32
宰相の屋敷に戻り、僕はさっそくリリーディアに会いに行った。学園の生徒の格好をした青年姿のカラを連れてだ。
「やあ、リリーディア。こちらは僕の友人のカラ。一度会ったことあるよね」
「え、あ、はい。この前は助けて頂き、ありがとうございました」
リリーディアが頭を下げると、カラが蕩けるような笑顔で応える。目を惹く見目に微笑まれ、リリーディアの頬が赤く染まった。
「バルバード領はどうでしたか?」
「色々と刺激的な収穫があったよ。そこでリリーディアに協力をお願いしたいんだけど」
「……ええ、構いません」
若干の間の後で頷き、その反応がアンナと似ていたので、どうかしたと僕が首を傾げれば、バレージ男爵ですとリリーディアが言った。
「レオナルドさんは知ってたんですか!? お母さんの再婚の話」
「さあ、それは宰相の考え次第だから僕はわからないなぁ。不幸にもバレージ男爵が病気になってしまって、残念だったね」
「……はい、そうですね」
リリーディアはこれが貴族と王族なのねと、しみじみと呟いている。やっぱりアンナみたいな反応だなと思いながら、その彼女の姿を探すがいない。リリーディアが伯爵令嬢になる事が決まってからは、学園で講義を受けて時間があるときに礼儀作法や一般教養などを教えてくれていて、ここに入り浸っているそうだけど。聞けば、アンナは講義に出ているらしく、必修科目もあるので三日ほど来られないそうだ。
ふむ、アンナが居ないなら仕方ないけど、必要なのはリリーディアなのでまあ良いだろう。
「バルバード領で色々調べてきたのだけど、ルキノがなんであんな事をしたのかは、大体の想像でしかわからなかった」
「そうなのですか」
「なので本人の口から聞き出すことにしようかと思って。リリーディア、協力してくれないかな?」
ルキノと対峙する事になるけどと言えば、リリーディアの顔が強張る。が、すぐにもちろんですと言い切った。私も知りたいんですと、はっきりと僕の目を見て言ったのだ。
「まあリリーディアは何をするわけでもなく、ただ立っていればいいだけだよ」
「立っているだけ、ですか?」
幻惑魔法が得意なのだとカラが言い、帝国で面白い魔法道具を仕入れてきたからそれを使って、リリーディアが僕の隣で喋っているようにしか見えないようにすると説明した。ルキノと話すのはカラになると言えば、リリーディアはそれはまあ有難いですけど、大丈夫なのでしょうかと不安げだ。
「まあ簡単にバレないと思うよ。心配なら、僕が考えた膨大なこの書類、暗記するかい? ルキノにどんな質問をして、どんな返答にはこうするだとか、いっぱい予想して書いてあるけど」
「…すみません、私は素直に頑張って立ってます」
これ以上はもう詰め込めませんと、リリーディアは顔を青ざめさせている。どうやら僕が不在の間に、貴族の令嬢が学ぶ一般教養と礼儀作法を詰め込みで学ばされているらしく、本人もやる気は見せているが大変なようだ。家庭教師も良いけど、帝国のように初等科などを学園に作るのも良いかもね。平均的な学力が身につくだろうし。
ただそうなると、莫大な予算が必要になるだろうし、貴族の子供達を通わせようなんて考える親たちが果たしているかも怪しい。子供の頃はわりと他人に任せきりだからなぁ、この国は。
カラがリリーディアに心配ないですよと、優しく言っている。ただもし、途中で分からない言葉が出てきても、気にしないことを条件に上げていた。
「あの、レオさん。もしかしてもしかしなくても、とても拙いお話し合いになるのでしょうか。…その、国の存亡が掛かるような…」
「おや、勘が良いねリリーディア」
僕が頷けば、アンナが言ったとおりだわと、リリーディアはどこか遠い目をしている。いつの間にか呼び捨てになっている所を見ると、かなり二人は親密になったようだ。これは良い事だね。
リリーディアの協力を得られたので、さっそくルキノに連絡をつけた。僕が呼び出したところで無駄なのはわかりきっていたので、宰相に頼んでだ。アルバーノの事で近づかれた宰相は、ルキノから様々な協力を取り付けられていた。色々と便宜も図っているので、ルキノも宰相の呼び出しには応じなければならないだろう。王都で何かを起こすつもりなら、宰相の協力は必須だ。
ルキノと会うのは明日の夜になったので、リリーディアと話した後はアルバーノの所へ向かう。
王都に帰ってきたとき、アルバーノは回復して目を覚ましていた。けれど、表向きには静養中とされていて、容態が芳しくないとされている。会いに行ったら、どこか虚ろな目をしていたが、嬉しそうな笑顔を向けてくれた。今までにない反応に、僕も笑顔で返す。
「レオナルド様のおかげで、父様が僕の所に帰ってきてくれるようになりました」
本当にありがとうございますと、頭を下げる。ずっと寝たきりだったから、アルバーノの肌は青白く、あまり逞しいと言えなかった体つきは、更に細くなっていた。
「僕は特に何もしていないよ。君を選んだのは、宰相だしね。良かったね、アルバーノ」
「はい」
もう少し体力を回復したら、学園に戻ることになったとアルバーノが言った。ただし、体の調子が悪いので、週末には屋敷に戻って休むのだそうだ。
「ルチアーナ達がお見舞いに来ようとしていたらしいけど」
「はい。でも会いたくないので、断って欲しいと父様にお願いしました」
アルバーノが寝込んでいる間、何度かルチアーナがやってこようとしていたが、宰相が容態が安定していないからと断ったそうだ。そして学園に入る前ならばまだなんとか醜聞は避けられもしたが、学園内で男爵令嬢と噂になってしまった息子と会うのは、次期王妃としてはあまり宜しくないと窘めもした。それにルチアーナはアルバーノは友達なのにと言ったがしかし、宰相が譲らなかったので来訪する事は叶わなかった。
一度、ジャンカルロが連れてきたらしいが、家令に追い返されていたそうだ。後見人は宰相だが、好き勝手して良いというわけではない。ジャンカルロも不満げだったが、しかし宰相から注意をされ、命に関わるのだからときつく締められたので、やらかしたのは一度きりである。まあ屋敷の別邸には、リリーディア達がいるから、来られると色々と面倒だ。アンナは宰相の家に入り浸ってはいるが、アルバーノではなく再婚した宰相に新しく出来た娘と交友をはかっているという理由があるので、まあ面目は立てられる。もっともあまり公にはされていないが、書類上は公妾なので僕の様子を見に行っていると言えば問題ないのだ。だって僕も宰相の別邸で静養していると、学園に連絡してあるからね。
ともかく、アルバーノはルチアーナに来て欲しくないというのは、はっきりしている。どうしてだいと聞くと、だって父様と一緒にいるとおかしいと言うからと、ほんの少し顔を歪めて言った。
「またそれを言われたら、僕はもう……」
虚ろな顔で宙を見つめて喋るアルバーノは、壊れた人形のようにも見える。
アルバーノに施した治療で、宰相のピエトロに言わなかったことがもう一つある。魔力を供給するのに触れている間は、アルバーノの意識だけは覚醒しているのだ。そう、つまり、ピエトロがアルバーノに何をしたのか、彼ははっきりと分かっている。
でもアルバーノは父親に愛されたいと思っていたし、自分のもとに帰ってきて欲しい、抱き締めて欲しいという願いがあったのだから。それらが総てかなって幸せだろう。たとえ追い詰められていた所為で、狂気に触れていたとしてもだ。
「これからもアルバーノが宰相と過ごせるよう取り計らうよ。そうだ、もし君さえ良ければ、将来的に僕の補佐につくのはどうだい? 雑用みたいな事が多いから、あまりなりたがる人がいないんだ。かといって、身分が低すぎると王太子付きだから煩く言ってくる人もいてね。ほら、宰相とよくやり取りするから、アルバーノも父様の顔が見れた方が安心するだろう」
僕の提案に、アルバーノが良いのですかと嬉しそうな顔をして頷いた。勉強などは頑張ればどうにでもなるが、政務官や魔法士になるには臨機応変に対応出来なければならず、アルバーノはそういう事が苦手だと言った。だから将来は父様の側で働くことは叶わないだろうと思っていたとも。なるほど、だから魔法道具の製作に拘っていたのか。研究職になれば、少なくとも王宮に出入りは可能になるからね。
ルチアーナがこの先なんと言おうとも、大丈夫だよと言えば、涙を浮かべながらありがとうございますと言っている。やっぱり側に置くなら見目の良いお人形が最適だから、適材適所という事でお互い満足だね。
次の日の夜、宰相に呼び出されルキノが別邸へと訪れる。久しぶりに見た彼の姿は変わりなく、しかしどこか警戒を崩さぬままやってきた。
屋敷の応接間でルキノを待ち構えるのは、リリーディアだ。といってもそこにいるのはカラが作り出した虚像で、本物の彼女は僕達と一緒に隣の部屋で待機している。カラが帝国から買い付けた魔法道具だと言って適当な宝石を置いて、水を張った桶の中に覗き見る円を描き、その様子を窺っていた。
リリーディアは緊張した面持ちで、その水桶の中を見つめている。
隣の部屋に立つリリーディアをそのまま虚像として映しているので、立ったままでいるしかないが。喋るときはカラが調節するから、そこまで違和感を感じないだろうけども。
「……久しぶりね、リィ。随分と可愛らしくなって」
「ええ、そうね。……でも、なぜ貴方は私の邪魔をしてくるのかしら?」
リリーディアの言葉に、ルキノの眉がぴくりと動いた。ちゃんと説明を受けていたけど驚いたのか、リリーディア本体の方が目を見開いている。が、すぐに平常心を保とうとしたのか、表情を消して水桶を見つめていた。
「私、邪魔なんてしてないわよぉ。リィの学園での活躍、しっかりと見守ってるじゃないの」
「そうかしら? なんだか上手くいかないのよね。変な噂も流されるし」
僕達とリリーディアの噂の出所は、カルロが締め上げて色々調べてくれたので判明している。子爵や男爵の令嬢に、とある人物が面白おかしく噂を吹き込んだそうだ。まあとある人物とは、ルキノ・バルバードだったけどね。おかげで僕は父様に睨まれたわけだけど。
「ねえルキノ。私はレオナルドとアルバーノ、それにカルロの三人を落としたわ。あとはジャンカルロと貴方だけなの。何故、貴方は私の邪魔をするのかしら?」
リリーディアがもう一度問うが、ルキノは何も答えない。これはもう一押し必要だね。僕がカラを見れば、にやりと口角を上げて笑った。
「貴方も記憶があるのじゃなくて? 私と結ばれるハッピーエンドな素敵なお話の。…ねえ、私はつい最近、それを知ったわ。だからなのね、貴方が私に会いにきていたのは。どうしてなのかしら、お望みのラブロマンスが始まらなくて、私に飽きちゃったの、ルキノ様」
声はリリーディアだが、カラが喋っているので、酷く心を擽るような口調になっている。そしてルキノは、リリーディアの言葉に肩を震わせ笑っていた。
「そうだね、リリーディア。こんな茶番は早々に終わらせよう。いまの君になら話しても良いかな」
口の端を持ち上げて笑うルキノは、いつになく凶悪な顔付きだった。女言葉も消えていて、ゆっくりと視線をリリーディアに向けると、最初は夢にみる程度だったのだと話し出す。夢でいままで見たこともない記憶が流れ込んでくるようになり、それがいつしか自分自身の未来なのではと疑うようになった。そしてそれは、精霊が自分に与えてくれた特別な知識なのではないかとも。
だからこそ精霊を呼びだし、真実を聞いたのだ。
「私は君と結ばれる事によって、この国を支配出来る機会を永遠に失うんだそうだ。だから私は、君と結ばれるわけにはいかないんだよ。精霊王もそう言っていた、私は特別なんだから」
ルキノが召喚に成功したものは、精霊王と自ら名乗った。そして叛逆を起こすのに裏切らない兵が欲しいというルキノに、兵力を集めてくれたのだ。洪水の後で接触してきたルチアーナは、ルキノの行動を見て仲間だと言った。けれどルキノが叛逆の準備をしている事を知ると、そんな事はやめてと止めに入ってきたため、大公家の力は強く邪魔されたら面倒なので、一応従う振りをした。そしてルチアーナの目がそれている間に、王都にバルバード領のルキノに着く者達を送り込み、いつでも決起できる準備をしていたのだそうだ。
リリーディアには是非とも、僕達を惚れさせて翻弄していてもらいたく、学園に噂を流したと言っている。学園に入ってからのリリーディアは、記憶にある通りにこの国の重要人物の子息達を夢中にしていたからこそだ。
「じゃあどうして、記憶がない状態の私に、接触し続けたのかしら?」
「ははは、それは単純な興味だよ。この国の王になれるかもしれないのに、それを諦めてまで君に夢中になれるほど、魅力があるのか知りたくてね」
だから色々と贈り物をしたけど、君は喜ぶだけで私の心もピクリとも動かなかったさと、ルキノが言った。そうして、今の君ならもしかしたら好きになるかも知れないけどねとも。
「ただの興味本位なのね」
「ああそうだよ。それに、君だって楽しんだだろう。侯爵の息子とのちょっとした恋物語をさ。まあもし君が望むなら、もう一度手を差し伸べてあげても良いよ」
ふうんと、リリーディアは興味なさげに返した。もっとも本体の方の顔は青ざめて、小刻みに震えているが。自分に近づいたのが、精霊だかなんだかわからないものから得た記憶の所為で、尚且つ興味本位に自分を試されていたなんて、凄まじく腹立たしい事だろう。水桶の中のルキノを睨み付け、リリーディアは怒りをなんとか抑えているようだった。
水桶の中のリリーディアは、さらに言葉を続ける。
「でもそれ、全部が本当の事じゃないでしょう、ルキノ様」
リリーディアが眉を寄せながら、知っているのよと囁く。
「私ね、素敵な記憶を精霊様からもらってから、色々と調べたの。レオナルド様にお願いすれば、なんでも聞いてくれるから、ね。それで不思議に思ったのですけど、どうして貴方の兵達はみんな、死臭がするのかしら」
その言葉に、ルキノの顔が歪んだ。どうしてそれをと、余裕を見せていたルキノの態度が変わった。
「レオナルド様がね、グラード様に聞いたのですって。ルキノ様の側にいるバルバード領の兵は、どんな人物かって。手練れの熟練した兵で、万が一ルキノ様が何か怪しい行動をしたら、即座に報告するように、もしくは力尽くで止めてもよいと命令を受けている人達なんですってよ。そんな人達が、ルキノ様の反乱の手助けなんて、進んでするわけないわよねぇ」
「ああ、本当にいまの君は素敵だね。心が奪われそうだよ」
ルキノがあれは精霊王の力だよと言った。なるほど、カラと話した通り、ルキノは兵力が欲しい望みを叶えてもらったようだ。今の君となら、この国を乗っ取っても良いなと手を差し出してくる。リリーディアがその手を取った瞬間、部屋の中が真っ暗になった。水桶の中には、何も映らない。
「レオさん、これって…!? って、カラさんも居ない!!」
思わずといった感じで、リリーディアが叫んだ。
「落ち着いてリリーディア、カラなら大丈夫。ルキノに取り憑いている精霊王もどきが、ちょっと悪さをし始めたんだろう。まあ少し待とうじゃないか」
立ちっぱなしで疲れただろうと、リリーディアに椅子を勧めた。落ち着かないといった様子だったが、大人しく椅子に腰掛ける。
「あの、ルキノ様に取り憑いたのは、精霊王様なのですか…?」
「まさか。はっきり断言しようか、それは違う。もし本物なら、わざわざこんなまだるっこしい真似をするかな」
「精霊の考えなんて、私にはわかりませんが」
それもそうだ。同じ人間の考える事だって、僕達に分からない事だってあるのだから。
「リリーディア、それでどう思った?」
ルキノが興味本位で君に近づいた事をと聞けば、顔がゆがみ手を思い切り握りしめている。
「…私は、…私は興味本位で弄ばれるような…、そんな人間に見えたのですか? あのよくわからない記憶というものによって、私はあんな目にあったのですか…!?」
理由を聞いたって、リリーディアには理解できないだろう。だって知識であったから、近づいてみたとは。少なくともリリーディアという生きた人間を何一つ見ていない。最初はちょっとした興味で付き合いが始まることもあるだろうけど、ルキノのそれは少し違う。なんだろう、ただの作り物のようにしかリリーディアを見ていなかったのだから。
「私が喜んで彼の持ってくるものを食べるのを、嘲笑っていたの? お母さんがせっかくだからって、食事を用意したのに食べなかったのは、その所為なの? いつもいつもいつも、私はルキノ様に喜んでもらいたかっただけなのに……」
慟哭のようなそれに、僕はリリーディアの背中をそっと撫でた。俯き顔を覆いながら、許せないと絞り出すような声色でリリーディアは言った。
「私に優しく手を差しのばせば、まだその手を取ると思っているのかしら。地位だとかに目が眩む女だと思っているの。私を…何だと…」
恋する少女は可愛らしいものだと誰かが言っていたけど、彼女たちは女なのだから侮ってはいけない。馬鹿にしてはいけない。女はただの一度の侮辱すら、一生忘れはしないのだからと、カラは言っていた。ああきっと、ルキノのあの仕打ちは、リリーディアの性格に途轍もなく変化を与えるものだったのだろう。
ゲームのヒロインのリリーディアは、明るく誰にでも優しく、裏表のない明快な少女だ。でもこの世界のリリーディアは、ルキノに手酷い言葉で傷つけられ、そしてもう恋というものの苦さをも知っている少女だ。だからこそ、彼女はもうルキノを許しはしないだろう。




