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「新しいお客様が増えました」
満面の笑みで授業で会った途端、アンナが言った。随分と上機嫌なのか、それともその真逆なのか気になるところだけれど、素直に良かったねと言えば、はいと軽やかな声色で頷いている。以前アンナは、父や兄ほど商売に興味はないと言っていた気がするけど。
「レオさんに誘われたお茶会で、とても良い上客になりそうな方を紹介していただけて、実りあるものでよかったです」
「うんうん、アンナが楽しそうで何よりだよ」
それでですねと、アンナがもじもじしながら僕に言った。相変わらず、何かあるとするアンナのその仕草は、中々可愛らしい。
「少しの間、私はその方と友好をあたためようと思うのですけれど、よろしいでしょうか」
アンナの申し出に、僕はもちろんだともと頷く。アンナにとっては大事な将来の為の布石なのだから、僕が邪魔をするわけにはいかない。公妾という立場は、権力があるといえばあるのだけど、僕がいらないといえばすぐ奪われるという危うい立場でもある。だからこそ、公妾の女性達は、王の寵愛以外に能力を発揮し国政を支え、王がいらぬと言っても排除出来ない立場になるのだ。能力をかわれて公妾の立場を貰った女性もまた、同じである。
もっとも僕はアンナをそう簡単にいらないなんて言わないけど、僕以外が黙ってない場合もあるから、そこはアンナを応援するしかない。アンナが書類にサインした時からそれらは予想していたようなので、存分に彼女を応援する事にする。
「あのですね、レオさん。それで少しお願いがあるといいますか…。リリーディアさんの事なのですけど、私は新しい人脈作りにいくので、彼女と一緒にいられる時間が少なくなってしまうんです」
「まあそうだね。でもリリーディアも、宰相の娘としてその辺の貴族の子女と仲良くするといいんじゃないかな」
「ええ、ええ。それはもちろんですとも。…それでですね、私が心配しているのは…」
こそりと、アンナが内緒話をするかのように耳打ちする。僕がまじまじとアンナを見れば、顔を少しばかり赤くしてもじもじしていた。
「…こんなこと、頼むのは烏滸がましいかもしれませんが…」
「いいや、全然。むしろこちらからお願いしたいくらいだよ。…問題はリリーディアの方だけど」
「大丈夫です、了承してくださいますわ」
満面の笑みで力強く言われたので、ならそのようにするよと僕は微笑んだ。そして今度は、僕がアンナに耳打ちをする。
「……まあ、そのような事が…」
「うんうん、だからねアンナ」
僕とアンナは見つめ合い、そうして微笑みあった。
学園に来てアンナと出会えたことは、とても良い事だ。だって彼女は常識はあるけれど壊れていて、僕と根本が似ている。だからこそ、こうして内緒話まで出来る最高の友人になれたのだから。
「私、レオさんに出会えたことを精霊に感謝します。きっと、これまでの事はこの為だったと思ってしまいます」
「奇遇だね、僕も同じような事を考えていたところだよ」
「まあ、なんて素敵なんでしょう」
顔を赤らめて照れているアンナに、僕も思わず照れてしまった。そうしてどちらからともなく笑うと、それじゃまたと言って話を終えた。もちろんこの内緒話をしている様子は、同じ授業を取っている生徒達が目撃している。一年の頃からの付き合いであるアンナと僕の仲は、暗黙の了解のように周知されていたりするのだ。だから親密な様子を隠す必要もないし、こうしていて下世話な噂話の対象にはいまさらあがったりはしないのだ。
だが例外があったりもする。
何故か他の生徒が一緒にいるのに、僕がリリーディアといるだけで一部の生徒がこれ見よがしに捲し立てたりするのだ。まあ捲し立てている生徒というのは、以前ルチアーナのお茶会に参加したときにいた貴族令嬢達とその友人なのだけど。
「不思議ですね、ここにいるアルバーノの姿が彼女たちには見えないのかしら」
少しばかり呆れたように、リリーディアがお茶を飲んでいる。その姿はもはや町娘であった時のことなど思い出せないくらい、立派な淑女然としていて、所作も素晴らしいものだった。僕もそれに同意しつつ、お茶を口にする。
「見たいものしか見ないのが人間だからね。ふふふ、僕が王太子だって忘れているのか、ルチアーナの権威があるから気が大きくなっているのか、気になるところだけれど」
「今度聞いてみましょうか?」
「あはは、良いね」
僕とリリーディアが和やかに話している横で、アルバーノは静かに本を読んでいる。会話に参加する事は滅多にないのだが、これはこれで見目の良いお人形と思えば十分良い代物だ。ルチアーナのお茶会に誘われる事が多く、そこでジャンカルロや他の子女達からおかしな所をやたらと指摘されるのが煩わしくなっていたところに、リリーディアが義姉となった所為で勝手に裏切り者扱いされたそうで。アルバーノはすっかりあちらの派閥から爪弾きにされたのだそうだ。おやおや、可哀想に。
ともかく父親と和解したアルバーノはそのことに関してとやかく言われたくないらしく、義姉のリリーディアの側にいると不思議と近寄ってこないので、こうして一緒に過ごすようになったそうだ。むしろリリーディアと一緒なら引き剥がしに来そうなものなのに、そこは遠くから見て男を侍らしているとかなんとか噂しているんだよね。
その事を目の前のリリーディアに言えば、気付いたことがあるんですと口を開いた。
「あの方々、私の事を色々と言うじゃないですか。でも、私がレオさんやカルロさんと話をしていると、嬉しそうなんですよ」
「…嬉しそう?」
「ええ。…うーん、あれは予想通りの行動をしてくれたとか、そういう感じですね。ほら、私が最初に男爵の養女として入学した時、あの時は嘲笑って感じで本当に礼儀知らずを笑ってたんですけど。いまはちょっと違うんです」
なんて言うか言葉にすると微妙ですけどと、リリーディアが眉を顰めている。いままで会話に参加せず、綺麗な人形の置物と化していたアルバーノが、不意に口を挟んだ。
「…ゲームの通りに動けば落とせると思ってるのかしらとか、ルチアーナがジャンカルロと話しているのを聞きました」
何の事か分かりませんけどと、アルバーノは付け加えた。リリーディアはその言葉に、ルキノが発していたのと同じものを感じた様だ。
「レオさん、まさかとは思いますけど、ルキノ・バルバードと同類なのですか?」
「さあ、同類といえばそうかもしれないし、違うかもしれない。まあ、碌なものじゃないってのはわかるよ」
「ええ、そうですね。先日、ジェラルド様とお話した夕食の時ですね。ジェラルド様、ジルダさんに夢中だったじゃないですか。私が冷たくあしらわれたり、会話に入れなかったりする度に、とても楽しそうでしたよ」
それからチラチラとアンナさんに視線を向けていてと、ぷくりとリリーディアは頬を膨らませた。別にルチアーナはそういう意味でアンナを見てたわけじゃないよと言えば、そんなの分かってますけど何だか嫌な感じでしたと不満げだ。
「…私、本当に将来、王宮で働けるのでしょうか…」
「別に王宮内だけが働く場所じゃないよ」
「でもアンナさんと一緒にいるには、王宮で働くしかないんじゃ…」
それは間違いでもないけど、正しくもない。王宮で働くには色々と伝手や能力が必要になる。もちろん身分もだ。だがリリーディアの場合、宰相の義娘という身分があるので、王宮内で侍女などするにはちょっと身分が高すぎるのだ。宰相がわざわざ養女にしたというあたりに、貴族達はリリーディアを宰相の有力な駒みたいに考えているだろうし。政略結婚に使うと思っているだろうな、間違いなく。
なのでそんな彼女が侍女にはなれるわけがない。もっと下の身分の娘が、箔を付けるためになったりするのだ。色々と他にも理由はあるけど、まあ侍女になる娘はだいたいそんな感じだ。
リリーディアの場合、未婚だからあまり王宮内を大っぴらに歩くわけにも行かない。なのでリリーディアがアンナと会うには、友人であるという理由以外は特にない。
「ええっ!? それじゃ私、どうしたら良いんですか!?」
「アンナには僕の父様がやったように、離宮が与えられるんだよね。そこに出入りする為に、君はアンナが簡単に出歩けなくなる城下町での仕事を探すといいよ」
「城下町での仕事? 普通に仕事を探すわけじゃないですよね。となると、貴族の娘がやる事と言えば…」
唸りながらもリリーディアは答えに行き着いたようだ。ぱっと顔を明るくして、慈善事業ってやつですねと声をあげる。僕は正解に行き着いたリリーディアに、素晴らしいと賞賛を贈った。
「貴族様の施しって感じですけど、お金なかったり家がなかったりしたとき、身に染みて有難いと思いました」
「うん、流石リリーディアだよ。救済院とかあるだろう、あそこの環境改善が先か、それとも孤児院の環境か。予算は限られているし、一朝一夕で出来る物じゃない。だから貴族が持ち回りで、施しだって言って何とか臨時寄付みたいなのをして回してるんだよね。改善させるにしても、人手がないし、なにより面倒くさい。とにかく泥臭い仕事になるだろうね」
それに一応、今の状況でもなんとかやっているから、問題は先送りになっているわけだ。だって他にも問題は盛りだくさん、いま手を付けなくて良い事はやらないのだ。だってそうでなければ僕達は、何も出来なくなってしまう。でも皆、目を逸らしてはいるが頭の痛い問題でもあるので、手を付けてくれる人物がいれば諸手を挙げて歓迎するだろう。協力してくれるかは別として。
「…なるほど、公妾であるアンナさんに覚えの良い私がやる事にして、進行状況や相談する為に離宮に入り浸れる…と」
「やるからには中途半端は、君やアンナの評判を落とす事になるから大変だよ」
「そうでしょうね。何からやればいいかわからないくらい、大変な事でしょう。でも、…そうですね。私も救済院でお世話になった身だからこそ、思う事もあります。これが役に立つなら、やりがいのある事なのでしょう」
リリーディアが拳を握りしめ、勢いよく立ち上がった。そうしてやる気に満ちあふれた目でこちらを見ている。これって少しはレオさんの為にもなりますよね、と言うのでもちろんだともと僕は頷いた。
「…でもまあ、リリーディアにはお世話になったからね。何か融通してほしい時は、僕に言ってね。なんとかしてみるよ」
「はい、是非に」
取りあえず学生の間に少しずつ概要を考えてやってみますと、リリーディアは気合いを入れている。短期間で貴族の礼儀作法だけでなく、基礎学力までも身に付けたリリーディアは天才ではないかと思ってしまう。きっとそうなんだろうけど。だからこそ、彼女がやる気を見せたこの慈善事業は上手くいきそうな気がするなと思った。
『ヒヒヒ、可愛いレオナルド。あそこの柱の陰から、お前を熱心に見つめている奴がいるぞ』
カラに言われチラリと視線を向ければ、そこには暗い表情のジャンカルロが佇んでいた。以前、君は女の子になりたいんだろうと言ってからというもの、部屋に引きこもりがちになり、ルチアーナを避けるような行動をしているようだ。しかしルチアーナはやっと巡り会えた同郷の仲間だからか、気になって声をかけ続けているようだけど。
「……ジャン」
ぽつりと、アルバーノがその名を呼んだ。リリーディアもジャンカルロに気付いたようで、少し嫌そうな顔をした。ジャンカルロには火炎魔法を撃たれて焼け死ぬところだったからか、嫌な印象しかないだろう。
「あの人、この前もアルバーノに詰め寄って、何だか怖い感じでした」
それは初耳だとアルバーノを見れば、少し眉を寄せながら様子が最近おかしいんですと言った。
「魔法道具の製作を頼まれたんです。ですが僕では…。いえ、それが出来る者はいないと言ったんですけど、信じてくれなくて」
それはもしかして、性別を変えられる道具とやらだろうか。ジャンカルロの中身はこの世界の住人じゃないから、それらが禁忌となっていて魔法が発動しないという事を知らないのだろう。アルバーノに問えば、そうですと頷かれた。
「僕よりルチアーナに聞いた方が詳しいだろうと言ったんですが、…そうしたら何も言わず怒った様子でどこかへ行ってしまって」
それからというもの、時折ああして物陰から様子を窺っているのだそうだ。それは確かに気味が悪い。ジャンカルロは元の体、いいや元の性別に戻りたいみたいだけど、しかしあちらの世界ならいざ知らずだ。
「また何かあったら教えてほしいな。一応、ジャンカルロは宰相預かりになってはいるけど、生活面のサポートや強力過ぎる魔法については、ルチアーナが受け持っているようなものだからね」
ルチアーナが関わっているからこそ、宰相もあまり強く諫めるのを少し遠慮してしまう事もあるだろう。僕がそう言えば、アルバーノはあからさまにほっとした表情を浮かべた。なんでも、自分に話し掛けるようになってからのジャンカルロには、どことなく気持ち悪さを感じていたそうだ。他人を気持ち悪いと思うのはまあ自由だけど、それを公言するわけにもいかないし、長年一緒に暮らしてきた仲だからこそ、なんだかおかしいとアルバーノは感じていたようだ。
やっぱり中身が別人になると、どこかしら違和感を感じる者が出てくるみたい。僕の母様と同じようにだ。
結局、ジャンカルロは話し掛けることなくどこかへと行ってしまい、なんとも言えない薄気味悪さを残していった。
「ああそうだ、もう少ししたら年度が変わるだろう。そうなると、僕はあまり学園に顔を出せなくなりそうだよ」
「レオさんも三年目になると、お城での仕事が忙しくなるんですか?」
「まあね、成人するし。もっとも成人してすぐに王になるわけじゃない。何年もかけて緩やかに父様から僕に政権を移行するから、まだまだだけどさ。色々とやることは増えるわけだよ。…あと、結婚式の準備も始まるそうだ」
王族の結婚式となると、色々と準備期間が長くなる。これが他国とのだったらもっと時間が掛かるけど、今回は国内貴族とだからまだ短い方だ。それをリリーディアに言えば、呆気にとられていた。
「私ってただの町娘でしたから、結婚がそんなに大変だなんて思ってもみませんでしたよ」
「庶民は違うの?」
「精霊の祠に行って祝福してもらう程度ですね。あとは家族と近所が集まって宴になるくらいですけど、領主様に書類提出すれば結婚出来ますし」
本当にその程度ならどんなに楽か。まあ見栄を張らずして王族ではありえないから、仕方ないといえば仕方ないけどさ。
「そうなると、そういう式典には私って参加するんですか?」
「宰相の養女だからね、一応。…アンナは参加出来ないけどね。非公式でチェスティ家の当主夫妻とか招待するくらいはするさ」
なるほどとリリーディアは頷いている。本人曰く、その辺りの貴族の考え方のさじ加減はいまいち分からないとの事だ。まあいくら外を取り繕えたところで、生まれ育った環境が違うからこそだろう。僕だって町に放り出されたとして、そちらの暗黙の了解的なルールなどさっぱりだし、考え方も理解出来ない事があるだろう。そういうものだから、彼らは別世界の人間だと思っていた方が、割り切れて良いのかもしれない。
とはいえ、国政は彼らの税金で行うのだから、関わらないわけにもいかないのだけど。リリーディアもその辺の事は理解しているのか、アンナさんに相談しながら覚えて行きますと言っている。うんうん、勤勉だな、リリーディアは。




