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ルチアーナがお茶会を開いているという一室を訪ねる。ラウンジでやるのではなく、空いているちょっとした教室を借りて行っているあたり、なんとも言えない。カルロやアルバーノはここでのお茶会に誘われた事があるそうだけど、婚約者の僕はルチアーナの不興をかったので誘ってはくれないようだ。不興というのは、リリーディアの事なんだけどね。
僕が声を掛けると、室内にいる女生徒達が何の用だと言わんばかりの視線を向けてくる。どうにもルチアーナの、いや女の敵みたいに思われている。もしリリーディアとの仲を勘違いされているのなら、長年尽くしている婚約者を蔑ろにしている悪い男としか見れないだろうね。いや冷静に考えればそれはカルロも一緒だろうに、まああそこは最近だから年月が違うか。
一番奥にいたルチアーナが、何のご用ですかとにこやかだけど冷たい声色で聞いてきた。アンナの事なんだけどと、ルチアーナに切り出す。
「アンナ…、もしかして先ほどお茶会に誘った方ですか? レオナルドが学園でどう過ごしているか気になって、ちょっとお話を聞きたいと思いましたの。それにリリーディアさんとも親しいようですし、何かと大変ではないかと思いまして」
「そう、気遣いありがとう。アンナさんにもその気持ちを伝えておくよ。彼女は一年目の時から講義で一緒になってね、親しくしているんだ。…ねえ、ルチアーナ。君は少し勘違いしているようだから、話しておくけど」
なんでしょうと、キッと僕を見つめてきた。周りの生徒も聞き耳を立てている。まあ気になるだろうけどさ。
「リリーディアさんとは、彼女が学園に入る前からの知り合いなんだよ。それに僕よりアンナさんの方が親しくしていたんだ。ちょっと事情があって学園に入学したので、貴族一般の礼儀作法が出来ていない。本人も学園を退学することを望んでいるのだけど、手続きはすぐ出来るものじゃなくて、彼女の親にも問題があってね。もう少しの間、この学園で生活するしかないんだ」
「……それは、本当ですの?」
「嘘なんてつく必要ないだろう、ルチアーナ。リリーディアさんがカルロを探していたのだって、アンナさんとカルロと僕が一緒に居た時にリリーディアさんに会ったことがあるから、それでアンナさんと会いたいということをお願いするつもりだったそうだ。この学園は家名を名乗ったりしないようになっているだろう、だからアンナさんを探せなくて困り果ててて、それで顔を覚えているカルロを頼ろうとしただけだよ」
僕の言葉に、ルチアーナは何かを考えているようだった。僕の言葉を信じるかどうかは、彼女次第。僕は本当の事を言っているからね。
「ではどうして、一緒にお過ごしになっているのですか? 別にレオナルドが二人きりでいなくても…」
「二人きりになった事はないよ。基本的にアンナさんが講義の時に、ラウンジの皆がいる所で勉強を教えているだけだから。僕もアンナも居ないときに、カルロがついているだけだよ。…彼女、入学早々問題児となってしまっただろう、それで他の女生徒から笑われて傷ついてしまってね、一人で居させるのはちょっと…」
それは自業自得でしょうと、ルチアーナは言った。まあリリーディアの事情を知らなければそうだけどね。でもルチアーナもジャンカルロとよく一緒にいる理由を僕に教えてはくれないのだから、お互い様って事にしてほしいな。まあ無理か。
「以前からの知り合いと一緒にいるだけだから。ルチアーナ、君が何を心配しているかわからないけど、リリーディアさんとは何でもないし。アンナさんも無理に付き添っている訳じゃないから、変な勘ぐりはやめてほしい。…君だって、幼馴染みのジャンカルロとの仲を疑われるのは、気持ちの良いものではないだろう」
「私が、…私がジャンカルロと通じているとでも言いたいのですか。…なんという事を…」
ルチアーナが怒りを露わに震えている。もっとも人前だからか、それ以上は取り繕ったようだけど。僕は完全に失言したようで、いつの間にか来ていたジャンカルロがルチアーナを労るように、肩を支えている。だからその行動がいけないのだけど、ジャンカルロの中身が女性だというのなら、わからなくもない。
でもそれを知るのはルチアーナだけだし、普通の婚約者の男としてみれば、目の前でやって良い行動でもないだろうに。何も知らないままの僕だったら、どうしてただろう。きっとルチアーナとはわかり合えないとそう感じて、僕はリリーディアとかに走っていたのかもね。少なくともあの性格は、見ていて癒やされるから。でもこの世界の僕にはカラがいるので、リリーディアに恋して突き進んで彼女を王妃にするなんて事はないけど。
さてそろそろ、ルチアーナに同情する生徒の方が多いこの教室にいるのもあれなので、退散することにしよう。僕が出て行くと、ルチアーナに駆け寄る女生徒が多数。
「ヒヒヒ、レオナルド。お前の失言で、皆ルチアーナに同情的だなぁ」
廊下に出た途端、カラが男子生徒の姿になった。一緒に歩く僕達は、傍目から見れば親しい友人同士に見えるだろう。
「まあね、今頃は僕の悪口言いまくってるんじゃないかな。元々、僕はあまり評判は良くないし」
「そうだなぁ、レオナルド。だから楽しいんだなぁ、レオナルド」
もちろんだともと、僕とカラは笑う。全員から好かれる必要もないし、不満があっても王太子は僕なのだから、普通なら従うだろう。普通ならね。
ルチアーナに同情的な女生徒は、果たしてどこまで彼女に心酔しているのやら。顔は覚えたから、これからも何度か彼女たちのお茶会を覗きに来よう。
「レオナルド様……」
廊下を歩いていると、アルバーノと会った。聞けば、ルチアーナの開くお茶会に呼ばれたそうだ。それにしては乗り気ではなさそうな感じにも見える。以前なら、ルチアーナに呼ばれればそれこそ、隠す様子もなく嬉しそうだったというのにね。
ちらりとカラを見てから、僕の方に話し掛けてきた。
「……あの、少し話をしたいのですが」
アルバーノからのお誘いとはめずらしい。そしてどうやら、カラが居ては話しづらいようだ。カラはいつぞやの貴族の学生のように、明るく僕達を送り出してくれたので、そのお誘いを受けた。アルバーノが背を向けた瞬間に、影に戻って僕の肩にのったけれど。
どこに行くのかと思えば、図書室側の談話室だった。本を借りてグループなどで課題をこなすときに使用するくらいで、飲食などは禁止のため講義以外だと人気はない。人に聞かれたくない話をするならちょうど良いかも知れない。
椅子に座ってアルバーノが話し出すのを待つけど、いっこうに口を開かなかった。切り出して貰うのを待ってるのか、迷っていて言葉に出来ないのか。
「ルチアーナとジャンカルロの事かな、それとも宰相の事?」
アルバーノの体がビクリと震え、顔を上げる。おや図星かなと思っていると、いえそれもあるのですけどと、言い淀んだ。そうして、弟のセルジュの事なんですと続けた。
「弟のセルジュが、お祖父さまの…ライモンディ伯爵家に養子に行くことになりそうなんです。お祖父さまには娘しか産まれなかったし、僕の母も含め皆、結婚してすぐに亡くなっていて……。一番近い血縁でいうと僕とセルジュなので、それは問題ないのですが」
アルバーノが俯いたまま、思わずといったように、本心のようなものが零れた。
「もしセルジュが居なくなったら、父様は屋敷に帰ってこなくなるんじゃと、そう思ってしまって……」
言葉を紡ぐアルバーノからは表情が抜け落ちていて、そして酷くおかしな事を言っているのに、自覚はなさそうだ。
どうしてと理由を訊ねたりしたら、きっと壊れるな。そんな事を考えるのは、これまでの宰相がアルバーノへ向き合わなかった結果だ。愛されていないんだと、心の奥ではそう感じているんだ。
「……あ、いえ、すみません。少し、寂しくなるなと思ってしまって。養子に行ったとしても、付き合いは続けられますよね?」
僕がもちろんだともと言えば、アルバーノはホッとした顔をした。でもと、僕はあえて言葉を続ける。
「ライモンディ伯爵はセルジュの事を溺愛しているけど、宰相の事はあまり気に入ってないようだね。まあライモンディ伯爵は早くに妻を亡くして残った娘達を溺愛していたからね、結婚相手は気にくわないものさ。……その相手に似ているのならなおさら、セルジュに会いに行くのも良い顔はされないだろうね」
ぎゅうと、アルバーノの手が握りしめられた。そんなに強く握ったら、爪が食い込んで血が出てしまうじゃないか。僕は治癒魔法はそれなりにしか出来ないのだから、あまり怪我はさせたくないなぁ。
「父と一緒に過ごしたいと思うのは、おかしいのでしょうか? ……子供の頃から、僕は父が帰ってくるのをずっと待ってました。ずっとです。でも一番最初に顔を見せに行くのはセルジュで、そして一緒に過ごすのもセルジュでした。僕が会いに行っても、仕事が忙しいといって構ってくれなかった……。だからセルジュが養子に行くことに決まって、今度こそ父は僕のところに帰ってきてくれると……」
それが嬉しくて、ルチアーナに話したのだそうだ。
そうしたらクスリと笑われて、そろそろ親離れしないといけないわと言われた。
ジャンカルロからも、そろそろ大人になるべきだと笑われたらしい。そして養子にいく弟のことが心配ではないのか、とも。
ルチアーナとジャンカルロが前より仲良くなってからというもの、ジャンカルロは前よりアルバーノと話してくれるようになったが、しかしそれは行動を窘めるような事が多く、今まで何も言われなかったのにどうしてという気持ちの方が大きい。それに伴い、ルチアーナもアルバーノの行動や態度を注意するようになった。
今の言い方はいけないだとか、もっと人の気持ちを考えてだとか。それから、立派な宰相である父がいるのだから、もっと父を気遣うべきだとも。あまり困らせてはだめよアルバーノと、言われるようになった。
それはアルバーノにとって、何よりも触れられたくなかった事だろう。父親との関係は、ルチアーナが考えているより根深く捻れているのだから。
「人の望みや痛みなんて、人それぞれで、それを他人が笑うのはおかしなことだよ。僕は王太子で、美しい婚約者がいて、将来が約束されているから、悩み事なんてないと思われがちだけど、これでも色々あるんだ。でもその悩みは誰にも理解されないだろう。だからこそ、人の悩みや喜びを、他の人間が笑ったり否定することはしてはいけないと思う」
君が父親と過ごしたいと思うのは、間違いじゃないと僕は言った。アルバーノはそうでしょうかと聞いてきたので、そうだよと僕は微笑む。大丈夫、君は普通だよと僕がその手を握れば、張り詰めていた空気が少し緩んだ。
「それに、宰相には、仕事に根を詰めすぎず、屋敷に帰るように話したよ。ちょっとその前に、個人的な仕事をお願いしたのだけど。……アルバーノは、宰相の名誉が少しだけ傷つけられたとしても、父親の事は信じられるかい?」
「もちろんです」
即答するアルバーノは良い子だね。
実はと、アルバーノにリリーディアの事を話した。母親が男爵と無理矢理に結婚させられ監禁されている話に、顔を顰めている。この年頃だとやっぱり、嫌悪する者の方が多い。
「……その生徒は、問題児だから近づかない方がいいと、ルチアーナ様に言われていたのですが。そんな事情があったとは……。平民が貴族の集まるこの場所に来たとしたら、マナーや規則など知らなくて当たり前ですね。それにしても、何の教育もせず放り込むとは、人の事をなんだと思っているのでしょうか」
「詳しくじゃないけど、一応さっき話したのだけど、逆に僕が怒らせてしまってね。ルチアーナに悪いことをしたなぁ。……まあ後で謝っておくよ。それで、宰相に相談したら、自分がと申し出てくれたのだよ。彼女たち母子を助ける方法をね。そんな事はさせられないと言ったのだけど、息子の命をこの国に救って貰ったのだから、民を助けることで恩返しをしたいのだと言ってきかないんだ」
それはどういうことだとアルバーノが首を傾げる。アルバーノの命を救ったのはルチアーナだけど、彼女は魔法道具を作り上げただけだ。理論は完璧だったが、はたして人に対してそれを施しても大丈夫かは分からない。なので王は、最初はアルバーノの体に取り付けるのを反対したのだ。けれど宰相が息子の体が健康になるならと懇願し、それを受け入れたという。何か体に異変が起きた場合、王国が責任を持って治療に当たるという約束で。
初めてきいた事実に、アルバーノが驚いている。まあ僕もそんな事実、いま初めてきいたけど。宰相が懇願したかは知らないけど、許可を出したのは王である父様だから、嘘じゃない。それにアルバーノの体を治療する準備を整えているのは僕なので、やっぱり嘘じゃない。
「……そんな、父が……」
「宰相はそういう事はいわないから、聞いても教えてくれないだろうけどね。まあ、それで、だ。これから宰相の所にいって、ちょっと話をしてくるといい。どんな不名誉な行いをするか、しっかりと。それで明後日、僕達と一緒に来て欲しい」
わかりましたと、アルバーノは頷いた。話が早くて助かる。
まあ本心は、ルチアーナと顔を合わせたくないのだろうけど。お茶会をすっぽかしたし、気まずいのかもしれない。きっと見つかったら、どうして来なかったのだとか詰め寄られそうだから、王宮に行かせた方が安全だ。下手にリリーディアの事を漏らしたくないのだ。
ルチアーナにリリーディアの事を話せば良いのではとか思われそうだけど、僕は彼女の周りの人間を引き剥がしたいのだから、言うわけはない。不自然に、それでいて自然に、彼女が気付かないうちに心が離れているように、そう仕向けたいのだから。
次の日、講義が終わったのでラウンジに行ってみると、アンナとリリーディアが一緒に座っていた。僕が声を掛ければ、リリーディアは意を決したように口を開いた。
「アンナさんとの事、聞きました。……その、レオさんは良いんですか?」
「ん? 別に僕は構わないよ。アンナは大事な友人だもの。……僕の住んでいる所は、飢えはしないし寒さで凍えることもないけれど、人の友達なんていなかったからね。寂しいのだよ、やっぱり。アンナを巻き込んでしまって申し訳ないのだけど、ね」
「私は了承しましたし、それに私もレオさんとお話しているのは楽しいですから。リリーディアさんもそう思いませんか?」
「……レオさんは優しいし、親切にしてくれるし…。でも、でもだからこそ、幸せになってほしいんです!! もちろん、アンナさんにも!! ……私に出来る事なんて、たいしたことないですけど。それでも私、お二人の役に立ちたいです。…いまは、迷惑しか掛けてませんけど」
その気持ちが嬉しいとアンナが笑った。そしてありがとうとも。僕もリリーディアにありがとうと微笑む。
「そしたらお願いがあるんだ。アンナと仲良くしてくれるかい、…これからもずっと」
僕の言葉にリリーディアは満面の笑みで、もちろんですともと頷いてくれた。




