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埃っぽい山道を、馬に乗ったまま進んでいく。いまの所、旅路は順調といえば良いのだろうか。
今回、魔物討伐の為に向かう場所はソナリス大公領と隣接するアルバ山脈の中腹だ。多少険しい道ではあるが、馬に乗っている状態でも隊列が組めるし、山頂までの間に幾つか山小屋や祠、そして小さな村が点在しているので、少し人数が多い行軍でも問題のない場所である。王都の兵士の訓練場所に使われる事も多く、確か僕の父もこの山で鳥の魔物を倒したとか聞いた。
領地に出る魔物は、その土地の領主の私兵が討伐するのがだいたいだ。王都には騎士団があるけども、領主が助けを求めない限り出張る事はない。まあ国の軍が行くって事は、色々と手続きが必要であり掛かった費用や何やらの報告と、厳しい政務官からの追及などがあるので、自分で出来るのならそれが一番だという考えなのだ。ただし例外があって、それが今回のような演習も含む軍事行動である。
これは騎士団がお願いしてやっているので、このアルバ山脈のように、領地だと主張し辛い場所にある所にやって来ることが多い。アルバ山脈はソナリス大公領と隣の領地のどちらにも掛かるように存在し、二つを分けるように連なっている山々なので、明確にどこまでがうちだと言いづらい場所なのだ。
今のところ共同で管理しているそうで、実際に山に住んでいる村人はそんなにいないので、物を売りに行く方の町に税金を支払うというシステムになっているそうだ。お互いが納得しているのなら、お金さえもらえれば国としては余計な口は挟まないのが得策だろう。
ともかく、僕はあまり得意ではない馬に鎧を着て乗っており、ただひたすら山道を歩いていた。はぁと大きくため息を吐くと、前を歩く騎士の一人が声を掛けてきた。
「おや、お疲れですかい、王子」
「…まあ、馬に乗るのは苦手でね」
それなら歩きますかと冗談めかして言ってくるのは、この行軍の部隊長であるモーゼスだ。身長はさほど高くはないものの、筋骨隆々とした肉体を無理矢理鎧に押し込めているかのようで、顔や腕に付いている傷跡が、乗り越えてきた歴戦を物語っているようである。身丈と同じくらいの大斧を担いだまま、馬に慣れてないからと小走りでずっと山道を移動し続けているその体力は、とんでもないの一言だろうか。
同じく歩いて来ている他の新兵は、荷物を最小限に抑えてはいるものの疲労しているようだ。モーゼス曰く、今回は僕がいるから新人を扱けて助かるのだそうだ。これが魔物討伐だけの目的なら、兵士を疲労させないようにもっとこまめに気を配って進まなくてはならないらしく、そうなると扱けないので困ると笑っていた。
「馬に乗るのが飽きたのなら、歩きますか? ははは、まあ慣れない鎧も着てればそのうち馴染んできますから、もう少しの辛抱ですよ」
モーゼスの言い方にはあまり悪意を感じない。裏表のない性格のようだけど、これはこれでプライドの高い貴族に目を付けられやすそうだ。
「モーゼス殿、王太子殿下に対してあまりにも礼を欠いた言葉遣いではありませんか?」
ぴしゃりと言い放ったのは、僕の前後を固めている騎士の一人、コルラード・ドルシだ。甲冑に身を包み、槍を携えるその姿はまさに庶民の憧れる騎士そのものの姿である。隙のない身のこなしで、怜悧な目付きの壮年の騎士であり、トフォリ家と同じく代々騎士を出している家柄だ。その為か、庶民の出であるモーゼスを無骨で教養なしの癖になぜ奴が部隊長だと不満に思っているらしく、王都を出発してからというもの、やたらと当たりがきつい。
「はっはっは、すみませんね。こちとら教養らしいものはさっぱりですから。でもまあ、王太子殿下に傷一つ付けずに王宮にお帰ししますよ」
ご安心下さいと、コルラードの言葉を意に介さない様子で豪快に笑っている。それがさらに気に障ったのか、コルラードのこめかみがピクピクと動いていた。
コルラードの連れてきている他の騎士達も、貴族の出身だからか、モーゼスが連れてきている騎士と折り合いが悪い。
騎士団といっても細かく細分化されていて、カルロやカルロの父が所属するのは、王都で王族や要人の警護を主にしていて、まあ騎士団の花形ともいうべき集団だろうか。家柄だけじゃなく実力もなければ所属できず、そこに見習いに入るカルロはエリートというわけだ。その分、鍛錬はめちゃくちゃ厳しいけどね。
今回、僕に付いているベテランの騎士達はバレージ男爵のような、庶民から入った叩き上げの実力者達だ。バレージ男爵を引き合いに出すのはイメージが悪すぎるけど、ともかく爵位をもらえるくらい活躍している方々と思えば良いだろう。
つまり騎士団には庶民のグループと貴族のグループがあり、庶民で出世した者達はそれ相応の自負とプライドがあるので、貴族のお坊ちゃまに負けるものかという意地がある。そして貴族出身のグループはといえば、高い教養と礼節、そして幼い頃から鍛錬してきた剣技というプライドがあるので、どちらもお互いにかみ合わないのだ。まあどこに行ってもこういう事があるから、カルロの父も頭を悩ましているそうだ。
カルロが騎士見習いになったから、あと数年で騎士団長の職を辞任するつもりらしく、自分の後を頼む騎士に頭を悩ましていると聞いた。カルロは見習いだし経験が足りないから、父から彼になることはない。騎士団は実力主義であるから、息子だからといって騎士団長になれるわけじゃないのだ。もっともカルロは、騎士団長が目標だから、何年かかってもやり遂げる気だろうけど。
ともかくだ。庶民出身の出世頭であるモーゼスに、貴族のコルラードが突っかかり、そしてそれを相手にされないというのをずっと繰り返していて、空気が張り詰めている。最終的には僕に話を振ってくるから、もう二人で好きなだけやっててほしいと思ってしまう。実際にそう言うわけにもいかないから、僕はただ微笑むだけだけど。
「この道の先に、小さな村がありますんで。そこで今日は終いですね。先行部隊が言うには、この先の渓谷を抜けたら孤児院があるので、明日はそこを目指します」
モーゼスが地図を見ながら、僕に説明をしてくれる。礼儀なんてわかりませんと言いながらも、面倒見の良い人物らしく、こうしてこまめに状況や行程を教えてくれるので助かる。しかしこんな山奥に孤児院なんてと疑問に思っていると、モーゼスがそこに精霊の祠があるんですと言った。
「山奥で不便なんですが、そんな場所こそが精霊の声を聞き共に過ごす為の教えがわかるとかなんとかで。熱心な信徒が集まって生活してるんですわ。二十年くらい前にどこぞの貴族のご令嬢もそこで生活しているとかで寄付金が集まって、孤児院を開いたんだそうで」
そこで作物や放牧をして生計を立てているらしい。建物はご令嬢がいた時の寄付金で、立派な物があるそうだ。
「魔物は、その孤児院のさらに先で目撃されたとの事ですから。もう少し行かないと会えませんなぁ」
モーゼスとコルラードのやり取りは、まだまだ見続ける事になりそうだ。
小さな村に騎士やましてやこの国の王太子が訪れるなんて珍しいとばかりに、好奇心丸出しで村人が集まっていた。もっとも遠巻きに見ているだけなので、害はないといえばそうだけど。
あれが王子様かと声が聞こえたので、そちらに視線を向けて微笑めば、子供がきゃあきゃあと嬉しそうな声をあげてはしゃいでいる。ずっとむさ苦しい男に囲まれているので、こういう光景は和むとホッと息を吐く。
用意された家で休息をとっていると、外で何やらモーゼス達の声がした。報告をしているらしい先行部隊の兵士が、何やら困り顔だ。
一体どうしたのかと思って外に出ると、僕に気付いたらしいモーゼスが頭を掻きながら言った。
「いやぁ、何でもこの先の孤児院に、貴族のご令嬢が来訪しているらしくてですな。私達は王都からジャンニ領を通ってこの山脈を上ってきましたが、あちらさんはソナリス大公領から来たらしくて」
一応、この行軍は機密扱いなので、一部を除いて知らされてない。僕に余計なちょっかいを出す貴族がいないとも言えないのでそうなっているのだけど、こうして偶然かち合う事もあるのだ。
この場合は、その貴族のご令嬢に理由を説明して口外しないように約束させるしかないのだが、相手がどんな人物かわからない。さてこんな山奥にやってくる物好きなご令嬢とは、誰だろうか。
「話を聞く限りでは、ロドリ家の紋章の入った馬車に乗ってたそうです」
一瞬、何故ここにと声を出しそうになったけど、まあなんとかやり過ごして、それだとリリーディアかなと名前を出した。知り合いですかと聞かれたので、学園での友人ですとにっこり笑って答えておいた。
そういえば孤児院に視察に行くとか言っていたけど、どうしてこんな山奥に来たのだろうか。アンナが言うには、やはり大公領が一番そういった施設の設備が整っているから、一度見学に行くとか相談してたらしいけど。町中じゃなくてこんな山奥に来るとは、流石の行動力である。
「まあ彼女なら、理由を話せば口は固いから大丈夫だよ。なんなら僕から説明するから」
僕の学友と聞いて、モーゼスがそれなら大丈夫そうですなと笑っている。そうして、王太子もやりますなとしたり顔でからかってきた。それをたまたま見たコルラードが文句を言ってきたので、僕はそっと休憩場所へと戻る事にした。
『ヒヒヒ、ああ面白い。学園の面々じゃどうにもガキ臭くてなぁ。こういうのも中々に新鮮だぜ』
ただ王宮や学園より陥れるような刺激はないがなと、カラは僕の肩で飛び跳ねながら言った。小袋から飴玉の小瓶を取り出すと、一つ手に取りカラへ渡す。すると小さな影の姿のまま、口を開けてバリバリと飴玉を噛み砕いた。持ってきた飴玉には限りがあるので、これでも大事に食べているそうだ。
『しかしこんな所でリリーディアに会うとはなぁ、凄い偶然だ。ヒヒヒ、お前とリリーディア、ヒロインとは運命的な何かで結ばれてるんじゃないか? まぁ、偶然も過ぎると必然って事になるがな』
そうなると楽しいなと、カラは上機嫌だ。
考えてみると、確かにリリーディアがこんな山奥の孤児院に来るなんて不自然だ。大公領の施設はきちんと整備されているから、王都での孤児院や救済院でも参考に出来ないかと考えて、見学に来た筈だ。それなのにこんな山奥に居るということは、何かしらあったと考えるべきだろうか。
リリーディアの見学の件は、宰相から話が行っているだろうし、まさかルチアーナがわざとこの山奥の孤児院を指定したなんて事はないだろう。多分、きっと、そう思いたい。
『じゃあ誰がやったんだろうな、レオナルド。犯人探しでもするか? 楽しいなぁ、面白いなぁ。やっぱりお前と居るのは良いなぁ、可愛いレオナルド』
リリーディアが孤児院に来ているらしいと言っても、結局確かめるにはその場所に行くしかない。なので翌日、予定通りに騎士団と共に村を出発する。
村人が手を振っていたので振り返していると、コルラードが不敬過ぎると顔を歪めていた。
仮にも王太子にと、今にも村人に平伏せよと言いに行きそうだったコルラードを止める。そういう態度の方が問題だと言えば、寛大なる王太子のお心遣い素晴らしいですと、やたらと畏まられた。
コルラードはどちらかといえばジェラルド兄様よりの派閥に属していた筈だ。といっても、ジェラルドを王にとかそういう考えはなく、僕の実力がジェラルド兄様並みになれば良いのにと、現状に少しばかり不満を持っているくらいの貴族達のグループである。
基準がジェラルドなあたり理想が高すぎるとも思うけど、その理想が具現した人間が存在すればやっぱりそんな事を言いたくなるものだろう。
ましてや僕の婚約者にルチアーナがいるわけだし、天才が二人もいるとなれば、僕にも期待が集まるわけだろうし。
しかしそんなに期待されても、僕の実力が飛躍的に伸びるわけでもないわけで。
僕がため息をはくと、それに気付いたらしいモーゼスが小走りで駆け寄ってくる。まだ一日が始まったばかりですよと言われ、王太子も気苦労が多いんですなと労われた。取りあえず返す言葉もないので、曖昧に笑みを返しておくことにしよう。
渓谷を通る道は、今までよりも一層険しくなっている。片方は切り立った岩の壁、もう一方ははるか下方へと続く崖だ。
ここが一番の危険箇所だという事なので、歩みも慎重になったのだが、途中で詰まってしまった。前が動かないのだ。こんな渓谷で立ち往生とはと思っていると、カラが血の匂いがすると言った。これは嫌な感じがすると顔を顰めていると、今度は後方で悲鳴が上がった。馬が嘶き走り出そうとしたが、何とか落ち着けさせる。渓谷の下に馬と一緒に落っこちるなんて遠慮したい。
僕の後ろ側に居たコルラードが、馬を下りるように叫んだ。言われるがまま急いで降りれば、すぐ側を黒い影が通り過ぎていった。
「レオナルド様、お下がり下さい! ワイバーンの群れです」
ワイバーンは蜥蜴の様な外見に、蝙蝠の様な羽を持つ獰猛な魔物だ。人の肉を好み集団で飛来してきては、村や町を一晩で食らいつくす逸話がいくつもある。とはいえ、そんな魔物が先行部隊に見つかる事なく、ここに襲来するのはおかしい。少なくとも周辺に魔物がいるかどうか判別出来る魔法道具があるので、それを持たされて警戒していた筈だ。
『レオナルド、こいつら動きがおかしい。こいつら、随分理性的に動いてやがる』
剣を引き抜いて応戦するが、ワイバーンは妙に距離を開けている。後方にいた兵士が、ワイバーンが振り回した尻尾に当たり、何人か渓谷の底へと落ちていく。だがその落ちていく兵士を、ワイバーンが空中で捕まえていた。その場で食らうのは知っているけど、人間を攫うなんて話、聞いたことがない。
「ワイバーンが、人間を食ってない?」
僕の呟きに、モーゼスも下方を見て気付いたようだ。これはおかしいと、背に抱えた大斧を振り回しながら、寄ってくるワイバーンの尻尾を切り落とした。
「こいつら、人間の肉を食う本能で動いてるようなのに、わざと尻尾で俺達を落とそうとしてやがる。お前ら、無理に攻撃して前にでるんじゃない!」
周りの新兵に指示を飛ばしてはいるが、僕も含め実戦などほとんど経験したことのない者が多数だ。そして何人もの仲間がワイバーンに捕まっているのを目の当たりにした為、浮き足立っていてモーゼスの言葉が届かない。
「お前達、落ち着け!!」
コルラードが槍で応戦しながら、怒号を発している。悲鳴や馬の嘶きが合わさり、渓谷の道は騒然としていた。このままじゃいつ自分が落ちるかわからないと思っていると、ワイバーンは何故かあっという間に去って行った。
「……助かったのか?」
空高く上昇し、すでに小さな影となったワイバーンを見つめながら、コルラードが呆然と呟いた。一体何故去って行ったのか、そして魔物にしてはやけに統率されているワイバーンに困惑していると、モーゼスがやられましたと苦々しい表情を浮かべている。
「あいつら、先行させてた部隊の連中と、魔法士を狙って渓谷に落としやがりました。さらにゃ、馬に乗ってた部隊長を的確に狙って不意打ちで落としてます」
渓谷に落ちた兵士は、ワイバーンに掴まれてどこかに連れていかれたようだ。前方で立ち往生したのも、その不意打ちの所為で、後方から聞こえてきた悲鳴もそれだ。
モーゼスがいち早く応戦できたのは、本人が馬に乗っていなかったからだろう。モーゼスは背丈が低いのでやはり手足も短い。そして庶民の出ということで馬に乗り慣れないし、走った方が楽だという理由で乗っていないのである。
それに大斧を好んで使っているため、騎兵として戦うより歩兵として戦う方が得意なのだそうだ。さきほどの戦いを見ても納得出来る。
コルラードもまた後方の異変に気付き、この狭い渓谷の道で何かが起きたとなると馬は危険だと判断し、僕に降りるよう指示したという。そのお陰で、ワイバーンに叩き落とされずに済んだわけだ。
結局、残ったのは馬に乗っていなかった新兵くらいなもので、半数以上の騎士がワイバーンに攫われてしまった。さらに悪いことは重なるというか、撤退すべきとなったのだけど、ワイバーンはご丁寧に後方の道に岩を幾つも落として塞いでくれていた。岩は大きく幾つもあった為に魔法で砕いたりしたら、この渓谷の道自体崩落してしまう可能性もあるので、それすら出来ない。
僕達に残されたのは、この先にある孤児院に向かい、ソナリス大公領に救援要請をする事だろう。完全に誘導されているように思えるので、嫌な予感が止まらない。僕は心を落ち着ける為に、肩に乗っているカラにそっと触れたのだった。




