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今日は友人達も城に滞在する事になっているので、それぞれ用意された部屋で寛いでいる時間帯に、僕の部屋を訪ねる人物がいた。といっても僕の部屋に出入り自由なカラではない。
その優しい声色は聞き覚えがありすぎて、僕は笑みを深くして扉を開け、その人物を招き入れた。
「ジェラルド兄様」
「少しお前と話をしたくてね。…迷惑だったかな?」
「いえ、そんな事は」
ジェラルド兄様とお話するのは好きですと言うと、ジェラルドはそうかと嬉しそうだ。そして今日のお茶会でやってきた友人達について、それぞれ詳しく聞きたがって来たので、素直に答えた。ただし、アンナが公妾という事は言わずにだ。
誰からか噂を聞いたのか、ジェラルドは僕がリリーディアに熱を上げていると思っていたらしく、ただの友達だと言えば少し驚いた顔をしていた。
「可愛い子だと思うけど。話していて面白いけど、彼女とはそういうのじゃないよ。それに彼女の事が好きなのは、今日一緒に来ていたあの赤毛の…」
「ああ、彼か。どうりでやたらと、あの二人と話をしていたわけだ」
なるほどとジェラルドは頷いた。身近な家族のこういった話に興味があるらしく、ジェラルドの質問は止まらない。そして話は、ジルダの事になった。
「二人で一体何を話していたんだい?」
「別にこれといって…。学園の事とか、…その普段何をしているかとか他愛のない事だよ」
少し顔を赤らめて話すと、ジェラルドがおやと目を丸くする。そうしてすぐに笑みを深くすると、そういえば彼女の事はルチアーナから聞いたことはあるけど、会うのは初めてだったなと口にした。どうやらジェラルドもジルダに興味を持ったらしい。しかし彼女はカルロの妹だから、そんな興味本位で近づかれても困る。それに彼女は何も知らないのだから、下手に巻き込まない方が良いだろう。
つい僕は焦って、ジェラルドに彼女に近づかないでと声を荒らげてしまった。焦る僕の様子に驚いたのか、すぐに落ち着けといなしてから、ちょっと気になっただけだからと言い訳じみた事を口にした。
だというのにだ。
夕食の時間、お茶会と同じ顔ぶれで取っていると、ジェラルドはやたらとジルダに話し掛けていた。ルチアーナもそれに加わって三人仲良く盛り上がっており、そこにリリーディアがジェラルドに果敢に話し掛けてはいたが、簡単にあしらわれてしまっている。アンナはそんな様子を見ながら、笑みを深くしていた。カラはカラで、食事が美味しいと感激していて、僕は一人黙々と食べるしかない。
だってだ。もし言葉を発しようと口を開けば、笑いが堪えきれないからだ。ああもしかしたら、ジェラルド兄様に抱きついて、大好きだと叫んでしまいかねない。
いままで、僕とルチアーナとジェラルド兄様の閉じた世界でしかなかった。だからルチアーナとジェラルドが想い合っているとばかり、そう思っていたというのに。僕にはルチアーナしかいなかったから、そう思われていたから、分からなかっただけか。ああなんて素敵なんだ、ジェラルド兄様は。
僕は別にジルダの事を特別に思っているわけじゃない。だけど彼女に会ってみたくてお茶会に誘ったのは本当だし、心から彼女に興味本位で近づいてほしくなかったから、焦って兄様に詰め寄ったのだ。彼女をエスコートしたのだって、友人であるルチアーナがとっととジェラルド兄様と行ってしまったからであり、下心はないのだ。
昼間、お茶会の時に彼女と話したのはジェラルド兄様の事。
ルチアーナの話を聞いて、ジェラルド兄様の事が気になっていたようだ。だがジルダは学園にも通わない引きこもりの娘。だから引け目を感じているらしく、身分的には問題はなくとも父親である騎士団長に何も言えないで居たようだ。まあジェラルド兄様は格好良く評判も申し分ない青年だから、貴族の娘の競争率は高い。滅多に夜会などに顔を出さない所為で、たまの出席の時は凄まじい戦いが裏で繰り広げられているそうだ。
父様が許可を出せばすぐにでもどこかに養子にはいって、家臣として務めるだろうから、男子のいない貴族の家ではいつ結婚するのかと気になって仕方のない人物だろう。そういう話もあるから、カルロが家を継ぐトフォリ家ではジルダの結婚相手として除外されている。だからこそ、本人は他に気になる相手もいないしと、諦めているようだった。
だから僕が、ジェラルド兄様が君の事を気にしていてねと言えば、信じられないと驚いていたものの、目には僅かな期待が滲み出ていた。僕は恋する乙女の味方だからね。少しばかり彼女とジェラルドが添い遂げられるように動いてあげたわけだ。
もちろんリリーディアとアンナにも、ジルダの事を話してあるから、二人はそれならと手を貸してくれている。好きな人と結婚出来る可能性があるのは良いことだと、二人とも意気込んでいた。僕もそう思うからこそだ。
さて、そんな微笑ましい夕食会を終えて、僕は暗い顔でジェラルド兄様の部屋へと向かった。ジェラルドが何を考えてジルダに近づいたのか、それを聞かねばならないからだ。ジェラルドは僕が訪ねてくることを予想していたのか、笑顔で僕を迎え入れてくれる。夕食前と逆だなと思いつつ、僕は緊張した声色でジェラルドに聞いた。どうしてジルダと話をしたのかと。
「ちょっと興味があると言っただろう、レオナルド」
そんなに怒るなと、良き兄の顔のままのジェラルドに、僕はさらに詰め寄った。いつもこれで丸め込まれるが、今日は引くわけにはいかない。
「だって、ジルダは…」
「…ジルダはどうしたんだい、レオナルド?」
まるで聞き分けのない幼子に言うように、ジェラルドの声色はとても優しい。いつもこうして、僕が泣いていた時はやってきては理由を聞いて、そうしてお前なら大丈夫だと言ってくれていたジェラルド兄様。ああ、こうしてちゃんと聞いてみると、その優しい声色にはどこか嘲笑のような、悦びが入り交じっている事に気付く。
「……兄様はどうして、…何でも持っているくせにどうして!?」
顔を上げジェラルドを見れば、その顔はとても嬉しそうだった。歓喜を堪えきれないといったような、そんな顔だ。
「何でも持っている? 本当にそう思っているのかい、レオナルド」
じりと、ジェラルドが僕に近づく。言い様もない迫力があるジェラルドに思わず後退りするが、すぐに壁が背中にあたる。僕とジェラルドとでは、力の差がありすぎるのだ。いくら成長して体付きがしっかりしてきたとはいえ、普段から鍛えているジェラルドとは雲泥の差である。だからこうして距離を詰められてしまえば、僕はあっという間に抵抗すら出来なくなる。
顔は笑っているのに、目だけは冷たく僕を見下ろしている。
「誕生を喜ばれ、王に望まれて、母様からの愛も貰い、臣民から慕われている。お前は望まれて王になれるというのに、…私はどうだ? この歳になっても城で飼い殺しだ。お前と仲良くしていなければ、追い出されて消されるに決まっている。…なぁ、私は一体何を持っているんだい、レオナルド」
悲痛というよりは、楽しげにジェラルドは言葉を紡いでいく。そうして僕の顔が歪む毎に、ジェラルドは笑みを深くしていく。
「…だって、兄様は皆に慕われていて」
「ああ、そうだね。期待されればその通りに動いていたから」
「勉強も、剣も魔法も全部出来て…」
「そうだね。でもそれが何になるのかな。私は軍属でもないし、戦争があるわけでもないから役に立たないよ、レオナルド」
でもそれで良かったことがあるんだと、ジェラルドは楽しげだ。
「私を王にという声がとても多くてね。おおっぴらに言わない中にも、沢山いるんだ。それらを私が抑えている状況なんだよ」
ちゃんと分かっているよねと優しく言われるが、先ほどからジェラルドを見るとどうしてだか歯の根がガチガチと音を立てている。耳障りなその音は、中々止められそうにない。
「でもね、レオナルド。私は王様になんかなりたくないんだ。だってそうなったら、可愛い弟のお前を殺さなくちゃならないだろう。私はそんな事はしたくない、わかるね?」
優しく抱き締めながら、ジェラルドは僕の耳元で囁く。
「お前の大事な物全部、私が貰ってあげよう。それで王位を継げるのだから、良いだろう」
僕の瞳から涙が流れ落ちる。
ジェラルドは僕の顎に手を当てて上向けさせると、涙を流す僕を見て満足そうに微笑んだ。
顔を俯けたまま自室に戻れば、カラが寝台の上で菓子を貪っていた。
おかえりと声を掛けられ、そうして見つけておいたぞと、無造作に椅子に掛けられている赤いドレスを指さした。
「ヒヒヒ、お兄様の寝室の宝箱に大事に仕舞われていたぜ。真っ赤なドレスは、お前の母様が着ていたものじゃないか?」
カラが女の姿になる時に着ているドレスによく似たそれは、僕の記憶の中にある母様が着ていた物に間違いない。といっても細かいドレスの装飾なんて覚えてないから、答えられずにいると、カラが母様の肖像画を見せてくれた。一体どこでみつけてきたのやら。
「これもジェラルド兄様のお部屋にあったぜぇ。ヒヒヒ、厳重に隠してあったからな、可愛いレオナルドが泣いてくれたおかげで、俺様が持ってこれたわけだ」
「今頃、ジェラルド兄様は大慌てかな」
「だろうなぁ。突然、大事な宝物がなくなったわけだから。ヒヒヒ、明日は荒れに荒れてるかもなぁ」
僕がジェラルド兄様の部屋に行ったのは、何もジルダの事を問い詰める為だけじゃない。覗き見してもよくわからない兄様のお部屋を、カラに家捜ししてもらう為だ。カラは覗き見は出来ても、そこから物体に干渉は出来ない。だから直接行くしかないし、気配は極限まで抑えられるけれど、見つかる可能性もあるからこそ、僕がジェラルドの気を引いていたのだ。もっともそれで、ジェラルド兄様の知らなかった一面を知れて良かったのだけど。
「ジェラルド兄様は王様になりたくないのに、どうしてまたあんな面倒くさい事をしているんだろう。僕の大事な物を総て差し出せだって」
「ヒヒヒ、おやおやジェラルド兄様は中々の歪み具合だなぁ。そういえば子供の頃は、母親のクリスタがべったりだったし、もしかしたらお前の母親が初恋なんじゃないか」
「僕の母様? まあ雪の妖精が来たとか言われてたくらいだから、美人だったけど。ジェラルド兄様と母様が仲が良かったなんて話は聞いた事ないな」
それならなんで、母様のドレスと肖像画を大事に持っていたのか疑問が残る。まあカラが言っていることが当たっているだろうけどさ。しかし母様に顔立ちが似ているからといって、どうして僕に執着しているのやら。いや、僕の物を奪う事に執着しているのか、ジェラルド兄様は。
「もしかしたら、新しい扉とやらをあけちまったのかもなぁ、ルチアーナは」
どうしてここでルチアーナが出てくるのだろうか。首を傾げると、カラは行儀悪く胡座をかきながら教えてくれた。
「可愛いレオナルドとルチアーナは婚約者だ。ゲームの世界じゃ、お前がルチアーナに冷たく当たってはいたが、ルチアーナはお前に執着しているようにも描かれていて、他の男に目もくれてない。だからジェラルドは、ただ優秀なだけの兄だったわけだ。けどな、この世界のルチアーナは、明らかにお前じゃなくジェラルドに好意を向けている。個人的な手紙のやり取りや、お茶会でお前を置いてけぼりにしてジェラルドとお喋りだぜ。ヒヒヒ、その時のレオナルドの顔は、踏み付けて滅茶苦茶にしたいような衝動に駆られるものだ」
ジェラルドもそれを見て、自分より劣っている人間なのに王位を継ぐという不満をぶつけられる標的を見つけたのかもしれないなと、カラは言った。確かに、カラが来る前はルチアーナの態度は悲しいもので泣きそうに何度もなったし、実際に泣いていたのをジェラルドに見られたこともある。まあカラが来てからは、ごっこ遊びのつもりでいたから、多少は心が痛んだけどそこまでじゃなかったのだけども。
「一つ歪みが生じれば、そこからなし崩しで壊れていく物だ。ヒヒヒ、人間てのはちょっとしたきっかけさえあれば、簡単に一歩踏み出せる位置に誰だっているんだ。だからこそ、俺様が存在し堕落させるわけだが」
ゲームと違う行動をしたことによって、僕達はそれぞれ別の影響を受けているわけか。カラに出会わなければ、僕はどうなっていたんだろう。ゲームじゃ兄と婚約者にコンプレックスを持つ我が儘王子だけど、学園に行く頃には取り繕えるようになってつかみ所のない人物になってたんだっけ。でもそうだな、僕はきっと学園に行く前に死んでいたかもしれないし、引きこもっていたかもしれないな。だってカラが居なければ、毎日が辛くて心が痛くて堪らなかったのだもの。
一目で僕を見限った彼女は、きっと僕がゲームのまま育つと信じていたのだろうか。
まあそれは、本人に聞かないとわからないけれど。
ジェラルド兄様がこれから何をするかは、様子見というやつだね。ジルダと昼間に話したところ、ジェラルドに憧れていて話す機会があれば話してみたいという事だったし、彼女にとってはとても楽しい夕食の時間だっただろう。そしてアンナとリリーディアも、二人は同室にしておいたから、今頃はきっと仲良く過ごしているに違いない。
彼女たちには協力してくれたお礼に、後で何か贈っておこう。そういえば以前、ゴットハルトに頼んだ品物があったので、あれをもっと女性が持ちやすい物にして渡そうか。
「さて、レオナルド。ここに母様のドレスがあるが、どうする?」
「どうするもなにも、カラは素敵な使い方を思いついてるんだろ」
僕の言葉に、カラはもちろんだと口の端を持ち上げた。倒錯的で背徳的な物事はすべて、カラが教えてくれるので、僕はとても良い悪魔に出会えたなと思った。
そう僕だけの悪魔だ。
たとえジェラルド兄様でも、カラだけは僕から奪えない。だから僕は、何も失わない。
カラが存在するから僕は、王様になって素敵な国を作る決意を固められるのだから。




