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僕の腹違いの兄、ジェラルドの事をカラに聞かれたので、思いつくだけの言葉を並べる。
ジェラルド兄様は僕が小さい頃から優秀だともて囃されていて、公妾の子でさえなければと言われていた。母様が母様でなくなった頃、まだカラと出会わなかったあの頃は、僕もどうしてジェラルド兄様は王様になれないのかと嘆いた。
そんな優秀な兄がいれば、目障りで仕方ないと思われるだろうが、僕はそうならなかった。あの頃、いやその前から僕に優しく接してくれるのはジェラルド兄様くらいで、勉強が分からないと言えば教えてくれるし、お遊び程度の僕の剣の練習にも付き合ってくれた。年は少し離れているが、僕にとっては側にいる唯一の子供であり、大好きな兄だった。もちろん、今もジェラルド兄様の事が好きだけれど。
「良く出来た兄様ってやつか。ヒヒヒ、優秀で誰にも優しくて騎士の鑑のようなジェラルド兄様なぁ」
「何か含む言い方だね、カラ」
「なあに、少し疑問に思ったのさ」
バリバリと口を開けて、カラは赤いドレスの女の姿で菓子を頬張っている。だらしなくベッドに寝転がり、菓子屑が散らかる事も気にせずにだ。それで何が疑問なのかと聞けば、ジェラルド兄様がだよと、カラは笑いながら手紙を持ち上げた。それはジェラルド兄様からのお茶会のお誘いの手紙であった。何度も断ってはいるのだけど、ジェラルド兄様はあれやこれやと理由を付けては誘ってくる。もちろん、ルチアーナも一緒にだ。
「それだけ優秀ならば、可愛いレオナルドがお茶会に行きたくないってのは分かりそうなものだぜ。なのに何故、こんなにしつこく誘ってくるんだ?」
それはルチアーナと会いたいからじゃと言いかけて、それは違う気がした。ルチアーナは僕がいなくてもジェラルド兄様とお茶会をしているし、個人的に手紙のやり取りもしていた筈だ。
だったら何故と僕も疑問に今更ながら思った。
「ヒヒヒ、可愛いレオナルド。一度、お茶会に行ってみようじゃないか」
俺様も一緒に行ってやるからと、カラが片目を瞑って笑う。いつも一緒じゃないかと言えば、ちゃんと制服を着て行くんだと言われた。男と女、どっちが良いかとカラは口の端を持ち上げる。今までジェラルド兄様とお茶会はやりはしたけど、カラは興味を示したりしなかった。なのにどうしてだろう。
「なあに、レオナルドももうすぐ三年目の生徒になるだろう。ヒヒヒ、物語も中盤。起承転結の転って所にさしかかるだろうからなぁ」
カラが言うには、ゲームでジェラルド兄様の登場はほぼない。話にはその存在を記されていても姿は出ず、ちゃんと出てきてもヒロインであるリリーディアが王太子である僕と結ばれる直前に、家族に紹介されるシーンで少し話す程度なのだそうだ。そして最後、僕とリリーディアの結婚式を描いた絵にその他大勢と居るくらい。それほどまでにゲームに登場しないジェラルド兄様だけれど、ルチアーナは彼を気に入っている。
「ゲームに出てこない人間だからこそ、愛おしい。先の見えない人物だからこそ、自分の知っている知識が通用しないからこそ、本当の人間として見れる。ヒヒヒ、面白い位に歪んでいるな」
でもとカラが言葉を続けた。
「果たして完璧なお兄様はその通りの人物なのか。ヒヒヒ、もしそうならルチアーナと会う事を控えるだろうし、お前にもっと協力するだろう」
「…思い出してみれば、兄様は僕が何か言われていても、気にするなとしか言わないね。周りの、兄様に味方する貴族達を諫めるわけでもない。立場があるからと分かっているつもりだけど、もし本当に兄様が王になるつもりがないなら、彼らと手を切るという選択肢以外にあり得ないね」
言われてみればジェラルド兄様はすごく不自然だ。大好きな兄様だからこそ、気になるなと僕はカラを見た。にっこりと笑うその顔は妖艶でありながら、優しく慈しみのある表情で手を広げている。
「おいでレオナルド。もっとこっちで、楽しい打ち合わせといこうじゃないか」
断る理由もないので、僕はそのままカラの腕の中へと体を寄せた。
久しぶりに城内に訪れると、ジェラルド兄様が迎え出てくれた。待ちきれなかったと笑みを浮かべていたが、僕を見てすぐに顔を顰めた。そうして、いきなり僕の肩を掴むと、その髪と怪我はどうしたんだと強張った表情で訊ねてくる。
「…兄様?」
「どうして髪を切ってしまったんだ? せっかく綺麗に伸ばしていたのに」
「ああ、ちょっと強力な魔法に巻き込まれ掛けて毛先が焼けてしまったんだ。事故みたいなものだから、仕方がない……」
言い終わるよりはやく、ジェラルド兄様の顔に笑みが戻る。そうして、残念だがまた伸ばすのだろうと聞かれ、僕は訝しみながらも頷いた。髪が短くなったくらいで、ジェラルド兄様の様子が変わるとはと驚いていると、肩に乗っている小さな影のカラが飛び跳ねて笑っている。
『ヒヒヒ、ほうら目を逸らさないで見てみると、こんなにも簡単に剥がれていくじゃないか』
ジェラルドからは嫌われていないと思っていたけど、この反応はそれ以上になにかしらの執着があるようだ。けど僕と兄様の間には、そんな人生に深く爪痕を残すような出来事なんてなかったはずだけど。
「そうだ、レオナルド。今回はお前のお友達も一緒に来るんだって?」
「学園で仲良くしてくれている子だよ。ルチアーナは会ったことがないかもしれないけど、薬草学などで一緒でね。……まあその、ジェラルド兄様のファンの子も一緒に何人か来るんだ」
なのでここに来るのに滅茶苦茶緊張しているから、優しくしてあげてねとお願いした。
「へえ、そうなんだ。しかしレオナルドは、その子と随分仲良くしているんだな」
「まあね、一緒にいて楽しいんだ」
顔を赤らめて言えば、ジェラルドはそういう友人が出来て良かったと嬉しそうに笑っている。これだけ見れば、弟を心配する兄にしか見えないだろう。
「それで、その子は?」
「僕と一緒の馬車で来る訳にはいかないからだって。ルチアーナも授業があるから別々に行くなら尚更だそうだ」
なるほどとジェラルドは頷いた。それなら久しぶりに少しだけ、兄弟の会話を楽しもうじゃないかと優しく微笑む。それに頷いて、ジェラルドの後ろを歩いた。
お茶会はジェラルドの住む離宮の方で行うそうだ。中庭を抜けて行くと、父様がジェラルドの母様の為だけに建てた離宮が見えてくる。彼女の趣味らしく、色とりどりの花に囲まれたその建物は美しい。いまだに離宮にはジェラルドの母、公妾のクリスタが住んでいるので、僕が出入りするとあまり良い顔はされない。それをジェラルドは知っているのに、わざわざそこでお茶会をするとはね。
「今の時季だと、ここの庭が一番綺麗だから、是非にね」
僕の考えている事に気付いたのか、それとも気にしていないのか。ジェラルドは庭先にテーブルを用意しているようだった。
さあと椅子を勧められたので、大人しく座る。すると側に寄ってきたジェラルドが目敏く火傷の痕に気がついたようだ。もう殆ど治ってはいるが、治癒魔法だけでは総ての傷を完治させる事は不可能なので、少し痕が残ってしまっている。まあそれは僕を庇ったリリーディアの背中にも残っているのだけど。
「学園で何があったんだい? 事故と言っていたけど、お前がそんな怪我を負ったというのにこちらにはなんの話も来ていないぞ」
「流石に父様は知っているよ。……演習先にヘルハウンドの群れが出てきてね。それを殲滅させる攻撃魔法に巻き込まれて、こうなったんだ」
「……仕方ない事かもしれないけど、魔法を撃った相手はお前に気付かなかったのかい?」
「緊急事態だったからね」
やった相手は誰かとしつこく尋ねてくるので、仕方なくルチアーナとジャンカルロの名前を出した。あの二人がと驚いていたけど、ジェラルド兄様はそうかとだけ言って話は終わった。一体何だったのか。肩口のカラが笑い声をあげて、詰まらない男だと思ったらこれは面白いと飛び跳ねている。カラの言葉が確かなら、僕が思い描いているジェラルド兄様とは別の顔があるという事になる。
僕はずっと、ジェラルド兄様に憧れていた。何でも出来て、優しくて。大好きだったけれど、少し疎ましくもあった兄様だけれど。もし本当にどこかしらの綻びがあるのなら、僕はもっと兄様の事が好きになれそうだ。疎ましさなど感じない兄様なんて、とても素敵じゃないか。
思わずくすりと笑う僕に、兄様がどうかしたかいと首を傾げている。なので、兄様は心配性だねと言えば、そうかもしれないなと笑みを浮かべられた。
そうしているうちに、ルチアーナがやってきた。話をしている僕とジェラルドを見て、少しだけ顔を引きつらせはしたがすぐに取り繕って歩み寄ってくる。どうやら僕と不仲というのは知られたくないようだ。散々、僕のことを子供っぽいだの言ってジェラルドと居るとき二人きりの世界をつくっていたというのに。それとも健気な婚約者を演じて、僕からジェラルドに乗り換える気なのかも。まあすでに僕の事を見限っているみたいだし。
大公領に優秀なジェラルドを引き入れたいと考えているのは知っていたから、その為に何か画策しているようでもある。
まあルチアーナのお友達がどんどん減ってしまっているし、ジェラルドが大公領に行けるよう助力してあげてもいい気がする。まあそのために今日ここに、僕の大事なお友達を呼んだのだけどね。
「今日はお招きありがとうございます」
そう言ってやってきたのは、アンナとリリーディア、そして男子学生の格好をしているカラにもう一人。最後の一人を見て、ルチアーナが驚きの声をあげた。
「あ、あの、初めてお目に掛かります。私、騎士団長の娘、ジルダ・トフォリと申します」
緊張でうわずった声で話す姿が可愛らしい可憐な少女が、ぺこりとお辞儀をする。彼女はそうカルロの妹であり、ルチアーナの友人でもあるジルダである。カルロと目元がそっくりではあるが、体つきは華奢で肌は青白い。どうにも怪我をした後から家に引きこもりがちになり、編み物や刺繍などを好む内気な少女なのだそうだ。ルチアーナが唯一の友達で、彼女に誘われて街に出掛ける事はあったけど、学園に入学してからはそういう事も減ってしまったという。
引きこもりがちだから余計に病弱だと思われている所為で、婚約者もきまっておらず、騎士団長はこのまま結婚せず過ごさせても良いかと考えているくらいだと聞いたことがある。なので、確かルチアーナと同い年だったか一つ下くらいだったけど、学園に入学する予定はない。実際、そういう娘は貴族の間にもいるのでめずらしくはないが、怪我が治っていて事実上健康ならば、学園に入って結婚相手を見つけた方が良いというのにね。
カルロが嘆いていたので、それならとアンナとリリーディアをカルロを通して紹介した。ルチアーナは学園で貴族の娘達との付き合いに忙しい中、二人は時間を見つけてはジルダに会いに行っていたので、すっかり三人はそれなりに仲良くなっていた。それに騎士団長はアンナが公妾になることを知っているし、リリーディアが宰相の養女となっているのも理解しているので、その二人が娘と懇意にする事は良いことだとしているので何の問題もない。
騎士団長は口では娘は一生独り身でも仕方ないと言いながらも、やはりどこかに嫁いでほしいと思っているらしい。いずれ親の方が先に死ぬのだから、せめて寄り添える者がいればとは、親心だろう。
まあともかく、そんな引きこもりのジルダがお茶会にやってきたのは、ルチアーナにとっては衝撃だっただろう。いままでジルダに、僕達三人のお茶会の話はしてはいたものの、彼女を誘った事は一度もないのだから。ジルダはジルダで、ルチアーナの話によってジェラルド兄様にとても良い印象を持っているに違いない。実際、ジェラルドをキラキラとした憧れの眼差しで見つめている。
それぞれを紹介して、大人数でのお茶会が始まっていく。カラの存在を、アンナとリリーディアはなんとなく察して黙認しているからか、口調や態度が以前見たときと全然違うとか思っていても気にしていない。むしろ学園で親しい友人であるように接してくれているから、本当に二人はとても良い友人だと思った。
ルチアーナは来ると思わなかったリリーディアに釘付けである。
「り、リリーディアさんでしたっけ。…ここに来るのは少し、厚かましいのではなくて?」
「そうですか? お義父様が、将来の王妃様や王様、その兄上様と懇意にするのは良い事だと言って送り出して下さいましたの。ああ、お義父様は私を養女に迎えて下さって。なので私、その好意に感謝して、お義父様の言うように、将来の王様によくお仕えなさいというお言葉をしっかりと胸に刻んでいますのよ」
だからこれから仲良くして下さると嬉しいわと、リリーディアはにっこりと笑った。
「君の噂は聞いているよ。母上様の美しさが、あの堅物の宰相の心を動かしたって有名だよ」
「まあ、そうですの? お義父様はとっても優しい方で、お母様にとても甘いんです。再婚とはいえ、素敵な方と出会えたことを精霊に感謝しているといつもお母様が言っているんですよ」
二人の仲には憧れますと、リリーディアの言葉に続くようにアンナがうっとりと言う。そこにカラが、宰相とリリーディアの母であるエルマの出会いはロマン溢れる恋愛小説のようでと、面白おかしく話を続けた。ジェラルドやジルダはそれに夢中になり、ルチアーナは少しばかり面白くなさそうな顔をしていた。どうやらジェラルドの興味がリリーディアに在ることが面白くないらしい。
「…そうだ、ここの庭はとても素敵なんだ。少し散策でもするかい?」
ジェラルドの提案に、ルチアーナがそれは素敵ねと同意した。どうやらこれ以上、リリーディアとジェラルドを話させたくないからこそのようだ。
席を立つとさっそく、ルチアーナがジェラルドの側へと行く。その後ろをカラとリリーディアとアンナが続き、少し遅れたジルダの横を僕が歩く。ジルダは久しぶりに会ったルチアーナと話をしたいようだったが、彼女まで辿り着くには三人もの人間を押しのけて行くしかない。しかも庭は細い小道になっており、引きこもりがちでこういった場に来る為にドレスを新調してきたらしい彼女は、とても歩きにくそうだ。
「大丈夫かい?」
「…えと、はい。その、…すみません」
消え去るかのようなか細い声で、ジルダは恐縮している。まあルチアーナから僕の良くない噂みたいなものを聞いているだろうから、仕方ないのだろうけど。
「ジェラルド兄様が誘ったのだから、君をエスコートすれば良いのに。…僕の婚約者に夢中のようだ」
少しだけ目を伏せて悲しげな表情を浮かべると、ジルダが目に見えて焦りだした。しかしなんと言って良いのか分からないようで、困ったような顔をしている。少しそばかすのある顔は愛嬌があって良いなと僕が微笑むと、顔が少し赤らんでいる。
「僕のエスコートじゃ不安かもしれないけど、お手をどうぞ」
「え、あの、その」
「ルチアーナのエスコートは兄様がしているからね。せっかく招いたお客様に失礼のないようにするのだから、気にしなくて良いよ」
せめてこの小道の間だけでもと言えば、おずおずと失礼しますと手を伸ばしてきた。ドレスにヒールの付いた靴では、男性の支えなしに歩くのは大変だしね。ちなみにリリーディアとアンナ、カラは学生服を着ているからそんな事はないようだけど。
「今日ここに君を呼んだのは、僕なんだよね」
「そ、そうなんですか? …でも、何故」
「カルロから話を聞いて、是非会ってみたいと思って」
私の話をお兄様がと困惑しているジルダに、僕は君に会えて良かったと素直に言葉にした。それはどういう意味でと不思議がるジルダに、カルロがいかに妹が可愛いかよく話しているといった内容を言えば、照れて赤くなる。うんうん、そういう初心な反応はとても好ましい。
ちらりと前方を見れば、ジェラルドがこちらに視線を向けている。が、僕と目が合いそうになったのに気付いたのか、すぐに視線を逸らされた。そのままカラを見れば、口の端を持ち上げ、妖艶な笑みを浮かべている。それに笑い返して、僕はジルダとしばし会話を楽しんだ。




