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「レオナルド様、こんな所にフートヘルム殿下の著書があります……」
ややげんなりした顔をしているのは、苦々しい思い出の人物だからだろうか。というか彼は、あの若さで本まで出しているのか。
「ええと、まあそうですね。幼い頃から聡明な方でしたので、側近のカサンドラ様の他にも色々と感銘を受けた方々がいまして、偉大なるフートヘルム殿下の名言を集めた著書をといって、作られてます」
帝国内で比較的簡単に手に入りますよと、ヘルゲが教えてくれた。内容はフートヘルムによる軍の在り方だとか、国民はこうあるべしだとか、そういうものらしい。
「こういうの出してても咎められないんだね、帝国も」
「ええ、まあ。カサンドラ様いわく、軍学校に教科書としておくべきと言ってましたが、内容は初等科で教わるようなものを、色々と理想などを脚色して述べているので、そこまで役に立つものでもなくてですね。帝国は軍人になると、衣食住が保障されるので、ほとんどが子供の頃から軍人を目指すんですよ」
その膨大な軍人を養えるのが凄いよ、皇帝。まあ公共事業としてほとんどを国の保障付きで行い、富を分配しているから上手くいっているようなものか。もう少ししたら行き詰まるだろうし、皇帝もそれを分かっているのか改革中なのだろう。ゴットハルトに帝位を渡すまでに、なんとか取っ掛かりでも終わらそうと躍起になっているのだから。
ともかく、そんな内容なので、よっぽどのフートヘルム殿下の信者ではないかぎり、下っ端が仕方なしに買うような代物らしい。それがなんでルキノが持っているのだか。
フートヘルムが言う、国境軍が機能するかどうかというのは、バルバード領に協力者がいる事だろうと思っていたけど、ルキノの事だったようだね。
「グラード様はフートヘルム殿下をご存じですか?」
「フートヘルム殿下ですか。いえ、お話には聞きますが、実際に帝国の方とやり取りする時は、殿下ではなく別の軍人の方ですからね。実際にお会いした事はありません」
ではルキノはフートヘルム殿下の事をどこで知ったのだろうか。それを聞くと、グラードはそういえばと幼い頃のルキノで思い出した事を教えてくれた。
「実際に会うことはありませんが、噂はよく入ってきます。その中でもルキノが興味を示したのは、フートヘルム殿下でしたね」
「噂というのは」
「幼いながらに学業や魔法で才能を発揮し、まるで先が見えるかのように動く聡明さ、子供らしからぬ言動、そして才能があるにもかかわらず常に努力する姿勢は素晴らしい、などといったものですね」
僕がヘルゲを見ると、なんとも言えない表情をしていた。不敬とか言わないから本当のところはどうなのかと聞けば、だいたいあっているが間違ってもいるそうだ。
「フートヘルム殿下は確かに才能ある方でしたが、側近達がものすごく煽ててまして、言動がどんどん尊大なものになってしまって。子供らしからぬ事を言い出すようになったというのは、若い見目麗しい女性、まあ同年代のですね。それらを集めて楽しそうにしていたとこからでしょう。努力というのは、……家庭教師の勉強を投げ出さずに頑張った、というあたりですかね」
皇族の教育などは、内乱が終結した後でようやくまともに行うようになったから、教師達も試行錯誤だったのだそうだ。なので、最初のうちは加減が分からず、勉強を投げ出す子供もいたので、何人か尊い皇族の兄弟達の犠牲の上で、フートヘルムのあたりでようやくまともな基準というものが出来たのだという。
「基本的に帝国は軍人しかいないので、そういう話は流れてくるんですよね。先が見えるように動く聡明さというのは、……側近が気を利かせてフートヘルム殿下の言ったことを実現させて持ち上げて、というのを繰り返した結果です」
大半の軍人がそれを知っているので、フートヘルムがいる所では誰も働きたくないのだそうだ。まあ彼のカリスマ性に当てられた軍人は、それなりにいるので、ごく普通の感性を持つ軍人はそんなに回されないのだけど。ここにいるヘルゲ君は運が悪い方だったのかと、僕は納得した。
「ルキノ・バルバードもそんなフートヘルム殿下のカリスマ性にやられた一人なのかな」
「どうでしょう、ルキノは幼いながらに才を発揮している方を、気にしていたようですから。大公家のルチアーナ様の事にも、興味を持っていましたよ」
恋愛的な意味ではなさそうですと、グラードが付け加えた。
「となると、自分と同じ者がいないかと考えて、探したのかも知れないな」
「…精霊から力をもらった者、ですか?」
「精霊の加護なんて、もらったことがある人なんているのかどうか。質の悪いものにルキノは引っかかったのかもしれませんね」
僕のようにさ。
肩の辺りを指先でなぞれば、カラが笑いながらぽんぽんと飛び跳ねた。
『ヒヒヒ、そうだなレオナルド。悪魔は人間を引っかけるのが得意だから、ヒヒヒ』
僕だけにしか見えないカラのように、ルキノにもこうやって悪魔がいるのだろう。そしてカラと同じように、つまみ食いをしているのかもしれない。もしくは大胆にかも。
「ルキノにつけたバルバード領の手練れの兵で、変わったところはありませんでしたか?」
「手紙の内容に変わったところは、特には。……そうですね、滞りなくルキノは学園生活を送っているとあったので安心していましたが、嘘の報告をしていた事になります。なるべくルキノを慕う者ではなく、分別のある大人を選んだので、丸め込まれるような事はない筈ですが」
彼らの目を盗むなどといったことも出来ないと、グラードは言った。けど実際に、ルキノが引き連れているバルバード領の者達は、彼の意のままのようだ。
「失礼を承知で聞きますが、バルバード領の兵には、魅了や洗脳系の魔法への抵抗手段を学ばせていますか?」
「それはもちろんですよ。兵として鍛え上げるのに、それは何より重要視される事ですから」
屈強な戦士が簡単に敵に回ったりしたら、それこそ問題だしね。王都でも騎士になる者には、とてつもない精神的鍛錬を行うし、王族である僕の場合だと幼い頃から練習させられる。ただしそれは、この世界にある魔法への対抗手段だ。
『ふむ、悪魔が本気で魅了させてタマシイを食っちまったあとで、その空っぽの肉体を動かすって事なら出来るぜ。まあ空っぽの体なんて動かしたところで、単純な命令しか聞かないし、気を抜くと体が腐っていくので面倒なんで、俺様は好きじゃないがな』
ルキノが意のままに操れる兵が欲しいとか願えば、その望みを叶えるためにやりかねないだろうがと、カラが言う。なるほど、それならルキノがバルバード領の兵達を操れるのも納得だね。確証はないけど、二つばかり願い事は叶えてもらっているようだから、王都に戻ったら確認してみよう。
「一つ聞きたいことがあるのですが。ここにルチアーナが来たことはありますか?」
「…いえ、ルチアーナ様がバルバード領を訪問された事はありません」
お忍びで来たという話も聞かないと、グラードが言った。ただ少し考えるような仕草のあとで、そういえばと言葉を続ける。
「洪水が起きたとき、他領から手伝いの者達が派遣されて来ました。王からの助成もあり、様々な者達が領地に入ってきましたが。その時、ルキノと親しくしていた少女がいましたね」
「それはどんな?」
「旅人のような格好でしたが、身に着けている装備はそこそこ値の張る物で。行商人にも見えませんでしたし、お忍び旅行に来た令嬢にしては見窄らし過ぎる格好で、なんでしょう、すごく中途半端でしたね。まあ洪水の被害の対処が落ち着くと、バルバード領を出たと報告があったので、その後は気にとめませんでしたが」
ルチアーナの特徴を言ってみると、当てはまりますねとグラードが言う。
さらにその少女は、被害が増大している街で、強力な魔法を使ったという。なんでもどこからともなく土の壁を作り上げ、流れ出る水を塞いだとか。通常、魔法で土壁などを作っても、水の勢いに負けて崩れてしまう。そして氾濫する川の岸という広範囲すべてを覆うのは不可能だ。まあその不可能が出来るのは、ルチアーナくらいだろうけど。彼女はここに来て、ルキノと出会ったわけだ。
攻略キャラの存在が気になって、お忍びでバルバード領まで来たその行動力は凄い。そこは素直に感心してしまうけど、その行動力をもっと別のことに発揮すれば良いのに。いや発揮してるか、いまは僕をどう追い詰めようか考えて必死だろう。まったく彼女はと、そこまで考えて、ルキノの事でふと思い至った。
彼の本棚をもう一度見て、そこにはルキノが書いたであろう手記だとか日記だとか、そういうものは一切なかった。王都に行くときに持って行ったのだろうが、もしルキノがゲームのルキノの記憶を見たとして、王都で叛逆の狼煙を上げるのを良しと思ったのなら。
フートヘルムは溢れんばかりの覇気で、帝位剥奪を考えていた。隠そうとしてはいたが、幼い頃の噂話をヘルゲから詳しく聞く辺り、将来は国を率いるだろうと有望視されていたそうだ。
ルチアーナはその才能と発想で、大公領を豊かにした。そして王妃となるべく、様々な勉強を熱心に行っている。彼女の力は、王太子の僕を遙かに凌ぎ、女王の誕生になるかもななんて揶揄された事もある。
もしルキノが、この二人と共通する事を己で感じていたのなら、グラードを廃してバルバード侯爵などで終わらず、流れ込んできたルキノの未来を実現しようとしたのなら。
「…なるほど、ルキノが狙っているのは、王位の剥奪か」
本人は精霊から与えられたと思っている知識と、そして呼び出した精霊だと思っている存在とで、揺るぎない自信がある。
ルキノの近くには、まさに自身と同じような者がいたことから、それは確信めいた天啓と同じなのだろう。
『ヒヒヒ、ルキノが呼び出した悪魔が煽っているかもしれないなぁ。堕落したタマシイは何よりも美味しいから、ルキノを肥えて堕とさせている真っ最中かもな』
呼び出された悪魔にとっては、ルキノの計画が成功しようが失敗しようがどうでも良い。三つの願いを叶えたときに、ルキノの心が堕落していればいる程に、じっくりと下ごしらえをした成果が現れるのだから。
彼は自ら、タマシイを肥え太らせているのだろう。ああ、可哀想に。
僕がルチアーナとリリーディアの二人の間で揺れていたり揉めていたりするのは、ルキノにとって好都合だろう。彼が王位剥奪を成功させて障害となるのは、僕でなくルチアーナだ。
だからこそ、ゲームの内容に沿った事を起こして、彼女に助成しているとアピールしているのかもしれない。もっとも、ルキノの行動をルチアーナは知っているかわからないが、もし叛逆のために王都で何か事を起こしたのなら、ルチアーナとの直接対決まで持って行きそうだけど。あまり被害を拡大したくないので、僕がどうにかするしかないね。
「ヘルゲ、帝国には死の魔法を回避するような魔法道具ってあるかい?」
一応この世界にも、死を引き起こす魔法が幾つかある。僕の国の場合、あまりにも危険なのと効率が凄まじく悪く、人で実験などするわけにもいかないので、防御する方法を学ぶだけなのだけど。闇の精霊の力を借りて、魔法を掛けた相手を眠るように殺す魔法が、もしかしたらカラの行うタマシイを食べる行為と同じような気がしたのだ。
実際に使うとなると、自分より実力がない人間にしか効かず、なおかつ自身の魔力の殆どを使い、ちょっとでも制御に失敗すれば魔法を使った者が死に至るというものなので、普通なら決して使用しない禁止魔法なのだ。まあでも、暗殺者とかは捨て身なので、そんなの関係ないだろうけど。
「そうですね、噂には聞いたことあります。皇族の方は皆、持っているという話ですよ」
ならゴットハルトにもう一度協力を得よう。
さっそく王都に戻って準備をしなければね。
「僕の方でルキノの処遇について決めても良いですね」
「ええ、構いません」
しかしどうして、精霊はこんな事をとグラードが顔を歪めている。ルキノが変わっていくのを止められなかったのは、兄として悔しくて仕方ないのだろう。ルキノが歪んだのは外部的な要素ではなく、偶然という悪戯が元での事だしね。
ルキノは随分と運がなかったようだ。
『ヒヒヒ、可愛いレオナルド。悪魔と関わった人間が、幸せになんてなるわけないだろう』
カラが笑いながら飛び跳ねる。ぽんぽんとまるで玩具のようにだ。
それは良く幼い頃に、僕のことをあやすためにカラがやった仕草で、小さな影が軽快に動くのが楽しくて、夢中になって見ていたものだった。
いまだってそれを見ると、つい笑みが零れてしまう。
僕だけのカラだからこそ、僕は悪魔と関わっても幸せなのだろう。




