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「レオナルド様。……ジャンカルロという人物は、一体どうしてこのような所業を?」
「…さあ、僕には理解しかねるけど、性別を変えるという魔法に執心していた…。何度かそれは無理だから止めるように言ったが、納得したようには見えなかった。学園を休学する時、何らかの別の事を研究すると言って、大公家にここを用意してもらったみたいだけど」
となるとこれは、大公の失態ですかとコルラードの顔が険しくなる。ソナリス大公は関与していないだろうね。ジャンカルロの研究を後押ししたのはルチアーナ、そして書類を見て許可を出したのは、さて誰だろうか。
「捕まった騎士団の連中と、裸の娘達ってのは…」
「間違いなく、この実験の為だろうね。これをしでかしたのがジャンカルロなら、とんでもない魔力量を持ち、容赦なく広範囲で強力な魔法を撃ってくるだろう。そして、魔物を操っているのがシルケならば、……これは、国内がとんでもなく騒がしくなるだろう。なにせ、大公家で働く侍女だ」
誰の指示で動いているかが一番気になるところだけど。そんな話をしていると、すぐ近くで地響きがした。
僕達に気付いて魔物を嗾けてきたかと警戒したが、どうやら誰かが魔物と戦っているという。逃げ出してきた騎士かと近くまで行けば、バニップ目掛けて剣を振り上げるヘルゲの姿があった。
「…ヘルゲ!?」
「その声はレオナルド様ですか!? なんでこんな所に…って、いまはそれどころじゃないんですがね」
知り合いですかとモーゼスが聞いてきたので、ちょっとした友人だと答えると、王子のご友人なら助力せねばと言って向かっていってしまった。
僕達が来る前にすでにヘルゲが戦っていてくれたからか、バニップの動きは鈍かった。弱っている魔物相手にモーゼスが負けるわけもなく、大斧でバニップの牙をへし折り頭の部分を叩き潰すようになぎ払ったのだ。
魔物がいないことを確認してから、ヘルゲに話し掛ける。ソナリス大公領で、バルバード領出身の警備兵として働いていた筈だけど、何がどうしてこんな山奥に来たのだろうか。
「いやね、どうにも気になったというか。ほら、前に話したでしょう、高級店街に来る可愛い娘。シルケって名前の娘ですが、最近やたらと暗い顔をしてまして、理由を聞いても頑なでなんとか聞き出したら、どうにも脅されてるそうで」
以前、ちょっとした悪戯のつもりでやった事が大事になり、仕えている主人にバラすと言われ止めてくれと頼んだら、研究の手伝いをしろと言われたそうだ。
どういった手段で何をしているかは言わなかったそうだけど、何やら犯罪じみていて自分が加担している事こそが主人の為にならない気がすると怯えていたという。
「それに命令している相手の方が強くて逆らえないとも。まあ、なんにせよ、詳しく事情を調べてみようかと思って、シルケの後を何度か尾けたわけでして、ここに辿り着きました」
まさか魔物の巣とはと、ヘルゲは頭を掻いている。あちらの軍事訓練で、ましてやフートヘルム主体ではもっと酷い状況で生き残れといった事が多く、そこまで絶望的な気はしていなかったと言うが、どれだけ扱いが酷かったのだろうか。
なんでもフートヘルムは天才、その周りを支える側近も天才だったからか、弱くて死ぬのは仕方ないと、助ける事もなく付いてこれない者は放置だったという。
運良く、本当に時たま気まぐれに助けてはくれるが、それらは自身の実力を見せつける為のもので、それに巻き込まれて死ぬ可能性もある。
「それよりはまあ、同士討ちというか味方に背後から魔法を放たれて焦げるという心配がないだけ、こっちの国は安心です」
帝国のちょっとした闇に触れ、話を聞いていた新兵達はサントリクィド国で良かったと互いに言っている。
そうだね、いまはとんでもないピンチだけれど、本来ならベテラン勢が監督してくれている行軍だったしね。不意の事で死ぬ場合はあったとしても、少なくとも見殺しなどはない。
「シルケは脅されて、手を貸しているとなると。その辺りをちゃんと説明すれば、魔物をけしかけたり、人を攫うのやめてくれるかな」
「……多分。話が通じない娘ってわけじゃないですけど、なんか変に考えが凝り固まってましたね。自分の身は、今仕えている主人の為にあるから、どうなっても良いから彼女を護りたいって。言っちゃ悪いですけど、侍女くらいの命でどうにかなる貴族の問題って、ない気がするんですが」
「まあその通りだね、ヘルゲ君。ただ、シルケがごく普通の人間ならそうなんだけど、どうやら魔族の血を引いているみたいでさ」
あれが魔族ってのですかと、ヘルゲは驚いている。容姿がちょっとこの辺りの人間と違うなと思ったけど、種族が違うとは気付かなかったのだそうだ。というより、帝国を出るまで、諸外国の知識にとても疎かった。
まあそれは、帝国が統一され色々と整備し施設もできたが、やはり軍事教育第一な状態で、周辺国の概要くらいしか教えられていないとの事。その上、帝都で働いていたから、なおのこと情報がはいらなかったそうだ。商人が避けていくものね、あの都。
「……あの、レオナルド様。そうなると、大公家は魔族を隠していたという事になりますが」
そうだよ、そうなんだよと僕が笑顔で頷けば、もうずっと顔色の悪いコルラードがさらに頭を抱えだした。いま居る中で唯一の貴族がコルラードだからか、この事態を正しく理解しているようだ。
「この御方、どうしたんです?」
「うん、まあ簡単に言えば、内乱勃発もしくは魔族との戦争っていうか蹂躙の恐怖、あとは大公が失脚した後の派閥の動きとか、今後の事を考えて何人死ぬだろうって、目を回しそうな感じかな」
説明すれば、ヘルゲはうわあと引きつった顔で声を上げた。モーゼスも理解したのか、そんな恐ろしい事態なんですかと汗を掻いている。
「コルラードは大雑把に言えば、王家寄り。ただ彼の甥が最近婚約したのは、大公家に覚えの良い新興貴族の娘だ。もし大公が失脚したとなると、コルラードが生き残るには弟ごと斬り捨てるか。でもそんな事すれば、周囲から何を言われるかわからないし、評判も落ちる。何より、家族思いだからそんな事は出来ないよ、コルラードは」
「そんな事、なんで知ってるんです!?」
「王宮での噂話は、良い暇潰しで聞いていて楽しいよ。全部、ちゃんと聞いて顔をしっかりと覚えているものだよ」
悪口も何もかもと、にっこりと笑えば、モーゼスは力なく笑った。もしやそれで不敬で首を切るんですかと聞いてきたので、そんな事したらこの国の大半の貴族の首を切るしかなくなるだろう。面倒事が増えるだけだから、やるわけがない。そんな事をしたら、まさに暴君だ。
ようやく現実に戻ってきたであろうコルラードは、青ざめた顔のまま、どうするのですかと震えた声で僕に訊ねてくる。
「どうするもなにも、これを引き起こした首謀者を、僕達が捕まえるしかないな。そうしないと、そもそも生きて王都に帰れないだろうし」
王太子が行方不明ってなったら、もっと酷いことが起きる。
「僕がここにいて、大公領でのこの事件なら、君達は金を貰って口を噤めと言われるくらいだろう。ま、大公領の人間が余計な手出しをしないように、僕が騎士団長に我が儘を言って、君達を回りの反対を押し切って昇格させまくるという手もあるけどね。ははは、そうなると貴族からのやっかみが大変だけど、死人に口なしな状態になるよりマシだろう」
「さらりと怖い事を言いますね、相変わらず」
「遅かれ早かれだ。そうならないように、ここを生きて出れたら、君達の安全は僕が約束しよう。…だからそれまでは、何があっても僕を信じて協力してほしい」
僕も国を分断させたり血で血を洗う粛清なんてしたくない。大公領を取り潰すのもやりたい事ではないので、それを言えばコルラードは力を込めて、この命に代えましてもと槍を掲げた。
ヘルゲは帝国を出たときに持ち込んでいた細長い筒状の道具、帝国が開発している武器を携帯している。
「そりゃたしか帝国の火笛か。珍しいもの持ってますな」
「弓や投石より威力はありませんが、誰でも使い易いんです。ま、一発撃ったら火薬を詰めなきゃいけないって事と、射程が短いって難点が多いですが、帝国ではよく使われている武器でして」
内乱で使われ始めたとヘルゲがモーゼスと火笛について語っている。
昔は一回使ったら壊れてしまう消耗品だった。この国にも入っては来たが、結局魔法や弓や投石の方が威力があるという事で、広まらなかったのだ。
ヘルゲの持っているそれは、以前より格段に強度が増していて、火笛として使えなくとも振り回せば武器代わりになる程度にはなっているそうだ。
火笛の最大の利点は、魔力に頼らず熟練の技術もいらないというところか。
初歩中の初歩、火を起こす魔法さえ使えれば誰だって使えるし、その魔法が使えなくとも火種さえ持ち歩いていれば使用可能となれば、国民全員兵士で内乱を行っていた帝国では、確かに重宝するだろう。
人が大量に死ぬから、攻撃魔法など教えて覚えさせている暇もなく、覚えてもすぐ戦場で散っていったのだろうね。やっぱり内乱は、やるものじゃない。
奥の部屋へと進むと、段々と人の気配がするのがわかった。
それも一人ではなく、何人もだ。
偵察に行った者達が戻ってきて、奥に連れ去られた騎士達が鎖で繋がれていた旨を報告した。どこからか連れてこられていた娘達も同じで、その中に一人だけ別の牢に繋がれていた少女がいたという。特徴から、リリーディアである可能性が高かった。
そしてやはり、ジャンカルロらしき人物が、難解な魔法を幾つも展開し、書物や触媒、そして血肉が散乱している酷い状況であったそうだ。これは速やかに救出すべきだろう。出来ればジャンカルロをどうにかしたいけど、あれに真正面からぶつかって敵うのってせいぜい、ルチアーナかジェラルド兄様くらいではなかろうか。
真正面からは戦わない。というより、ジャンカルロが得意とする魔法戦にしない。相手の得意なフィールドで戦うなど、死にに行くようなものだ。
物陰に隠れるようにして、そっと部屋の様子を窺う。するとそこには台の上に横たわる少女に、何か魔法を掛けているジャンカルロの姿があった。
学園で見たときより痩せ細り、目の下には隈が出来ていて目は血走っている。ぶつぶつと何か言っているようだけど、聞き取れたのは「きゃらめいくがうまくできない」だとかなんとか。意味はわからないけど、ゲームとやらに関係あることは想像がつく。追い詰められたジャンカルロは、完全に精神がおかしくなってしまったようだね。
まだ騎士達は装備を解かれておらず、武器だけ取り上げられて鎖に繋がれている状態だ。少女達は服こそ着ていないが、同じように鎖で繋がれ、床に蹲っていた。
皆俯き怯えているのは、台に乗せられた少女の悲鳴の所為だろうか。口枷を付けられている所為でくぐもった悲鳴だが、苦痛に呻き時折痙攣するかのように、繋がれた台の上で激しく暴れたりしている。
ジャンカルロは回復魔法を掛けながら、少女の体にすぐ近くにある別の人間から体の一部分を切り取り、それをくっつける作業をしているようだった。
目を背けたくもなる醜悪な作業だ。
物陰を通り、一人だけ隔離されているリリーディアへと近づくと、僕の姿に気付いたのか目を丸くした。そうしてジャンカルロの方を見て、こちらに背を向け作業に集中していることを確認してから、どうしてここにと声を出さずに口を動かす。説明は後だと、僕は唇に指先を当てる仕草をしながら、リリーディアに微笑んだ。
瞬間、轟音と共に部屋全体を大きな揺れが襲った。
「な、なに!? ……地震!?」
部屋の棚が崩れ、揺れが収まると、ジャンカルロは慌てた様に扉を開け飛び出していく。
その隙に、リリーディアの入れられていた牢の扉を壊した。随分と脆いと思っていれば、内側から削られている。どうやらリリーディアが、少しずつ執念で削っていたらしく、彼女は脱出の機会を窺っていたのだという。
「魔物退治に来てみたら、僕もここに誘い込まれて実験材料にされかかったんでね。逃げる事も出来なくて進んでみたら、君がいたというわけだ」
「私もよくわからないんです。見学にソナリス大公領に来たら、山奥の孤児院を指定されて。遠いから無理と言ったんですが。馬車ごと行ける道だからと、かなり強引に連れてこられて来てみれば、ジャンカルロさんが私を牢屋に閉じ込めたんですよ」
そして実験を見せつけられたのだと、目を閉じて顔を青ざめさせている。
「頭の中身を、最後は私とジャンカルロさんとで入れ替えると言っていましたけど。……そんな事出来るんですか!?」
焦ったような、怯えた表情でリリーディアは僕に詰め寄った。落ち着かせるようにその肩に手を置き、大丈夫だよと僕は言う。
「そんなこと、出来るわけない。狂人の妄想さ」
早く逃げようと促し、リリーディアの手を引いて部屋を出る。
ジャンカルロに成り代わったアレは、最終的にリリーディアになるつもりだったか。ヒロインになれば、そしてルチアーナとも敵対していない友好関係にある自分なら、問題ないという打算でもあるのかな。
捕まった騎士達は怪我らしい怪我もなく動けたが、鎖に繋がれた少女達は怯えて動けない者ばかりだった。リリーディアは彼女たちの側へと行くと、立ちなさいと冷たくも強い声色で言い放つ。
「このままここにいても、殺されるだけよ。立って逃げるの、動きなさい!」
「で、でも、また捕まったら、もっと酷い目にあうわ…。もう、怖いのはいや……っ」
一人が泣き出せば、つられるように少女達が泣き出す。だがリリーディアはそれを冷ややかな目で見下ろすと、泣いて殺されたいのならそのままでいいと言って、僕達に行きましょうと促した。
「どうせ死ぬのなら、逃げて魔物に殺された方がましよ。ほんの少しでも、生き延びられる可能性があるなら、私は逃げるわ。いまのこれが、最後の機会なの。家に帰りたいのなら、足を動かしなさい。そうして外に出て本当に助かったら、慰めてあげるわ」
来ないのなら置いていくとリリーディアは言い、待ってと声を掛ける少女を無視して進んでいく。ジャンカルロが戻ってくるまでに、僕達も脱出しなければならないのだ。いつまでもこの部屋にいるわけにはいかない。
廊下に出ると、ヘルゲがこっちですと手招きしている。先ほどの轟音は、下水道で爆発をおこした事によってのもので、崩落で塞がっている。だが、ヘルゲがここに侵入してきたのはまた別の扉からだった為、そちらから逃げ出す算段を付けていた。細い空気穴を抜けて逃げようとしたとき、私達も連れてってと少女達が追いついてきた。リリーディアは僕を見て良いですかと聞いたので、もちろんだともと頷く。ヘルゲが道案内として先頭で、少女達を先に逃がした。もちろん、脱出した先に魔物がいないとも限らないので、数名の騎士と共にだ。
通路は狭く、人ひとりが這うのがやっとだったので、時間がかかる。コルラードなどは王子が先にと言ったが、ジャンカルロが戻ってくる気配がするとカラが言ったので、待ち構えてどうにかするしかないだろう。ジャンカルロの性格じゃ、僕が通路を這っている時に火魔法を使って蒸し焼きにするくらいはしでかすだろうし、そんなのは御免被りたい。
こちらの戦力はモーゼスとコルラード、それに僕とリリーディアと盾を構えている兵士数名。さて、どう戦おうか。
『ヒヒヒ、久しぶりの食事だ。なあ食べていいだろう、なぁ』
まったくこちらは決死の覚悟だというのに、僕はカラに頷くと、肩に乗った小さな影は嬉しそうに飛び跳ねて、暗闇に溶けるように消えた。




