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僕の婚約者がやり過ぎたので婚約破棄したいけどその前に彼女の周りを堕とそうと思います  作者: 豆啓太


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ジェラルド・ソナリス 後

 謁見の間では、王の許しが出るまで平伏していなければならない。

 離宮を出て、大公の跡継ぎとなったジェラルドはもはや王の息子ではなくなったので、特別な場合を除いては、こうして他の貴族と同じ扱いとなった。なのにいつまで経っても、声が掛からなかった。

 どうした事かと、周りの人間もざわついている。


 お可哀想に、妾の子でなければ王となったのに。あのような卑しい出自の者に頭を下げるなんて。


 そんな声が聞こえてきて、何か様子がおかしい事に気がついた。一体何がと、僅かに顔を上げて王と王妃が座する場へと視線を向けてしまう。不敬だと言われかねない行動だったが、しかしそれよりも何が起きているのか気になってしまったのだ。

 そこにいたのは、王冠をつけたレオナルド。まだ戴冠式は行われていないはずだし、父が王として公務を行っている筈だ。だというのに、王の座にいるレオナルドは、堂々としたもので、薄らと笑みを浮かべてこちらを見ていた。

「まだ頭を上げて良いと言っていないのに、勝手に動くなんて。躾が足りないのかな」

 口調は見知っているものと変わらないのに、残忍で歪な視線が此方を見下ろしていた。

 

 そしてその隣にいたのは。

 目が合った瞬間、赤いドレスを身につけたそれは、口の端を持ち上げ、穢らわしいものをみるかのように言い放つ。


「浅ましい豚ね。今更私に媚びたところで、何を期待しているのかしら?」






 がばりと身を起こし、荒く息を吐く。心臓が早鐘のように脈打ち、煩いほどだった。

「…ジェラルド様、どうなさったんです?」

 隣で寝ていたジルダが、心配そうに声を掛けてきた。ぐるりと部屋を見渡し、ここがトフォリ家の屋敷内で、そしてジルダと過ごすための夫婦の部屋だという事に気がついた。そうだ、昨日は宰相の屋敷を出て、こちらに泊まったのだ。久しぶりに顔を見せた夫にジルダが喜び、トフォリ家が用意したこの部屋で二人過ごしたのだった。

 窓の外を見れば、うっすらと明るんでいて、まだ朝早い時間だという事が分かる。

 先ほど見たのは夢かと、ようやく落ち着きを取り戻して息を吐いた。それにしてもなんて嫌な夢を見たのだろう。レオナルドが王になるのは決まっている事だが、夢で見た王妃の姿を思い出そうとして、ぞわりと背筋が震えた。万が一にもあり得ない、王妃はルチアーナがなるというのにと、夢で見た少女の姿を振り払う。

 ベッドに横になれば、ジルダが側に寄ってきた。その体を抱き寄せると、恥ずかしそうに身を捩った。

「…昨夜のジェラルド様は、とても情熱的でしたから…」

 頬を染めている妻の言葉に、ぎくりと身を強張らせる。昨夜はここに来てからというもの、あのレオナルドの言葉を打ち消すかのようにジルダを抱き締めたのだ。そんな筈はないと何度も何度も自分に言い聞かせるかのようにだ。


 だがそれで、自分はアレを見て、まさかそんな。


「…ジェラルド様?」

「……いや、少し疲れてただけだ。すまない」

 心配そうにこちらを見上げてくるジルダを誤魔化して、目を閉じる。だがそれでも、夢で見たあの光景と昨日のアレとが混ざり合い、気は休まらない。

 レオナルドは約束通り、エリヴィアのドレスと肖像画を渡してくれた。ご丁寧に頑丈な箱に入れてくれてだ。それだけ大公領に個別に送るわけにもいかないので、トフォリ家に持ち込む事となった。ジルダは中身を気にしてはいたが、聞いてはこない。夫の仕事に関わる事は機密もあるだろうからと、自ら聞かないように努めているようだ。これなら大公領で一緒に住むことになっても、クリスタの様にジェラルドを束縛したりしないだろう。

 だがそれが、不思議と物足りないと感じてしまいそうになったが、こんな考えは間違っていると必死にそれを振り払おうと、ジルダを強く抱き締めたのだった。






 王宮に出向いたのは、ルチアーナから頼まれた婚約破棄の件を父に進言する為だった。レオナルドとの昨日のあれはさておき、父から大公領についての報告も求められていたから、そのついでにルチアーナの事も話そうと考えていたのだ。

 夢で見た謁見の間ではなく、執務室に呼ばれたのは、何かしら内密にしたい話があるからだろう。以前から父は、レオナルドとルチアーナの仲はどうなのか心配していた。否、ルチアーナが王家に嫁いできてくれるかどうか、それを酷く気にしていたのだ。まあ考えてみれば、ルチアーナの才能は凄まじいものだ。

 あの若さで事業を興し成功を収めている。

 常識にとらわれない突飛な考えをする時はあるが、最終的にはこの国の利益に繋がり、彼女の知識と手腕は是非とも王家で手に入れたいと思うのは、王として当たり前の事だろう。

 問題があるとすればテレシアの影響力が増す事だろうが、そのテレシアは亡くなってもういない。大公家の権力はジェラルドが継ぐ事で、より王家が盤石のものとなるだろう。だが肝心のルチアーナが、レオナルドと結婚したくないというのは、かなりの問題だろう。

 もしこれを父に報告すれば、何らかの手を打つに違いない。もしルチアーナが婚約を破棄した場合、大公領に戻り生涯を終える事はなく、どこかに嫁ぐだろう。だがそうなると、王太子であるレオナルドに傷が付く。いまだ人気の高いルチアーナが結婚したくないと、王に願い出るまでに嫌な相手だとなれば、国内外で相手となり得る娘がいなくなる。


 一瞬、昨夜見た夢が頭を過ぎるが、夢は夢だ。あり得ない事なのだ。


 父と二人、大公領の事を淡々と話す。思えば親子とはいえ、会話らしい会話はこういった公務の事くらいしかしたことがない。優しい言葉も態度も、もらった事はなかった。だがそれでも、自分を見る目が慈しむような物であることは、理解していた。そしてそれが、レオナルドに向けられていない事もだ。

 レオナルドの出来は、父には物足りなく映ったのだろう。

 もしジェラルドが生まれてなければ、きっと十分に満足いく息子だったに違いない。だが自分が居ることで、もっと良い国が出来ると、父に欲が出たのだ。

「…そうか、大公領での公務も滞りないか」

「はい」

「…テレシア叔母上が亡くなるとはな。ルチアーナは気落ちしてないか?」

「少し塞ぎ込んでいたようですが、…レオナルドが慰めたおかげで、学園にまた戻ると」

 そうかと王が頷く。

 ここでルチアーナの事を王に話すべきか迷った。もし話したら、レオナルドはどうなるだろう。弟を泣かせる口実になるかと思ったが、もしこれが取り返しの付かない事だとしたら、レオナルドの言うとおり、やり過ぎる事態となったら。そう考えると、強張って口が動かなかった。

「……お前が、王位を継いでくれたのならば、ここまで頭を悩まされる事はなかっただろうな」

 不意に、父がそんな事を呟いた。

 目を見張れば、深いため息を吐きながら、父が眉を寄せながら言葉を紡ぐ。

「レオナルドでは、この国の現状を維持するだけで手一杯だろう。そしてあれは、体が丈夫ではない。…お前には話してはいないが、幼い頃に負った大怪我の所為もあり、長くは生きられぬだろうと医者は言っておった」

 初めて聞くそれに、思わず息を呑む。

 確かにレオナルドは幼い頃、病で伏せっていると部屋に籠もりきりの時期があった。あれは母エリヴィアが死んで塞ぎ込んでいただけではなかったのか。鍛錬に身を入れないのに咎められないのは、甘やかされていただけではないのかと、次から次へと驚きと疑問が湧き上がる。

 父によればレオナルドの事は宰相と騎士団長のみが知っており、一時は王太子を外すべきか考えられたそうだ。

 だが他に子供もなく、エリヴィアの後添いを娶る事もなかったため、結局はレオナルドしかいない事から、彼を王太子とする事になった。

「…なぜです、エリヴィア様とは想い合って結婚したわけではないのでしょう?」

「そうだ、エリヴィアとは政略結婚だ。隣国との交易の為に、互いの利益の為だけに結婚したに過ぎない。彼女を偲んで再婚しなかったわけではない、…できなかったのだ」


 クリスタがいたから。


 そう重々しい口調で父は言った。

「クリスタが、…エリヴィアにしていた事はすべて報告を受けていた。だが私は、クリスタ愛おしさに何もしなかった。…あれとは学園の頃からの付き合いで、本来ならばクリスタが王妃になるかもしれなかったのだ」

「……母の生家の身分は、王家に嫁げるほど高くなかった筈ですが」

「侯爵家に養女に出す事でそれを解消し、結婚する事になっていたのだ。だが隣国の姫との話が持ち上がり、それも消えた。何より優先すべきは、国の為だからな」

 だが望んでいた結婚が出来なかったクリスタは、荒れ狂った。学園卒業と共に公妾となったが、離宮と王宮での振る舞いはまるで王妃の如くだったという。何年もしてからようやく隣国との結婚話が纏まった頃には既にジェラルドが腹に宿り、世継ぎが出来たと喜んでいたそうだ。

「公妾の子が王になる事はない。それをわかっていてなお、そんな事を言い出したのは、心が狂い始めていたからだろうな。お前も、あれが異常な行動をするのを、何度か見掛けただろう。……クリスタを狂わせたのは、余なのだ」

 王妃という存在はさらにクリスタの心を乱させる。異国の地に嫁いできた娘にも悪いことをしたし、これ以上は何をしでかすかわからないからと、クリスタの心の安定の為に王妃はエリヴィアのみとなったのだそうだ。

「最近は、嫉妬の目をレオナルドに向けている。何をするわけでもないが、それとなくあれを婚家に戻すのが良いかもしれぬ。だがそうなった時、クリスタはどうなってしまうのだろうな」

 ジェラルドが側からいなくなり、そして憎い女の子が王となれば、どんな事になるか。想像すら付かない事が恐ろしい。自分勝手な理論を並べ、さもジェラルドの為だと笑いそうだ。

「…レオナルドでは、きっとクリスタを抑えきれぬ」

 クリスタの周りにいるのは、ジェラルドが王となれば良いと考える貴族達だ。彼らとて権力を持っているから、簡単に排除出来る存在じゃない。ましてや何の罪も咎もないのだから、やり様がないだろう。

「だが、最近考えるのだ。お前なら、…お前が王位を継いでくれさえすれば、と。お前だったら、王位継承時の多少の混乱も抑えられるだろう」

 公妾の子が王位につくなど、許されるわけがないと言う者達を抑えられるだろうと父は言う。そして、レオナルドもお前になら王位を譲るだろうとも。

 兄弟の仲が悪くはなく、レオナルドがジェラルドに憧れ尊敬の眼差しで見つめているのは、王宮内でも有名な話だった。だからこそ、お前が言い出せばきっとレオナルドもと言われるが、そうは行かないことを知っている。

 レオナルドが生きている限り、国は割れるだろう。いかにジェラルドが優秀だとて、血統というものを重視する者達は一定以上いるのだ。内乱が起こるのは間違いなく、それを防ぐ方法はただ一つ。 


「……それは」


 自分はレオナルドを殺さなければならない。いいや、自分で手を掛ける事はなくとも、誰かがレオナルドを殺すだろう。レオナルドのみが唯一、王妃から生まれた子なのだから。


 もし、もしだ。

 もしそうなったら、レオナルドがいなくなったら。


 もしかしたらの未来を考えようとすると、心臓が脈打つのがわかった。こんな時こそ冷静に思考しなければと思うのに、何一つ考えが纏まらない。

 父は大公家の権力をそのままに、ルチアーナと懇意にしているのならば彼女を王妃に、ジルダを愛人にすれば良いだろうと言った。少しの反発は、その後のジェラルドの手腕で黙らせられるとも。本来ならジルダと結婚せず、ルチアーナと結婚してほしかったと言われた。否、そうするつもりだったそうだ。

 ジェラルドとジルダとの結婚は、父ですら予想外の事だったらしい。


「お前が望むのなら、今からでも結婚の事実はなくせる」


 その為にまだジルダとの結婚は周知されていないのだそうだ。王位を望むなら、またとない機会だ。


 けれど。


 兄様の事を理解出来るのは、僕くらいしかいないよ。可哀想に、哀れで惨めなジェラルド兄様。


 さも憐れみの眼差しを向けるレオナルドの顔が過ぎった。自分が王になれば、レオナルドはいなくなる。そして、彼女も。

 彼女はレオナルドの友人であり協力者なので、レオナルドなくしてはどうしようもない。もし無理矢理にジェラルドが彼女を引き立てたとしても、決して望むものはくれないだろうと言われた。


 自分の望むもの。


 王位が貰えるのならば、この国をさらに発展させる自信はある。文句を言うであろう貴族達を黙らせる事だって出来る。だがそれは果たして、本当に自分の欲しいものなのだろうか。


 父からの期待、周りからの期待。それらはずっと、ジェラルドが生まれてきてからずっとあったもので、欲しいものじゃない。


 今日の朝、ジルダはなんと言っただろう。

 昨日のアレを見て自分は、とても、そうとても興奮した事実は、どう足掻いてもなくせそうにない。あれほどの興奮と歓喜を感じたのは、いったいいつぶりか。初めてじゃなかっただろうか。


 レオナルドの言いなりになる事に、身を焼くほどの苛立ちを覚え、貴族の真似事をするたかが町娘に蔑まれる姿を見て、アレを己に重ねて。


「ジェラルド、お前が」


 兄様、本当に欲しいものはなにか、よく考えるべきだ。

 不意に弟の声が聞こえたような気がした。ああ、本当によく考えなければいけない。ここで返事を間違えてしまっては、二度と取り返しがつかないことだけはわかる。


 果たして自分は、王となったとき、この国のすべての人間を従えて満足出来るのだろうか。善政をしいて褒め称えられ、それらは今と変わらないのではないだろうか。優秀で立派なジェラルドは、王になっても変わらなかったと言われるだけだろう。

 今だって、レオナルドがいなければ王になれるかもしれないのにと、憐れまれる事はある。だが、だがもし、夢で見たあの光景が現実のものとなったら、周りからの同情の視線はもっと増え、傅くジェラルドはもっともっと屈辱に震える事になるだろう。


 それを考えただけで、途轍もない何かが背筋を這い上がってきた。

 ああ、それは。


 今までに感じたことのないくらいの。


「王位を継いでくれぬか?」


 劣った弟を前にして跪く屈辱が。ただの町娘に罵られるその状況が。

 あの蔑んだ眼差しが。


 エリヴィアの冷たい眼差しを思いだした。


 レオナルドが生まれて、強くならんとした王妃の眼差し。中庭で一人泣いていた時とは別人のような、あの強くて冷たい眼差し。周りの蔑む人間をやり返すあの涼しげな表情を、自分に向けて欲しかった。


 美しいあの人の顔が歪み、美しくも恐ろしい笑みを浮かべるあの顔。


 昨日見たリリーディアのそれと重なった。


「……父上、私は……」

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