03
悪魔とは神への反逆者。神がいるからこそ彼らは存在する。
神と悪魔の存在を知っている、かの世界の住人がこの世界に転生しているからこそ。カラの様な悪魔がこの世界にやってくる事が出来たそうだ。
「光があると影が出来る。神がいるなら悪魔もいる。ヒヒヒ、都合の良い神様がいるなら、都合の良い悪魔もいるんだよ」
カラは馬車の中で笑いながら元いた世界の事を話してくれた。
それに、僕が出ているゲームの話もだ。
ゲームのタイトルは知らないけれど、内容は女から聞き出したので知っている。
男爵家の隠し子であるヒロインの母親が死んだ後、身寄りのない彼女は父親に引き取られ、そうして学園に入学する所で話が始まる。
そこで出会うのは、魅力的な男性五人。
彼らと共に様々なことを経験し、成長していく。そして最後に五人のうちの誰かと結ばれてハッピーエンド。
女の子が好きそうな話だなと、僕は正直な感想を持った。王子様に見初められて幸せに暮らしました、というのは女の子が憧れるストーリーなのだから。
もっとも現実で、王子様に見初められて幸せに暮らせるかなんてわからないけれど。
そんなヒロインの邪魔をするのは、王子の婚約者ルチアーナで、数々の卑劣な策謀を巡らせてくるらしい。結局最後に悪事がバレて、デッドエンドなんだけど。まあ僕の婚約者のルチアーナは、僕に見捨てられて処刑されると思い込んでいるから、ヒロインの邪魔なんてしないのかもしれない。
カラの話によると、いまのところ僕はゲーム通りなのだそうだ。
ルチアーナに興味を持たず、勉強や剣術の稽古に身が入っていない。学園に入れば優等生と呼ばれる程度には学業に専念するのだが、やっぱりどこか空虚を抱えたままなのだそう。
確かに僕は、ルチアーナに恋愛的な興味を持っていない。けれどカラという存在がいるから、少し違う。そしてカラのおかげで、勉強や剣術の稽古をしないのに理由があり、母が死んだあと閉じこもっていたことも国のトップ公認の理由があった。
でもルチアーナは知らない。
だからこそ、そのゲームに出てくる他のキャラクターとは必死に交友関係を築いている。
僕がダメだった場合に備えて。
きっと僕を排除した未来を想定しているのだろうね。僕が入学してから一年は特にゲームに記述もないからか、ルチアーナが関わってくる事はほぼないだろう。きっと彼女は、自身の実家の力を増すため、あれやこれやと忙しい筈だ。
少しルチアーナの事を考える。
ルチアーナ・ソナリス。
大公家の一人娘で、幼い頃から聡明であり、僕レオナルドの婚約者として、将来王妃になるべく厳しい教育を受けてきた少女。
可愛いというよりは美しいと称される美貌で、冷たい印象を与えがちではあるが、平民も貴族も分け隔てなく慈愛を注ぎ、その優しさに大公領の者は皆、女神のごとく心酔している。国への忠誠心はもはや素晴らしいと褒め称える以外になく、貴族としての立ち居振る舞いは、誰もが模範にするべきものだった。
そして僕とは政略結婚であるにも関わらず、友好的な関係を保っていると、王宮では評判だ。
大公家の領地で、彼女は聡明さを発揮して新しい商売をして、美容に関する商品を開発し、服のデザインまで手掛ける。
それだけ聞けば、なんて才女なんだって思うかもしれないが、彼女がそういった事に興味を示しだしたのは三歳。勉強を始めたのは四歳で、五歳の頃には魔法を操って見せたそうだ。
この国の常識に照らし合わせると、とても異常な事だ。たいてい勉強は六歳からで、魔法は十歳にならなければ扱ってはいけない。
これは幼い子供だと感情が爆発しやすい。魔法の効果は感情に左右されることがあるのだ。子供に魔法を教えたら、ただの喧嘩が凄惨な殺人現場になりかねないからである。
でもあまり異常と見られなかったのは、ジェラルド兄様が六歳くらいの時に聡明さを教師達に見せ、魔法を使い始めたからだ。少しばかり幼いけれど、王家に連なる者には才能があるのだと、周りの人間は喜んだ。
だから普通のスピードで勉強をして魔法を学ぶ僕が、バカ王子なんて裏で言われるのだろうけど。
初めてルチアーナに会ったとき、彼女は僕を見て驚いた顔をした。そしてじっくり観察するように見つめて、最後にとても嫌そうに席を立っていった。まるで婚約するのが嫌だというように。
僕はまだ八歳で、貴族の政略結婚の意味がわかってなかった。
だって僕がその頃知っていた結婚というものは、周りから祝福されて、自分も相手も幸せになれるものだと思っていたのだもの。
王宮に働きにきていた年若い侍女が結婚する時、彼女はとても幸せそうだったし、侍女の夫になる兵士も周りから祝福されて嬉しそうだった。
それを見ていた僕は、結婚を前提とした婚約というのはとっても嬉しい事で。僕もあの兵士のように周りから祝福されて、侍女が兵士に向けたような優しい笑顔を、ルチアーナから貰えるんだとばかり思っていたのだ。
現実はまったく違ったわけだ。
あんな態度をとったルチアーナだけれど、親同士が決めた結婚には逆らえなかったようだ。そして時折、僕に会いに王宮にやってくるようになった。
僕の周りには同い年くらいの子供があまりいなくて、ルチアーナが来ると聞いて嬉しかったのを覚えてる。
すぐに恐怖にかわったけれど。
僕の母様はあの女に乗っ取られてしまっていたから、ルチアーナに会う僕に厳しく詰め寄ったのだ。けっして彼女を傷つけるな、酷いことをするな、不快にするなと。
子供同士が会うと言っても周りには人がいる。
だから滅多なことは起きない筈なのに、なぜかルチアーナは侍女がするような事をしたがって、小さな体でお茶を入れたりしようとする。それでカップを落としたりしするとびっくりして泣き出して、彼女が帰った後であの女に折檻されるようになった。いわく、淑女の失敗をフォローできないなんて男の風上にも置けない、だそうだ。
一体、八歳の子供になにを求めていたのだろうね、あの女は。
まあいい。だから僕はルチアーナに会いたくなくなって部屋に閉じこもるようになったけれど、彼女はそれでも王宮にやってきた。僕が会わない間、ジェラルド兄様と二人きりで僕と一緒にいるよりとても楽しそうに笑って過ごしていた。僕が分からない、経済や政治の話をしながら。
今になって思えば、それは幼い子供の話す内容じゃない。もし僕の目の前にそんな子供が現れたら、気持ちが悪いと思ってしまうだろう。
僕と婚約者になる前から、ルチアーナはジェラルド兄様とは顔見知りだったらしいから、仲が良いのはわかるけれど。
しかしそれにしたって、婚約者に会いに来るという理由があるのに、ジェラルド兄様に夢中っていうのはどうなんだろう。
まあルチアーナは僕より、優秀なジェラルドと縁を持つ事が目的だったようだ。ジェラルドはルチアーナの聡明さを気に入って、自身の公務に関係するからと、二人は頻繁に書状をやりとりするようになった。
それから彼女はやたらと王宮に来ては、この国の宰相の息子や騎士の息子と交友関係を持ち始めた。
どの子供もこの国の将来を担う人材で、重要人物だ。
彼女は気付いていないようだが、一部の貴族の子女からはとても嫌われている。親しい令嬢の友人もおらず、将来政治に関わる人物とばかり交友関係を持つ、その浅ましさを厭われているのだ。
口さがない貴族は、大公殿下が国の政治を動かすつもりだろうと言っていた。王位を狙っているとも。
ルチアーナの祖母は僕の祖母の妹で、溺愛され大公領を貰ったほどだ。だから王宮内で彼女の影響力ははかりしれないし、その孫であるルチアーナを支持する派閥が出来上がり、王家よりも大公家に心酔する臣下まで現れている。
本来なら彼女は、自身の派閥を持つべきじゃない。
いやあっても良いけどやり過ぎなのだ。王妃になるのなら後ろ盾以外にも懇意にする貴族はいた方がいいが、それでも王をないがしろにする動きがあるのは頂けない。
そんな事をしては、大公が反逆を企ててるなんて思われ陥れられてしまうのだから。
これが生まれ持った天才のルチアーナなら仕方ないが、いまのルチアーナは違う。母様の様にカラの世界の人間が乗り移ったか、生まれてくる前にルチアーナのタマシイというものと入れ替わったのかは知らないが、中身は大人だ。
見た目にだまされそうになるが、打算に塗れた人間なのだ。
それなら少しは自身の立場の危うさをわかる筈なのに、彼女の頭の中では、僕に婚約破棄され処刑される未来しかないと思い込んでいるようだ。もし僕がたとえそのヒロインという子を好きになったとしても、よっぽどじゃなければ婚約破棄なんてするわけないのに。
もしかしたらゲームの中のルチアーナも、いまと同じように影響力がありすぎて、王妃になるのに不都合が生じたからこそ、実家ごと失脚させたのかもしれない。
大公家の力は増しすぎて、潰して切り捨てるか悩み所である。
大公家は商売で得た利益や特権をすべて王家に献上しているのだ。だがその行動がさらに、ルチアーナ派の人間が心酔する原因にもなっているのだ。
まあゲーム通りルチアーナを実家とともに切り捨てるのは、危険過ぎるだろうし、今までの事を考えればもう少し何かしてやりたくなる。
カラが言うには、予定通り動かないと混乱し裏を探すが、それが突飛であればあるほど、彼らは信じるだろうとの事だ。
「それにしても、よくそんなに知ってるね」
「悪魔は人の心の隙間に入り込んで絶望させるんだ、人間の物事に詳しくもなるさ。…まあ、ゲームの知識は女を食ったからな。ヒヒヒ、幾らでも教えてやれるぜ」
ニヤリと笑うカラは、今日は青年の姿だった。
執事の着る服を身につけ、赤い髪は綺麗に一つに束ねられている。目元の黒子は涼しげで、引き締まった体は、男の僕であっても綺麗だと思ってしまうのだ。
この姿なら同じ馬車に乗っていてもおかしくないだろうとカラは言うけれど、学園に従者は連れて行けないのだから馬車に乗っている時点でおかしい。そもそもカラの事を誰も知らないのだから、姿が他の人に見られるのはどうなのだろうか。
「なあに、こういうのは気分だぜ。王子様が馬車の中で一人で喋っててみろよ、狂人にしか見えねえしな。可愛いレオナルドがそんな事になるのは、見過ごせないなぁ」
女性の時とは違う低い声だが、甘く囁いてくるのは変わらない。
「普段はお前の肩に乗っててやるよ。俺様はお前の味方だからな。お前の大事な友達。お前の大事な恋人。母であり、父である。それが俺様、ヒヒヒ」
指先がくすぐるように僕の頬をなでた。
「今日から学校が始まるなぁ。それでレオ、お前はどうする?」
どうするとはと首を傾げれば、カラは隣に座って手を伸ばしてきた。
「ルチアーナ嬢の活躍で、あいつらの知ってる物語はもうすでにない。なんていってもこの俺様がいるんだからなぁ。けれどレオ、お前はお前のままさ」
「……表面的には優等生な王子様。けれど優秀な兄と婚約者にコンプレックスを持っていて、王様にならず自由になりたいと思ってる」
「そう、言葉にすればそれだけ。でもお前は、俺様の可愛いレオナルドになった。愛しいレオナルド、お前は王様にならないのか?」
少し考えて、カラの金色の目を見つめて僕は言った。
「王様になるよ。なんていっても僕は王太子だもの。それに…」
隣に座るカラに身を寄せる。この体は偽りで本物じゃないというのに、ここに間違いなく居てちゃんと熱がある。その温かさに目を細めると、僕はカラに言葉の続きをちゃんと言った。
「この国を、僕とカラの過ごしやすいものにしたいな」
「ヒヒヒ、そうかそうか。それじゃあ頑張って、楽しくたのしく過ごそうじゃないか」
カラは悪魔だから、人が堕ちていく様を見るのが大好きなのだ。
愛憎渦巻く宮廷をもっともっとドロドロにして、混沌としたものにしたい。悪魔には禁忌がないし、むしろ人が禁忌だと思うことをそれでもなお破ろうとする時の葛藤が、悪魔には何よりの美酒なのだそうだ。
悪魔のカラは愛だとか正義だとかを否定しない。それがあるからこそ、憎しみ妬み苦しみ絶望するという悪魔にとってとっても過ごしやすい環境になるのだそうだ。光がなければ影が存在できないのだからと、カラは言う。
「人は正しく善きものが大好きだ。でもなぁ、正しくない悪いものに惹かれるのさ」
なんでと訊ねれば、カラはその美しい顔に満面の笑みを浮かべて言った。
「…悪いものは甘美なんだぜ」
そう言って、カラは僕に口付けをした。ふれるだけのものじゃなく、口の隙間から熱く濡れた舌先が入り込んできた。口の中を弄られ、ぞわりと背中が粟立つ。離れようとするが、背中に回されたカラの手がそれを許さない。飲み込みきれなかった唾液が口の端からもれ、唇を離したカラの舌がそれをべろりと舐めた。
深い口付けに、僕の体から力は抜けている。カラは笑ったまま、馬車の座席に僕を押し倒した。
「学校まではまだ掛かるだろう。楽しいこと、しようじゃないか、ヒヒヒ」
王家の紋章の入った馬車が、街道を走る。
馬車の中には王子様。その周りには護衛が。
けれど人ならざる者もそこにいるなんて、誰も気付かなかった。