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視察に来てみれば借金の相談だなんてと、僕は肩を落とした。ともかく、何で収益総てを王家に献上しようなんて事にしたのか、詳しく聞いてみなければならない。
「…娘が、そうしなければ…と」
「失礼ですが、ラウリ大公。娘の言いなりでなんてそんな言い訳、王宮でするつもりなのですか」
「いえ、そんな事できはしないのはわかっております。…ですが、我が娘ルチアーナが言うには、下手に収益を隠したりすれば、大公家が取り潰しになると…」
我が大公家はそれでなくても立場が危ういのだから、いつ罪を着せられ殺されるかわからないとばかり、ルチアーナが煽っていたようだ。事あるごとに、ラウリ大公の不正を厳しくチェックしていたそうだ。きれい事ばかりでは領内は治められないし、どうしても口約束などでの金のやり取りも生じる事がある。だがそれらを呑み込まなければやっていけないから、やり過ぎないように境界を見極め、行っていくものである。
そんなラウリ大公を常に疑いの目で見ていたルチアーナは、彼女の事業で成功したときに歓喜した大公を更に厳しく詰問した。ただ事情が事情だけに、年若い娘に話すわけにもいかず、それがなお疑惑の目を向ける事となり。
「いまでは、…私の書類をすべてルチアーナの侍女であるシルケがチェックしております。魔法を駆使して常にルチアーナと連絡を取っているようでして、……下手に誰かと会おうとするものなら、それすらも報告されております」
実の父親に中々厳しい。ああ、ラウリ大公は実の父ではないからか。ゲームの中では、彼が不正をしたから大公家は失脚し処刑となったらしいし。
もう私ではどうしたらよいのかわかりませんと、大公は嘆いている。豊かな大公領だけど、問題は山積みだな。
「ラウリ大公、話は変わりますけれど、跡取りはどうするんです? ルチアーナは僕の婚約者であり王妃になるために王宮に入りますから、ここを継ぐには誰か養子にするしかありませんよね」
「は、はい。実はその事はすでに、国王陛下に相談しておりまして。考えておくとお返事を頂きましたので、それを待っております」
なるほどと僕は頷くと、ラウリ大公に借金の額は如何ほどか聞いてみた。学園の一年分の授業料以上なので、中々のものである。金利だけは何とか支払えているが、それもままならなくなっているようだ。
「ふむ、では借用書を書いて下さい」
「ま、まだ私に借金をしろと?」
「いえ、僕に向けた借用書ですよ。その金額を僕に貸したことにして、書面にするのです」
「し、しかし、それでは金はどこから…」
「もう借りているではありませんか。それで、それをシルケに隠す事なく領地経営の書類に紛れ込ませるのです。何に使うのか聞かれても、王太子個人の問題だからと突っぱねて下さい」
出来ますかと訊ねれば、大公は無言で小刻みに何度も頷いた。
「そうすれば、ルチアーナは笑ってその金額を支払ってくれるでしょう。まあ僕の愚痴などをテレシア様に言ったりするでしょうけど、何を言われても口を割ってはいけませんよ」
「は、はいっ」
しかしそれでは、借金の借用書が残り殿下に不利に動くのではと、大公は大汗を流している。
「借用書は大公自身のサインと判を押して下さい。そしてこれは、次の大公に引き継がれるとも」
大公家への借金ではなく、ソナリス大公だけへの借金としてくれと念を押した。それに何か勘づいたのか、分かりましたと先ほどとは打って変わって真剣な面持ちになる。そうしてごくりと唾を飲み込んだラウリ大公は、絞り出すような声色で言った。
「殿下は、我が娘を見限りましたか?」
「まさか。僕はルチアーナと結婚するつもりですよ。彼女は大事な婚約者だ。僕は彼女を蔑ろにしないように誠意を持って、接していますよ」
僕が微笑めば、では婚約破棄などはしないのですねと再度訊ねられた。決してそのような事はありませんと力強く言えば、ラウリ大公は大きく息を吐いて肩を落とす。
「しかし婚約破棄とは穏やかではありませんね。どなたがそのような事を?」
「……いえ、そのですね。ルチアーナが時折、もし婚約破棄されたらどうしようと不安がっておりましたので」
「そうですか。僕の態度は煮え切らないと言われますし。…幼い頃からの付き合いのルチアーナには、恋愛というより家族や友人に近い感情しか抱けないのかも知れません。しかし、この国を治めていくにはルチアーナと手を取り合って行きたいと考えていますから。彼女の幸せの為なら、僕は…」
目を伏せながら、手をぎゅっと握りしめる。ラウリ大公は娘をよろしくお願いしますと頭を下げて、僕もそれに頷いた。
馬車は町中へと進んでいく。そうして今流行りの店ですと紹介された高級店街を案内されたとき、警備兵の中にこの辺りでは珍しい西の隣国の血を引いているであろう顔立ちの男がいた。
僕が足を止めたのに気付いたのか、ラウリ大公は彼ですかと合点がいったようだ。
「何でもバルバード領での洪水で親兄弟を失ったそうで、王都に仕事を求めて行ったものの日雇いの仕事しかなかったという話です。不憫に思った知り合いの伝手で、ここの警備兵として召し抱える事になったんですよ。さすがバルバード領の若者といいますか、腕っ節がめっぽう強くて頼りがいがあります」
「そうなんですね。そのような若者ならば、安心して任せられますね」
「ハハハ、そうですな。私はこの見てくれですので、剣の腕はさっぱりですから」
そう言ってラウリ大公は、若者の名を呼んだ。
「ヘルゲと申します」
帝国式ではなく、この国の様式で挨拶をするヘルゲに、僕は笑みを向ける。そして思いついたように、せっかくなので彼と少しこの辺りを見て回っても良いかと、大公に許可を取る。今のところ、ヘルゲは大公の抱える警備兵の一人なのだから。
「もちろん構いませんよ。危険はないと思いますが、ヘルゲよ。しっかりと王太子をお守りするのだぞ」
大公の言葉に短く返事をし、そして僕の後ろを歩き出す。大公達と距離を取った所で、店を覗くようにしながら、ヘルゲに話し掛けた。
「久しぶりだね、ヘルゲ。大公領での暮らしはどうだい?」
「いや、はあ。まあ悪くないです。今まで軍人でしたから、ごく普通の町の人間がいる所で働くってのが新鮮ですね」
帝国ではずっとフートヘルムの下にいたから、周りには軍人しかいなかったのだそうだ。日常的に町の人間が行き来する場所の警護は、中々退屈しないとの事。ヘルゲがそう言うのなら良いのだろう。
バルバード領でヘルゲと別れる時、新たにバルバード領での身分証を作ってもらい、王都で働いていた事にしたのだ。そして大公領に向かうように指示したわけである。ヘルゲとしては、帝国から離れた場所に行けるのならどこにでもと、こうしてここで暮らしているのだ。
「しかし殿下。ここでこうして平穏に暮らしてるわけですが、俺はこれで良いんですか?」
「うん、良いんだよ。ヘルゲはこういう暮らしが望みだったんじゃないのかい」
「いやまあ、そうですね。金は稼げればそれに越したことはありませんけど、食うに困らなければそれで…。あとはまあ、可愛い嫁さんもらって子供をつくって、そんな暮らしが夢ですねぇ」
「いいね、それ」
「…そうですか? こんな話をすると、ここでは笑われるんですけどね。夢がないって」
「可愛いお嫁さんって時点で、夢見てるのにね」
僕の言葉にヘルゲは苦笑している。
「可愛い娘なら、この高級店街によく来るんですよ」
どんな子と聞けば、白っぽい髪の色で小柄な少女だとヘルゲは少しばかり熱の籠もった声で話した。まだ幼いがもう少し歳を取れば、とんでもない美人になるだろうとも。
「大公領に来てまだ日も浅いのに、中々に手が早いね、ヘルゲ君」
「いやあ、あんな綺麗な娘、初めて見ましたから。…別に手を出してませんよ」
かなり奥手みたいでと、ヘルゲは頭を掻いた。話し掛けても避けられたりするのだそうだ。なるほど、ヘルゲ君の恋の行方は中々もどかしいようである。
「俺ももう少し顔が良ければ、どうにかなったのかもしれませんが」
「ははは、顔だけ良くてもどうにもならないよ。試しに僕の顔になってみるかい?」
「…それは遠慮します。失言でした」
まったく失礼だな、ヘルゲ君は。こんなふうに気軽に話せる相手というのは良いなと、思わず笑ってしまう。
「その娘と上手くいって結婚するときは、お祝いをあげるよ」
「殿下の祝いですか…、なんか色々と凄そうですね」
「楽しみにしていると良いよ」
一通り店を見て回った後で、ラウリ大公の所に戻った。いくつかの店で気になる物を購入したので、我が領地の特産品をお買い求め頂き光栄ですなと嬉しそうだ。僕が買ったのは菓子類で、カラが欲しいと言った物である。僕はあまり食べないのだけど、カラのお陰ですっかり甘党だと勘違いされているようだった。
大公の屋敷へと戻りすぐに執務室に連れ立って入る。
いつもならシルケがいるのだそうだけど、今はルチアーナに付きっきりなので不在だ。なのでさっそく借用書を作成してもらった。
『ヒヒヒ、おやおや随分お高い買い物をしたなぁ、レオナルド』
これはこれで役に立つから良いんだよと、借用書の写しをしまい込む。それから領地経営をしている上での収益を見せて貰ったり、商人とのやり取りだとか貴族の付き合いだとか、大公と話をして過ごした。どうにも屋敷の中は女性ばかりで、自分の話を聞いてくれる相手がいないらしく、僕が来たことで仕事の話を語り合えて嬉しそうである。
ルチアーナと不毛な会話をするよりは幾分よいのだけど、夕食の席はどうなることか。
侍女であるシルケが夕食だと呼びに来たので、僕とラウリ大公との会談は終わった。部屋を出るとき、大公が上手い具合に焦ったように書類の隙間に借用書を入れてくれたので、夕食中に見つけてくれるだろう。
『仕込みってのは大変なんだぜ、可愛いレオナルド。だが丁寧にやればやるほど、美味くなるものさ』
何事もなと、カラが笑う。僕もこれから起こるであろう事に思いを馳せ、笑みが零れた。
本来なら視察に来た王太子を招く歓迎会であるべき夕食は、案の定テレシアの独壇場であった。可愛い孫娘が帰ってきたことを喜び、会話を親子三代だけで楽しんでいる。本当なら主賓である僕は、会話に参加することなく食べ進めるだけだ。大公領での食事は、ルチアーナの好みに合わせてつくられているので、慣れ親しんだ食事と比べると少し物足りない。
僕からすれば味がないように感じるのだけど、彼女たちには美味しく感じるようだ。野菜を茹でただけとか、焼いて塩で味付けしただけの魚とか。こういうのは軍事演習での野外訓練とかで食べた事があるので、出来れば町中にいる時くらいきちんと味の付いた肉やスープが食べたい。全部食べる気もおきず、少しだけ手を付けて下げてもらった。
それを見とがめたテレシアが子供を叱るように好き嫌いは駄目よと言ってきたけど、口に合わないのでと突っぱねる事にした。後でカラのお菓子を分けてもらおう。これを食べるくらいなら、苦手な甘い物の方がまだ良い気がする。
「…まったく、本当にレオナルド様は王になる自覚がおありなのかしら。気に食わないからといって受け入れないのは、賢いやり方ではありませんよ」
テレシアの言葉に、僕はただ苦々しく頷くだけだ。それをどう受け取ったのか、普段の学園生活でのお小言など、夕食の時間は僕へのお説教と変わってしまう。話の内容の殆どが、僕が男爵令嬢に入れあげていたという話で、まあ簡単に言えば可愛いルチアーナを蔑ろにするんじゃないという事だった。
「……それではテレシア様。ご教授してほしいのですけど」
「なんでしょう」
「僕の態度が彼女を蔑ろにしているという事になるのならば、学園での生活はどうすれば宜しいのです? 他の女子生徒と話をするなというなら、授業に支障が出るかと思いますが」
「そこはご自分で考えなさい。私はルチアーナの気持ちを大切にしろと言っているのです」
「ルチアーナの気持ち、ですか」
じっとルチアーナの方を見れば、訝しげに眉を寄せている。僕が何を言い出すか予想も付かないからか、警戒しているようにも見えた。
「ルチアーナ、君は僕の事をどう思っているの?」
「えっ……」
唐突に話を振られ、ルチアーナは動揺しているようだった。ましてや今まで、僕が直接彼女の気持ちを聞いたことはない。まさかとは思うけど、ゲームの僕はそういう素振りすらなかったから、気持ちを確かめに来るとは思ってもみなかったのだろうか。
「突然、何を」
「ずっと気になっていたことだよ、ルチアーナ」
僕の問いに彼女は答えない。いいや、答えられない。僕と彼女の間に恋だとか可愛らしいものがあるのなら、こういう事を聞くのは無粋なのだけど。そういうふうに取り繕うのかと思ったけど、ルチアーナは考えが纏まらないのか視線を忙しなく動かしている。その様子を見たテレシアは、僕のこういうところが駄目なのだと怒りだした。まあ本当のルチアーナであったとすれば、可哀想な質問である事は間違いない。
なのでテレシアの怒りを甘んじて受ける事にしたけど、ルチアーナといえば俯いたまま食事にも手を付けず何か考え込んでいるようだった。
食事が終わった後で、ルチアーナは早々に部屋に籠もってしまった。それすらも僕の不躾な質問の所為だとテレシアが怒っている。可愛い孫とのふれあいの時間を、僕が潰したからだろう。面倒くさい。ものすごく面倒くさい。
父様がテレシアの訴えを聞き流すのも、わかる気がする。
僕が話し半分で聞いている事に気付いたのか、テレシアは顔を思い切り歪めて、そうして嫌味ったらしくこう言った。
「…まったく、どうしてジェラルドは公妾の子なんでしょうね」
子供の頃から、周りの人間が言っていた言葉だ。僕だってそう思う事が何度もあった。どうして僕が、正妃の子なのだろうと、どれくらい涙を流したかわからない。僕にとってのジェラルド兄様は憧れの存在であり、憎しみの存在でもあったコンプレックスの象徴だ。
でもいまは、ジェラルド兄様の一面を知った今は、その言葉に心がかき乱される事もない。
「さあ、公妾の子だからこその、滑稽な程の頑張りなのでしょう」
嘲笑を交えての僕の言葉に、テレシアは目を大きく見開いて驚いていた。まさか僕が、そういう言葉を返すとは思ってもみなかったようだ。
「もう少し弁えるように、言っておきますね。テレシア様が、王太子が公妾の子より劣っているのはあり得ないとお怒りなので、もう少し考えて行動するように、と」
今まで一度たりとも、僕はジェラルドの事を下に見たことなどないし、こんな発言をしたことすらない。
「…そのようなお考えだと、いずれ立場が悪くなりますよ」
「そうですか? なら立場を整えるために、色々としなければなりませんね。ジェラルド兄様も目立ち過ぎると、何か不幸な事故があっても困りますから」
僕の言葉をどう受け取ったのか、テレシアはもう良いと言わんばかりに去って行った。
用意された僕の部屋へと戻ると、寝台に寝転がる。
「ヒヒヒ、このまま眠るのかレオナルド。可愛い小さな子のようだぜ」
耳元で聞こえてきたカラの声に、僕はホッと息を吐く。今日は疲れたんだといえば、温かい手が僕の頭に触れた。
「それなら子守歌でも歌ってやろうか。……おやすみ、いとしいこ」
そう言ったカラの唇が額に触れたのを感じたのを最後に、僕は眠りに落ちた。




