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いくら非公式な訪問だといっても、バルバード侯爵に無断で行くわけにもいかないので、僕個人のお忍びだといってある。そのため、出迎えなどはいらないと伝えたけど、やはり王太子が来るということで、次期バルバード侯爵のグラードがやってきたのだろう。領内を直々に案内してくれるそうだ。馬を連れてきてくれていたので、ヘルゲだけ連れて馬で一緒に行くことにする。
グラードはジェラルド兄様と学園に通っていた頃から親しくしていた仲だからか、僕の事を知っていて、話を良く聞いていたので親近感があるそうだ。グラードは明るく快活で、貴族にしては嫌味のない性格で、ジェラルド兄様との思い出を豪快に笑いながら語っている。それに相槌を打ちながら、案内されたのはリリーディアが住んでいた街近くを流れている川岸だった。まだここは上流の方なので、洪水の被害は殆どない。下流に行くにつれて被害が大きくなっていき、街が一つ流されてしまったのだそうだ。
「これでも被害は少なかった方なのです。この川も何十年も氾濫など起こしていなかったので、ルキノの進言がなければもっと酷くなっていた……」
「ルキノの?」
「ええ、あれは小さい頃から私の視察について回っていて、川の治水工事を行うべきだと言っていたのですよ。幼い頃から聡い子で、…なんていうかとても頭が良かった」
良かったとは、なんで過去形なのだろうね。確かにルキノは十五歳で学園に入学していないはいないけど、侯爵の息子なので確かな教育を受けている筈だ。次男とはいえ、侯爵家の領地は広いので、将来グラードの補佐につく事を望まれている。ならばルキノの奇行に関して、良く思っていないだろうに。
「…私とルキノは年が離れていましたので、弟を可愛がっていました。けれど、だんだんと……」
言い淀んだグラードが、僕を見て言った。
「今日、こちらに出向いたのは、ルキノの事が聞きたかったのでしょう。あれが何か、王都で奇行を繰り返しているのですか? 一応、バルバード領の者をつけておりますが、抑えきれなかったのでしょう。……もし不敬を働いたのなら、容赦なく処罰して構いませんが。…少しはお慈悲を頂けると考えて、私はすべて正直のお話しましょう」
「それはグラード様のお考えで?」
「…バルバード侯爵家の考えです」
しっかりと言い切ったグラードには、迷いがない。ジェラルド兄様からグラードの評判は聞いていて、話してみてその通りだと思えるほど快活な人物だ。その人となりを以ってしても、切り捨てようと考えるまでにさせるとは、ルキノもこのバルバード領で何をしでかしたのやら。
「父は、…精霊が悪さをしたのではと、人に聞かれれば不謹慎と言われかねないことを考えております。私も、何かわからない力のようなものが、ルキノに作用したのではないかと」
それはどうしてだと聞くと、ルキノの言動がおかしくなったのは十二歳くらいの頃で、それまでは真面目な普通の子供だったのだそうだ。それはなんの兆候もなく、突然現れたとの事。
ある日、ある朝、めずらしく遅く起きてきたルキノが興奮した面持ちで、自分の事を話し始めたのだそうだ。それも産まれてから今までの事だけではなく、この先の未来まで。しかしそれは細かいものではなく、何年か先に洪水が起きるとかそういったざっくりとした事だった。
幼い頃から視察について回っているから、もしかしたら堤防や何かの異変にでも気付いたのかも知れない。バルバード侯爵もグラードもそう考えて、ルキノの言葉を真剣に聞くことにした。けども、話していることはどこか釈然とせず、確証があるわけでもない。なのでそれを信じるわけにもいかず、堤防や川の周辺を見回る程度に収めるしかない。
しかしそんなバルバード侯爵達を見て、ルキノはどうして信じてくれないのだと憤った。そして、少しの間部屋に閉じこもるようになった。やたらと怪しげな本を読みふけるようになり、ある日突然、部屋の外に出たかと思うと、やたらと領内を回るようになったのだそうだ。
「怪しげな本とは?」
「……精霊との話し方だとか、呼び出し方だとか。…かなり怪しくいかがわしい商人からも買っていましたね。その所為で、父が精霊の所為ではなんて言い出したのですが」
僕の住む世界には精霊がいると信じられているけど、実際に見たことある人はいないと思う。精霊を奉る祠などはあるけど、そこに仕える人達が実際に精霊の声を聞いたなんて話は聞くけど、どこまで本当だかわからないし。
「ルキノは精霊を信じていたんですか?」
「子供の頃は、ごく一般的なレベルで。…おかしくなる前は、そこまでではありませんでした」
精霊を信じる信じないは個人の自由なので、いかがわしい本を読んでいようが趣味の範囲内といえばそこまでだ。なのでバルバード侯爵も咎めなかったのだというが、部屋から出た後の行動が問題だった。
ルキノは領内の住人を調べ始め、リリーディアという少女を探したのだ。
「リリーディアという名前は別にめずらしいものではありません。なのにルキノは、その名を持つ少女を見つけると、執拗に調べるようになり……」
つけ回すようになったそうだ。リリーディアという名前は、バルバード領ではわりと一般的なもので、領内の街にいけば何人もいる。だがルキノは、川の近くにある街に何故か限定し、さらには金髪の少女を探した。ただ僕の知ってるリリーディアのような蜂蜜色とかああいう金の髪色は、やっぱりめずらしいものじゃないので、川近くの街といったって何十人も該当する娘はいる。同じ年頃の娘に絞っていたそうだが、それでも片手の指くらいはいたそうだ。
そしてその娘達の街が洪水に飲まれると言い出し、バルバード侯爵は頭を抱えた。何を調べたところで、ルキノのいう娘達はただの町娘で後ろ暗い所はない。まさにごく普通の善良な領民だった。なのにルキノは少女達を災いの源のように言い、このままでは危害を加えかねないとバルバード侯爵がなんらかの処置を考えていたところで、本当に洪水が起きた。
洪水の被害の対策に追われるバルバード侯爵に、ルキノは精霊様が力を貸してくれますからこの被害は乗り切れますと励ましてきた。どことなく狂気じみた様子に、どうしたものかと思ったが、部屋に籠もりきりだった所為で精神が歪んだのかも知れないと、侯爵は王都までの護衛任務に就かせることにした。ルキノ以外にも手練れの熟練した兵士を派遣し、被害にあった者達を王都に一時的に住まわせる為に移したのだ。氾濫したのが大きな川だったので、隣の領地もすこしばかり被害を受けており、受け入れをお願いできる状態ではなかったし、どうせなら空いている自身の土地がある王都の方が便利だったからだ。
王都から戻ったルキノは上機嫌で、そしてピタリと奇行が収まった。といっても女言葉を使ったり、奇抜な化粧をしたりだとかはそのままだったが、精力的に領地内の整備を手伝い、王都に移った人々の見舞いに顔を出したりと、非常に領民を気に掛けるようになった。バルバード侯爵はあれは一時的な気の迷いか何かだったのだろうと、そう思っていたのだが、最近になって入学しているのにルキノが講義にあまり出ていないという連絡が来た。こうも遅れたのは、バルバード領が西の端にあると言うことと、ルキノが学園に入るにあたって、王都での保護者として親類に頼んでいたのだが、なぜかそこに連絡が行かなかった。ルキノも一度挨拶に行ったきりで、顔を出さないのは学園生活が忙しいのだろうとそう思っていて、あまり気にとめなかったそうだ。そして学園側が、何度も連絡しているのにと痺れを切らし、実家となるバルバード侯爵家に直接、手紙を送って発覚したのだという。
「なるほど。その手紙と僕が個人的に来たって事で、ルキノが何かしたと思ったのですか」
「ええ、それもありますが。レオナルド様が来られる前に、王から直々に息子がそちらに行くのでという内容の書状が届きましたので。もし領地での政務に後ろ暗い事がなければ、素直に総てを話せと…」
僕がバルバード領に行くことはすでにお見通しというわけか。僕に味方したというより、王都での不穏な活動をどうにかしたいと思っているのだろう、父様は。これは僕がルキノをどうこう出来なくても、僕に付いている護衛だとか従者とかから情報を聞き出して、最終的に処理するだろうね。
でもまあ、全部父様に任せるのも面白くない。下手をすればルキノに巻き込まれて、僕をどうこうしてくるかもしれないし。
『ヒヒヒ、わかったぞレオナルド。なんでルキノから匂いがしなかったのか』
おやそれは朗報だ。カラが確かめたいことがあると、バルバード侯爵の屋敷に行きたいと言った。まあ今日泊まるのは侯爵の屋敷なので問題ないだろう。そのままグラードと共にルキノの事や領内の事を聞き、日が暮れる前に侯爵の屋敷へとたどり着いた。出迎えた侯爵の態度は普通で、どうぞゆっくりとお過ごし下さいと挨拶してくれる。
これだけみれば何も知らないようにも思えるけど、僕のルキノの部屋が見たいという言葉に僅かばかりに眉が寄せられ、そして了承したので、事情は把握しているのだろうね。そして諦めてもいる。
案内されたルキノの部屋は、綺麗に整頓されていた。ただし、本棚にはグラードが言ったように怪しげな本が沢山入っていたけど。
『やっぱりだ。ヒヒヒ、ルキノから匂いがしない理由はなぁ、あいつは転生者でもなんでもないからだ。ただし、ルキノの一部がこっちの世界と少し繋がっちまったのだろう』
どういう事だとカラに訊ねれば、意識の一部だけがカラのいた世界と繋がり、ゲームの知識の断片のようなものがルキノに流れ込んだとの事。これは本人のタマシイが押し出されて別の誰かが入り込むという現象と違い、気配は残らないのだそうだ。ようは誰も行けないような場所の図書館で、すごい知識の詰まった本を読んで覚えてきただけって事か。
『まあそれくらいなら、何の問題もないだろうな。人に言ったところで、信じて貰えないだろうし。ヒヒヒ、ただこいつは幸か不幸か、ルキノ・バルバードだったって事だ』
自分の名前が出てきた為、より強く知識を得たいと考えたのだろう。そして流れ込んできた記憶は、精霊のしわざだと思った。この勘違いがルキノをさらに暴走させ、あやしい精霊召喚術を行った。
『ルキノからは感じなかったが、この場所にはちゃあんと感じるぜ。同胞の気配をよぉ』
意識がカラのいた世界に繋がっていた為、ルキノは精霊を呼び出そうとしてカラの同胞の悪魔を呼び出してしまった。カラという存在がいる為、悪魔達がいる場所からこの世界は前より繋がりやすくなっている。その為、カラのようにこの世界でタマシイを頂こうと考える物好きも少しは居るらしい。ルキノの呼びかけに応えた悪魔は召喚に応じ、彼に取り憑いたのだという。
それならカラには気付かなかったのだろうか。
『俺様は可愛いレオナルドにぴったりくっついてしまってるし、気配はほぼこの世界の住人と変わらなくなってるぜ。まあこれは、お前の願い事を叶えたおまけみたいなものだ。ヒヒヒ、そして制約がなくなった今、俺様が分かるのは同じ世界から来た人間の匂いくらいで、上手い具合に隠れた同族を見つけられるわけがない』
悪魔は僕達人間がいる世界とほんの少しズレた境界線上に住んでいて、そこから出るには様々な制約が課せられるのだそうだ。タマシイをもらう為にそんな制約は面倒ではないのかと聞けば、暇潰しにちょうど良いと言われた。それを楽しんでこそ上級悪魔だとも。
ルキノからは転生した人間の匂いもなく、この悪魔が召喚された場所に来なければ、気配も感じられなかったらしい。向こうにもカラのような存在がいるのなら、慎重にならなければいけないだろうか。
『さてなぁ。呼び出した悪魔にもよるさ。ヒヒヒ、普通なら悪魔の名前を知る事によって、召喚して支配するってのがセオリーだが、ルキノが出来たわけはない。レオナルドが俺様を呼び出せたのは、偶然が重なっての出来事さ。だがどんな偶然でも、俺様は呼び出された相手の願いを三つ叶えるという制約がある』
その制約によって、カラは万物を操る力を持っていた。ただ僕の願い事によってその制約は失われたため、力もほぼない状態になっている。まあタマシイだとかそういうの、食べてるけどね。普通は契約した人間以外は食べちゃだめなのだそうだけど、そういう事に目を光らせている面倒くさい存在がこの世界にはまだいないから、つまみ食いをして怒られない範囲でやっているとの事だ。
『俺様と同じくらいに来たのなら、この世界の事も熟知しているかもなぁ。ヒヒヒ、ただルキノがどんな願いをしたかによるな』
どんな願いを、か。
僕がカラに願った三つの望み。
そのうちの一つが、『僕を愛して』だ。
だからカラは僕を愛してくれた。僕の望むように、父のように母のように、兄であり姉であり弟で妹だった。そして親友で恋人で、誰よりも一番側にいる大事な存在となった。
カラから聞いたけど、悪魔は人を愛すると、報酬として受け取るタマシイをその愛で殺して奪う事も出来ず、愛した人間の願いなら何でも叶えてしまうそうだ。永遠の隷属とも言えるその言葉は、悪魔の間では禁句なのだ。だからこそ、それを知っている人間の呼びかけには応えない。僕はカラを呼んだわけじゃなく、鏡の隙間を移動するカラを偶然に捕らえてしまったから、カラはまさか禁句を言うとは思ってもみなかったと笑っていた。
ルキノも同じ願い事をしたのだろうか。でもルキノの場合、家族仲は悪くないし孤独でもない。幼い頃から領民にも慕われているし、命を狙われるような立場でもなかった。
『ヒヒヒ、ルキノが願うなら、自分のこの記憶は何だという問いだろうなぁ』
願いの内容を知りたいな。
そうなると協力をお願いしなければならなくなるけど。
もしカラがルキノの前に、姿を変化させて出たとして、はたして悪魔だとバレるのかどうか。
『ルキノに取り憑いている悪魔の実力次第だなぁ。俺様もまだ、この世界の精霊なんぞに会ったことないから、気配もほぼない俺様だとしたら、人間ではない何かとしか認識出来ないかもなぁ』
そうしたらリリーディアを守ることは可能だろうか。まあカラの場合、虚像みたいなものだと前言っていたので、強力な攻撃でも来たら無理かもしれないけど。
『ヒヒヒ、向こうも同じ条件かもしれないぞ。リリーディアの命を奪うって願いをしてたらどうしようもないが、そうでなければ制約の下でしか力は使えない』
その為に向こうもカラに気付いていないのだろうし、ここにいる家族を生かしているのだろうよと、カラが言った。何故と聞けば、こいつらは自身の存在が居ることを匂わす、いわばルキノにとって邪魔な存在だ。だがそれを、ルキノに取り憑いている悪魔が素直に教えるかは疑問なのだ。
悪魔は嘘をつかないが、本当の事を話すのをしない。言葉を良く聞かなければ、騙されタマシイを奪われる。ルキノはもしかしたら、悪魔を精霊の一種だと勘違いしている可能性がある。僕だってカラから説明を受けなければ、精霊か何かだろうと思っていたもの。
『元々は似たようなものだがな。ヒヒヒ、俺様達はどこかの良き者たちの裏側さ。光があれば影があり、善があれば悪になる。どこかの正義はどこかの悪事だ。俺様を救世主と崇める奴もいれば、詐欺師だと罵る奴もいる。受け取る人間によって、変わっていくんだぜ。ヒヒヒ、だから精霊なのかと聞かれたら、そのようなものだって言うだろうなぁ』
そんな精霊が自分に憑いているとなれば、行動も大胆になるだろう。ルキノは何らかの目的を持って動いている事は確かだね。その目的ってのがよくわからないんだけどと、頭を悩ませていると、一緒に部屋の中を見て回っていたヘルゲが、僕の事を呼んだ。




