25
週末になったので、僕とアンナとリリーディア、そしてカルロとアルバーノの五人で男爵の屋敷に押しかけた。さてその結果はというとだ。
「え、えええ!?」
リリーディアが混乱の声をあげている。展開について行けてないのは、一緒に屋敷の前に立ち尽くす母親のエルマもだろう。二人がいるのは、この国の宰相ピエトロの屋敷にある、東の別邸だった。ここにいたルキノ達は、親類で病気の者が出て養生に使うのでと言って追い出した。同じ貴族街の屋敷を紹介したので、ごねられることもなくすんなりとだ。ちなみに紹介元はアンナの父である。
何故二人がここにいるかというとだ。バレージ男爵との離婚はかなり面倒な事になるので、エルマはバレージ男爵夫人という身分のまま、宰相の愛人としてここに住むことになったのだ。バレージ男爵が死ぬまで、宰相はエルマを愛人として囲い、それなりの金を男爵に支払う契約をした。
エルマはリリーディアの母親なだけあって、とても美しい。ルキノが持ってきていた食料品で、ふくよかな体型が維持されていただけ。
下働きとして働いていた結果、痩せて男爵の目に止まる事になったわけだ。そんなエルマが男爵夫人として僕達に会い、そして話を聞いた宰相が目を付けても、なんら不自然じゃない。
それにバレージ男爵には借金がものすごくあるので、エルマが愛人として召し上げられて、その代わりに貰える金はとてつもなく有難い。話を持ちかけたとき難色を示したが、提示された金額の大きさに飛びついてくれた。まあ借金の取り立てが厳しくなったのもあるのだけどね。
それでエルマはこうして、宰相の別宅にやってきたわけである。
「最初に話した通り、愛人という事になっているので、色々な噂が付きまとうでしょう。だが招待されようともパーティなどには出なくても良いし、必要な物があれば用意しましょう。手慰みに色々とやってみるのも良いし、何でも気軽に言って下さい」
宰相の言葉に、エルマとリリーディアはただただ頭を下げるばかりだ。どうしてここまでしてくれるのかと、エルマが訊ねている。愛人とはいうものの、体の関係は一切要求していない。リリーディアと知り合いだからとはいえ、ここまでする義務はないだろう。ましてや宰相は、面識すらないのだから。
「そこは僕が説明します。実は宰相は以前から、再婚をしないかと勧められていまして。僕がアルバーノと友人であることから、そちらからも話を持ってこようとして、辟易してました。…宰相は、病気で亡くなった妻を深く想っている事は、よくわかっていましたので。出来れば再婚を勧めたくなかったんです」
「それで、レオナルド様に相談していたところ、ちょうど息子のアルバーノがリリーディア嬢の話をしてくれまして。新興貴族の横暴さは、私達も歯痒く思っていました。それで利用するようで申し訳なかったのですが、貴方が愛人となれば再婚の話は来なくなりますし、困っている婦人に手を貸せる絶好の機会でしたから」
宰相の言葉に、エルマはそれでもとても有難いですと涙を浮かべている。私も亡くなった夫をいまだ想っているのでと、肩を震わせた。
バレージ男爵の屋敷に押しかけたとき、リリーディアにはエルマの様子を見るようにとお願いをしていた。母に会えて嬉しさで抱きついたリリーディアに、エルマは小さく呻いたという。よく見れば手首に痣があり、それに気付いたリリーディアはバレージ男爵に詰め寄りそうになる衝動をなんとか抑えたと、後でアンナに悔しさを滲ませながら話していた。
屋敷に閉じ込められて何をされていたかなんて、明白だ。それから解放されるならと、だからこそエルマも愛人の話に乗り気だったのだ。
「……私はてっきり、レオさんがこう、悪事を暴いてお母さんを助けてくれるのかと思ってました」
ようやく事態を飲み込めたらしいリリーディアが、ぼそりと呟いた。五人で屋敷に押しかけたとき、リリーディアとエルマは話はしたものの、僕達があっさりと引き下がって帰ったことに拍子抜けしていたようだった。そしてそれから数日でこの別邸にやってきたわけだけど。
「いやいくら王子だからってきちんと手続きしてある相手を、お前が悪いなんて言って離婚させて、バレージ男爵を潰すなんて出来ないからね? そんな事したら、法律がある意味がなくなっちゃうよ」
正義を振りかざすには、明確な罪が必要なのだから。バレージ男爵はエルマと強引に結婚したけど、書類は正式なもので不備がない。そして申し立てをするにも、エルマにはその知識もなく、脅された事によってきちんと証言するかなど怪しいのだ。もし娘の事を盾にされたら、エルマは同意の上での結婚だと、我が身を差し出す覚悟で言い出すだろうから、それならいっそ離婚などさせずに、バレージ男爵と引き離すのが手っ取り早く確実だった。
それにきっとバレージ男爵は、貰える金額の多さから酒量が増えるだろうし、強い酒を好んで飲むようになるから、そんなに長くは生きないだろう。
うん、何も問題はないね。まあこの事はリリーディアには言わなかったけど、何かを感じたのか肩を震わせて寒気がすると言っている。アンナさんに後で聞いてみますと、リリーディアは笑顔で僕に言った。おや、段々とアンナに似た反応になってきたね、リリーディア。
「それで私はどうなるのでしょう。まだ、バレージ男爵の養女ですよね?」
「うん、そうだね。外出届けは一人で出せるようになったから、いつでもここに帰ってこられるし、学園に通い続けていたら? 覚えが良いから、半年後からは講義を受けてもついて行けると思うよ。専門的な講義は無理かもだけど、必修とかになってる一般教養なら大丈夫じゃないかな。もしこの先、学園を辞めた後でも、役に立つだろうし」
学園を卒業すれば働き口は沢山あるよと言えば、リリーディアの目が輝いた。お金を稼いでお母さんを楽させたいし、皆さんに少しでも恩返しがしたいと意気込んでいるので、きっと覚えも早いだろう。
「あ、でも先生が、一年目から留年しますよって言ってましたけど…」
「必修の講義に出てないからね。一応、補習制度もあるから、半年後にもう一度講義を申し込みするとき、ギチギチに詰め込めば留年しないんじゃないかな。まあでも、様々な理由で学園を休みがちになる貴族はいるから、留年もそうめずらしい事じゃないよ」
「が、頑張ります」
リリーディアは同じ学年のアルバーノに頭を下げて、勉強に役立つ本を借りていた。アルバーノはあれで面倒見が良いので、父親が助けた人達という加護すべきカテゴリにはいったリリーディアに対して、当たりは柔らかい。貴族の問題児と言われていたが、話を聞けば貴族の横暴に泣かされた庶民だったので、同情的なものもあるのだろう。
さらには宰相が、自分の家族はこの子達だけですからとアルバーノの前で言ったので、自分が脅かされる事はないと思えたからかもしれない。まあなんにせよ、仲が良いのはいいことだね。
「そうだアルバーノ。今度、魔法道具製作に詳しい帝国出身の友人の屋敷に招待されているんだけど、一緒に行かないかい? ああ、あの赤毛の友達も君に会いたいと言っていたのだよ」
留学出来なくなったのだからこれくらいはと言えば、アルバーノは迷いながら父親である宰相の顔を見上げている。アルバーノが子供の頃に、マナーがなっていないと叱ったせいでトラウマになっているからだろう。宰相はせっかくだから行ってきたらどうだと言ったので、アルバーノはそれなら是非と了承した。僕が宰相の方をみれば、しっかりと目が合ったので、笑顔を返しておく。
ゴットハルトは非公式とはいえ王太子なので、着いてきている護衛の中には医学に長けている者もいる。話は通しておいたから、近々アルバーノの体を診察してもらえるだろう。それが宰相の願いだったし、僕はちゃんと約束は守る人間だから。
母親の憂いもなくなったリリーディアは、学園での生活を楽しむようになった。とはいっても、やはりアンナにべったりで勉強や礼儀作法を教わっており、講義の申し込みが行われる半年後までに覚えなければならないことを、必死に学んでいた。
本来なら子供の頃から少しずつ覚える内容だから、半年でどれくらい出来るかはわからないけど、意気込みは素晴らしい。なのでこの意気込みを維持していれば、三年後くらいにはそれなりの成績になりそうだ。
アンナという優秀な家庭教師に、僕やアルバーノやカルロといった面々も加わっているので、リリーディアの勉強に死角はない。魔法についても、アルバーノやカルロが教えていたので、生活魔法ではなく攻撃魔法を扱う事が出来るようになっていた。ちなみにカルロが教えるときは、ブリジットとラニエロとアンナが同席しているので、練習場の空気は凍てついている。ラニエロはアンナがいるから同席を断っていたが、カルロが無理矢理引っ張ってきている。アンナはアンナで、リリーディアを一人にさせられないと、ラニエロが居ても我慢して着いてきている。それ故にあり得ないほどの緊張感の中での練習の為、リリーディアは一度でも失敗はできない一度聞いたら総てを覚えなければと、青い顔をして頭を抱えて呟いていた。
アルバーノの時はまだそんな凍てついた空気はないのだが、練習場で教えているとたいてい、ジャンカルロやルチアーナが用事があるといって呼びにくるので、中断する事が多かった。その為、座学の方を教える事にしたようだ。
僕は僕で、アンナと一緒にリリーディアの勉強をラウンジで見たり、一緒に食事をしたりしていた。
そうしているうちに、学園内に噂が流れ始める。
一人の男爵令嬢を取り合っている間抜けな男共の噂がだ。
騎士団長の息子、宰相の息子、そしてこの国の王子。国の未来を担う若者が、たった一人の男爵令嬢に振り回されているなんて嘆かわしいと、そういった噂だった。
僕もカルロもアルバーノも、リリーディアを取り合ってはいない。僕はむしろアンナと一緒にいる事の方が多いし、カルロは鍛錬場にいるかブリジットの機嫌を取って鬱憤を晴らしているかで、本当にほんの少しの空いた時間にリリーディアに教えているだけで、アルバーノに至っては通りすがりに本を渡して二言三言話す程度だ。
一体だれが、こんな噂を流すのだろう。
「まったく困ったことになったね」
「……困った顔で言って下さらないと、説得力がありませんよ、レオさん。まあ噂のでどころは、一年目の女生徒でしょうけれど」
私達がラウンジにいる姿を、わざわざ遠くから観察しているようですからと、アンナが言った。一年目の女生徒達は完全にリリーディアを敵と見なしたのだろう。リリーディア自身、入学当初のアレで問題児扱いされている。それ故に彼女たちに近づかないので、溝はどんどん深まるばかりなのだろう。
「リリーディアさんの事、放っておくのですか?」
「助けを求められてないしね。気にしてないのなら、良いんじゃないかな。……必修科目の合同のものは、遣りづらいだろうけど」
「嗤った人間の顔を覚えておけば、あとで有利になりますよと教えてあるので、大丈夫だと思うのですけど心配です」
アンナはリリーディアをどういう方向に持って行きたいのか、気になる所だけど。それより気になることがある。
カラからそろそろ、ゲームのイベントの時期だと教えてもらっていたのだ。
学園にヒロインが入学して半年に満たない時期に、演習で事件が起こるのだそうだ。事件というか、普通は現れない魔物が現れて、生徒がパニックに陥る。そこをヒロインが率先して生徒達を助け、攻略キャラ達の目にとまるのだそうだ。
といってもリリーディアは、ジャンカルロを除けば攻略キャラとは知り合いになっている。ジャンカルロは一方的にリリーディアの事を知っているだろうから、やはり目にとまるとかそういう事はない。
でも何かしらあるのだろう。
最近、ルチアーナが頻繁に王宮と大公領に通い出したのだ。ルチアーナの祖母も王宮にめずらしく顔を出しているらしく、僕の父様と何やら話をしているようだ。ルチアーナの祖母は、僕の祖母の妹であるため、甥にあたる父様に強気な態度で接している。僕の祖母は亡くなったけど、ルチアーナの祖母は健在で、いまだに彼女を慕う者は多い。なんでも社交界の氷の華だとか言われたお姫様だったらしい。
ルチアーナの祖母が何でと思っていると、父様から直々に呼び出しを受けた。
『ヒヒヒ、可愛いレオナルド。俺様がお前の父であり母であり、友人で恋人だ。だから安心して、いっておいで』
カラが影を揺らして飛び跳ねる。大丈夫だと僕に言い聞かせるように、何度もだ。カラがいるから僕は、きっと大丈夫。大丈夫な筈だ。父様と二人で顔を合わせるのは嫌だなと想いながらも、僕は仕方なく執務室を訪ねた。
やはりというか、普段はいる政務官の姿もなく、従者もいない。室内には僕と父様だけで、書類に向けていた視線をこちらに向けてきた。椅子に座れと言われ、大人しく机の前に置いてある椅子に腰掛ける。ああいやだ、ここには一人で居たくない。
「最近、色々と好きに動いているようだが。少し、やり過ぎではないかという声があった」
「……毎日、学園で真面目に勉学に励んでいます。友人も出来て楽しく過ごしていますが、品位を落とすような真似は一切していません」
僕の言葉に、父はそうかと大して興味なさそうに返した。そうして、叔母上が来たとルチアーナの祖母の来訪の理由を告げた。なんでもルチアーナが学園の状況を嘆いているらしく、祖母がそれを心配して様子を探ったのだそうだ。そこでわかったのが、僕達三人が男爵令嬢を取り合って追いかけ回している現状で、婚約者がいる身でありながらなんてことをと激怒したらしい。それで父に文句を言いにやってきたというわけだ、ルチアーナの祖母は。
「確かに男爵令嬢のリリーディアと友人関係でありますが、そもそもリリーディアは庶民です。彼女が街の菓子屋で売り子の手伝いをしている時からの、知り合いなので。仲が良いのはアンナの方ですよ」
「そうは言っても、向こうはお前に怒っているのだ。少しは折れるべきだろう。……大公領は豊かで、独自の方法で農地を拡大している。ルチアーナを蔑ろにすると、その恩恵を受けることが出来なくなるのだ。少しは気を遣え、レオナルド。彼女はこの国になくてはならない人物なのだからな」
「それはわかっています」
「なら謝罪の一つでもしてくるといい。お前の婚約者なのだ、プレゼントの一つでも贈れ」
僕がわかりましたと言えば、父はちゃんとやるのだぞと念を押してから、退室を命じた。これからあまり男爵家の娘に関わるのはよせという言葉と共にだ。
執務室を出て、廊下を足早に通り過ぎて王宮内の自室に戻った。
ベッドに倒れ込むと、カラが女の姿になって側に寄り添ってくれた。優しく髪をなぞる手が気持ち良い。
せっかく僕にも気軽に話せる人達が出来たというのに、その関わりをよせといわれるなんて。まったく詰まらない。
僕は子供の頃からこんなふうに、自由がない。それを嘆くと、僕の我が儘だと責められた。だから僕は嘆いたりしないし、悲しんだりもしない。そんな事をすればもっと責められたからだ。
子供の頃は、カラが慰めてくれた。いまも同じで、優しく僕を労ってくれている。
父様は僕の事が嫌いでもないけど好きでもない、ただ無関心なだけで。自分の政務の邪魔をしなければ良いと、そう思っているだろう。だから僕が何かしてても、何もいってこないし、少しでも邪魔になりそうであれば、こうして言ってくるのだ。ルチアーナの祖母の影響力と、大公領の豊かさは、このさきもこの国を治めていくには必要な物だ。だからそれを失いかねない僕の行動を、父は窘めた。
もし無視して男爵令嬢と付き合い続ければ、きっと父は僕をどうにかしてくるだろう。
そうだな、最悪な結果を考えると、僕がリリーディアに夢中になるように唆して、ルチアーナと婚約破棄を言い出すとする。婚約を決めたのは父と大公だから、お互いの面目を潰してなんて事をと激怒し、僕を廃嫡にするとかあり得そうだな。大公領の豊かさを手に入れるためには、僕なんて切り捨てるだろうね。
だって父様が本当に大事なのは、愛した公妾との間にできたジェラルド兄様なのだから。
いくら公妾の願いだからといって、とっくに成人している兄様をいつまでも王宮に住まわせるのなんておかしい。普通なら結婚でもさせてとっとと家臣にして、僕が王太子になり王となるのを支えるようにするだろう。それが一番、下手に国を割らずにすむ方法だ。父様ならそれくらい分かっている筈なのに、それをしない。
父様はジェラルド兄様に王位を渡したいのだろう。でも公妾の子だからできない。なら、出来る方法を考えているのかもしれない。父様ならきっと考えつくだろう、ジェラルド兄様が王を継ぐ方法をさ。
これはルチアーナと僕の生き残りをかけてのゲームじゃなくて、父様との戦いでもあるのかもしれないな。




