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05

 カルロ・トフォリは代々続く騎士の家系に生まれた。父は王国の騎士団長を務めており、自身もまたそのあとに続くため、日々鍛錬の毎日だ。

 十五歳になると入学する学園では、魔法について学ぶ事になる。騎士でも魔法がちゃんと使えなければ、王立騎士団には入団出来ないのだ。だからこそ、貴族の子供は必ずこの学園に入学するのである。

 とはいえ、剣の鍛錬は授業でやる事はあまりなく、騎士団に入りたい者達があつまって鍛錬する程度なので、カルロは自主的に素振りを暇を見つけては行うようにしていた。

 そこにこの国の王太子レオナルドがやってきたのは意外だった。今日から寮に入ることはできるが、まさか初日の早い時間帯からやってくるとは思ってもみなかったからだ。


 カルロはこの軟弱な王太子の事が、あまり好きではなかった。


 剣や乗馬を学んで入る。だが秀でているわけでもなく、進んで鍛錬を行っているわけでもない。いつもうっすらとだが笑みを浮かべていて、穏やかと言えば聞こえが良いが、いまいち覇気のない人物だと思っていた。腹違いの兄であるジェラルドは、軍事にも明るく騎士達の憧れでもあるのに。

 亡くなった王妃と同じ白に近い金の髪に、あまり外に出ない為だろう白い肌。整った顔立ちではあるが、それだけで特に印象に残る事もない。少年と青年の間のどこかあやうい空気をまとっているように見えた。

 同世代の友人がいるとも聞いたことがないので、親を知っている自分の所にやってきたのかもしれないと、カルロは思った。たいして会話らしい会話はしていないが、レオナルドの方はどこか楽しそうにしていたのは、気のせいではないだろう。


 王子と会った次の日、カルロは屋敷に呼び戻された。ちょうど父が非番の日で、入学する王子について学園内で護衛代わりというか、慣れるまで面倒を見てほしいという話だった。

 昨日、出来れば後輩として扱って欲しいと言われたばかりだし、話をしてみてそれほど嫌みでもないので、父からの話を了承する。すんなりと話を受けた息子に驚いたのか、父が何かあったのかと聞いてきた。

「特に何かあったわけではないのですが、昨日会いまして少し話を」

「そうか、もう交友があるのか。それは良かった」

 入学前から交友があると勘違いしたのか、父は安心したかのように肩を落とす。そういえば父は、王子の剣術の指南役であった事を思い出した。

 それほど王子が真面目に剣術を習っているわけではなく、父も騎士団の仕事ばかりしていて王子に指導している事がなかったから、つい忘れてしまっていたのだ。

「…あの、王子が父に心配を掛けるから、鍛錬に参加は出来ないと」

 言葉にした途端、父の顔が険しい物になる。そうして真剣な表情で、自分を見つめてきた。

「…王子は、他にはなんと言った」

「他には、…動けて凄いとか、…出来ればやりたいと」

 俺の言葉に、父は上を見上げて手で顔を覆ってしまった。そうしてなんと言うことだと、苦渋に満ちた声色で呟いた。

「そうだ、動きたい筈だろう。ジェラルド様に劣ると言われたが、レオナルド様にも才はあった。馬に乗せればとても楽しそうにしていて、いつか自分の馬でもっと早く駆けるんだと、私に言っていたではないか」

「父上、…それはどういう事ですか?」

 深く息を吐いた父が、俺を見る。そうして他言無用だと言って、話し始めた。


「あれはレオナルド様が八歳になられた頃の事だ。王妃が王太子ならばもっと厳しく勉学に励むべきだとお言いになり、レオナルド様の教師達を解任したのだ。別にそれまでの教師達がただ甘やかしていたわけではない。レオナルド様は長時間、同じ事柄を勉強するのが苦手のようだったから、短時間で少しずつという手法をとって教えていただけなのだ」

 王太子の教育は仕える周りの者で話し合い、慎重に決めて行った教育方法だった。なんといっても王太子になるのだから、ただ詰め込めば良いとわけではない。

 性格が歪んでしまわぬよう、国民を愛し国を守る、そして王族として誇りある行動が出来る人物に、大事に育てなければならないのだから。

 だが王妃が求めたものは、もっと厳しさと質を高めるもので、当時のレオナルドには向いていない教育でもあった。

 教師達はジェラルドを教えていた者達がついた。彼らはジェラルドの母親の実家から推薦された者達で、レオナルドの事を気にくわないと感じている者達だったのだ。


 何故ならレオナルドがいなければ、もしかしたらジェラルドが王になるかもしれないと、そう考えていたのだから。


「……ジェラルド様が、王になる可能性はあるのですか」

「万一にもない。……公妾の産んだ子供に継承権は与えない。与えてはいけない。それで血に濡れた時代もあったこの国では、決してあり得ない。もしレオナルド様に万が一があったとして、候補に挙がるのは大公殿下かもっと継承権の低い親戚だろう」

 しかしそこまで考えない者もいるのだと、父はカルロに言った。誰を敬愛するか、忠誠を誓うかなどそれは自身の自由であるが、他人に決してそれを悟らせるなと、いつになく厳しい口調だった。

「……事ある毎に、ジェラルド様は貴方ぐらいの時には出来た事ですと、教師達はレオナルド様に言うようになった。まだ剣に興味を持たせる程度の時期だというのに、無理矢理に両手剣を持たせ、持ち上げる事もできないのを嗤い、模擬戦が一番だと滅多打ちにする。これではダメだと何度も教師達に苦言したが聞き入れられなかった」

 このままではレオナルドが歪んでしまうのが分かった。それまでは楽しそうに中庭に向かって、鍛錬だと走っていく快活な姿が見掛けられたのに、もはや笑う事すらなくなり始めていたのだ。

「王妃様の命で行っているという大義が、彼らにはあったからな。…だから私達は王に進言したが、何も変わらなかった。もしかしたら王妃は、王子の状態を知らないからこその命かもしれないと、宰相が言った」

「…あの宰相様が? その、父上とは仲が悪いのでは…」

「仲が良いわけではないが、協力関係ではある。私のような騎士と、王宮で執政を行う彼らとでは、考え方が違うのだからな。だがそれでも、この国を守っていこうという気持ちは同じであるし、彼も私も国が乱れるのだけは避けたいのだ。王太子が歪んだ性格の持ち主であってはならない。王があってこそ、私達は初めて居る意味をなすのだ」



 だからあの日。


 あの事件があった日だ。


 剣術の稽古という虐待に近いそれの途中で、わざと王子が逃げ出せるように仕向けた。何日か前から逃げ出せるようにしていたのは、何度も自分の子供が訴えてくれば信じるだろうという、楽観もあった。

 縋りつくレオナルドに、王妃は仕方ないという顔をして一緒に鍛錬場へやってきた。何度目かの王子の訴えに、王妃がついに分かってくれたのかと思ったのだ。

「だが、そうではなかった」

 王妃はレオナルドに馬は好きかと訪ね、頷くのを確認させると馬小屋から一頭連れてくる事を命じた。何が起きるのか分からないまま見守っていると、その馬にレオナルドを無理矢理乗せて、尻を叩き走らせたのだ。

「……王子一人でな。まだ、一人での乗馬などしたこともない。王妃は嗤いながら、落ちても魔法で受け止めるから大丈夫よと言うばかり。泣いて怯えるレオナルド様に、馬が御せるわけがない。馬もその泣き声にさらに興奮して、狂ったように走り続けた」

 危険だが王妃の命に逆らえない。機転を利かせた宰相に仕えていた者が、王を呼びに行った。この場を止められるのは、王しかいなかった。

「だが間に合わなかったのだ。……私は王を呼びに来た宰相の話で、とんでもないことが起きている事を初めて知った。私達が行ったことは、楽観すぎたのだともな」

 王が鍛錬場へたどり着いた時、王妃の注意がこちらに向いた。その時、囲いを跳び越えそうになった馬が、大きく前足を上げたため、レオナルドは振り落とされた。

 王妃だけではなく、鍛錬場の誰もが王に注目したため、助けが間に合わなかったのだ。

「振り落とされたレオナルド様の怪我は酷い物だった。両手両足の骨が砕けていて、血も吐いていた。……王妃は無理矢理レオナルド様に騎士が稽古で着る鎧を着せていて、その重みで怪我が余計に酷くなっていた。もちろん、子供に鎧は大きすぎる。鎧を縄で縛って括り付けていたのだ」

 あまりの事に、言葉を失った。たしかに剣術の鍛錬は厳しいものであるが、それでも順序がある事くらいカルロにもわかっていた。ましてや鎧を着て馬に乗るというのは、ある程度体ができあがってからでなければ、とても危険な事なのだ。どんなにカルロが鍛錬好きで、他人にも己にも厳しいと言われようとも、子供にそんな事はしない、してはならない。


「すぐにレオナルド様は治療された。だが手足がただ折れるだけでなく砕けたとなると、動く為に必要な筋も傷つけたようで、完全には治らなかった。三日三晩高熱を出して生死をさまよい、目覚めた時には右目も僅かに見えなくなっていたようだ。……魔法で怪我を治したとして、すぐに動けるようになるわけではないのは、お前も知っているな。治った後も、痛みが続くことがあるのも」


「……はい、妹のジルダがそうでしたから」

「レオナルド様が普通に歩けるまで一年。剣を振れるようになるのに、二年。恐怖を乗り越えて馬に乗れるようになるまで、三年だ。一般的な基準でいえば劣っているかもしれないが、レオナルド様にとっては何よりも苦痛であり、恐怖をやっと乗り越えたのだ。……いまでも痛みや痺れは時々あるようで、あまり無理をさせる事は出来ない」

 動けないのは本人が何より悔しいのだろう。鍛錬する騎士や馬に乗るのを見つめている姿を何度か見掛けた。

「あんなに馬が好きであったのに、近づく事すら出来なくなってしまった。快活に笑った王子は居なくなってしまったのだ。だからこそ、私や宰相は王太子を支持しているのだ。……罪滅ぼしの自己満足にしか過ぎないのだがな」

「どうして、その話が秘密にされているのですか」

 レオナルドが剣の稽古嫌いだと噂されているのだ。腰抜けの怠け者王子などと言う人間もいる。カルロだって、父から話を聞く前はそう思っていたくらいだ。婚約者のルチアーナも知らないだろう。

 ルチアーナはよく、レオナルドがいつも稽古を逃げ出しているから、どうすれば剣や馬のお稽古をサボらなくなるのかしらなんて、困った顔で笑っていたのだから。

 本当の事を話せば、レオナルドへのそういった当たりも少しは弱くなる筈だ。


「王妃が行った事だからだ。馬に乗せたのは王妃。だがそうなった原因を作ったのは、騎士団長の私や宰相の指示。王太子の命を害したのだから処刑しなければならないとして、誰を殺すのだ。私か、宰相か、王妃か? それとも虐待まがいの教育をしていた教師か? 聞き入れなかった王か? 教師を雇っていた公妾のクリスタ様か?」


「それは……」

「誰に罪があるのか、考えれば考えるほどどうしようもなくなる。教師達はジェラルド様こそ王太子に相応しいと、レオナルド様が生死を彷徨っていた時に言った所為で、火の粉はジェラルド様にも降りかかりそうになった。教師の一人は大公領の出身で、大公とも懇意にしていたため、大公家も絡んでいるのかもしれない話になった。公にすれば、王宮は混乱し政は立ち行かなくなるだろう。そして何人かの王族やそれに連なる者は確実に処刑される」

 だからこそ、鍛錬場でそれを見ていた者には箝口令を敷いた。人はあまり居なかったため出来た事だ。教師達は全員秘密裏に処刑し、王妃は西の離宮に幽閉され病気ということで亡くなったのである。

「王太子をかえる事は出来ない。国が混乱し内乱になるのは間違いないからな。そしてあれだけの怪我をしたにも関わらず、レオナルド様は聡明であり続けている。剣術が苦手ならば、私達が助ければ良いだけなのだ。……カルロ、お前の忠誠が誰にあるのか知らぬ。聞かぬ。だがどうか、レオナルド様の事をくれぐれも頼んだ」





 父から話を聞いた後で、一晩屋敷に泊まることにした。もっとも最初からそのつもりでカルロは帰ってきていたので、予定の変更はない。

 明日の午後、妹とルチアーナとで市場を見に行こうと約束していた。もちろん目立たない護衛付きでだ。

 しかしどうにも気分がのらない。本来だったら、カルロはルチアーナの行く所ならどこにでも付いていくし、彼女に降り掛かる厄災はすべてこの俺が振り払ってやると、そう意気込むところなのだが。

「楽しみですね、お兄様」

 妹のジルダが屈託なく笑う。それは心からの笑みで、自分がくすぶっていた頃には決して見ることが出来なかったものだ。ルチアーナは妹のジルダが、いつまでも怪我をしてしまったことに悩み、カルロが怪我をさせたことで悩んでいるのを、簡単に見抜いてしまった。

 そして、いつまでも悩んでいてどうするのと檄を飛ばしてきた。その時はなんて女だと思ったが、その後で起きたジルダとルチアーナの誘拐未遂事件で、俺は再び剣を握る事が出来たのだ。


 あの時、騎士としての誇りを取り戻せたような気がして、だからこそルチアーナに騎士としての忠誠を捧げたいと思った。


 ルチアーナは時折ジルダに会いに来てくれるし、一緒に買い物に出掛けたりもする。ルチアーナは聡明で、カルロ以外にも悩みを持つ貴族の子を助けていて、その交友関係はいろいろと広い。

 だが来るたびに、レオナルドの愚痴を話していった。レオナルドはいつも勉学や稽古から逃げ出して部屋に閉じこもったり、会いに行っても三回に一度くらいしか話す機会がないと嘆く。そしていかにジェラルドが博識であるかを、嬉しそうに語っていくのだ。


 レオナルドは婚約者である自分に興味があまりないのかもしれないとも、よく言っていた。


 今までは何を考えてるかわからなかった。けれど、本当に興味がないのなら、守ってほしいと頼んでくるだろうか。

 本当は自分自身の手で彼女を守りたいと思っていたのかもしれない。

 だが怪我の後遺症の所為でそう言えないのかもしれないと思うと、これまでのレオナルドへ向けた悪感情が消え、何も知らなかった自分の不甲斐なさを情けなく思うのだ。



 ルチアーナとジルダが、市場の露店をみてはしゃいでいた。軽やかな少女達の笑い声に、気分は晴れるどころかますます重くなる。ルチアーナが知らないのなら、そしてレオナルドが婚約者にすら言っていないのなら、相談するわけにはいかない。

「なんだか今日のカルロは元気がないわね。学校で何かあったのかしら」

 悶々と考え込んでいる俺に気付いたのか、ルチアーナが話し掛けてきた。ジルダもまた心配そうな顔をしている。

「い、いや、その。……入学生が続々と入寮してきているからな。迷ってしまったりするのがいないか、気になって」

 たいてい数人、迷う生徒はいるので嘘は言っていない。そして中庭で鍛錬している俺は、割と道を聞かれる率が高いのだ。

「それなら案内図をつくったら良いと思うの」

「でもなぁ、持ち運びできる物は安全面で問題があるし」

「それもそうね」

 苦し紛れの言い訳でどうやらごまかせたようだ。ホッとしていると、二人は別の話題に移った。

 結局、せっかくの買い物も楽しむ事は出来ず、母や妹からは散々心配されたが、何も考えが思い浮かばないまま学園に戻った。







「でもさ、カラ。僕が馬から落ちて大惨事って、全部君の魔法でしょ。…どうしてばれなかったんだろ」

 寮の部屋で、僕のベッドに勝手に寝転がって菓子を食べるカラに、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。仲の良い友人の居ない僕には、自室に訪ねてくる人間などいない。なのでカラはいつもの女の姿になってベッドにいた。

「ヒヒヒ、魔法じゃねえからだ。俺様はそういう事が出来るんだよ、人の心を惑わすのは得意中の得意だぜ。ほんの一瞬、隙さえあれば俺様の力であれくらい簡単なのさ」

 仕組みは分からないが魔法じゃない幻覚を、あの場にいた全員に見せたカラは凄いと思う。王宮内は一応、そういった魔法が決して発動しないように処置してあるし、騎士団に所属するとなれば、魅了や幻惑に耐性を付ける訓練も行われるのだから。

「魔法なんてものに頼ってちゃ、魅了なんてできねえぜ」

「じゃあどうやってやるのさ」

 聞けば、カラは金色の瞳を嬉しそうに歪めて、じいっと僕を見つめる。その視線に思わず赤くなってしまうと、カラはヒヒヒと笑って言った。

「王子様も見惚れただろぉ? 人間は本当に悪いものからの魅力には、誰も抗えないのさぁ」

「じゃあ善いものはどうなの? 綺麗じゃないのかい」

「ヒヒヒ、そりゃ綺麗だぜ。目を背けたくなるほどに。お前の憧れるジェラルド兄様は正しい人だろぉ。いまはそう思ってなくても、小さく哀れなレオナルドの頃は、とってもとってもお兄様が正しくて、目を背けなかったか?」

 何でも出来るジェラルドは、憧れだった。優しくて強くて、そしてけっして僕ではなれないあの人を見るのは、確かに辛かった。

「そうだね、その通りだ」

「ヒヒヒ、可愛いレオナルドは物分かりがよくて良い子だなあ」

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