋を知る日がきたら、祝福してあげたいなと思った。

 そんな事を話しているうちに、先生がダンスのマナーについて説明しはじめた。たいていの生徒は家にいる頃に習うので、改めてのマナーの確認である。家で習っていると、大人数のホールで踊る事はないので、今のうちに練習するべきとの事だった。

「レオさんだと、実際に踊る時どなたとになるんです?」

「一曲目はルチアーナとで、その後は自由になる筈だよ。うーん、政治的に考えると懇意にしてますよアピールの場みたいなものらしいから」

「ですよね。そして大人数で踊る事はなさそうですね」

「確実に場所を空けられて、皆の注目の中で踊るわけだよ。一つのミスも許されないね。今まではあんまり出なかったけど、ちょこちょこ顔を出してはいたし、妙齢のご婦人のリードで何回か踊ったこともあるけど」

 中々緊張するものだよと笑えば、アンナは肩を落とした。これからはアンナもそうなるのだから、今のうちに慣れておいた方が良い。ダンス程度で疲れていては、その後の腹の探り合いでもっと疲れる事になってしまうだろうし。

「私としては商売をしている姉様達をみているので、そちらの方が得意です」

「それは心強い」

 どれくらい踊れるのか聞いてみると、それなりにとアンナは言った。僕も同じだけど、舞踏会が開かれたとして僕に向かって下手くそだなんて言える貴族はいないだろう。

「僕の父様もあまり得意じゃないんだって。母様の足を何度か踏んだらしいし、それで仲が一層悪くなったとかどうとか」

「……その話だけでも、庶民が飛びつくスキャンダルかと」

 そうして話しているうちに、僕たちの順番になった。いつの間にか周りは自然と男女同士で組んで踊っているので、アンナと僕だけが残っていたのだ。そうして皆が踊っている大広間に入るという設定で、その輪の中に入っていくのだ。

 一礼してアンナに手を差し出すと、アンナも淑女の礼をして手を取り合い一歩を踏み出した。


 大勢の中で踊るのはこんな感じなのかと、人の視線のない状況に気持ちが楽になる。アンナはダンスに一生懸命なのか、必死にステップを踏んでいた。その所為か、一曲終わる頃にはヘトヘトになっていて、うっすらと汗も滲んでいた。

「こればっかりは慣れだしね」

「……努力いたします」

 ハァハァと肩で息をするアンナを労っていると、パチパチと後ろから拍手が聞こえてきた。

『レオナルド、あの劣化版が来たぞ。ヒヒヒ、上手く遊んでやるといい』

 カラがブリジットの来訪を告げる。やっぱり絡んでくるんだと思いつつ、僕は後ろを振り返った。


「素晴らしいダンスでしたわ。私、お二人の仲睦まじいお姿に感激いたしました」


 どこか嘲笑うような表情のまま、ブリジットが近づいてくる。取り巻きの女生徒や男生徒も一緒だ。ラニエロもいて、思い切り僕を睨んでいる。別に良いのだけど、彼らの頭に僕が王太子かもしれないっていう不安はないのだろうか。アンナを虐めるのに頭がいっぱいで、そこまで思い至らないのだろうか。なんにせよ、そういう方々はカラの言うように、上手く使って捨てた方が良いだろう。


「それはありがとうございます」


 ブリジットの言葉に笑顔で返すと、眉間に皺が寄ったのが見えた。すぐに取り繕うと、ブリジットは僕とアンナを見ながら再び口を開く。

「もしお二人が特別なご関係なら、私が多少なりとも口を利きましょうか? 知らないかもしれませんが、アンナさんとラニエロさんは親が決めた婚約者同士なのですの。ですがそれで仲睦まじいお二人を引き裂くのは、愚行というものでしょう」

 クスクスと周りの生徒が嗤っている。自分より身分が高い者がいるなんて考えてないのだろうなと、呆れてしまう。いや居たとしても、大公の覚えの良いタッシナーリ伯爵が居れば怖いものなんてないか。

 王族は僕だけだし、現騎士団長の子供で入学しているのはいまのところカルロだけだし、ルチアーナの入学は来年だしね。ゲームのキャラクターで他三人はルチアーナと同学年なのでまだいない。たしかにそれを考えると、ブリジットの態度の大きさはなんとなく分かる気がした。


「私の父に言えば、きっと良いように取り計らって下さいますわ。それにここにいる方々も、この事に力を貸して下さいますでしょう」


 ブリジットの言葉に続くように、ラニエロが話し掛けてきた。

「そうだな、アンナ。お前は俺とじゃ嫌なんだろう。嫌いな人間同士が一緒にいても仕方ない、ここはブリジットさんの力を借りて、お前の幸せの為にどうにかしようじゃないか」

 降って湧いたアンナとの婚約破棄のチャンスに乗っかってきたようだ。婚約破棄など出来なくとも、タッシナーリ伯爵家としてはアンナの父に少しでも仕返しが出来るチャンスというわけで。

「……もうお好きにどうぞ」

 ぼそりと呆れたような声でアンナが言った。それは僕に対して言ったようだけど、ブリジットにも聞こえたらしく、笑みを深くしている。

 僕は笑顔でブリジットに向かって言った。

「ブリジットさんの父様といえば、タッシナーリ伯爵でしたか? その、学園内での揉め事を外に持ち出すのは、伯爵にご迷惑がかかるかと思うのですが」

 食い付いたと言わんばかりに、ブリジットが笑みを深くする。実際は大口を開けたアクマの口の中にいるのに、その愚かさは少し可愛らしいと思ってしまった。僕たちの様子を遠目から見ていた教師の顔が青ざめてる。教師達は僕の事を知っているのだから当たり前か。

 決定的な事が起きる前にどうにかしようとしているらしいけど、ブリジットはそんな教師の想いなんて気付かずに、さらりと言い放った。


「これはお祝いになりますもの、揉め事ではありませんわ。タッシナーリ伯爵家の名に掛けて、お二人の事を応援致します」


『ヒヒヒ、言い切った、言い切った! 教師も見ている目の前で言い切った!!』


 カラが揺れながら喜んでいる。僕もブリジットの愚かさがとても嬉しいので、満面の笑みでお礼を言った。


「それはお心強い。心から感謝します、ブリジットさん。ではさっそく、父にお話をしておきますね。僕とアンナさんの友好は、タッシナーリ伯爵家から強い支持を受けていると。同じ講義を受けている方々も祝福してくれたと、しっかりと」


 にこにこと笑う僕に、ようやく何かがおかしいと気付いたようだ。けどもう、全部遅い。教師の一人が慌てて外に出て行ったから、学園長か誰かを呼びに行ったのだろう。

 呼んできたところで、どうにもならないけれど。


「ところで、貴方の家名を聞いても? 学園内で家名は名乗らないとありますが、生徒同士ではあまり関係ありませんもの」

「そうですね、その通りです。でも恥ずかしいので、家名の事は、ここにいる皆さんだけの内緒にして下さい。どうか他の方々には言わないで下さいね」

 勿体付けないで早く言えといわんばかりのブリジットに、僕は心から笑った。あとでアンナに聞いたら、普段は儚げな印象を受ける笑みだけど、その時の満面の笑みは残虐さも感じて綺麗で怖い笑顔だったらしい。


「僕に家名はありません。名前はレオナルドです。サントリクィド国のレオナルド、それが僕です」


 王族には家名がない。名乗り方があるとすれば国の名前を言ってからの王子レオナルドとか、王太子レオナルドですって感じだ。ただし学園は公式な場でもないし、家名がなく名前だけとなれば、思いつく人物は一人しかいないだろう。教師がいるこの場所で、わざわざ偽名を名乗る不敬を働く馬鹿などいないわけで。生徒は皆、そういう事をちゃんと言い聞かされてから入学してくるわけで。


『おやおや遅い登場だ。あれは学園長か? 可哀想に高齢なのに走らされているぞ。講堂の裏口で待機してるぜ』


 ちょうど講義も終わる時間帯だった為か、僕たち以外の生徒は皆、外へと出される。広い講堂で揉めていたのは気付いていたかもしれないが、内容までは聞こえなかっただろう。昼休みになるし、足早に食堂へと向かう楽しげな声が聞こえてきた。


 僕とアンナ、そしてブリジットとその取り巻きだけになった講堂に、学園長が入ってくる。カラの言うとおり走らされたのか、息が荒い。ある程度、教師から揉め事の内容を聞いていたのだろう、僕に向かって頭を下げた。

「どうしたのです、学園長先生」

「……この度は我が校の生徒が大変失礼を致しました。この場で貴方様の身分を聞き出す無礼、そして家名をつかっての行動など、数々の問題行動がある事は認めます。ですがいまだ学ぶ身でありますゆえ、どうか寛大なお心を…」

 必死に頭を下げる学園長に、僕の言った事が本当だったのだとようやく事実を飲み込めたようだ。固まったままだった生徒達の顔色が蒼白になっていく。

「僕もこの学校の生徒ですから、ここでは同じに扱ってください。といっても、難しいでしょうけど。でもブリジットさんは何もしていませんよ。他の生徒の方々もです」

 気にしないでほしいと言えば、学園長はホッとしたようだった。いくら王族も平等に扱うという建前があったとしてもだ、この学園を運営できているのは王の許しがあるからこそ。しかも王子と自ら明かすこともなく、大人しく真面目に講義を受けていたのに、揉め事に引っ張ったとなれば、学園の未来があるかなんていったら、ないと考えるのが普通だろう。

 まあそんな状況でも生徒を庇うあたり、学園長も色々と苦労しているのだなと思った。

「すみませんでした、先生方。ブリジットさんが親切に申し出てくれたので、つい僕も嬉しくなってお願いしてしまったのがいけなかったんです。こういう事は、ちゃんと書面に認めなければいけませんでしたよね」

 名を呼ばれ、えっと間抜けな声を出すブリジット。可哀想に顔は青ざめて、小刻みに振れているようにも見える。


「ここにいるアンナと僕の友好関係を後押ししてくれるそうなんです。こちらの生徒の方々も。……お祝いのようなものですから、学園の外にこの話を持ち出しても大丈夫というお墨付きも頂きましたし、ね」


「し、しかし父上様がなんと言われるか」


 言い募る学園長に、僕は大丈夫ですと安心させるように言った。

「父にアンナのことは話してあるので、問題ありません。…そうだ、学園長からもブリジットさんのお父様にお話していただけますか? これからもブリジットさんは僕達の仲を応援して下さるそうなので」

 学園長から貴族に何か言う事は普通はあり得ない。いいや、あってはならない。

 けれど今回、ブリジットの発言は問題が多過ぎた。下手をすると大公家から縁を切られるか、王家から縁を切られるかもしれない。学園内での揉め事は持ち出さないとなっているが、果たしてタッシナーリ伯爵は娘の話を聞いたところで、王宮に顔見せに出てこれるかどうか。

 娘と縁を切るなんて言い出し兼ねないが、それはブリジットが可哀想なのでそうならないようにと配慮した上での提案だ。学園長もそれが伝わったのか、わかりましたと頭を下げた。


「レオナルド様、王子である事を公言されるのは…」

「大丈夫です。内緒にしてくださいねと、皆さんにお願いしましたから。…ねえ」


 僕が言えば、他の生徒は声も上げれず首を縦に振るだけだった。別に僕はずっと笑っていただけなのに、失礼な。

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