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僕の婚約者がやり過ぎたので婚約破棄したいけどその前に彼女の周りを堕とそうと思います  作者: 豆啓太


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リリーディア・ロドリ

「もう立派な伯爵令嬢ですね」


 そう言ってアンナは私の礼儀作法に合格点を出した。つい最近までただの街娘だったのに、とんでもない変化だろう。王都にやってきて菓子屋を開いたとき、自分はこんな未来なんて想像しなかった。ルキノに恋みたいな憧れを抱いていたけど、彼とは結婚は出来ないだろうし、学校に通えるようになればきっとそのうち、そういう相手も見つかるだろうなんて思いながら。

 それなのに今は、遠くから見るしかなかった豪華なお屋敷で、慣れないコルセットに綺麗なドレスを着て、ヒールの入った靴を履いて歩いている。背筋を伸ばして歩くのにはようやく慣れたけど、自分のこの姿はまだ見慣れない。一晩寝て起きたらやっぱりこれは夢で、目が覚めたら救済院の床に寝転がってるんじゃないかって思うこともある。でも私の肌を撫でるのは上質なシーツで、今まで生きてきたなかで一番上等な生地だ。

 もっと子供の頃は、貴族のお嬢様なんてどんな贅沢な生活をしているのだろうって夢見た事はあるけど、実際やってみると大変過ぎる。アンナは私と同じ元は街娘だからか、多少は共感してくれるので助かる。まあアンナは豪商の娘さんだから、私と比べるのはちょっと違うかもしれないけど。


「いよいよ明日から、学園に転入ですね」


 アンナの言葉に、私は頷く。ああ、今度はどうなることやらと、令嬢に似つかわしくないだらけた姿勢で、椅子にもたれ掛かった。

「半年に一度の講義を組み直す為のオリエンテーションの時期に合わせて転入なんて…。レオさんも考えてくれているのね、一応は」

「でしょうね。じゃないと、リリィに礼儀作法教えてねなんて言って、バルバード領まで出掛けたりしませんわ」

「恐ろしい時間だったわ」

 あらそんなにスパルタでしたかしらと、アンナがくすりと笑う。いいえ恐ろしいというなら、カルロさん達と行った魔法訓練の方で、アンナとの時間は大変だったけどとても楽しかった。だからその事を素直に伝えると、アンナは頬をほんの少し赤くして、私もですよと微笑んでくれた。柔らかな笑みは、見ていると胸の奥があったかくなる。

 明日は大変だろうけど、アンナが居るから私はきっと大丈夫。



 学園の転入手続きに関して、宰相様自ら一緒に来てくれたので、あっさりすんなりと終わった。というか、私が以前生徒だったときに無視や呆れた顔をしていた先生方の態度が目に見えて変わった。それは他の生徒も同じで、貴族のマナーにのっとった挨拶をする私を、以前の私とは別人だと勘違いする人が多かった。似ているけど違うよねっていう囁きが聞こえてくる。

 宰相の娘という事からか、講義を選ぶためのオリエンテーションでやたらと人が寄ってくる。一緒に受けようとか、なんとか。合同演習の時に一緒だった女の子とは、人が周りに居ないときにちょっとだけ話した。母の再婚でといえば、貴方も本当に大変ねと同情的な顔をされた。親に振り回されるのは身分に関係ないのねとも。なんでも女の子の親は野心的で、やたらと影響力のある家との婚約を望んでいるらしく、学園内でどこかの息子を捕まえてこいと煩いのだそうだ。お互い面倒ねと言われたくらいで、私が戻ってきた事は良かったわねとだけ言ってくれた。それは少しだけ嬉しい。

 しかし周りの人の態度の違いは凄いと感心してしまう。身分の違いやマナーの有無で、ここまで違うのか。

 浮かない顔をして歩いていたのが目に付いたのか、レオさんに声を掛けられたので、他の生徒の態度が違うのと言えば、こんなものだよとあっさり返された。王太子だといつもこういう目に遭うものだよと笑っている。次元が違うとはこういうことなのかしら。

 ぐったりしつつも、受ける講義をアンナさんに相談して色々と取り決めて、めまぐるしい日々があっという間に過ぎていく。でもこの忙しさには、少し慣れてしまっていた。私じゃなく、作られた私を見る人達の態度にも。まだ何も知らない街娘の頃なら、憤慨したかもしれないけど、いまはもうそんなものだと流してしまえる。私の中で確実に何かが変わってしまった証拠だろう。


 そして私の中身が変わり果てた、もう一つのあれ。


 そろそろねと日付を確認し、別邸にある台所で鼻歌交じりに母譲りのレシピで焼き菓子を作り上げた。台所は私達母子が使いやすいように、一般家庭向けに改装されている。母がこういった一般的な日常生活を送る方が落ち着くとのことで、よっぽどでない限りここで料理を作ってくれるのだ。私も令嬢としてのレッスンがない時や、週末毎に帰ってきては、母との台所仕事の時間を楽しんでいる。でも今日は、私一人で特別なお菓子を作り上げる。

 バルバード領で採れるめずらしい木の実。これは栄養価がとても高くて、ほんの少しで一日動くだけの栄養が手に入る品物なのだそう。それをたっぷりと入れて、木の実を入れすぎると渋くなるから、蜂蜜やミルクを贅沢に混ぜ合わせる。そして焼き上がった菓子に、ザラザラとしたお砂糖をかけて出来上がり。バルバード領の一般家庭で作られる冬の保存食だ。とっても甘いから、温めたミルクに菓子を一欠片ほどいれて、食事にするのが一般的だけど、きっとあの人はいっぱい食べてくれるだろうから、沢山焼き上げる事にした。


 はしたないと注意されないように、軽やかにスキップしそうなのを抑えて、私は学園に向かう。週末だから学生はそれぞれ思い思いの事をしているらしく、中庭から続く森の遊歩道には人気がない。もともとこの場所は人気がないのだとレオさんが言っていて、緑が気持ちいいのに残念だわと思った。そしてその整備された森の一角に、休憩出来る東屋があった。その場所には、見覚えのある姿が一人。


「ルキノさん」


 私が声をかけると、ルキノ・バルバードはビクリと肩を震わせて、恐る恐る振り返った。そして私の顔を見て、リリーディアと呟く。ああもう、名前を呼ばれるだけで吐き気がするので、私は笑みを浮かべたまま名前を呼んで良いとは言ってませんわと、まるで令嬢のような口調で言えば、申し訳ございませんと頭を下げてきた。そしておずおずと、私の機嫌を窺うような表情を浮かべている。

 あのルキノ・バルバードがだ。

 精霊王、レオさん曰くそれに似た悪戯好きの悪いものがそう名乗って、ルキノに良からぬ妄執を抱かせたのだそうだけど、でも私はそんな事の為にあそこまで蔑まれたのだ。私が彼を好きになり、彼が私を好きになったら私を殺す契約をしたとか。

 なんて馬鹿らしいことで、私は命を落とさなければならないのだろう。なんて、なんて馬鹿らしい。

 未来が見えたところで、その通りになるなんて訳がない。だって見えた時点で、何も知らない自分ではなくなってしまうのだから、その通りに行動したって、相手はどう受け取るかわかりはしない。もし私が未来を知ったとしたら、その未来の為に同じ行動と言動が出来るわけないし、毎日の生活に追われてそんな記憶は忘れ去ってしまうだろう。でもルキノ・バルバードは妄執に取り憑かれたまま、その記憶が確かな未来だと恐れ、もうひとつの未来をつかみ取るために私を殺そうとした。

 確かにいまは伯爵令嬢だけど、その前の町娘の時だって、私は精一杯生きてた。今みたいに贅沢な暮らしじゃなかったけど、幸せな事も沢山あった。将来は結婚して父の宿屋を継ぐか、嫁に行って相手の家業を手伝うか、そんな将来をぼんやりと考えながら、一生懸命働いていた。私は地に足を付けて、しっかりと生きていたのだ。

 レオさんは私のその自負を誇りだと言った。誇りだとかそういう難しいものは、身分の高い人が持つものだと思っていたけど、それは違うと教えてくれた。精一杯生きているのなら、それこそが君の誇りだと言った。そしてそれを蔑み、私を嘲笑ったルキノ・バルバードはその誇りを汚したのだとも。

 踏みつけられたのならば、私だって踏みつけ返してやるべきだ。私は心が広い清らかな少女なんかじゃない。人の目の前で嘲笑われたあの出来事は、私の心に深い傷跡となってじくじくと未だに癒えないものとなっている。


 だからこそ、これは。

 

 私がルキノに手作りの菓子を渡すと、それに卑屈そうな笑みを浮かべて仰々しく礼を言ってきた。憧れていた彼はもういない。酷く怯えて、私の顔色をひたすらに窺っている男になった。私が彼を好きにならなければ、命を取られてしまうからだそうだけど。どうして、私がもう一度、ルキノを好きになると望みを持てるのか不思議で仕方ない。

 言われた通り、一番最初にルキノに手作りの菓子を渡した時、何故か彼は私を見て笑った。

 そして安堵しているようにも見えた。

 私が慈悲を求めて彼の命を助けたとでも思っているのだろうか。そんな話はしていなかったけど、素直にお菓子を渡した私を見て、簡単に自分を好きにさせることが出来るとでも思ったのかも知れない。

 元々、恋心は砕け散っていたけれど。あの時の私を見たルキノの顔で、僅かに残っていた同情すらも消え果てた。

 私をとても侮っているあの顔は、心の中にある加虐を煽るのには十分だった。


 そう、いまはとても楽しいの。


 ルキノ・バルバードにお菓子を渡す瞬間。私が何を言われても笑みを浮かべているだけで、彼は怯えるようになった。恐ろしいものをみるかのように、体を震わせて。私から渡されるものは、すべて彼は食べるしかない。そういう約束なのだ。食べなければ、次に会う事が出来ないし、学園の寮にとどまる事なく領地で幽閉されるだろう。厳しい監視から逃れるには、私を頼るしかないのだ。なのに私は、いっこうに感情を表さない女になった。なのに手作りの焼き菓子を与える私を、気味悪く思うのは当たり前だ。

 ああいまから楽しみでしかない。

 彼を絶望に陥れる言葉。三年間、私の手作りのお菓子を食べきったら、言ってあげるあの言葉。


 少しずつ少しずつ、ルキノ・バルバードの体は変化していっている。制服が少しキツそうだもの、ねえ。私にされたことを、そのままそっくり、返してあげる。


 ルキノ・バルバードとの会合を終えて、ああ早くもっともっと体が変わっていかないかしらと、楽しみにしながら歩いていると、アンナに会った。こんな森の遊歩道に用事なのかしらと思ったけれど、すぐに私とルキノのあれを見たのだと理解した。だってアンナの顔が、少し強張っていたから。


「……リリィ、一体どうして?」


 まだルキノの事が好きなのかと、青ざめた顔で聞かれて、私はそんな事はないと叫んだ。けどそれならどうしてと聞かれて、私は言い淀む。だってこれは私の命を守る為の手段で、代わりにルキノ・バルバードを辱めて殺すのだ。私が直接手を下すわけじゃないけど、でもそうなのだ。それをアンナに知られたとして、軽蔑されたらどうしよう。そんな事をしては駄目だと止められたらどうしよう。


 だってもう、私はこれを止めることなんて出来やしないのだから。


 震える声色で、ルキノとの事をアンナに話した。カラさんの事は話さない方が良いだろうし、全部は話せないけど掻い摘まんで説明するしかない。私の言葉をじっと聞いていたアンナは、ただ静かに私を見つめていた。


「わ、私の事、軽蔑したでしょう」


 アンナには見られたくなかった。

 だって彼女は、私の素直で純朴ないかにも街娘って感じの所を気に入っているのだもの。受けた屈辱を晴らして、むしろ加虐を楽しんでいる姿を見て、彼女の中のリリーディアが崩れ去ったのかもしれない。アンナは鋭い人だもの、私のそんな醜い部分なんて見抜いた筈だ。


 ぽろりと涙が零れた。


 ああ、泣くなんてみっともない。泣いたってどうにもならないのに、どうしてこういう時、私の目からは涙がこぼれ落ちるのだろう。

「リリィ、泣かないで。悍ましい男、良い気味よ」

 アンナの言葉に、私はようやく顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を優しく手で撫でてくれた。温かい手、私の大好きな手だ。

「貴方がまだルキノ・バルバードに未練があるのなら、私から彼女を不幸にしないでと言いに行こうと思っていただけなの」

「…どうしてそこまでしてくれるの?」

 優しいアンナ。大好きなアンナ。でもどうして私にそこまでしてくれるのだろう。

 するとアンナは、俯いて小さな声で言った。

「私が貴方を好きだからよ」

「私もアンナが好きよ」

「……私は貴方に恋をしているの」

 貴方の事を考えると胸が暖かくなって心臓が高鳴って、甘くて苦くて大変な想いが広がるのと、アンナが微笑む。でもこれは理解できないでしょうとも。

 同性を好きになるのは普通じゃないのよと、悲しげに笑っている。そうなのかしらと私が言えば、そうなのよとまるで子供に言い聞かせるようにアンナが困ったような表情を浮かべた。

「でも貴方が好きなの。だから好きな人には、不幸になってほしくないでしょう」

 その通りだと思うけど、私は好きならずっと側に居たいとも思う。だって私はアンナが好きだから、伯爵令嬢になったのだから。

「私だってそれは同じ」

「でも貴方のそれはきっと一時的なものよ」

 アンナの否定に、私は思わず顔を顰めてしまう。どうして、私の気持ちを認めてくれないのだろう。信じてくれないのだろう。その憤りを言葉にすれば、アンナは驚いたような顔をした。

「…それは、本当に?」

「そうよ、アンナ。……ねえ、恋は理屈じゃないのよ。私が貴方を想う気持ちは本当だもの」

 一緒に居たいのと言えば、アンナの瞳からぽろりと涙が零れた。そして掠れるような声色で、ありがとうと。


 頭が良くて商売人気質で、時に冷徹で完璧なのに、こんな事で泣いてしまうアンナはなんて可愛らしい人なのだろう。私はもっと彼女の事が好きになった。そしてアンナにこんな顔をさせる事が出来るのは、私だけだろうという独占欲が、何よりも心地よい。


「これからもずっと、一緒にいてくれる?」


「ええ、もちろん」


 アンナの優しい微笑みは蕩けそうで、私も思わず破顔して、アンナの手を強く握りしめた。アンナも握り返してくれて、私達はそっと口吻を交わした。

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― 新着の感想 ―
3周目ですが、何回読んでもこのシーンが本当に好きです
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