06
入学式が終わり、教師陣からの挨拶も終わると、いよいよ授業のオリエンテーションが始まる。一週間ほどでどの講義に出席するか決め、学園に提出しなければいけない。取らなければいけない単位や学ばなければならない授業などもあるので、自分自身で予定を組みたてるのはなかなか面倒だ。
中庭の隅にある人気のない木陰に座り、貰った紙を見ながら頭を悩ませる。
ちなみに僕レオナルドの顔をちゃんと知ってる生徒は少ない。
公務で式典や夜会に参加したりはするが、ここの生徒達の親世代しかいない。なので、同世代の顔見知りは皆無だ。
ルチアーナを通して何人かは知っているけれど。その何人かは、カルロ含めルチアーナに心酔しているので、僕に対してあまり良い感情をもっていない。
なので同じ学年の生徒達は、見慣れない僕を田舎から出てきたか、隠し子かなにかと思ったらしく、話しかけてもこなかった。僕も自分から進んで話しかけなかったので、ひとりぼっちである。カラがいるから良いけれど。
「…カルロは僕の事、ルチアーナに言ったと思う?」
『絶対に言わないさ。騎士団長とか宰相は、罪悪感ってのを刻みつけたんだ。きっと俺様が見せた幻覚なんかより、もっとずっと気持ちを込めて喋ってるぜ。ヒヒヒ、カルロは真面目でいい奴だ。秘密にしろと言われたら、言えるわけがない。きっと今頃、悩みに悩んで、やつれているかもなぁ』
そんなものかと思っていると、カラにイベントが近くなったらちゃんと教えてやるからと言われた。それなら僕は、ゲームの事などよりまず目の前の問題を片付けよう。
『可愛いレオナルド、学びたいものはあるのか? 教育はどんな物にも勝る宝だぜ。ヒヒヒ、バカでも王様になれるが、バカじゃ王様でいられない』
「……ある程度は王宮の教師達から学んだけど、僕の場合ずっと一対一だったからなぁ。大勢で受ける講義とか苦手かもしれない」
人から見られるのは式典だけで十分である。どうせ学園を卒業して公務に本格的に関わるようになったら、苦手とかそんなもの関係なく、人前に出なければならないのだから、今くらいは心穏やかに過ごしたい気もする。
なら小規模な応募者が少ないものを受けたらどうだと、カラからアドバイスを受ける。
内容を見ればなかなか興味を惹かれるものだったので、必修のもの以外をそれらにすると、中々に尖った時間割になってしまった。一日ぎっちりと詰まった日と、スカスカな日もある。考え直すのも面倒なので、これで良いかと学園に提出した。
教師達は貴族達の家名を知っている。じゃなきゃ、護衛とか無理だし。けれど決して、彼らから誰がどこ家の誰だとか話さない。学園長がそういった禁則事項を話せないよう魔法を掛けているのだそうだ。緊急事態や例外を除いて。
魔法ってなかなか便利だなとは、カラの言葉だ。
ただその魔法にひっかからない対象がある。
それが生徒達である。学園に入る前に知った情報を話すのも、自分の家の事を話すのも仕方のない事で、それで知られてしまうのは学園の関与外なのだそうだ。
今年は僕という王太子が入学しているので、取り巻きになろうと僕を探す空気もある。だけれど、僕の特徴といえば髪の色くらいで、白に近い金髪は珍しいけれどいないわけじゃない。そして式典は室内で行われるのが多く、そうなると照明の影響で僕の髪色は真っ白に見えるらしい。
普通に近くで見れば、薄い金髪なのだ。日の光の下ならなおさら、金髪にしか見えない。印象がまるきり違うので、僕が自ら言わない限り、誰も僕が王太子だとは思っていないようだった。
ジェラルド兄様のように、飛び抜けて頭が良いわけでもないしね。
というわけで、講義でグループで研究発表とかそういうのがあるとき、爪弾きにされるわけだったりする。
僕と、もう一人の女の子もだ。
薬草学の講義で、学園の敷地内に自生する薬草の採取と記録の研究発表が課題として出されたのだ。薬草は見分けが難しいものもあるので、必ず自分以外の人間に確認して行うようにと、最初の講義で教師から厳しく言われた。
なので一人でやるわけにはいかないが、少人数の講義とはいえ、すでに教室内にはグループが出来上がっている。
どこかに入れてもらうしかないかななんて周りを見渡していると、一人の女の子が俯いたまま座っているのに気付いた。というか、すぐ近くに女の子のグループがいくつかあって、彼女たちはどこか嘲った目で彼女を見ている。
『ヒヒヒ、どんな場所でもこういう事はあるんだなぁ。ああ、面白い』
カラが楽しげに揺れているので、何が起きるか見届けてから女の子に話しかけるのも良いかなと、大人しく見守る事にした。
「アンナさん、もし組む方がいらっしゃらないのなら、私が誰か探してきてあげても良いのですよ」
グループをまとめているらしき少女が、俯いたままの少女に話しかけた。どこか棘を含ませた物言いに、少女は俯いたままビクリと体を震わせた。
「貴方のお父様のように上手くはありませんが、アンナさんにぴったりの方をあてがってあげますわ。ああでも、アンナさんなら私が手を貸さなくとも、殿方をお誘いする手管はご存じかもしれませんけどね」
少女の言葉に合わすように、周りに居た少女達もクスクスと笑い声をあげた。
女同士の虐めというかアレは、なかなかすごいなと思ってみていると、周りに居た他の生徒がヒソヒソと話をし出していた。僕には聞こえないが、カラには聞こえるので、仕入れた話を楽しげに語り始める。
『ヒヒヒ、あの俯いてるのはアンナ・チェスティ。チェスティ家の養女で、父親は有名な豪商だ。金でチェスティ家の娘と自分の息子を結婚させて、そこに一番下の娘のアンナを養女として迎えさせたんだと。ヒヒヒ、豪商っていっても、扱ってるのは娼館。高級娼婦を何人も抱えているすげえものだ。そして金貸しでもある』
なるほど。
貴族は見栄っ張りなので、金がなくなる事も多い。だから金貸しとは縁が切れないし、娼館など貴族の男が通う場所だ。高級娼婦ともなれば、僕や父もお世話になった事がある。そりゃ、ぶっつけ本番で初夜を迎えるわけにもいかないし、女性の体の扱い方をしっかり手解きしてくれるのに、うってつけの教師なのだ。
もちろん秘密裏に行うし、秘密を漏らそうものなら命はない。ので、しっかりした身元で口の堅い者を厳選して選ぶ事になっている。貴族の息子ならだいたいは娼館のお世話になっているものだ。
でもそのまま娼館にはまってしまう者も少なくなく、女性からしてみればあまり良い商売をしていると思えないのだろう。
少女達の笑い声に耐えきれなくなったのか、アンナって子は立ち上がると教室を飛び出して行った。まあもう課題が出ているので、教室を出ても欠席にならないから大丈夫だろうけど。
アンナが出て行ったのを見て、先ほど声を掛けていた少女がまた口を開いた。
「皆様もアンナさんと組めば、お父様に口利きしてくださるかもしれませんわよ。ひとりぼっちで可哀想なのですから、ねぇ」
周りに居る他の生徒と共に睨まれる。これはアンナに同情して一緒にやろうと声を掛けるものなら、そいつが金か女目当てだと見るぞと言っているものだ。なるほど、普通の生徒なら揉め事を避けるだろうし、見て見ぬふりをするだろう。
僕はどうしようかなと思いつつ、他の生徒に紛れて教室を出る。とりあえず採取の時に必要な図鑑を図書館から借りてこなければと、ひとりで向かうことにした。
「どうしようかなぁ、あの子」
「助けてやれば良いじゃないか、王子様」
いつの間にか僕の隣に、少年の姿になったカラが歩いていた。赤毛で美しい顔立ちは変わらないけれど、背格好は僕と同じくらいだ。そして学園の制服を身に着けている。
「娼館なんて最高だぜ。金貸しもな。そんな所に集まる人間てのはロクでもなくて、美味いタマシイの持ち主ばかりだ。ヒヒヒ、あの突っかかってた女の親も、娼館か金貸しかで痛い目を見てるな。だから嫌悪する。だから蔑む。ヒヒヒ、あの女はどっちが強者か知らないまま吠える犬だな」
相変わらずカラは楽しげだ。そうして図書館にいく途中の廊下で、扉の向こう側を指さした。カラの指先がすいと動き円を描くと、その中で扉の向こう側が透けて見える。魔法じゃなくてカラの力なのだけど、凄いなと普通に感心した。あの女のタマシイを食べたおかげで、使える力が増したのだそうだ。
「さっきの、アンナって子だ」
「ヒヒヒ、逃げ出しはしたが課題の事は一応頭にあるみたいだな。図鑑を借りたが、組む相手がいないからどうしようってところか。お、他の生徒から横取りされそうになってるぜ」
ということは、僕が借りる分もなくなっている可能性が高い。
慌てて図書館の中に入ると、すぐ目の前でアンナと数人の生徒が揉めていた。カラの言ったとおり、一人ならどうせ必要ないだろうという話だ。
「ごめんね、その子と僕が組むことになったから必要なんだ」
声を掛ければ一斉に僕の方に視線が集中した。
「先生に言われたんだ。だから、それ必要なんだよね。数が足りないなら、一緒に使うっていうのもあるけど」
「……コイツと一緒に使うなんてお断りだ。…はっ、相変わらず手が早いな、もう教師にまでそういう手を回したのかよ。さすが成金貴族は違うな」
揉めていた一人が忌々しげに言葉を吐きすてる。そうして扉の所に立っていた僕を睨み付けると、外へと行ってしまった。
残されたアンナは、小刻みに震えている。少しして僕がいる事に気付いたのか、顔を上げてこちらを見てきた。
栗色の長い髪をきっちりと編み込んで纏めているが、ややふくよかな体つきはとても柔らかそうである。垂れ目がちで眉も下がっているせいで困っているような顔にも見えるが、警戒をしたまま僕を見つめていた。
「とりあえず、採取に行こうか?」
「……あの、先生に言われたからって、私と組むのはお勧め出来ません。他のグループに入れて貰った方が良いですよ。……ええと」
「僕はレオ、よろしくね」
にっこりと笑いかければ、アンナの頬が少しだけ赤くなる。こういう素直な反応は嫌いじゃない。
「レオさん、……私はアンナといいます。貴族の方々からにしては悪名高いチェスティ家の者です。先ほど、私の事を笑っていた方々をまとめていたのは、タッシナーリ家の三女ブリジットさんです」
へえと返事をする僕に、タッシナーリ家がなんなのか分かっていないと思ったのか、アンナが親切に教えてくれた。大公家と懇意にしている伯爵らしい。話を聞く限り、大公家の長女ルチアーナが何かしらする時に、職人の手配を手伝ったり品物を取り寄せるのに便宜を図ったりして、儲けのおこぼれを貰っているようだ。
所謂ルチアーナ派というわけだ。
「そんなブリジットさんがなんで、君に突っかかるのさ」
「……それは、私の本当の父が商売で大公領に娼館を開いてまして、何人かの貴族の方が娼館に入り浸って借金苦になって大公様に訴えたんです。うちの商売の仕方が悪いからだと言って、帳消しにして貰おうとしました」
大公は貴族の訴えを無視する訳にもいかず、アンナの父に商売の見直しを求めたそうだ。
「それでタッシナーリ伯爵の融通を利かせれば、大公様に取りなしてやろうっていう申し出を断って、大公領の娼館すべてを閉めて引き上げたんです。で、大公領に接している隣の領地でお店を開いたんです」
つまりアンナの父親はタッシナーリ伯爵の顔を潰したというわけだ。
「そうなると、たかが商人のくせにとか言ってきそうだけど」
「はい、なので父は以前から進めていた兄の縁談を纏めて、チェスティ伯爵家という後ろ盾を手に入れました。チェスティ家は借金苦で立ち行かなくなったとはいえ、古くから続く貴族です。爵位も同じで、さらに商売という強みがあるので、父に手を出すことは不可能になりました」
完全にタッシナーリ伯爵の面目を潰したのか。お手本にしたいくらい鮮やかなお手並みだ。
「君のお父さんて凄いね」
素直に賞賛すれば、アンナは嬉しそうに頷いた。が、すぐに顔を俯けてしまう。どうやら父の事は尊敬しているが、それが普通の貴族達から見たらよくないことだと理解しているのだろう。
「それでですね、…私と一緒にいるとタッシナーリ伯爵に睨まれるという事でして」
「学園の揉め事を外に出してはいけない事になってるじゃないか」
「それはそうですけど、でも万が一という事がありますし。もしレオさんが将来、タッシナーリ伯爵や大公様と会う機会があったりしたら、良くない噂みたいなのながされてしまうかもしれませんし。……あの、一緒にやってくださる申し出はとっても嬉しかったんです。先生に言われたにしても。ありがとうございます」
アンナはぺこりと頭を下げた。
自分の立ち位置をよく分かっているあたり、思慮深いとでもいうのだろうか。知らない事を丁寧に教えてくれるのも、話している雰囲気も結構好きだ。それを素直に言うと、アンナは顔を赤くしながらも驚いた表情を浮かべる。
「あのお気持ちは嬉しいのですが、その、…私にも一応婚約者がいますし」
もじもじとしながら、アンナが切り出した。そうなんだとあっさりと返せば、やや拍子抜けしたかのように目を丸くする。
別に婚約者がいてもおかしくないのが、貴族だったりする。養女といえど伯爵家。ならば政略結婚はいくらでもあり得るのだから。
「先ほど図鑑を譲れと言ってきた方です。ラニエロ・テスタ、やっぱりお金で婚約したので、ラニエロは私の事を嫌っていますし、ブリジットさんに憧れているので、私と一緒にいると間違いなく目の敵にされるかと。ラニエロの周りの方々も、ブリジットさんに憧れてますし」
そんなに人気なほど可愛かったかなと、ブリジットの顔を思い出してみる。つり目できつい印象を受ける顔立ちだが、たしかに美しいかもしれない。ただその髪型や佇まいが、どうにもルチアーナみたいに見えるのだ。
「なんかルチアーナに似てる気がする」
「えっと、ブリジットさんはルチアーナ様に心酔しているみたいで、髪型や服など率先して真似をしているんです。佇まいも、貴族の方なら誰もが見本にするべき淑女って言われてますから」
つまりブリジットはルチアーナの劣化版。あんまり見ていたくないものである。
なんだかなと思いつつ、僕はアンナに外に行こうと促した。
「あの、レオさん。私の話、聞いて下さったのなら、先生に申し出て他のグループに入れて貰って下さい」
「なんで、先生に? 別に先生から君と組めなんて言われてないよ。先生は誰かしら二人以上でやれって言っただけだし、僕は彼らにそう言っただけだよ。それに図鑑借りに来たんだけど、君ので最後みたいだしさ」
さあ行こうともう一度言えば、アンナは目を白黒させながらもついてきた。ぶつぶつと目立たない所でやれば大丈夫かしらなんて言いながら。