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ジャンカルロの決心がついたのか、ようやく日取りが決まった。カルロにお願いして水の精霊の祠に連れて行ってもらった。ジャンカルロは何が起きるのかビクビクしていたみたいだったけど、カルロが落ち着けと言うと、別に慌ててもないと取り繕っていた。
そして精霊の祠の導師の話を聞いて合点がいったのか、話が終わる頃には呆れたような、そして安心したかのような顔で出てきた。
大事な話だけど、カラが言うにはあちらの世界ではそういう知識はいくらでも手に入るから、中身が成人女性ならばわかりきった内容だからだろう。そして案の定、娼館に行くのは断ったそうだ。
「精神と体、人間はどっちに引きずられるのかな」
「さてなぁ。でも二十数年生きてきた記憶と人格があるんじゃ、一年足らずの体になじむか怪しいもんだ。まったく似合わない窮屈な服を、着続けるようなもんだぜ。苦痛でしかないだろう」
そしてすぐ近くに、誰もが羨むような美貌を持って生まれた、自分と同じ所からきた存在がある。どちらも神の偶然という手で与えられたものなのに、どうして自分はこうなのかなんて思うのが人間だと、カラは嗤っている。
「ヒヒヒ、理解しているようでも、心が追いついてない。水の精霊の祠なんぞに連れて行かれて聞かされた話で、周りの男児は皆行くものだとして、自分がようやく男扱いされているという実感に至ったんじゃないか」
見てみろと言われ、ラウンジにいるジャンカルロに視線を向ける。ルチアーナとその友人に囲まれて、今日も楽しそうにお喋りしているようだが、少しだけ様子がおかしくも見えた。ルチアーナが広げているのは、庶民向けの服のデザイン画が描かれたスケッチブックだ。ルチアーナの趣味というか副業というか、大公領で庶民向けの服を売り出しているので、周りの意見を聞きにもってきたのか、それとも。
まあ何にしても彼女に悪気はないだろう。少女達の集まりで、どういうのが着たいかなどといった楽しいお喋りの種に持ってきたに過ぎない。けど、ジャンカルロはどうだろう。中身が女性なら、それこそ同じ世界からきたルチアーナのデザインする服は魅力的に映るかも知れない。なのに、自身はそれを着ることができない。
ジャンカルロは大柄ではないけど、小柄でもない。学園入学前だったらまだ体が育ってないから、女の子の格好をしても問題なかったかもしれないけど、さすがに成長期なだけあって、どんどんと背が伸び始めている。体つきもしっかりしてきていて、男らしさが増している。だからこそもう、その服を着る体は二度と手に入らないという焦燥に駆られているのだろう。
「結婚せずに魔法だけ研究して暮らしていくって、そんな事を言ってたみたいだが。娯楽が沢山ある世界から来たんだ、その娯楽もここにはない。楽しいことは魔法を使う事だろうが、周りにそれを語りあい同調して楽しむ存在もないんだぜ」
唯一の仲間であるルチアーナは、己のないものを持ちすぎていて、嫉ましい。けどそんな事を考えてしまっては、たった一人の同胞すら失ってしまうから、嫉ましいなんて考えてもいけない。
「なんてつらい生活だろうなぁ。こういう時、支えてくれる恋人がいれば変わるが、今の見目では女と付き合うのが普通だからなぁ。ヒヒヒ、俺様の世界にだって同性愛はあるが、あの女達はごく普通の性癖だろうよ」
「そういうの分かるの?」
「そりゃあもちろん。俺様達を定義する人間の教えによっちゃ、背徳の証だものなぁ。俺様達の大好物の匂いがするんだよ」
僕の国でもまあ同性が好きだという人はいるけど、確かに表立っては言わないな。アンナは別として。
そこまで悪いものとされてはないけど、やっぱり血を繋いでいくという観点から見れば、たしかにちょっと憚られるか。カラの世界も似たような事から、背徳だとかになってるのかもね。僕が同性の恋人にしか見向きしなくなったら、それこそ一大事だ。
「それじゃ、極々一般的な感性の持ち主であるジャンカルロの中身は、近々どうなるかな」
「ヒヒヒ、良くて精神崩壊。悪くて、ルチアーナに成り代わろうとするんじゃないか」
「魔法で性別を変えようとか考えないかな」
「出来るのか?」
「いいや、それはもうずっと昔から禁止されている。そして決して出来ないように精霊が禁じたとされているし、実際に魔法の理論はあっても、決して発動しないんだって。勝手に性別変え放題になったら、それこそ王国の崩壊だ」
確かにとカラが笑う。そして紅茶を飲みながら、行儀悪く菓子をばりばりとかみ砕いている。男子学生の姿になるようになってから、こうして食事やお茶を楽しむようになった。
アルバーノは何度かカラのこの姿を見て知っているからか、僕が一緒にいても気にせず、アンナはアンナで、こうして僕がカラと喋っている時は近づいてこない。気遣いが出来るのは良いことだ。ちなみにカルロはひたすら鍛錬しているので、僕が誰と過ごそうとも我関せずだ。まあ父親の騎士団長から何か言いつかっているらしく、おそらく護衛か何かだろうけど、僕の行動の把握はしているようではある。ジャンカルロが何かしでかさないか、注意を払っているようだけど。
様子のおかしなジャンカルロは、めずらしくルチアーナのお茶会仲間から離れてどこかへ行こうとする。
もう手に入らないものを突きつけられて、少しばかり息抜きがしたくなったのかな。もっとも、ジャンカルロには悩みを相談出来るような友人はいないし、同じ講義を取っている生徒で仲の良い相手はいない。付き合いのあるのは精々アルバーノ、知人レベルでカルロ、そして僕くらいだ。合同演習の前ならもう少し話をする生徒は居たみたいだけど、あの魔法の一件でそれすら居なくなってしまったようだ。
「あてもなく彷徨う感じかな」
「ヒヒヒ、どこへ行っても避けられるとなると、居心地は悪すぎるだろう。まあこの学園の人間総て、自分とは関係ないなんて思ってしまっているなら、どうでも良いかもしれないが。普通に暮らしてきた人間なら、その孤独に耐えきれないだろうよ」
なにせ他に逃げ道もないからなとカラは言う。
「この前習った軍略という奴だな。ヒヒヒ、一見八方ふさがりに見せて、たった一カ所逃げ道を確保させておく。唯一の希望の道は、待ち伏せされた死への行軍だ」
そうだねと同意して、僕は立ち上がる。この世界の味方はルチアーナだけだろうけど、手を差し伸べるのは味方以外にもいるものだ。学園内を当てもなくあるくジャンカルロが一人になるのを見計らって、僕は後ろから声を掛けた。
「……すまない、ジャンカルロ。少し、時間良いかな」
僕に驚いた様子だったけど、大丈夫ですとジャンカルロは答える。この前のように、彼、いや彼女にとってはどうでもよく、この世界にとっては常識な何かについて声を掛けられているのだろうと思っているようだ。この前の件は無事終わりましたけどと、少しも面白くもなさそうな顔で言ってきた。
「うん、それは良かった。……実はさっき、僕もラウンジにいてね。少し、君の様子がおかしいから、何かあったのかと思ってね」
「…別に何もありませんが」
「本当にかい?」
じっと見つめると、ジャンカルロは居心地悪そうにしている。僕の真意が測れないとか、そういう所だろうか。
「……また、何かしら頼まれて、僕とルチアーナの暗殺に手を貸されては困るからね」
僕の言葉に、ジャンカルロは思わずといったように声を上げて、目を大きく見開いた。ああそうだろう、君には初耳だろうね。
「王家所有の土地に侵入出来るよう、君が魔法を使ったのはもう分かっているんだ。ただあの一件は、暗殺というにはお粗末過ぎたし、君にたどり着くまでに時間が経ちすぎてしまってね。それに処罰しようにも君とルチアーナは仲が良い。あの一件は、暗殺ではなく、ルチアーナが画策した何かかい?」
「な、何のことだか…」
「惚けなくて良いよ。君が宰相に頼まれて、警護の穴をすり抜けさせただろう。僕とジェラルド兄様、そしてルチアーナが遠乗りに行った日の事だよ」
ジャンカルロは必死に記憶を辿っているようだった。カラが言うには、ジャンカルロの記憶も体に残っているから、思い出そうとすれば分かるのだそうだ。本物のジャンカルロの記憶を掘り起こしたのか、顔が青ざめている。
「わ、私は別にそんなつもりでは……」
「じゃあどんなつもりで、あんな事をしたのかな。……もしかして君」
ごくりとジャンカルロの喉がなる。僕は微笑みながら、ジャンカルロに一歩近づいた。
「ルチアーナに嫉妬しているのかい?」
「……はぁ!?」
間抜けな声を上げて、ジャンカルロが呆然としている。予想外の展開だと、いやゲームのシナリオで見知っている皇太子と違う行動を取ると、やっぱり反応は出来ないようだ。
「気持ちは分かるよ、ジャンカルロ。君はあれなんだろう?」
「あ、あれって……」
「貴族の間でもそういう人種はいるからね。人ではどうしようもない事だから、諦めた方がいい」
「一体何のことでしょうか」
怒鳴るように叫んだジャンカルロに、僕は分かっているから素直になるといいと、その肩を叩いた。
「君、女の子になりたいのだろう」
「なっ……!?」
「前々から仕草がどうにも女性のように見えたし、友人も女性しかいない。なにより、カルロと水の精霊の祠に行った後で、娼館にも行かなかっただろう。そういう人種は表だってはいわないけど、いるにはいるから。あまり自分を追い込んで、ルチアーナに悪意をぶつけないでほしいな」
ジャンカルロは否定しなかった。いや出来なかったの間違いだろうか。
そんな事はないと否定したところで、ジャンカルロの中身は女性なのだから、仕草は直せても性的窘好を乗り越えるのには、それこそ強烈に恋をする相手でも見つけなければならないだろう。しかも自身の体と心の性別が違うのだ。無理に行為に及ぼうにも、うまく出来る訳がない。
「もしドレスを着て化粧をしたいのだったら、手を貸そう。もちろん秘密裏にだ。僕にはそれくらいしか出来ないからね。だからどうか、ルチアーナを襲うのだけはやめてくれないかな」
魔法では誰も君に勝てないからと付け加えると、ジャンカルロは青ざめた顔のまま、その場を走り去った。
「返事もせずに行っちゃうとは、ルチアーナはちゃんと礼儀作法のレッスンをしたのかな」
「ヒヒヒ、それどころじゃないだろう。自身の中の女を見抜かれたんだぜ。しかも同情までされて、本当は女なのに、そうじゃないと思われているのは、屈辱的だなぁ」
嫉妬と屈辱を自覚出来たなら、ジャンカルロは破滅の道を行くだろう。アクマが大口を開けて待っている、道の先へ走り出すのだ。
ジャンカルロに話し掛けてから、彼はルチアーナのお茶会に加わる機会が目に見えて減ったようだ。部屋に籠もって勉強しているそうだけど、ルチアーナが心配して声を掛ける度に、崩壊は加速するだろうね。まああの程度で動揺してああなるわけだから、僕が背中を押さなくとも、精神状態はギリギリだったのだろうね。
「そういえば、そろそろだろう?」
「そうだね、そろそろだね」
領地に戻らされていたルキノが、戻ってくる頃なのだ。とりあえず学園を卒業するまでは、面倒を見るとの事で、監視付きで寮へと入る。表向きは何もしていないから、処罰のしようもない。ルキノの行動の総てが精霊王からのお導きなんてものだから、面倒臭いことこの上ない。彼を咎めるとなると、ルチアーナにまで手が及ぶことになるだろうし、そうなると僕の方でも色々と揉め事がおこるのが目に見えているので、こうなった。
学園卒業後は、バルバード領で一生を過ごすとかだろう。いつまで生きていられるかはわからないけど。
それに合わせるように、リリーディアも再び学園に戻ってくる。いや戻ってくるというのは違うな。
宰相の再婚にともない、伯爵令嬢となったリリーディアが転入してくるのだ。
今度はちゃんと、宰相の再婚相手の娘でありアンナの友人ということで、ちゃんとした後ろ盾のある状態で来るので、彼女と僕が話していてもなんの問題もない。手回しは大事だものね。
まあそれより気になるのはアンナの事だ。
なんだか最近、心ここにあらずな感じなのだ。今日だって同じ講義に出ていたのに、どこかぼんやりしていた。今だって、僕とカラのすぐ近くのベンチに座り、ぼんやりとしている。
「やあ、アンナ」
「……あら、レオさん。どうかしました?」
「どうかしたのは、アンナの方じゃないかな。何かあったかい?」
「特に何もありませんけど」
そう言った後で、僕がじっと見ていることに気付いたのか、大きくため息を吐いてから、やっぱり隠せませんかと言った。
「レオさんにお話しするのは何か間違っている気がしてなりませんが、お話しできるのはレオさんしかいませんか……」
実はとアンナは口を開いた。リリーディアに貴族の礼儀作法や一般教養などの勉強を教えるため、別邸に通いまくってはいるが、学園にいた頃より一緒にいる時間は確実に減ってしまった。リリーディアが転入してきても、それは同じ事で、むしろ学年が違うから更にすれ違う事が多くなる。
「ずっと一緒にいましたから、それが少し寂しいのです。……でも、リリィに何かを教えるのは、とても楽しい。彼女が知識を吸収していって、どんどんと令嬢になっていくのには、喜びすら感じます」
もうすぐ転入するが、その頃には完璧な伯爵令嬢として振るまえるだろう。そうなると、美しいリリーディアであの明るい性格ならば、すぐに人気者になるだろう。宰相の養女で後ろ盾もしっかりしていて、婚約者もいない娘となれば、引く手数多だ。
「リリィは、…その、ごく普通の一般的な恋愛的思考の持ち主ですから。だからきっと、ルキノ・バルバードに傷つけられてたとしても、すぐに心を癒やしてくれる男性と知り合える筈です。…それはきっと、喜ばしい事なんでしょうけど」
なんだかそれがあまり良い気持ちがしなくてと、アンナはため息を吐いた。友人として応援出来ない私は駄目ですねと、落ち込んでいる。
「別に、リリーディアがごく普通の一般的な恋愛的思考ってきまったわけではないと思うけど」
「…だって、レオさんの笑顔に見惚れてたじゃないですか」
「それはアンナも一緒だろう」
にっこりと微笑めば、アンナの頬に赤みが差す。
「それはレオさんが格好良いからで…」
「でも僕に恋してる訳じゃない。僕はアンナもリリーディアも可愛らしいと思うし好きだけど、恋はしていないな。アンナだって同じだろう。それはリリーディアも同じだと思う」
「そうでしょうか。でも同性に興味のない方に恋してるなんて、馬鹿のする事でしょう」
「さあ。僕が聞いたことある言葉に、恋をするには馬鹿にならなきゃ出来ないってあるよ」
アンナはもごもごと言い訳じみた事を口の中で呟いたのちに、がくりと崩れ落ちた。少しばかり、アンナには時間が必要なのだろう。
「……私は、リリィに嫌われたり避けられたりしたら、生きていけそうにありません」
「大丈夫、心が死ぬだけじゃ体は動くから、公妾のお仕事は頑張ってね」
「……さらりと恐ろしい事を言わないで下さい」
私はもうどうしたらと頭をかきむしりはじめ、もはや伯爵令嬢の行動じゃないよと笑って窘めれば、今度はいじけ始めた。これは結構重傷のようだ。まあこれ以上は二人の問題だから、何かする訳にもいかなそうだけど。
「そうだ、もうすぐルキノが転入してきて、リリーディアに付きまとうんだよね。この先、三年ばかり」
「具体的な数字なあたり、何かは分かりませんが察します」
「側にいて守ってあげたら」
「……そうですね、男性には近づきたくありませんが、リリィの為ならなんとかします」
頑張ってねと僕が応援すると、アンナは深く大きなため息を吐いた。これでリリィも同じような立場になるのねとも。もとから僕の友人じゃないかと言うと、アンナはにっこりと笑って応えてくれた。




