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ソナリス大公領にやってきて、まず出迎えにやってきたのはソナリス大公ではなく、テレシアだった。その後ろにまるで家臣のように付き従っている大公夫妻がいて、ここでの力関係を見せつけられているようだった。ああ、やっぱり自分を縛り付けるのが、クリスタからテレシアに変わっただけかとため息を吐く。
「良く来ましたね、ジェラルド。貴方を歓迎しますよ。滞在中、不自由な事があったらお言いなさい」
さっそくこちらでお話しましょうと誘うテレシアを断って、ソナリス大公の仕事を手伝う旨を伝えた。
はやく大公領での職務になれたいのでと言えば、テレシアは嬉しそうに頷いている。ここが発展すれば私も鼻が高いわと、自分のこの申し出がまるでテレシアの為にしているのと勘違いしているようだった。
でもそれでいいと、ジェラルドは思う。クリスタと同じで、ジェラルドが真面目に何かすればするほど、その場所には近づいて来ない。
執務室まで乗り込んできて邪魔をする気がないのは助かると、義父となるソナリス大公と共に公務を行う事にした。
とはいえ、ジェラルドが裁決出来るものはまだない。養子になるのは決まったが、正式ではないのだ。レオナルドが成人した時に、新しい大公としてジェラルドの事も公の場で知らせる事になっている。口止めはしていないし、テレシアがそこら中で自慢げに言っているから、大抵の貴族には知れ渡っているが、結婚した事を知っているのは父である王と宰相、それからレオナルドとロドリ家の者くらいか。
少しでも知られたら、それこそジルダに難癖を付けて離婚させられかねないので、ジェラルドとしても大公になるまでは隠し通すつもりだ。
彼女と結婚する事が条件なのだから、絶対にだ。
それにジルダと離れて暮らしてはいるが仲良くしていると話をすると、レオナルドが困ったような顔で聞いているので、とても満足なのだ。
ジルダと子供が出来れば、もっとレオナルドを追い詰める事が出来るだろうか。だってレオナルドはともかくとして、ルチアーナの方は結婚に乗り気ではない。
彼の事を弟くらいにしか思ってないようだ。いや最近は弟というより、どこか嫌悪しているような雰囲気もある。
あれでは子作りどころじゃなさそうだし、彼女の周囲には見目麗しい仲の良い幼馴染み達がいるから、そちらの方に気がいっているのだろう。あれくらいの年頃なら、移り気なのも仕方のないことだ。
政略結婚だとて穏やかな家族をつくることは出来るだろうに、あの二人では冷え切ったとんでもないものになりそうだ。そんな状態で、自分がジルダと仲睦まじい夫婦で子供までできたとなれば、きっと手に入らない物を目の当たりにしてレオナルドは泣くだろう。大人になるにつれて泣いてくれる事が少なくなったから、見たいという欲求はどんどん強くなるばかりだ。
書類仕事の手伝いを侍女がしていると言われ、呆気にとられた。
ルチアーナが妹同然に可愛がっていると言われたが、所詮はただの侍女だ。それを大公家の執務室に入れるのは憚られるので断ると、ソナリス大公はもごもごと言い訳じみた事を呟き、どうにも態度が煮え切らない。
なんでもルチアーナが興した事業などを把握しているのがその侍女らしく、商会との橋渡しや書類などを取り仕切っているそうだ。ならばなおのこと、大公家の侍女にせず商会の有力者あたりと結婚させれば良いだろうに。
そちらの方が融通が利くようになるし、よっぽどやりやすくなる。
「誰か良い相手でもいないか、聞いてみたらどうでしょう」
「し、しかし、ジェラルド様。その侍女の事をルチアーナはとても可愛がっていて…」
「だったら尚更です。可愛がっていて手放さずに婚期を逃すなんて、それこそその侍女にとって可哀想な事ではありませんか。ルチアーナは王妃になる身、王宮に行くとしても侍女までは連れて行けませんよ。心細くて可哀想だと思われますが、隣国から嫁いで来る姫君でさえ侍女も何もかも持ち込めないのです。ルチアーナを特別扱いなどすれば、それこそ隣国から厳しい追及がくるでしょう」
ただでさえ、若くして前王妃は病死したのだ。それを国交の場に持ち出され穿り返されても面倒だろう。だからこそ、次の王妃となるルチアーナには、国内外から厳しい目が向けられるのだ。
「…それはそうだが」
「ルチアーナには、私から話しましょう。ですがこういったものは、先に済ましておいた方が良い。すぐにでも相手をみつけてしまいましょう」
「い、いやでもな。その、その娘と親しくしている男がいるのだ。だから有力者に嫁がせるのは…」
「ならなおのこと話は早い。恋人がいるのなら、後押ししたらよいでしょうに」
しかしだなと、ソナリス大公はどうにも乗り気ではない。相手の男は警備兵で、バルバード領から出稼ぎにやってきているそうだ。ならば大公領に移住させてしまった方が良い。
「でもなぁ、その歳がまだ」
「一体いくつなのですか、その侍女は」
「いや、…そのな。実はわからないのだ。十年以上前に、ここで人攫いの一団を壊滅したとき、捕まっていてな。親が見つからず、本人も記憶が曖昧だったということで、ここで引き取ったのでな」
どんな娘なのだと興味が出てきたので、では今連れてきて下さいと言うと、なぜか青ざめている。そうして何か意を決した様子で、執務室にその娘を呼んだ。
「……シルケと申します」
部屋に入った瞬間に向けられた視線に怯んだのか、気弱そうに肩を竦めて所在なさげにしている娘だが。問題はその容姿だった。魔族の特徴を色濃く出していて、話を聞けば十年以上前からさほど成長もしていないという。確実に魔族、もしくはハーフではないか。なぜそんな長い間、国にも報告せずここに暮らさせていたのだと、責めるようにソナリス大公を睨む。
「る、ルチアーナが…」
「すべて娘の言いなりだったと、王宮で言うつもりですか、ソナリス大公」
「い、いえ、そんなつもりはありませんが…、しかしですな。妹同然にルチアーナが思っておりまして…」
口調が敬語に戻って恐縮しているようだ。先程まで、義理とはいえ親子になるので普通に話してほしいとお願いしていたのだが、それすら吹っ飛ぶほど動揺しているようである。
しかし動揺してもこの事実は変わらない。
妹のように思うこととちゃんと養子として引き取るとでは、大違いだ。妹同然に思うなら何故、大公の娘として引き取らなかった。苦しい言い訳だが、ルチアーナと同等の教育と愛情を与え大事にしているのならば、魔族の特徴を知らなかったとシラを切り続けられる。いや、なんとか納得させる事が出来る。だがこの娘は、侍女だ。なんの後ろ盾もない、ただの侍女なのだ。
そして大公領から出すこともなく、ルチアーナの側仕えとして働かせている。つまり大公家は、魔族と知ってそれをわざと隠匿していた事になるのだ。
「レオナルド様にもそれを指摘されまして。ルチアーナは、機会があるのなら自分が魔族領に行って話を付けると…」
ルチアーナの発言に頭を抱える。それは王妃になってから、いやなったとしても何年も先になる事だろう。それまで隠しておいた事を、どう言い訳する気だ。
シルケと名乗った娘は、オロオロとしながらもルチアーナ様から離れたくないのですと言っている。彼女に仕えていたいと言うが、そんな事は出来ない事をルチアーナは説明しなかったのだろうか。
これ見よがしにため息を吐いて、いいかと厳しい口調で懇切丁寧に説明する。いくらルチアーナの仕事を手伝い、この大公家の執務室に出入りしていたとはいえ、魔族という種族的な事を除けばなんの身分もない娘だ。
「お前がここにいるだけで迷惑なのだ。出来ることならば、即魔族領に行ってもらいたい」
「で、でも、私…」
「これは命令だ。平民が口答えをするのではない。お前が話をしているのは、貴族なのだ。いいか、いくらルチアーナが寛大な心でお前を妹同然と言っていても、妹ではないのだ」
そんなと悲痛そうな顔をしているが、知ったことではない。
この娘が原因で、魔族がこの国に攻め込んできたらどうする気なのだろうか。今すぐ荷物を纏めろと言えば、泣きそうな顔で部屋を出て行った。
あまりにも厳しすぎではとソナリス大公が言うが、では私が大公になった後は、あの娘をどうするおつもりですかと詰問する。
魔族もしくはハーフならば、数百年の寿命となる。その長い年月、一体誰が彼女を加護し育てるのだ。自分の子々孫々にまで面倒事を押しつけるつもりはない。
レオナルドの事は泣かして苦しめたいが、しかし戦争は困る。この国が滅びてしまえば、エリヴィアの佇む中庭もなにもかも、消え去ってしまうのだ。
ソナリス大公と長い時間、公務について話し合った後で、いくつか気になる資料を借りて部屋へと戻った。
どうにもこの大公領は、ルチアーナが統治しているようにも見える。
テレシアからルチアーナに引き継がれているようだが、彼女は王妃になるのだから、影響力を抑えた方が良いだろう。これからは自分がここの主となるのだ、テレシアには早々に退いてもらわなければならない。
そんな事をつらつらと考えていると、部屋に訪ねてくる人物がいた。
「こんばんは、ジェラルド様。突然の訪問失礼致します。ですが、どうしてもお話ししなければならないことがございまして」
フードの隙間から見える顔は痩せ細っており、酷く病的に見える。しかし大公の屋敷に、警備兵にすら気付かれず入り込む相手だ。
油断するわけにはいかないと睨み付ければ、そんなに怖い顔をしないで下さいと言われ、そのフードを取った。
よく見れば、佇んでいるのはジャンカルロだった。学園に通っていた筈だが、そういえばルチアーナが魔法の研究に集中する為に、屋敷を一つ与えたと言っていた。大公家の記録には残っておらず、もう一度調べ直すべきかと思っていたところだった。
「いくら君が、ルチアーナの幼馴染みだとて、少し礼を欠きすぎているのではないかな」
「お優しいジェラルド様なら、少しくらいは許してくださるかと。……実は、シルケの事で相談があるのです」
あの魔族の娘かと、顔を顰める。ルチアーナあたりに泣きついて、ジャンカルロをここに向かわせたのだろうか。
「あの娘、私の研究を手伝って貰っている大事な者なのです。どうか研究が完成するまで、ここに居ることに目を瞑って頂けないでしょうか?」
これはその研究の一つですと言って、何もない空間から女が出てくる。見た目はルチアーナのようだが、無機質にも見える。歩いてお辞儀をしたが、酷く歪な動きだった。
「……人型ゴーレムの研究か」
「はい、これはちゃんとルチアーナ様に許可をとって造っています。これが完成すれば、本人の意識をこちらに移して動かしたりする事ができますし、ジェラルド様もルチアーナ様と添い遂げれるでしょう」
何を言っているのだと思ったが、すぐに理解した。ああ、ジャンカルロは自分とルチアーナの仲を邪推しているのか。個人的な手紙のやり取りをしてはいるが、内容は恋文めいたものなど一切ないし、せいぜいお茶会に行くときに少しだけ優しく接しているだけである。
彼女に愛を囁いた事などないし、触れたことすらない。レオナルドの前で、わざとらしくルチアーナを気にしているような仕草はしたが、それだけだ。レオナルドが勘違いしてくれればそれで良いと思っていたが、なるほど他の人間も勘違いしてしまったのだなと、少し反省する。
「人形遊びに付き合う気はない。どうやって本人の意識を移すと? ここ以外に自分がもう一人出来るのか、そうなれば元の自分はどうなる。机上の空論でしかない内容に、よくルチアーナは賛同したな」
鼻で笑えば、ジャンカルロは苛ついたようにこの研究は素晴らしいものだと語り出した。それにこれはちゃんと許可をもらってやっている事、それに治安維持の為にこちらも手をかしているのだと言い放つ。
詳しく聞けば、大公領で出る犯罪者を捕まえる代わりに、研究の材料にしているとの事だった。国の法律で何が犯罪になるかは決まっているが、その犯罪をどう処罰するかは領主に委ねられている。重罪を犯せば収監され死罪になる事もあるが、執行のやり方などまでは決まっていない。
しかしそれらを使って研究を行うなどと顔を顰めていると、ジャンカルロはこちらは伝えましたからと言って消えていった。
翌日、テレシアから呼び出され、ジャンカルロの研究についての有効性を説かれた。そして犯罪者が減って良いとまでだ。一体何が、ジャンカルロの研究にそんなに惹かれているのやら。
ソナリス大公からもたしなめられ、シルケの処遇は一時的に保留にした。面倒事は先送りかと思ったが、これ以上は強く言うことは出来ないので、従うしかない。そうして引き下がった事が、すぐに間違いであった事に気付いた。
何をどうしたのか、ジャンカルロは暴走し始めたのだ。最初は、山脈の道で時折出没する賊がいなくなり、町での犯罪者が少しだけ消えた。
スリや物乞いなどの姿が消え、そしてついに、孤児院に働きに行った娘が帰ってこないという訴えが出たのだ。これは拙いとすぐにソナリス大公に相談し、ジャンカルロの討伐隊を結成させた。
王都から、レオナルド率いる騎士団がアルバ山脈に出る魔物退治に出たと通達が来たので、急いだ方が良さそうだ。王都からの距離とレオナルドがいることを考えれば、移動は慎重にゆっくりとしたものになるだろう。
彼らが山脈に入る前に片付けた方が良い。まさかとは思うが、あの狂人ならば王太子にも手を出しかねない。
何故なら以前から、どうにも自分がレオナルドの死を願っているかのように勘違いした事を、べらべらと喋っていたのだ。
無能なレオナルドがいなくなれば、ジェラルドが王となりルチアーナと結婚すると。
そんな事があるわけないし、ジェラルドが子供の頃から周囲にいた馬鹿な貴族と同じだからと聞き流していたが、どうやらジャンカルロの頭の中ではそれが真実であるとなってしまったようなのだ。先日、ジェラルドの部屋にようやく完成に近づいたと、腐臭漂う人形を置いていったのだ。
ルチアーナにそっくりで、人形ではなく生きた人間だったが、か細い声をあげて絶命したのだ。魔力の流れと肉体に施された痕をよく見れば、体中に継ぎ剥ぎされており、すでに正気を失っていて腐って溶けた。
これは常軌を逸しているし、レオナルドの失脚を狙っているとなれば、彼の命が危険にさらされるのではないかと警鐘が頭に鳴り響いた。
討伐隊を送り込んだが、結果は芳しくない。山脈に隠れたジャンカルロを見つける事が出来なかったとあり、それが何度も続くとなると、段々と不審が募ってくる。
本気で探す気も殺す気もないとわかったのは、レオナルドが山脈へ入ったと知らせを受けた時の事だ。早くしろと急かすジェラルドに、テレシアがお茶でも飲んでゆっくりしましょうなどと、呑気な事を言ってきたのだ。
討伐隊も一緒にと、菓子類を振る舞いだし、ひと息ついたらもう一度行けば良いなどと声を掛けて回っている。その後ろを家臣の如くついて回っているソナリス大公夫妻に、いい加減に我慢の限界だった。
バルバード領主の息子グラードとは、学園時代からの友人であり、何かと気に掛けてくれる人物だったので、その伝手を頼っていくつか魔法道具を用意してもらっていた。それを王都で信頼の置ける騎士に頼んで運んで貰ったものが、ようやく大公領に辿り着いたのだ。後で何を言われるかわからないが、何もしないよりは良い。
鎧を身につけ馬に跨がると、魔法道具を運んできた騎士達と共に、アルバ山脈にある孤児院へと向かった。
ルチアーナに聞いたところ、ジャンカルロの為に用意した屋敷というのは、孤児院のすぐ近くに建っているのだという。そして今回の件、彼女は何も知らなかったし、知ろうともしていなかった。
なるほど、これは中々に面倒事で、少しだけレオナルドを虐めて追い詰められる材料になるなと口元を歪ませながら、馬を走らせた。




