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王都での反乱の芽を潰すのに、まあ一応成功したので、僕は学園に復学した。短くなった髪の毛に、同じ講義を受けていた生徒達は驚いていたが、合同演習での出来事があったので、言わなくとも大体事情は察せられたようだ。
「やあ、アンナ。久しぶりだね」
「学園で会うのは、そうですね。なんだか前もこんなことを言ったような気がしますが、気のせいでしょう」
アンナは優しく微笑んで歓迎してくれた。リリーディアからルキノの件のおおよそを聞いたらしく、その辺りはリリーディアに任せるつもりのようだ。
「僕がいない間、どうだった?」
「そうですね。中々面白い事になっていますよ。ルチアーナ様すごいっていう支持する派と、ちょっと近寄るの止めとこうと遠巻きにする派が居ますね。今日、レオさんが来られて、どちらもちょっとした騒ぎでしょうね」
何でと聞けば、痛々しい姿の王子様を見て皆さんどう思うのでしょうかと言われた。王子だというのは知られてない筈だけど。疑問に思っていると、ルチアーナと仲の良い女子生徒が、男爵令嬢にうつつをぬかして鍛錬を怠っているからいい気味よなんて、そんな事を言って回っていたらしく、怪我をしたのが僕だと広まったそうだ。いやそれ、不敬どころの話じゃないだろうに、ルチアーナと仲が良いから自分も偉くなった気でいるのか、それともルチアーナがそれを許しているから大丈夫だと思っているのか。
僕が注意してもどうしようもないし、そういう所はルチアーナ自身でどうにかしないといけないのに。
そして彼女たちを倦厭している他の生徒は、ルチアーナというよりジャンカルロに怯えているらしい。あの強力な魔法を見て、自分も巻き込まれたら堪ったものではないと、恐れから近づこうとしない。ジャンカルロ本人に悪気がまったくないのも、恐怖に拍車を掛けているようだ。これもどうにかするのはルチアーナの役目なのだけど、押さえる気もないようだ。
どちらも頭の痛い問題で、将来的に僕に深く関わるものでもある。看過出来ないので、面倒臭い。
『ヒヒヒ、じゃあそろそろ、新参者のあの女をどうにかするかぁ?』
カラの提案に頷くと、僕はアルバーノに会いに行った。僕が学園に戻るのと同じく、アルバーノも学園に戻った。以前より儚げというよりは病的な雰囲気からか、周りから気を遣われているようで、何人かの生徒に囲まれていた。休む前の張り詰めた空気もなくなり、対応が柔らかくなったおかげだろう。それに、同じグループの生徒を庇って倒れたのだから、当たり前でもあるか。
僕が呼べば、アルバーノは素直にやってくる。
「ジャンカルロの事で相談があるのだけど、いいかい」
はいと力ない声で了承し、僕が促すと素直にラウンジの椅子に腰掛ける。父親との仲がとっても良くなったからか、とても素直だ。まだ十五歳なので、華奢な美少年という感じだろうか。カラが言うには、ゲームに登場するときは背も伸びて体つきもしっかりしていたというが、今の状態をみるとそこまで成長しなさそうでもある。まあ成長はこれからだ、きっと。
「ジャンがどうしましたか?」
「ルチアーナを屋敷に連れ込もうとして、宰相にキツく絞られていただろう。あの後はどうだったのかなと思って」
「…ああ、あれからも何度か帰ってこようとしてましたが、うちには義姉様がいるので、その説明をした途端、寄りつかなくなりました」
義姉とはリリーディアの事だ。宰相のピエトロがアルバーノに、この先も誰にも邪魔されず家族だけで過ごすための方法だと説明したので、アルバーノは彼女達の事を受け入れている。エルマは貴族のあれやこれやなんて分からないからと、自分から進んで何かする気もないらしい。屋敷で菓子を作ったり裁縫をしたり、アンナの紹介で仲良くなった気さくなご婦人と優雅に過ごしている。そして最初に言われた通り、別邸から決して勝手に出歩くこともない。外出を禁止している訳でもないし、自身の身の安全はすべて宰相のおかげだと分かっているからか、義理を感じているらしく、その言いつけをしっかり守っている。
リリーディアは貴族の令嬢に相応しい教育をと、必死に学んでいる最中だ。エルマは将来リリーディアが結婚したとき、孫が出来たら会ったり出来るかと宰相に訊ね、もちろんですと言われたので、娘が伯爵令嬢になるのはそれなりに応援しているようだ。楽しいだけではない貴族の生活だが、自身の身に降り掛かった男爵の横暴を、娘にも同じ目に遭わせるわけにもいかないと思っているらしく、権力があるのはそれなりに良いことだと考えたようだ。
まあ最近のリリーディアは、磨きに磨かれて本当に美少女だしね。町娘にしては可愛らしい見た目から、段々と女性らしさも相俟って、ルチアーナとはまた別の魅力のある少女になっている。
ともかくだ、そんな二人が屋敷にいる事を、リリーディアの名を伏せてジャンカルロに伝えたところ、帰るのは遠慮した方が良さそうだとすぐに引き下がったそうだ。家族でもなんでもない自分がそこに行っては、邪魔だろうと言って。アルバーノにしては、ジャンカルロの世話を焼いてはいたが、家族のような付き合いを望んでいたわけでもなく、本物のジャンカルロもあまりアルバーノと付き合いがなかったため、邪魔に思うほど意識していないというのが正しい認識だ。まあそれを本人に伝えてはいないが。
「父様が、王にジャンカルロの身の上を相談したそうです。ただ王は、皇太子が御せないのなら仕方ないと言っただけだと…」
おやそれは、僕が好きにして良いというお墨付きが出たというわけかな。まあジャンカルロは僕のことを嫌っているようで、ルチアーナには協力的だものね。ジャンカルロはここをゲームの世界だと信じ込んでいるし、自分がジャンカルロではないから少しずつゲームのシナリオとズレているとは思っていても、僕がリリーディアに恋をしてルチアーナを振るという考えに捕らわれているようだ。
「ジャンカルロの事で質問なのだけど、最近の彼は女生徒とよく一緒にいるだろう。ルチアーナのお茶会仲間とさ。そのなかに意中の女の子がいたりするのかな?」
「そんな雰囲気はないと思いますけど。今日もさっそく誘われているので、聞いてみます」
力なく微笑むアルバーノは空虚な目で僕を見ると、それではと一礼して去って行った。頼もしい限りだ、新しいお人形は。
アルバーノが居なくなったラウンジの向かい側に、音を立てずにカラが座る。赤毛の男子生徒の姿で、そして何かしたのか誰もカラが居ることに気を留めていない。最近、この世界の人間のタマシイを食べたから、使える力が少し増えたのだそうだ。やり過ぎるとまた制限がかかるかもしれないからと、こうして人に紛れるようなものに抑えているらしい。まあおかげで、僕は堂々とカラと会話できるのだけど。
「それでどうしようかな、ジャンカルロ」
「ヒヒヒ、まずはこの世界が現実だと分からせてやればいい。そうだな、あっちの世界じゃない、この世界独特の習慣で呼び出すってのはどうだ?」
「この世界の習慣…ねぇ。ルチアーナが関われない、それでいて僕が知っている事ねぇ」
カラと顔を見合わせて、アレしかないなぁと笑い合った。
「……なにか用ですか」
明らかに不機嫌という顔で、ジャンカルロがアルバーノとともにやってきた。僕はそんな態度など気にせずに、ジャンカルロに話し掛ける。
「用事といえばそうなのだけど。……ジャンカルロ、君はアレをちゃんとやったのかな?」
「アレとは?」
「いや、…そのね。最近、宰相かもしくは魔法士の誰か、屋敷の家令と出掛ける予定はあるかい? 深夜もしくは早朝に」
僕の問いに訝しげな顔をするジャンカルロは、思った通り何も知らないようだ。これなら良いだろうと、僕はアルバーノに視線を向けると、こくりと彼は頷いてジャンカルロに話し掛けた。
「この前、ルチアーナ様にお茶会に誘ってもらっただろう。そこで、ジャンが女生徒と随分と親しそうにしていたから…」
「あれは、話が合うから仲良くしてもらっているだけで、疚しいことは…」
「いや、別に咎めているわけじゃないんだ。ジャンカルロ、そこは誤解しないでほしい」
じゃあ何なんだと言わんばかりのジャンカルロに、アルバーノがだからと言葉を続けた。
「その、父様はジャンの後見人だけど、そういう世話はやかないだろう。それで、レオナルド様が僕に、ちゃんとジャンカルロに教えたのかって聞いてきて、そういえばそういう話はしたことがないって事になって…。その、もっと早く話すべきだったんだろうけど、あまり君とは顔を合わせる機会がなかったから」
申し訳なさそうに言うアルバーノは、顔を俯けさせている。その只ならぬ様子に、ジャンカルロが焦りだしたようだ。
「一体何の話ですか?」
「…いや、だからね。成人前の男児の慣習の話だよ。君に男兄弟はいないし、養い親もいない。屋敷にも戻っていないようだから、家令なんかと話す機会もないだろう。それで、お茶会で女性と平気で話しているから、もしかして慣習を受けてないのじゃないかって心配になってね」
僕の言葉に、ジャンカルロはまだ信じられないような顔をしている。でもこれは、この国の男児にしか知られてない慣習で、ルチアーナは決して知らない事なんだよと言うと、眉間に皺を寄せていた。まあゲームにはそういう話は出てないとカラが言っていたから、考えた所で思い当たらないだろうね。
この世界のシナリオを知り尽くしているといっても、常識や慣習なんか全部理解できているなんてあり得ない。ましてや物語はリリーディアが主人公で彼女の視点で語られているのだから、男児独自の慣習なんて出るわけもない。
「……慣習ですか?」
「ああそうだよ。普通は成人前の学園在学中に行うものだけど、…君は知らないか」
これ見よがしにため息をつく。混乱しているのが手に取るようにわかる。
「このままじゃいけないと思うんだけど、かといって僕が手を貸すのも違う気がするし」
アルバーノにお願いしようかと言えば、まだ体が本調子ではないから一緒に出掛けるのは父親から許可が下りないだろうと困り顔だ。
「ジャンカルロ、親しくしている男生徒とかいないのかい?」
僕の問いに、ジャンカルロは困惑したまま首を横に振る。
「騎士団長の息子のカルロだったら、多少は面識があるよね。彼も鍛錬で忙しいかもしれないけど、僕よりかは彼の方が気が楽だろう」
「…はあ」
首を傾げたままのジャンカルロに、僕は笑いかけた。そしてルチアーナに聞いても彼女は何も知らないよと釘を刺す。聞くなら男生徒じゃないとと言って、後で予定を確認しておくから僕からカルロに頼んでおくよと、見送った。
これでジャンカルロは、慣習について気になって仕方ないだろうね。
僕の住むサントリクィド国には、成人を迎える前の男児に独特の習慣がある。といっても簡単な物で、基本的には男親もしくは男兄弟と一緒に、水の精霊の祠にお詣りに行くのだ。それも人目を忍んだ深夜、もしくは早朝に。そこで、精霊の祠に仕える者から避妊具の説明と使い方を教わるのだ。
なんでも百年くらい前に、好き勝手に子供を作っては育てられないから捨てるという事象が横行し、それに嘆いた精霊の祠の導師が国中の男児を集めて教えを授けたのだそうだ。
水の精霊は物事を綺麗に浄化するなんて伝えられているから、祠に赤子を捨てて浄化してもらおうなんて思う輩がいすぎて、流石に導師が我慢ならなくなったのだろう。
捨てられた赤子をそのまま放置するわけにもいかず、育てたのは祠の導師達なのだから。まあ当時の彼らの嘆きは置いておいてだ、導師達の頑張りにより男児達は成人前に水の精霊の祠で教えを授かる習慣が出来上がった。
女性に内緒なのは、祠で教えを受ければ、娼館で一回遊ぶ事が出来るからである。それに釣られて、慣習が続いているのはまあ、悲しい男の性質だね。
精霊を奉った祠は国中に幾つもあるから、どこの祠にいってもいいのだけど、貴族とかだと王都の大きな所にいくのが一般的だ。貴族街にあり、王宮のすぐ近くにある水の祠にだ。
ジャンカルロの場合、宰相が後見人だけどそういう世話は一切していないし、アルバーノはそこまで接触がないので、そういう話をするわけもない。実際に聞いてみたら、そういえば祠に行ってないですねとアルバーノが言っていた。もしかしたら魔法士になった時に同僚が面倒を見るかも知れないけど、いまの彼ではそういう世話焼きな同僚も出来るかどうか。本人は魔法を追求していたいみたいだし、中身は女だそうなので、娼館などに誘われても断るだろうな。
カラのいた世界じゃ成人前にわざわざ娼館なんていかなくとも、知識や情報は正しいものから間違ったものまで多岐に渡り手に入るそうだ。避妊具もこの世界とは比べものにならないくらい高度なものなので、安心らしい。そんな彼女たちからしてみれば、僕達の慣習は呆れたものだろうけど。
導師の秘密の教えにより、捨て子は減ったし、女性に無体を強いる馬鹿者も減った。尚且つ、女性の体の仕組みについても教えられる。それ故に女性に対する気遣いも出来るようになり、皆んな口には出さないが水の祠の教えには感謝しているのだ。
カラの覗き見で、ジャンカルロが僕と話した後で、男生徒に片っ端から慣習について聞いているのを見た。大抵のものは口ごもるか、お前は知らないのかと馬鹿にするような顔に、ジャンカルロはますます焦っているようだった。水の祠に行った後は、娼館に行くのが通例だから、まあ親しくもない生徒に詳しくなんて話したがらないだろうな。しかも真っ昼間の学園でそんな事を聞いて回れば、噂にもなる。
あっという間に、ジャンカルロを馬鹿にするような空気が一年目の生徒の中に広がった。ただでさえ、合同演習の一件で倦厭されていたのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。ルチアーナがカルロに慣習について聞いていたが、カルロはそんな事を聞くなんてはしたないと、ぴしゃりと撥ね除けていた。父親にも聞いていたみたいだが、年頃の娘に教えるわけもない。ジェラルドだって同じ反応だろう。
焦れたルチアーナが、ジャンカルロに意地悪をしてと詰め寄ってきたけど、アルバーノやカルロに意地悪ではないし、知らないと恥を掻くのはジャンカルロだぞと言われ、渋々引き下がった。
そうして何日かして、カルロの予定の空いている日を教えてもらい、ジャンカルロを水の精霊の祠へと連れ出してもらった。
もちろん、その後に連れてきてもらうのは、アンナの父親が経営する店だけどね。




